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アイヌ文化発信、イベント「クンネ」を若者熱演【白老】

2018-09-01 | アイヌ民族関連
室蘭民報 2018.08.31室蘭民報
「クリムセ」を披露する山道さん
 アイヌ民族文化財団の若手職員や、アイヌ文化伝承者の育成プログラム「イオル担い手育成事業」を3年間受講した若者たちによる、アイヌ文化に触れるイベント「シラウォイ クンネ」が26日、白老町本町のしらおい創造空間・蔵で開かれた。アイヌの若者たちは踊りや歌、語りを披露、会場を埋めた約50人に若いパワーを伝えていた。
 冒頭、イベントプロデューサーの米沢諒さんは「(国立アイヌ民族博物館が開設されるまでの)2年間に自分たちで何か発信できるものがないかと思って企画しました。皆さん、楽しんでいってください」とあいさつした。
 山丸賢雄さんは、白老に伝わる「ユカラ」(英雄叙事詩)、神のメノコ(女の子)とアイヌのメノコの問答「カムイユカラ」、クマの霊送りの情景を詳述した「ウエペケレ」をアイヌ語で語り、日本語で解説。アイヌ語で「白いイヌ同士をけんかさせるものはなんでしょう」「お互い助け合って、すれ違うことなく同じ動きをするものはなんでしょう」となぞなぞを出題、来場者が頭をひねる場面もあった。
 川上さやかさんは、平取に伝わり、大勢集まったときに歌う「ウポポ」や、白老、白糠、登別に伝わる3種類の「ピリカの歌」などを披露、会場から手拍子が寄せられた。
 山道陽輪さんは「クリムセ」(弓の舞)、山丸さんと新谷裕也さんは「エムシリムセ」(剣の舞)を披露。川上さんと山田美郷さんは一緒に「ウタレプンパレ ワ」を歌った。
※「ユカラ」の「ラ」、「カムイユカラ」の「ラ」、「クリムセ」の「ム」、「エムシリムセ」の「シ」と「セ」は小さい字
http://www.hokkaido-nl.jp/article/7530

アイヌ民族施策109億円 概算要求総額 象徴空間整備など

2018-09-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/31 05:00
 各省庁が発表した2019年度予算の概算要求で、アイヌ民族政策関連の総額が18年度当初比2・7倍の109億1500万円に上ることが30日、分かった。20年4月に胆振管内白老町で開業するアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間」の整備費が中心で、アイヌ語の保存、継承事業費なども継続して要求する。
 象徴空間はアイヌ民族の歴史や文化などの情報を発信する「国立アイヌ民族博物館」と、伝統的なコタン(集落)を再現する「国立民族共生公園」、大学などが保管するアイヌ民族の遺骨等を集める慰霊施設などからなる。
 文部科学省などによると、象徴空間の整備に関する要求額は計101億1400万円。博物館は19年9月の完成を目指しており、工事費をはじめ、工芸品の内部を解析するCTスキャナーなどの研究機材や備品の購入費などで65億4300万円を計上した。
 公園や慰霊施設の整備費は35億5千万円。大学が保管するアイヌ民族の遺骨の返還に向けた手続きの支援や調査研究費として2100万円を要求した。
 このほか、アイヌ文化の振興や普及啓発に関わる事業費として3億4900万円を計上。アイヌ語の保存や継承に向け、音声資料のデータ化や文字化して翻訳する人材の育成費などを2千万円とした。
 またアイヌ民族の修学支援や就職支援を含めた生活向上の事業費として4億2800万円を盛り込んだ。(尾張めぐみ)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/223471

沖縄への基地集中は「人種差別」 国連が日本政府に勧告

2018-09-01 | ウチナー・沖縄
琉球新報 2018年8月31日 09:56
 国連人種差別撤廃委員会は30日、対日審査の総括所見を発表した。日本政府に対し、沖縄の人々は「先住民族」だとして、その権利を保護するよう勧告した。米軍基地に起因する米軍機事故や女性に対する暴力について「沖縄の人々が直面している課題」と懸念を示した。その上で「女性を含む沖縄の人々の安全を守る対策を取る」「加害者が適切に告発、訴追されることを保証する」ことなどを求めた。同委員会が勧告で、差別の根拠として米軍基地問題を挙げたのは2010年以来。
 同委員会は10年、沖縄への米軍基地の集中について「現代的な形の人種差別」と認定し、差別を監視するために沖縄の人々の代表者と幅広く協議するよう勧告した。14年の前回勧告は基地問題に言及しなかったが、今回は再び言及した。
 今回の総括所見は、日本政府が沖縄の人々を先住民族と認めていないことに懸念を示した。「琉球(の人々)を先住民族として認め、その権利を守るための措置を強化する立場を再確認すること」を勧告した。
 総括所見は16、17の両日にスイス・ジュネーブの国連欧州本部で開かれた対日審査の結果を踏まえ、まとめられた。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-794147.html

木彫り熊 技術、後世に 八雲の町民講座復活 「菊彫り」特徴生かし 文化祭展示へ受講生真剣 /北海道

2018-09-01 | アイヌ民族関連
会員限定有料記事 毎日新聞2018年8月31日 地方版
 かつて北海道土産の代表格だった木彫り熊を作る技術を受け継ごうと、発祥地の一つとされる八雲町で町民講座が開かれている。専門の彫り師が減って一時休止したが、講座で学んだ男性が講師となり復活。町民らが楽しみながら技を学ぶ。
 6月上旬、八雲町木彫り熊資料館の教室に、のみを木づちで打つ「カン、カン」という音が響いていた。「最初が肝心。熊の形をイメージして」。講師の千代昇さん(84)がシナノキ材を手に取り、のこぎりで角を大胆に切り落としてみせると、受講生らは真剣なまなざしで手元をのぞき込んだ。修正が難しく、注意が必要な作業だ。
 町が主催する講座は1971年に始まったが、彫り師の減少で講師がいなくなり、2003年に休止。休止前…
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https://mainichi.jp/articles/20180831/ddl/k01/040/039000c

文字の起源から考える会計責任=アカウンタビリティ

2018-09-01 | アイヌ民族関連
読み書きそろばん「リテラシー」の本質とは?
JB PRESS 2018.8.31(金)
 夏休みも大詰め、というよりこの記事が出る8月末にはすでに授業が始まっている学校もあると思うので、夏の宿題と2学期の正課の間にあるような話題を少し考えてみましょう。
 文字について、です。
 小学校に入ると「あいうえお」などの文字を習いますね。よく「読み書きそろばん」などという。
 江戸時代以前にも、最低限身につけるものとして、このような「手習い」は一般化していました。この文字って、必要なのでしょうか?
 広い世界を見渡すと、文字を持たない文化が決して少なくありません。
 古代の中南米、アステカ、マヤの文明では、今日の日本や現代欧米社会で使われる「文字」とは、相当異なった形の「象形文字」や「原記号」が使用されていたと考えられ、私が子供の頃は「文字は使われていなかった」と教わったりしたものでした。
 より日本に近い事例ではアイヌの文化が挙げられるでしょう。
 アイヌ民族は高度な文化を持っていましたが、文字は持たずもっぱら口承で文化を伝えてきた、とされています。文字に相当するものとして、結び目を用いた独自の記号法を持っていました。
 同様のものは沖縄では「藁算」と呼ばれています。
 沖縄藺草やガジュマルの根などを用いて独特の結び目をつくり、それに意味を持たせてコミュニケーションや記録などに活用していた。
 沖縄では20世紀初頭まで、ごく普通に生活の各局面で、この藁算が用いられていたとのことです。
 アイヌや沖縄のこうした文化を総称して研究者は「結縄」と呼びます。
 琉球王朝が日本や中国、韓国と交流する折には、ひらがな、漢字、ハングルなどを用いた古文書も残っていますが、いわゆる庶民語を文字で残すという文化は、琉球ではあまり発達しなかったようです。アイヌについても同様の傾向が見られます。
 アイヌの生活は、小さな集落に別れて営まれ、族長支配のほか、交易などもありましたが、それほど大がかりなものにはならなかったのでしょう。
 物々交換などでも、縄の結び目で表現できる程度の単純な数量確認にとどまったようで、複雑な帳簿などは残されていない。
 ここから、本土側の商人などが、あれこれ悪事を働いた可能性を容易に想像できるように思います。
 これに対して琉球は、共同体も大きく、何より中国や朝鮮、倭人との交易が盛んでしたから、貸借対照など様々な帳簿、簿記会計を進める必要がありました。
 琉球の人々、とりわけ商人管理層に影響を与えたものとして「蘇州号碼」と呼ばれる独特の数字が知られています。
数の進化論・・・蘇州号碼とバビロニア暦
 「蘇州号碼」日本語で読めば「そしゅうごうま」ですが、聞き慣れない言葉かもしれません。
 「蘇州碼」(そしゅうま)あるいはスーチョウマー、花碼(ホワマー)碼子(マーズ)などとも呼ばれる独特の「5進法」を伝える数字の表記体系です。
 「5進法」は人間の身体と数の概念を考えるうえで、とても興味深い対象と思います。
 全世界のあらゆる文化が数を持ち、数詞と計算法を発展させていますが、一つ共通することに、人間の手の指が5本あるという生理的な事実があります。
 やくざの落とし前で小指がない、というような例外は別として、この普遍性から、両手の指を用いる「10進法」が、今日の人類文化の一つの共通地盤を作り出していますが、物事を決めるのは人間の体ばかりではありません。
 私たちが地球上で生きていくかぎり、四季の別と無縁ではあり得ず、暦というものをやはりあらゆる文化が持っています。
 1年は12か月で再び同じ季節に巡って来るのは、地球上あらゆる地方で共通することですから、この地球由来の「12の月」と人体に由来する「5本の指」とをかけ合わせて
 という数を単位として考えると、日付や時間をうまく記述できることに、大昔の頭の良い人たちは気づきました。
 残念ながらそれは、アイヌでも琉球でも、中国でも朝鮮でも日本でも、あるいは欧米でもインドでもなく、太古のメソポタミア、つまり現在は紛争で荒れ果てているイラクや、シリア東方などの地域、古代バビロニア人たちの発見、発明でありました。
 60進法、今現在も私たち日本人のみならず、あらゆる先進国がその恩恵に浴しているのは、時計の文字盤を見るだけでも明らかでしょう。
分度器は60×6=360度で円周を1回りします。これは
60×6=360 と書くよりも
60×6 = 12×5×6=12×30=360
 と考えた方が分かりやすいでしょう。つまり、バビロニア人たちの近似で考えた1年の周期という、天文の観測と幾何の計量と暦とが一体になった近似法が、21世紀の今日も連綿と使われているというのにほかなりません。
 これに対して蘇州号碼はもっとゲンキンかつリアルなものでした。
 片手で数えられる1、2、3、4、5を、もう片手で位取りしてパッパと商いする、太古の中国商人は、こうした数の表記で帳簿をつけながら、正確な商取引、さらには金融、利息計算、その取立てなど、より高度な算術を発展させる契機を持ったものかと思われます。
 数の表記法が発達すると、すぐに金融が発生します。逆に、表記が発達しないと、借金取りとか雪だるま式の利息といった現象は現れない。
 下手に文明など発達しない方が、よほど平和な世界ということなのかもしれませんが・・・。
 ともあれ、琉球でも管理階層は「蘇州碼」的な帳簿をつけ、一般庶民は「藁算」の結び目で数を記録し、何百年、何千年という時代を生き続けてきた。これは間違いありません。
 またアイヌの人々もやはり藁算的な結縄で数を記録して生活してきた。
 以下は全く余談、かつ専門書などあるのかないのか、詳しいことを調べていないのですが、日本の原始文化は土器の分類に従って「縄文」と「弥生」に分けられています。
 弥生式というのは要するに朝鮮半島式で、須恵器の祖先にあたる軽くてシンプルな器を高温で焼成したのが「弥生式土器」という。
 それ以前の長い長い時代を総称して「縄文」期とよび、それは土器に縄の跡のような文様があるから、といっているわけですが・・・。
 縄文式土器の「文様」って、本当に文様なんでしょうか?
 アステカの「絵」と思われていたものが「絵文字」であったように、いま「縄文」といっているものが、もしかすると「結縄」を押し当てた跡、いや、もしかすると「結縄」そのものや、それを模した形で生計された「文字」である可能性も、あるのではないか。
 素人の勝手な想像ですが、これは、追って記す回があると思います。
 古代バビロニアにおける文字発生に関する、デニス・シュマント=べセラ テキサス大学オースティン校名誉教授による「土器トークン」に基づく画期的な研究が念頭にあってのことです。
 いい加減な想像であることはあるのですが、それなりに背景、根拠も念頭に記しています。これは別の回にと思います。
 さて、ここまで「藁算」「結縄」「蘇州碼」・・・と、よく考えると「数」に関する表記ばかりを記してきました。
 今回のテーマは「文字」について考えよう、だったはずなのに「数」ばかりが出てくる。どうしてか・・・?
 実は、文字発生の起源は「数」であって、話し言葉は別段、文字として書き残さなくても、全く不自由なかった。
 人々は何千年でも、いや広義の人類の歴史は200万年に及ぶわけですから、何十万年でも、文字など必要なく「言語は話すもの」として、過ごしてきたという事実が、浮かび上がってきます。
 こうした問題については、20世紀フランス=アルジェリアのユダヤ系哲学者、ジャック・デリダの仕事がよく知られています。
 今月私は、昨年来の宿題として抱えていた「哲學雑誌」(哲學會編)の委嘱原稿を仕上げたところで、今回記したのは、そこに書かなかった内容でもあります。
 エジプトーメソポタミアー古代ギリシャ/ヘブライの記数法と律法の話から立ち上げてAIや自動運転の倫理基準などを考える、私としては少し大きな節目になる仕事でした。
 そこには沖縄やアイヌの結縄、蘇州号碼などには言及しません。だいたい10考えたことがあれば、その0.1くらいが仕事に反映し、99%は表に出ません。その断片なのですが・・・。
 「文字で表記されるもの」(痕跡、ないし「エクリチュール」というフランス語を当てることがあります)の起源は、実は「数」にあること。
 数の表記=記数法の体系が確立すると、直ちに金融や利息計算などが爆発的に進化すること。
 「日常言語を文字で記す」ことは、庶民の生活にはまず必要がなく、つまり、人は実に簡単に、文字を使わない水準に戻ってしまうことができる。
 この太字にした部分を、夏休み明けに子供たち、私が普段教えている東大生諸君も含めて、に強調しておきたいと思うのです。
 スマホ動画やテレビばかり見て、活字を読まなかったり、自分で鉛筆をもって白いノートにゼロから書き直して問題を考える、ということをしないと、人間は実に簡単に、縄文人とあまり変わらないことになってしまいます。
 あるいは、古代人をバカにしてはいけない、とも言えるでしょう。
 ポンペイなど古代ローマ遺跡をつぶさに見ると、身体的な快楽という意味で、今日の私たちより、ヘリオガバルスとかカリギュラとか、古代貴族の方がよほど酒池肉林を楽しんでいたことが察せられます。もっともあまりやりたい種類の酒池肉林ではないですが。
 でも、ローマ風呂などは私たちがいま入っても、たぶんとても快適だったに違いありません。
 そういう「情報シャワー」に身を任せていると、簡単に思考しなくなってしまいます。
 選挙だ、なんちゃら選だ、などといって、音声動画メディアでまくし立てて、人気投票で票田のトラクターを耕しても、まあこんなことにしかならなかったわけですから、迷妄に走るのは簡単だということです。
 では、何が私たちの目を覚まさせてくれるのか・・・数字なんですね。
 国の借金の数字を、複式簿記でしっかり押さえる。
 日々出て行く冗漫な経費と、それによって発生する負債を現実の数で認識し、闇雲な「ボランティア」「サマータイム」「日本人ならできるはず」とかいった、戯言で右から左に流さない。
 帳簿で押さえるというのが決定的に大事、倭人がアイヌの人々に文字や数字を教えないようにした、というのは、明確に「リテラシー・デバイド」を設けて、簒奪する方策であったと思います。
 そしてこの帳簿=アカウントの各条をすべて明確に説明できるのが「アカウンタビリティ」の原義であって、言葉だけで「問題ない」などと流すのが説明責任では決してない、ということも、改めて認識しておくべきだと思うのです。
 読み書きそろばん は 読み書き と そろばん ではないんですね。
 そろばん、で確認して、読み書きのいい加減な部分を炙り出し、是正していくよみかきそろばんの叡智が必要不可欠。
 単元ごとの縦割り蛸壺分断式では、いま見るような惨状に一直線ということかと思います。リテラシーの本質は専門バカを乗り越えた諸条件の連立と越境横断にあると言ってもいいでしょう。
 夏休みも終わり、そろそろ2学期の素面で、アカウントを見直すべき季節がやって来たかと思う、今日この頃です。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53932