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文化庁の50周年表彰 道内は2個人2団体

2018-09-27 | アイヌ民族関連
北海道新聞 09/27 05:00
 文化庁は1968年の同庁創立から今年で50周年を迎えたことを記念し、文化振興に多大な功績があったとして、公益財団法人アイヌ民族文化財団(札幌市)など道内2個人2団体を含む108個人52団体を表彰する。30日に京都市で行われる50周年記念式典で表彰式を行う。
 道内から表彰されるのはほかに、いずれも元日本宗教連盟理事長の有田恵宗さん(83)=小樽市=と植松誠さん(66)=札幌市=、萱野茂二風谷アイヌ資料館(日高管内平取町)。
 道外では小説家の阿刀田高さんや日本文学研究者のドナルド・キーンさんらが選ばれた。(尾張めぐみ)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/232180

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北海道の路線バスで全国初の「アイヌ語案内放送」 アナウンスは18歳の大学生が担当

2018-09-27 | アイヌ民族関連
ハフィントンポスト2018年09月26日 14時54分 JST |
アイヌ文化を普及させようと活動する彼女に話を聞いた
消滅しそうなアイヌ語を身近に感じてもらおうと、北海道の日高地方周辺の路線バスで2018年4月から、アイヌ語による車内放送が始まっている。アナウンスを担当したのは、アイヌにルーツを持つ18歳の大学生だった。
国内初の「アイヌ語アナウンス」 新しい語彙の創造も
アイヌ語での車内放送は、内閣官房アイヌ総合政策室北海道分室が企画し、道南バスの協力で実現した。アイヌの人々が多く暮らす二風谷(にぶたに)地区を抱える平取町内を運行する3路線で実施されている。
日本語でのアナウンスの後に、アイヌ語で同じ内容が繰り返される。同分室によると、公共交通機関でのアイヌ語での車内放送は国内初という。
乗客からは、「耳心地がいい」「発音が柔らかい」「自然に耳に入ってくる」などと好意的な反応が寄せられてるという。
日本語のアナウンスをアイヌ語に翻訳する作業を担当した1人が、平取町立二風谷アイヌ文化博物館学芸員の関根健司さんだ。日常の言葉として復活させるために、翻訳の際には、アイヌ語の新しい語彙をつくりだすことも試みたという。
例えば、「学校」。アイヌ語に同じ意味の言葉がなかった。関根さんによると、「アイヌ語には明治期に流入した西洋の概念が少ない」ためだという。このため、「本を見る家」を意味する「カンピヌカッチセ」と訳された。

「イランカラプテ」キャンペーン推進協議会事務局 リーフレットより アイヌ語のバス停の名前
アナウンスは18歳の大学生が担当
アイヌ語のアナウンスを担当したのは、収録当時18歳だった慶応大学総合政策学部1年の関根摩耶さんだ。アイヌ文化の発信や、言語の習得論について学んでいる。
摩耶さんはルーツをアイヌに持ち、二風谷で育った。小学生のときには公益財団法人「アイヌ文化推進・研究機構」主催の「アイヌ語弁論大会」の子供の部で、2度の優勝を果たしている。
複数の方言があるアイヌ語の中で、路線周辺で使われている沙流(さる)方言に幼い頃から触れてきた点や、若くて元気のある声が評価され、摩耶さんに白羽の矢が立った。
摩耶さんはハフポストの取材に、アイヌの言語や文化への思いを語ってくれた。
■アイヌ語が日常だった二風谷の生活
人口の75%がアイヌといわれる二風谷で暮らしていたので、日常生活の中にアイヌ語が入り込んでいました。
小さな子供でもアイヌの言葉を理解することができ、例えば私は雪を見て、自然とアイヌ語で「ウパシだ!」と言っていました。そんな、アイヌ語と日本語の境目が無いような環境で育ちましたが、多くの人は流暢に話せるわけではありません。
アイヌ文化継承活動のリーダーとして知られる萱野茂さんが「親子のアイヌ語」という教室を開いていて、私はそこに両親と通っていました。2006年5月に萱野さんが亡くなる直前まで教わっていたので、私が萱野さんからアイヌ語を習った最後の世代ということになります。
■アイヌから遠ざかった時期も
高校から札幌の学校に進みましたが、そこではアイヌは身近な存在ではなく、授業でアイヌ文化を紹介されても「アイヌってまだいるんだ」というような認識があることを目の当たりにしました。
祖父母の世代では「あ、イヌだ」などという差別的ないじめを受けていたという話を聞いていたこともあり、自分も同じような目にあうのではないかという思いを持ちました。
自分がアイヌであることをネガティブなこととして捉えるようになって、あまり口外しないようにしていた時期もあります。
■転機はハワイで訪れた
高校2年生の時に国際交流プログラムでハワイを訪ねた際に、先住民の方々と交流する機会があり、自分がアイヌだと伝えると、アイヌの踊りを踊って欲しいというような雰囲気になりました。
その頃は、あまりアイヌについての活動をしたくないと思っていたので、ネガティブなイメージを抱かれないだろうかと不安に思いながら踊りました。すると、ある先住民の男性に涙を流しながらこう言われたのです。
「日本に行った時に、外国人だからと誰も相手にしてくれず、家にも入れてくれなかった。だけど、アイヌだけは家の中に入れてくれてご飯も食べさせてくれたんだ」「ここで踊りを披露してくれたことを誇りに思って、家に帰っておじいさんやおばさん、ご先祖様に伝えてください」
その時以来、使命のようなものを感じ、アイヌ文化についての活動に力を入れるようになりました。

インタビューに答える関根摩耶さん
■「カッコいい」アイヌを発信したい
アイヌには、日本による同化政策のために、いきなり日本語で授業が行なわれる学校に連れていかれ、結果的についていくことができなくなったという人がたくさんいます。実際、アイヌの学歴や学力の水準が低くなっているというデータもあります。
もともと、アイヌは文字を持たない民族なので、暗記した言葉を何時間も語って伝えるなど、とても頭を使ってきた人々でした。しかし、言葉を奪われることで、自分たちの文化を語ることもできなくなってしまう。
そんな危機感から、私は大学に進んで、しっかりとアイヌの言葉を習得しようと思ったんです。
まだ、流暢に話せるレベルではありませんが、言葉は学べば学ぶほど成果が出るものなので、今後も勉強を続けていこうと思っています。
多くの人々に「アイヌ文化ってカッコいいな」と認めてもらいたい。堂々と自分はアイヌだと言って生きている人は、カッコいいと思うんです。
例えば、「自分は日本人」と思っていても、日本の文化はあまり知らないし、自分が大事にしたい文化を持たない人はたくさんいると思います。
日本人に限らずたくさんの人に、私が「アイヌだ」と言って生きているところを見て欲しいし、何かを持っているってカッコいいなと思ってもらえれば、アイヌ文化に触れてもられるきっかけにもなるかと思います。
実際、大学の友人など私の身の回りでは、日常の会話の中でアイヌの言葉を使ったりとアイヌ文化やアイヌ語に興味を持ってくれる人が増えてきていて、ちょっとずつ広がっていると実感しています。
「カッコいい」姿を見せることができれば、私がかつて抱いたようなネガティブなイメージを次の世代に引き継ぐこともなく、アイヌとして胸を張って生きることができるようになるのではないでしょうか。
伝統を大事にしながら、私たちの世代なりの新しいアイヌ文化を発信して、「カッコいい」と共感してもらう。先が見えない挑戦ではありません。車内放送も、公共の空間で日常的にアイヌ語が流れるということで、挑戦の一歩です。
私を二風谷で育ててくれたおじいちゃん、おばあちゃんたちは、「摩耶には期待しているよ」と言っていました。彼らが思い描いてきた、アイヌであるということが普通の社会を実現することが、私を支えてくれた人々への恩返しになるのではないかと感じています。
まだまだ、根拠のない自信かもしれませんが、アイヌ文化は必ず世界に認められ、絶やしてはいけない大切な文化だと多くの人に理解してもらえると信じています。
アイヌ語によるアナウンスの実施区間など詳細は、公益財団法人アイヌ民族文化財団のウェブサイトで確認することができる。 
https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/26/ainu-language-bus-guide_a_23513379/




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新像除幕し礼拝【新ひだか】

2018-09-27 | アイヌ民族関連
日高報知新聞2018.09.26
【新ひだか】アイヌ民族の長・シャクシャイン(1669年没)をしのぶ第72回法要祭(実行委主催・大川勝委員長)が23日、静内真歌公園で行われ、新しいシャクシャイン像がお披露目された。
 シャクシャインは松前藩の圧迫や過酷な搾取に対して、アイヌ民族のために立ち上がり、道内各地から同族多数の参加を得て静内からクンヌイ(渡島管内長万部町)まで攻め寄せるが、幕府の援軍にはばまれ、シベチャリ(静内地方)のチャシ(とりで)まで後退。松前藩の和睦交渉に応じたが、その席で謀殺された。
 法要祭は、人間平等の理想と民族自衛のため和人と戦った英傑の霊を慰めるため、シベチャリのチャシがあった真歌の丘で毎年開催している。
 今年も道内各地のアイヌ協会幹部や道アイヌ協会の加藤忠理事長、鈴木貴子(自民党)、山岡達丸(国民民主党)両衆議、管内選出の藤沢澄雄、金岩武吉両道議、橋本元秀内閣官房アイヌ総合政策室長、大野克之新ひだか町長、坂下一幸様似町長、池田拓浦河町長、川上満平取町長、渡島管内の木幡正志長万部町長、岩村克詔八雲町長らが来賓として参列。一般参加者や米国フロリダ州の先住民セミノール族を含め国内外から約1200人が来場した。
 老朽化で撤去された旧像にかわる高さ約4㍍(台座を除く)の新シャクシャイン像は、これまでのアイヌの指導者としての勇ましい姿から、凛々しく平和への祈りをささげる姿に変更。主催者や来賓による除幕式の後、委員長の大川新ひだかアイヌ協会長は「今後はこのシャクシャイン像がアイヌ民族の象徴となる」とあいさつ。
 続いて、来賓あいさつが行われ、このうち大野町長は「新しい像はまさに共生の象徴。2020年に白老町で民族共生象徴空間ができるが、それを先取りしたような新ひだか町における建立はまことにうれしいこと。この像を中心に道内のみならず日本全国に共生の象徴として新ひだか町から発信していければ」と話した。
 新しいシャクシャイン像の前で礼拝が行われた後、公園広場で「ハルランナ」(もちまき)が行われ、実行委員や来賓が参加。昼食時にはマチェプ(サケの串焼き)などが提供された。

ハルランナで来場者にもちをまく実行委員と来賓たち
 また、法要祭後には日高管内各町や道東など道内11保存会が参加し、第41回芸能文化交流会(道アイヌ協会本部主催)も行われ、古来から伝わる踊りと歌の舞踊を披露した。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/7855

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アイヌ伝承の岩崩れる 「災害の記憶 語り継ぎたい」 平取・国の重要文化的景観 /北海道

2018-09-27 | アイヌ民族関連
会員限定有料記事 毎日新聞2018年9月26日 地方版
 6日の地震で震度6弱を観測した平取町では、3頭のクマが姿を変えられたとするアイヌ民族の伝承があり、国の重要文化的景観にも含まれる「ウカエロシキ(クマの姿岩)」が崩れた。岩周辺は木が生い茂り、詳しい状況は確認できていない。町教育委員会は「伝承地の一部がなくなってしまったのは残念だ」としている。
 町教委によると、岩は二風谷ダムの近くにあり、3頭の親子グマが山を登っているように見える…
この記事は有料記事です。
残り287文字(全文478文字)
http://mainichi.jp/articles/20180926/ddl/k01/040/076000c

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舞踊や料理アイヌ文化堪能 新ひだか「象徴空間」紹介の催し

2018-09-27 | アイヌ民族関連
北海道新聞 09/26 05:00

静内地方に伝わる「ねずみ捕りの遊び」という舞踊を披露する静内民族文化保存会の会員ら
 【新ひだか】胆振管内白老町に2020年に開設されるアイヌ文化の復興拠点「民族共生象徴空間」を紹介する催しが、新ひだか町の商業施設ピュアで開かれた。アイヌ料理の試食や伝統舞踊の公演も行われ、多くの町民らがアイヌ文化に触れた。
 道が22日に主催し、2階の会場ブースには、象徴空間に設けられる博物館や公園を紹介するパネルを展示。アイヌ文様の衣装を試着できたり、アイヌ文化を伝える映像を流したりした。静内民族文化保存会の会員約20人が輪踊りなどの舞踊を披露し、観客から拍手を浴びた。
残り:104文字/全文:342文字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/231758

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アイヌとダム建設 議事堂に響いた民族の言葉 「仲間たちのために働きたい」 /四国

2018-09-27 | アイヌ民族関連
会員限定有料記事 毎日新聞2018年9月26日 地方版
旧土人とは誰か
 「クコロウタリ コロイラウェ シペッテッパクノ クネプキルスイナ(私は仲間たちのために一生懸命働きたい)」。1994(平成6)年11月9日、参院環境特別委員会で萱野茂は、アイヌ民族の権利回復のため新法制定を目指す決意を述べた。国会議事堂に初めてアイヌ語が響いた。
 萱野はアイヌ初の国会(参院)議員。北海道旧土人保護法の撤廃も求め「旧土人とは誰のことなのか。それはアイヌであり、私であるのか」と差別的な法の名称について政府にただした。
 「言語の重要性は日本にいる限り、アイヌ自身も気づきにくい。父はそれを認識していた」。秘書として支え…
この記事は有料記事です。
残り1952文字(全文2226文字)
https://mainichi.jp/articles/20180926/ddl/k39/040/519000c

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レインボーマウンテンなどこれから注目の3観光地が選ばれる ~JATA主催『アメリカ大陸 記憶に刻まれる風景30選』~

2018-09-27 | 先住民族関連
リスヴェル 2018年09月26日公開[ペルー政府観光庁]

 日本旅行業協会(JATA)のアウトバウンド促進協会・北中南米部会はこのほど『アメリカ大陸 記憶に刻まれる風景30選』キャンペーンを実施しました。2019年度各旅行会社が「この場所に行ってみたい!」と思わせる風景をテーマに商品を造成・販売することを目的としたもので対象エリアはカナダ、アメリカ本土、メキシコ、中南米、カリブ海諸国です。選考のポイントは、分かりやすく消費者に伝えるため視覚に訴える、いわゆる「インスタ映え」する風景です。部会に参画する在日大使館や観光局、サプライヤー、旅行会社などから165点の応募がありました。
 ペルーからは、これから注目の観光地として「レインボーマウンテン」、「ティティカカ湖」、「マチュピチュ」の3か所が選ばれました。不動の人気を持つマチュピチュに続き、最近注目を浴びているのが、クスコから日帰りで行けるレインボーマウンテンです。虹色をしたカラフルなこの山は、正式名称を「ビニクンカ山」と言い、標高5200mの高所にあります。一度見たら忘れられない印象的なこの山は、さまざまな鉱物によって山肌を虹色に染めています。
 ティティカカ湖は、富士山より高い標高3800m以上に位置する、ペルーとボリビアの国境にまたがる古代湖です。先住民族の伝統が強く残る土地で、葦を積み重ねて作られた浮島で生活する人々や、繊細な織物などはユネスコの無形文化遺産に登録されています。2017年にはベルモンド社により南米初の豪華夜行列車「アンデアン・エクスプローラー号」の運行が開始され、停車地となるティティカカ湖観光は人気のアトラクションです。列車は、クスコ、プーノ、アレキパを1泊2日もしくは2泊3日のコースでつなぎ、ペルーの伝統料理を楽しみながら、それぞれの観光地を堪能できるラグジュアリーな旅をお楽しみいただけます。
【お問い合わせ】ホームページ:http://www.peru.travel
https://www.risvel.com/news/4456

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カナダで初めて女性の名前を冠した工学部が誕生:ビジネスリーダーのジーナ・コーディ氏がモントリオールのコンコーディア大学に歴史的な1500万ドルの寄付

2018-09-27 | 先住民族関連
時事通信 Sept. 26, 2018 14:27 UTC
ジーナ・コーディ・スクール・オブ・エンジニアリング・アンド・コンピューター・サイエンス設立に向けた寄付により、教育アクセス向上、研究資金獲得、新しい世代の鼓舞が実現
モントリオール--(BUSINESS WIRE)-- (ビジネスワイヤ) -- コンコーディア大学から女性として初めて建築工学の博士号を取得してから30年後、ジーナ・パルバネ・コーディ氏(1981年MEng、1989年PhD)は母校に1500万ドルを寄付して歴史を作りました。コーディ氏による「Campaign for Concordia: Next-Gen. Now」への変革的な寄付を称えて、当大学は工学とコンピューター・サイエンスの学部にこの卒業生の名前を付けました。
本プレスリリースではマルチメディアを使用しています。リリースの全文はこちらをご覧ください。: https://www.businesswire.com/news/home/20180926005632/ja/

このプレスリリースにはマルチメディア資料があります。リリースの完全版はこちらをご覧ください:https://www.businesswire.com/news/home/20180924005425/en/
ジーナ・コーディ・スクール・オブ・エンジニアリング・アンド・コンピューター・サイエンスは、女性の名前を冠したカナダ初の工学部であり、世界でも早期のものの1つです。
トップのビジネスリーダーで建築技術者でもあるジーナ・コーディ氏は、大学から入学奨学金を受けていたため、自分の成功の多くはコンコーディアのおかげであると考えています。コーディ氏は、次のように述べています。「1979年に若い学生として2000ドルを持ってイランからカナダにやって来ました。コンコーディアは歓迎して支援してくれ、私の人生は変わりました。大学への寄付は次世代のためのものです。これでより多くの人が私のように成功してほしいと思います。」
ジーナ・コーディ氏は、成功するための最善の方法は高等教育を受けることだと考えています。「大学は、女性、有色人種、先住民族、その他の少数民族が自分の夢を追求するためのプラットフォームです。私がコンコーディアに深く関わり、今回の寄付を行うのはそのためです。私の寄付が他の誇り高きコンコーディアの卒業生の心を動かし、より多くの学生が夢を追求できるよう支援を申し出てくれることを願っています。」
ジーナ・コーディ氏の動画は、https://youtu.be/UuCvEkfBGzEでご覧ください。
ジーナ・コーディ氏の寄付は、大学院と学部の奨学金や、スマートシティに関する次世代研究をサポートします。その寄付により、データ分析と人工知能、モノのインターネット、インダストリー4.0と高度な製造の3つの新たなチェアーの創設が可能になります。コンコーディアが同額を支援するその寄付の一部は、公平、多様性、包摂プログラムのための特別基金に利用されます。
工学とコンピューター・サイエンスの学部に氏名の使用を認めることで、ジーナ・コーディ氏は女性の工学分野でのキャリア追求を妨げる可能性のある障壁を打ち破ることを願っています。エンジニアズ・オブ・カナダによれば、全国の大学で工学を学ぶ学生のうち女性はわずか20パーセントです。カナダ統計局は、働く技術者のうち女性はわずか12.8パーセントであると報告しています。
コンコーディアのアラン・シェパード学長は、次のように述べています。「ジーナ・コーディ氏は私たち全員の役割モデルであり、その寛大な寄付はカナダの工学とコンピューター・サイエンスの重大な分岐点になります。その寄付は、当大学に大きな影響を与えます。当大学の工学とコンピューター・サイエンスのプログラムは、カナダと世界で最も強力なプログラムとして位置付けられています。今回の寄付により、私たちは世界中で既に知られ、認められ、尊敬されている驚くべき強みを基盤とし、次世代のためにさらに強化することができます。」
ジーナ・コーディ・スクール・オブ・エンジニアリング・アンド・コンピューター・サイエンスのアミール・アシフ学部長は、この寄付の影響は多大であると述べています。「当学部は大きな進歩を遂げており、今回の寄付により私たちはさらに次のレベルに進むことができます。この寄付により、社会のために次世代技術を開発する将来の工学やコンピューター・サイエンスのリーダーを養成するための資源が提供されます。名称変更は、男女のバランスを特に強調しつつ公平、多様性、包摂を達成するという私たちの願いを反映しています。コーディ氏は、若い女性にとって完璧な役割モデルとなり、この素晴らしい職業に加わるよう鼓舞してくれるでしょう。」
ジーナ・コーディ氏は、傑出した技術者、女性起業家です。トロントを拠点とする国内大手エンジニアリング・コンサルティング会社でエグゼクティブチェアーと主要株主を務めました。2010年に、プロフィット誌はコーディ氏を女性起業家上位10人に選びました。ジーナ・コーディ氏は、2016年に同社の株式を売却して退職しました。
Campaign for Concordia: Next-Gen. Nowについて
当大学史上最大のキャンペーンであるCampaign for Concordia: Next-Gen. Nowは、高等教育の授業と研究を再考するという大学の野心を支援するために2億5000万ドルを調達する予定です。2017年11月1日にスタートしたCampaign for Concordiaは、当大学の9つの戦略的方向性をサポートします。タイムズ・ハイアー・エデュケーションのランキングによれば、コンコーディアは世界の大学の上位2パーセントに入り、創立50年未満の大学では北米で第2位にランクされています。Campaign for Concordiaは、当大学の学生4万8000人、教職員7000人、21万5000人以上の卒業生にメリットをもたらす研究と授業をサポートします。詳細についてはwww.concordia.ca/campaignをご覧ください。
https://www.jiji.com/jc/article?k=20180926005632&g=bw

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京橋の国立映画アーカイブで「映画の教室 2018」 個人による映画集める

2018-09-27 | アイヌ民族関連
銀座経済新聞 2018.09.26
 商業的な目的以外で製作された、個人による作品を集める「映画の教室 2018 個の紡ぐ物語」が10月10日から、国立映画アーカイブ(中央区京橋3)で始まる。
「迷宮譚」(寺山修司監督作品)
 プログラムは「アマチュア映画作家」、動物学者・八田三郎の「白老アイヌの生活」などを上映する「研究者の視点」、映像作家で詩人でもある鈴木志郎康さんがその日にあったことなどを毎日6分間語る自らの姿を15日間撮影した「15日間」を上映する「日記映画」、日本の女性映像作家・ビデオアーティストの先駆者である出光真子さんの作品を上映する「女性のまなざし」、寺山修司の実験映画4作品を上映する「スクリーンへの問い」。各回とも、研究員による約15分の解説も行う。
 国立映画アーカイブ特定研究員の碓井千鶴さんは「個人によるさまざまな表現を見ることができる5回シリーズで、その多様さを楽しんでいただきたい。解説が付くことで、それぞれの作品・作家についてもより深く理解しながら作品を鑑賞できる」と話す。
 「できれば5回通してご覧いただき、表現の豊かさ、幅広さを体験していただければ」とも。
 料金は一般520円ほか。
https://ginza.keizai.biz/headline/3587/

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米裁判所がグリズリーの保護再指定、40年ぶりの狩猟解禁は中止

2018-09-27 | 先住民族関連
ロイター 2018年9月26日 / 13:43 / 18時間前更新

[パインデール(米ワイオミング州) 24日 ロイター] - 米連邦地裁のダナ・クリステンセン判事は24日、イエローストーン国立公園内および周辺のハイイログマ(グリズリー)について、絶滅が危惧される種の保存に関する法律に基づく保護対象に再度指定するよう指示した。
同判事は、グリズリーを絶滅が危惧される種から除外するとの魚類野生生物局(FWS)の判断を却下し、保護活動家と先住民の訴えを支持。40年ぶりに予定された認可に基づく狩猟を中止した。
グリズリーを絶滅危惧リストから「除外」する件は、2016年のオバマ政権時代に正式に提案され、昨年6月にトランプ政権が実施を決定した。この経緯は、グリズリーの生息数がここ数十年で十分回復しており、保護は不要としたFWSの判断に基づいていた。
除外対象となったのは、ワイオミング、アイダホ、モンタナの各州に生息するイエローストーン周辺の700頭余り。環境団体は、これらの個体をモンタナその他48州の個体と別個に扱うのは生物学的に不健全であり、絶滅が危惧される種の保存に関する法律に抵触すると主張、判事が同意した。
グリズリーは繁殖速度が遅く、48州の生息数は2000頭以下。ピーク時には10万頭余りが生息していたが、銃撃や服毒、わななどによる殺害で、1975年までに数百頭に減少し、保護対象となった。
環境団体は、気候変動による餌供給状況の変化、密猟や道路交通など人間による脅威などを挙げ、政府が継続的に保護しなければ生息数の回復が阻害される恐れがあるとしている。
https://jp.reuters.com/article/grizzlies-idJPKCN1M60D2

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現代人は最大約2%ネアンデルタール人 人類史を塗り替える古代DNA革命

2018-09-27 | 先住民族関連
ニューズウィーク2018年9月25日(火)16時00分
<古代人のDNAを高速で解読するシステムを確立した遺伝学者がスリリングに描く、人類の遥かな旅路。この「革命」により、予想もしなかった新事実が次々に明らかになっている>
わたしたちの祖先とネアンデルタール人とのあいだに交配はあったのか? ヨーロッパ人は、先住の狩猟採集民と中東からヨーロッパに農耕を広めた人々の混じり合いによって生まれたのか?
いま、「古代DNA」研究の分野で加速度的に積み上がる大量のデータによって、考古学者ですら予想もしなかった新たな事実が次々に明らかになっている。
半ば化石化した古代の人骨から抽出したDNAを「古代DNA」と呼ぶが、その抽出を効率よく行い、高速で解読する大規模なシステムを確立して「古代DNA革命」をもたらしたのが、『交雑する人類――古代DNAが解き明かす新サピエンス史』(筆者訳、NHK出版)の著者である遺伝学者、デイヴィッド・ライクだ。著者がみずからの古代DNA研究室を開設したのは2013年と、わずか5年前のことである。
わたしたちの体内にあるDNAは肌や目の色を決めているだけではない。遠い過去から連綿と続く人類の歴史の解明に役立つ貴重な情報も含んでいる。現代人と、遠い過去に生きていた現生人類、さらには旧人類のDNAを全ゲノム規模で比較し、そうした比較に基づいて人類の歴史を集団の移動と混じり合いという観点から再構築することで、人類の先史時代の像がより鮮明になるとともに、これまでの定説のいくつかがくつがえされることとなった。
その結果わかったのは、わたしたち現生人類の祖先がネアンデルタール人と交配していたこと。サハラ以南のアフリカ人を除き、現代人は最大約2%のネアンデルタール人由来DNAを持つ。ネアンデルタール人とクロマニョン人との交流を抒情豊かに描いたジーン・アウルの小説『大地の子エイラ』は正しかったのだ。
ヨーロッパ人の祖先は先住の狩猟採集民と中東起源の農耕民だけではない。さらにステップ地帯(現在のハンガリーからカザフスタンを経てモンゴル高原に至る草原地帯)の牧畜民の大規模な流入によって、現代ヨーロッパ人の系統が形成された。インド=ヨーロッパ語という言語グループがこれほど広大な地域に広がったのも、ステップ地帯に起源を持つヤムナヤ文化の大規模な拡散と集団移動によるところが大きい。
アジアからアメリカ大陸への先史時代の人類移動は少なくとも4回にわたって起こり、北から南へ移動するにつれ集団が分岐して、多様な言語と文化を発達させた。アマゾン川流域の先住民もその流れを汲むが、意外なことに、地理的に遠く離れたオーストラリアの先住民と多くのDNAを共有していることがわかった。
ゲノムデータの膨大な蓄積は、人種という概念への批判に新たな火種を投じることともなった。著者は、近代に成立した人種という概念の正当性を唱える陣営と、人類の集団間にはいっさいの差異はないとする陣営との対立を歴史的経緯に即して紹介したうえで、不毛な議論に終止符を打って、DNAが語ることばにすなおに耳を傾けるべきだと言う。
古代DNA研究の最前線に身を置く体験
本書を読むことで読者は、めざましい発展を遂げつつある古代DNA研究の最前線に身を置く体験を堪能できる。著者の案内で、いわば古代DNA版の世界一周旅行をしながら、世界の各地域に住む人々がこんにちの姿になった経緯をたどる興味深い物語の数々に出合う。それは大規模な集団移動と、集団間の絶え間ない混じり合いの物語である。
およそ5万年前にアフリカを出てから、南米大陸最南端、あるいは南太平洋の遠い孤島に到達するまでの人類の遥かな旅路が、DNAの解析によってしだいに復元されていくさまはスリリングだ。
著者は、人類の遠い過去のみならず、現在と未来にも目を向ける。人類の集団間に見られる差異にはどのような意味があるのか、DNA解析は今後どうなっていくのかを、最新のさまざまな研究成果を紹介しつつ考察している。
印象的なセンテンスを対訳で読む
最後に、本書から印象的なセンテンスを。以下は『交雑する人類――古代DNAが解き明かす新サピエンス史』の原書と邦訳からそれぞれ抜粋した。
●Interbreeding with Neanderthals helped modern humans to adapt to new environments......at genes associated with the biology of keratin proteins, present-day Europeans and East Asians have inherited much more Neanderthal ancestry on average than in the case for most other groups of genes.
(ネアンデルタール人との交配は現生人類が新しい環境に適応するのに役立った......現代のヨーロッパ人や東アジア人は、ケラチンというタンパク質の働きに関わる遺伝子の部位に、その他の大半の部位に比べてネアンデルタール人DNAを平均してかなり多く受け継いでいる)
――ケラチンは体温の維持にとって大事な髪や皮膚の基本的な構成要素であることから、寒冷な気候に適応していたネアンデルタール人由来の遺伝子が交配を通じて現生人類のゲノムに取り込まれ、それが自然選択によって保存されたのだと考えられる。
●We called this proposed new population the "Ancient North Eurasians." At the time we proposed them, they were a "ghost"--a population that we can infer existed in the past based on statistical reconstruction but that no longer exists in unmixed form.
(わたしたちはこの想定上の新しい集団を「古代北ユーラシア人」と呼ぶことにした。想定当時、この集団は「ゴースト」だった。統計的な復元に基づいてその存在を推測したものの、そのままの形ではもう存在していないからだ)
――集団間の交配の証拠を調べる統計検定において、未知のゴースト集団が関わっていたとすればいろいろな検定結果がうまく説明できる。その後、このゴースト集団にぴったりのDNAを持つ人骨が実際に見つかっている。さまざまな地域の集団の成立を復元するなかで、ほかにも多くのゴースト集団の存在が浮かび上がってきた。
●Comparison of Y-chromosome and mitochondrial DNA types that are highly different between Africans and Europeans also shows that by far majority of the European Ancestry in these populations comes from males, the result of social inequality in which mixed-race couplings were primarily between free males and female slaves.
(アフリカ系アメリカ人とヨーロッパ人で頻度が大きく異なるY染色体とミトコンドリアDNAのタイプの比較から、アフリカ系アメリカ人の持つヨーロッパ人由来DNAが圧倒的に男性側から来ていることもわかった。異人種間の結びつきがおもに自由民男性と奴隷女性の組み合わせだったという、社会的な不平等の結果である。)
――古代から現代まで、集団が混じり合う際には常に、権力を持つ集団の男性と権力を持たない集団の女性との交配という「性的バイアス」が見られる。生殖に伴うこのような不平等は男女間には限らない。Y染色体の解析から、モンゴル帝国時代のたった1人の男性が、かつての占領地域に直系の男系子孫を何百万人も残していることがわかった。この人物はチンギスハンかもしれない。
◇ ◇ ◇
本書は、原題の「Who We Are And How We Get Here」が示すように、古代DNA研究分野の将来性を予見したルカ・カヴァッリ=スフォルツァの著書『わたしは誰、どこから来たの』(三田出版会、1995年)へのオマージュと言うべき作品である。
本書の著者も、人類の過去を復元し、いまのありようを考察するなかで、「われわれは何者なのか」という根源的な問いへの答えを模索する。だが、カヴァッリの時代と比べ驚異的なパワーを持つに至った解析技術を駆使して、生き生きとした動きに満ちた、遥かに鮮明な古代の人類地図を描くことに成功している。

『交雑する人類――古代DNAが解き明かす新サピエンス史』
 デイヴィッド・ライク 著
 日向やよい 訳
 NHK出版
トランネット
出版翻訳専門の翻訳会社。2000年設立。年間150~200タイトルの書籍を翻訳する。多くの国内出版社の協力のもと、翻訳者に広く出版翻訳のチャンスを提供するための出版翻訳オーディションを開催。出版社・編集者には、海外出版社・エージェントとのネットワークを活かした翻訳出版企画、および実力ある翻訳者を紹介する。近年は日本の書籍を海外で出版するためのサポートサービスにも力を入れている。
http://www.trannet.co.jp/
https://www.newsweekjapan.jp/stories/technology/2018/09/2dna.php

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アイヌ文化 体験で理解 大谷短大で学習会【音更】

2018-09-27 | アイヌ民族関連
十勝毎日新聞2018.09.25

指導を受けながらムックリの演奏に挑戦する参加者
 アイヌ文化の伝承と正しい理解の普及を目的に、トカプチアイヌ協会(帯広、笹村二朗会長代行)は昨年から、広く一般にアイヌについて学ぶ機会を提供する事業に取り組んでいる。24日には帯広大谷短期大学を会場に、学ぶ会「ともにあるアイヌ文化」を開催。地域住民ら約50人が参加し、古式舞踊やムックリ(口琴)の体験を通して歴史と伝統に思いをはせた。
 同協会はアイヌ文化の保存と伝承、発展を目指して活動するNPO法人。学ぶ会は昨年、浦幌町で開いて好評を得、2年目の今年は音更町の同短大での開催となった。
 実施に当たっては、十勝で唯一、国の無形民俗文化財に指定され、2009年にはユネスコ無形文化財にも登録されている帯広カムイトウウポポ保存会(酒井奈々子会長)が協力している。
 24日の学ぶ会では、開会式で笹村会長代行が「ただ踊りを見せるのではなく、体験を通して理解してもらうのがこの会。楽しみながらアイヌ文化に触れて」とあいさつ。
 参加者は同保存会のメンバー11人の指導で、歌に合わせ、仲間たちに共に踊るよう呼び掛ける「ウタリオプンパレワ」(輪踊り)や、和人から絹の布地で作られた衣服をもらった際の喜びを表現した「サランベ」、さらにはムックリの音の鳴らし方を学んだ。
 終盤では、1937~38年に十勝地方でのバッタが大発生した時に作られたという「バッタキウポポ」を全員で踊り、会場は一体感に包まれた。
 保存会の酒井会長は「恥ずかしさからか、開始時には積極的ではなかった参加者も、後半は盛り上がっていた。踊りやムックリは難しさもあるが、アイヌ文化を知るきっかけになればうれしい」と話した。
 11月には浦幌町でも開催を予定している。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/7834

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<石川文洋80歳 列島縦断あるき旅>10 撮影の感動、心の財産に 仕事する姿に引かれる

2018-09-27 | アイヌ民族関連
北海道新聞 09/25 17:12 更新

ホタテの稚貝を籠に入れる女性。育ってくると籠が狭くなるので入れ替える。2度繰り返してからホタテの耳に穴を開けてつるす=8月23日、渡島管内長万部町
 カメラマンにとって喜びの一つは、現地を踏むことでその場所の歴史に関心が湧くことである。ベトナムの戦場を取材した時は、ベトナムの歴史に関する資料を読んだ。
 北海道の旅では、アイヌの歴史と日本人の開拓史に関心を持った。屯田兵の住居跡や川村カ子(ね)トアイヌ記念館を訪れたので、北海道の歴史の本が身近に感じられた。
 心に響いた対象にシャッターを切る。北海道では約5千枚撮影した。使用する写真はわずかだが、撮影時の感動は「心の見えない財産」となる。
 歩いている時、利尻富士(利尻山)、大雪山、有珠山、駒ケ岳などはずっと目の前にある。車だと通り過ぎてしまうので、ぜいたくな時間を楽しめた。ハマナス、エゾニュウ、エゾカンゾウなど花の群生を各所で見かけ、その都度、撮影した。
 人々が仕事をしているところが好きだ。長万部町の静狩漁港では大勢の人がホタテの稚貝を選別していた。稚貝を洗って籠に入れて育てる。大きくなったら殻の付着物を洗う。これを繰り返した後、ホタテの耳に穴を開けてつるす。出荷までに2年から3年かかる。
 若い人から年配者までの多くの女性が作業をしていた。夫は漁船に乗っているのだろう。こうした様子は一日中でも撮影していたい。
 ノシャップ岬で昆布漁をしている樺太(サハリン)出身の男性の話をもっと聞き、撮影をしたかった。八雲町で昆布を採る夫婦の船に乗りたかった。酪農家や農家の1日の生活も追ってみたかったが、時間がなかった。
 10年ぐらい前からデジタルカメラを使っている。理由はズームレンズ付きで軽いからだ。防水用コンパクトカメラも持って行った。撮影で一番困るのは雨だ。朝から大雨の時は、初めから防水用カメラにした。
 50年以上カメラマン生活をしていて感じるのは、カメラと感光材の進歩である。ベトナムほかの戦場を撮影していた時は、3台のカメラを持ち、交換レンズを付けた。フィルムをリュックにたくさん詰め込んだ。今は軽いカメラとSDカード1枚で済む。「写真は心で撮るもの」と思っているが、80歳になってカメラは機能的な方が良い、と感じた。

いしかわ・ぶんよう 1938年那覇市生まれ。65年から68年までベトナムに滞在し、ベトナム戦争の最前線を撮影した。カンボジア、アフガニスタンなどの戦場や沖縄の基地問題の写真でも知られる。著書に「戦場カメラマン」「日本縦断 徒歩の旅」など。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/231599

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ネフスキーの最期 音楽朗読劇で再現 小樽来訪100年目を記念

2018-09-27 | アイヌ民族関連
北海道新聞 09/25 05:00
■アイヌ語や沖縄の宮古島方言を研究
 【小樽、積丹】アイヌ語や沖縄の宮古島方言を研究したロシア人言語・民俗学者ニコライ・ネフスキー(1892~1937年)の小樽来訪100年目を記念し、音楽朗読劇「島へ ニコライ・ネフスキー人生の旅」が27日、小樽市民センター・マリンホールで初演される。入舸(いりか)村(現・後志管内積丹町)出身の萬谷(よろずや)イソと結婚し、旧ソ連で「日本のスパイ」のぬれぎぬを着せられ処刑された軌跡を再現。市立小樽図書館は25日から、道内の親族に伝わる写真やネフスキーの直筆研究ノートを複写した「宮古方言ノート」を展示する。
 ネフスキーは、1919年(大正8年)に小樽高等商業学校(現・小樽商大)にロシア語教師として赴任。日本語や文化の原型が残るとみて宮古島を3度訪れ、約5千語の方言ノートを作製。死後は北東アジアの西夏語研究の世界的権威として再評価が進んだ。
 音楽朗読劇は、上川管内下川町公民館などが主催する北の星座音楽祭と、同祭の小樽実行委が共同制作。小樽時代の教育活動や、方言を操って古謡、神話を探求した宮古島への旅、スターリン体制下で不当に逮捕されながらも良心を貫いた夫妻の最期を描く。宮古島から招く民謡歌手、與那城(よなしろ)美和さんの歌唱やビオラ、ピアノ演奏、オリジナル台本の朗読で構成する。
 イソ夫人のおいで、積丹町美国町に住む元役場職員、三上勇雄さん(82)と妻の二子(つぎこ)さん(78)が上演を知り、家族写真や書簡、関連記事など68点の資料を小樽実行委を通じて小樽図書館に寄贈した。二子さんは「ネフスキーとイソの物語は終わっていなかったんだね」と感慨を話す。
 ネフスキー夫妻の一人娘で小児科医のエレーナさんは89年7月に来道し、親族と交流。昨年12月にサンクトペテルブルクで亡くなった。2人は「自宅に迎え、赤飯を炊いた。浴衣を着てもらった」と懐かしむ。
 午後6時半開演。一般2500円(道新ぶんぶんクラブ会員は2千円)など。問い合わせは丹治さん(電)0134・61・1500へ。下川町公民館でも29日午後2時に上演。問い合わせは同公民館(電)01655・4・2511へ。小樽図書館の展示は10月9日まで。(有田麻子、藤盛一朗)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/231372

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「神の魚」サケに感謝 旭川でアイヌ民族儀式

2018-09-27 | アイヌ民族関連
北海道新聞 09/25 05:00

忠別川河川敷で行われたサケを迎える儀式「カムイチェプノミ」
 旭川で放流され、産卵のために川を遡上(そじょう)してきたサケを迎えるアイヌ民族の儀式「カムイチェプノミ」が24日、旭川市の神楽岡公園内の忠別川河川敷で行われた。
 旭川チカップニアイヌ民族文化保存会、あさひかわサケの会などで構成する実行委の主催。儀式はサケの会のサケ放流事業とともに毎年行っており、今年で31回目。関係者ら約60人が出席した。
 儀式は厳かな雰囲気の中で進められ、アイヌ民族の伝統衣装を身にまとい、祈りの言葉をささげた。この後、神が宿るとされるイナウ(木幣)を忠別川に投げ入れて、アイヌ民族が「神の魚」と呼ぶサケへの感謝の気持ちを表した。
 儀式後は、サケの生態などを題材にしたクイズを行ったほか、「秋の川クリーンウォーク」と題して河川敷の清掃活動も行い、参加者は心地よい汗を流していた。(相沢宏)
☆「カムイチェプノミ」の「プ」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/231338

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