夕刊フジ2022.7/5 15:30桂春蝶

「信念と高い志を持つ政治家」が、絶滅危惧種になっている気がします。与党は野党に気を使い、妥協点を見いだす法案で国民を失望させる。野党は「反対のための反対」を繰り返すばかり。実現しても日本のためにならないような公約ばかり…。国民はその姿にあきれ果て、政治から興味がなくなっていく。すべて茶番に思えます。
「私はこれをやるために政治家になった!」
もし、そんな大義を抱く政治家がいたら…心から応援したくなりますよね。
私は一人、尊敬してやまない政治家がいます。1994年に、アイヌ初の国会議員となった萱野茂(かやの・しげる)さんです。国会での初質問でアイヌ語を使い、大きな話題になりました。萱野さんの話をする前に、アイヌについて説明をしなければなりません。
アイヌは、近世には北海道、東北北部、樺太、千島列島という広い範囲に暮らしてきた人たちで、日本の先住民族です。明治に入り、北海道のアイヌは日本国民として編入され、戸籍には「旧土人」と表記されるなど、差別的な立場におかれました。
明治政府はアイヌの風習である、女子の顔への刺青や男子の耳飾りなどを「悪習」として禁止しました。住む土地は奪われ、日本語の使用を義務付けられ、名前も変更させられ、生活の糧であったシカ猟やサケ漁も禁止されます。アイヌ文化は、こうして破壊されていったのです。
アイヌを日本人に同化させる法律として、明治32(1899)年に「北海道旧土人保護法」が成立します。この差別的表現…驚きます。萱野さんの尽力で同法は廃止となり、アイヌ文化の振興や知識の普及に関する「アイヌ文化振興法」が成立したのは、98年後の1997年です。それは、あまりにも長い道のりでした。
この法案はまだ不完全で、アイヌの漁業や狩猟採集、差別問題には触れられていなかった。ただ、萱野さんが国会議員になったことで、確実に政府の目はアイヌに向けられたのです。政府は2019年、ようやくアイヌが「先住民族」であることを認め、差別禁止を明記した「アイヌ民族支援法」が成立しました。
萱野さんは、青年期からアイヌの民具や民話を収集・研究して、アイヌ文化の伝承に努めた人です。アイヌ民話をまとめた『ウエペケレ集大成』で、1975年に菊池寛賞を受賞しています。
自身がアイヌであることを誇りとし、アイヌ文化の素晴らしさと、民族が受けてきた苦痛や悲しみを伝えることを「大義」としてきた。図らずも政治家の道に進んだ萱野さんは、悲願のアイヌ文化振興法の成立後、参院議員を1期限りで引退しました。
「まだまだ続けるべきだ」という声に、萱野さんはさらりとこう言いました。
「人(狩猟民族)は足元が暗くなる前に故郷へ帰るものだ」
■桂春蝶(かつら・しゅんちょう) 1975年、大阪府生まれ。父、二代目桂春蝶の死をきっかけに、落語家になることを決意。94年、三代目桂春団治に入門。2009年「三代目桂春蝶」襲名。明るく華のある芸風で人気。人情噺(ばなし)の古典から、新作までこなす。14年、大阪市の「咲くやこの花賞」受賞。
https://www.zakzak.co.jp/article/20220705-KOIQW5OQBFMC5JAMED4IS3VVRQ/

「信念と高い志を持つ政治家」が、絶滅危惧種になっている気がします。与党は野党に気を使い、妥協点を見いだす法案で国民を失望させる。野党は「反対のための反対」を繰り返すばかり。実現しても日本のためにならないような公約ばかり…。国民はその姿にあきれ果て、政治から興味がなくなっていく。すべて茶番に思えます。
「私はこれをやるために政治家になった!」
もし、そんな大義を抱く政治家がいたら…心から応援したくなりますよね。
私は一人、尊敬してやまない政治家がいます。1994年に、アイヌ初の国会議員となった萱野茂(かやの・しげる)さんです。国会での初質問でアイヌ語を使い、大きな話題になりました。萱野さんの話をする前に、アイヌについて説明をしなければなりません。
アイヌは、近世には北海道、東北北部、樺太、千島列島という広い範囲に暮らしてきた人たちで、日本の先住民族です。明治に入り、北海道のアイヌは日本国民として編入され、戸籍には「旧土人」と表記されるなど、差別的な立場におかれました。
明治政府はアイヌの風習である、女子の顔への刺青や男子の耳飾りなどを「悪習」として禁止しました。住む土地は奪われ、日本語の使用を義務付けられ、名前も変更させられ、生活の糧であったシカ猟やサケ漁も禁止されます。アイヌ文化は、こうして破壊されていったのです。
アイヌを日本人に同化させる法律として、明治32(1899)年に「北海道旧土人保護法」が成立します。この差別的表現…驚きます。萱野さんの尽力で同法は廃止となり、アイヌ文化の振興や知識の普及に関する「アイヌ文化振興法」が成立したのは、98年後の1997年です。それは、あまりにも長い道のりでした。
この法案はまだ不完全で、アイヌの漁業や狩猟採集、差別問題には触れられていなかった。ただ、萱野さんが国会議員になったことで、確実に政府の目はアイヌに向けられたのです。政府は2019年、ようやくアイヌが「先住民族」であることを認め、差別禁止を明記した「アイヌ民族支援法」が成立しました。
萱野さんは、青年期からアイヌの民具や民話を収集・研究して、アイヌ文化の伝承に努めた人です。アイヌ民話をまとめた『ウエペケレ集大成』で、1975年に菊池寛賞を受賞しています。
自身がアイヌであることを誇りとし、アイヌ文化の素晴らしさと、民族が受けてきた苦痛や悲しみを伝えることを「大義」としてきた。図らずも政治家の道に進んだ萱野さんは、悲願のアイヌ文化振興法の成立後、参院議員を1期限りで引退しました。
「まだまだ続けるべきだ」という声に、萱野さんはさらりとこう言いました。
「人(狩猟民族)は足元が暗くなる前に故郷へ帰るものだ」
■桂春蝶(かつら・しゅんちょう) 1975年、大阪府生まれ。父、二代目桂春蝶の死をきっかけに、落語家になることを決意。94年、三代目桂春団治に入門。2009年「三代目桂春蝶」襲名。明るく華のある芸風で人気。人情噺(ばなし)の古典から、新作までこなす。14年、大阪市の「咲くやこの花賞」受賞。
https://www.zakzak.co.jp/article/20220705-KOIQW5OQBFMC5JAMED4IS3VVRQ/