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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

<金口木舌>“埋められた”巨人を忘れず

2015-11-14 | アイヌ民族関連
琉球新報 2015年11月14日 06:00
 「北海道は、開拓者の大地だ」とうたった日本ハムの球団広告が撤去された。先住民族がいた正しい歴史の理解につながらず「配慮が足りない」と北海道アイヌ協会が申し入れた
▼今、新作の翻訳が最も待たれる1人、英国の作家カズオ・イシグロさんが10年ぶりの長編「忘れられた巨人」を上梓(じょうし)した。遠くにいる息子を探し、奇妙な霧が覆う大地を行く老夫婦の旅を書く
▼霧は人々の大切な記憶や過去、歴史をおぼろげにする。翻訳家・柴田元幸さんのインタビューでイシグロさんは、国家における記憶と忘却を描こうとしたと語る
▼「個人は、国家はどこまで自分をだますべきか」「いろいろな国にこのことは忘れることにしようと国民が同意しているような、何か大きな事柄があるように思う。あいにくそれらは隠されたままでなく何度でも戻ってくる」
▼安倍政権の下でナショナリズムや歴史修正主義、無知や無関心の霧が覆う。アイヌもしかり、沖縄や福島、「慰安婦」などの“埋められた”または“埋められつつある”巨人を忘れず、繰り返さぬため、個人や国家がどう霧を払うかが試される
▼複合化学汚染が見つかった沖縄市サッカー場に近い北谷町の住宅地土壌から、基準値の約2倍のダイオキシンが検出された。米軍返還地の環境汚染もまた、霧のせいにして忘れてはならない埋められた巨人である。
http://ryukyushimpo.jp/column/entry-171468.html

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母語を守る

2015-11-14 | アイヌ民族関連
中日新聞 2015年11月14日
 半年前、各地の支局で働く若い記者の研修会を開いたときのことです。ある女性記者が近況を話すと小さな笑いが起きました。彼女の言葉に、勤務する土地のなまりがあったからです。
 初めての土地に早くもなじんでいる。地元の人には親しみを感じてもらえるだろうな。少し感心しながら近況を聞きました。
 <ふるさとの訛(なま)りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし>
 寺山修司のよく知られた歌で、懐かしき言葉を忘れたような友を嘆いています。方言やお国なまりはその土地の人々を結びつける大事なものなのでしょう。
 先日、こんな新聞記事を読みました。前に国連教育科学文化機関(ユネスコ)から消滅の危機にあると指摘されたアイヌ語、沖縄語や八丈語など八つの言語・方言を次世代に残すため、文化庁が対策に乗り出すという話です。
 この八つだけでなく、各地でも多くの方言が消える恐れがある。そうした心配を語る専門家の声も載っていました。まさかと思うものの、世界に六千以上あるという言語の多くが絶滅の危機にあるという指摘もあります。日本でもいずれ多くの方言が消えてしまうというのは、決して杞憂(きゆう)ではないのかもしれません。
 そうなったときの味気なさを想像します。生きものに似て、言葉も多様であってこそ豊かな国が保たれるのでしょう。
 「祖国とは、国語だ。それ以外ではない」。シオランというルーマニアの思想家はそんな言葉を残しました。これにならえば「故郷とは方言だ」でしょうか。
 それぞれの母語ともいえる方言を守ることは、つまりは人を大切にすることにもなるのでしょう。日本語は無論、数多くの土地の言葉を大事にしたいものです。
(名古屋本社編集局長・臼田信行)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/desk/CK2015111402000116.html


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「グレートジャーニー」の出発地は、パタゴニアの先住民のお墓の前だった

2015-11-14 | 先住民族関連
webDICE-2015-11-13 17:30

『光のノスタルジア』『真珠のボタン』探検家・関野吉晴さんによるトークイベント・レポート
映画『真珠のボタン』より、セルクナム族 © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015
南米ドキュメンタリーの巨匠、パトリシオ・グスマンが自国チリの歴史を圧倒的な映像美で描く2部作『光のノスタルジア』『真珠のボタン』が岩波ホールにて公開中。両作を読み解くトークイベントが3日間にわたり実施され、11月8日は探検家・医師の関野吉晴さんが登壇した。
関野さんは人類のルーツを南アメリカからアフリカのタンザニアまで逆ルートから踏破するという旅「グレートジャーニー」を敢行。このトークイベントでは、『真珠のボタン』の舞台となるパタゴニア、『光のノスタルジア』で描かれるアタカマ砂漠といったチリの自然や現地の人々との交流、今作で明らかになったチリの歴史の暗部について、といったエピソードが披露された。
【『真珠のボタン』について】
全長4300キロ以上に及ぶチリの長い海岸線。その海の起源はビッグバンのはるか昔まで遡る。そして海は人類の歴史をも記憶している。チリ、西パタゴニアの海底でボタンが発見された。―そのボタンは政治犯として殺された人々や、祖国と自由を奪われたパタゴニアの先住民の声を我々に伝える。火山や山脈、氷河など、チリの超自然的ともいえる絶景の中で流されてきた多くの血、その歴史を、海の底のボタンがつまびらかにしていく。
【『光のノスタルジア』について】
チリ・アタカマ砂漠。標高が高く空気も乾燥しているため天文観測拠点として世界中から天文学者たちが集まる一方、独裁政権下で政治犯として捕らわれた人々の遺体が埋まっている場所でもある。生命の起源を求めて天文学者たちが遠い銀河を探索するかたわらで、行方不明になった肉親の遺骨を捜して、砂漠を掘り返す女性たち……永遠とも思われる天文学の時間と、独裁政権下で愛する者を失った遺族たちの止まってしまった時間。天の時間と地の時間が交差する。
グレートジャーニーのスタート地点、パタゴニア
1971年に初めて南米に行きました。約40年前ですが、最初の20年は南米と言ってもほとんどアマゾン、アンデス、パタゴニア、ギアナ高地などの先住民といることが多かったんです。彼らと過ごすうちに、先住民と日本人は非常に似ていると思って、ルーツが知りたくなりました。アフリカで人類が生まれて世界中に拡散していくのですが、その中で一番遠くまで行った人たち……シベリア、アラスカ経由で最南端まで行った人々の旅路をイギリスの考古学者はグレートジャーニーと名付けたわけですけども、私は逆ルートでそれを自分の腕力と脚力だけで10年かけて歩きました。人類が一番最後に到達した地点は、この映画にも出てくる先住民、ヤマナ族の住むナバリーノ島のプエルト・ウィリアムズです。すから敬意を表して、彼らの先祖の墓があるメヒジョンという場所を出発地点にしました。
当時のチリの空気
アマゾンに1年ほどいて、72年にチリに行きました。アジェンデ政権の時ですね。世界で初めて民主的な手続きで社会主義政権ができたわけですから、世界中が注目していました。
アマゾン疲れしていたのでヒッチハイクでチリに向かいました。ペルーからアタカマに入って陸路でチリを縦断して、最後パタゴニアに行きます。
印象的だったのは、サンティアゴより南のほうで汽車に乗って旅をした時のことです。車内で歌を歌いだしたグループがいました。すると同じ車内の他のグループが別の歌を歌い始めました。それが終わると最初に歌ったグループがまた歌い始めました。交互に歌い始めたのですが、お互いに自分の土地の自慢話を即興で歌っているんです。曲は古いチリの曲だったようですが、詩は即興でした。それで、真ん中にいる私に声がかかったんです。「歌わなくてもいいから、こっちに来なよ」 と。やがて、1グループが列車から降りる時、私に「汽車を降りて私たちの町に来て、泊まっていきなさい。いいところだから」とお呼びがかかりました。一方、残ったグループからも、「泊まるならうちらの町においで、もっといい村だから」と誘われました。私は当てのない旅だったので、最初に声を掛けてくれた村に行くことにしました。そのグループは町に住む工場労働者、小売業者と学生たちが主体でしたが、1家族だけ郊外に住んで農業を営んでいました。チリでは夏休みを1か月くらいたっぷり取るんです。毎日がフィエスタのように音楽に合わせて踊り、土日は海や湖に行ってワインを飲み、フルーツを食べ遊び、休みます。メロンなんかをくりぬいて、そこにワインをどぼどぼと注いで、みんなで回し飲みします。ワインが水より安いんです。
私の泊めてもらった家の主人は露店で雑貨を売っていました。狭い家に住んでいましたが、私の寝る空間を作ってくれ、常に私に気を使ってくれました。彼らはアジェンデ政権を熱烈に支持していました。1週間ほど彼らに世話になった後に、郊外に住む1家族を訪れました。ここでも大歓迎してくれました。彼らは広い土地を持つ地主で、農園を経営していました。アジェンデ政権の農地改革で土地を奪われていたので、アジェンデ政権を非常に憎んでいました。悪口ばかり言っていましたね。当時のチリは、アメリカのCIAが経営者や運輸業者にストをやらせたりして、非常に混乱していました。その後私はいったん日本に帰ったのですが、1973年4月ごろ、再びアマゾンに入って、9月12日に出てきました。ペルーで新聞を見たら、一面トップに「クーデター発生」と書いてあった。9.11に軍事クーデターが起こったんですね。たしかに物はないし、経済的にはボロボロだった。クーデターが起こるんじゃないという予感はありましたが、びっくりしました。
パタゴニアの先住民―カウェスカル族のマリア・ルイサと、
ヤマナ族のクリスティナ・カルデロン
その後、ゆっくりとパタゴニアに行きました。『真珠のボタン』の舞台ですね。映画にも出てくるカウェスカル族の家に何度か行って、しばらく居候していました。僕は旅をするときいつも「泊めてください。同じご飯を食べさせてください。なんでもしますから」どこかの家を訪ねます。ほとんど断られたことはありません。
カウェスカル族は25年前の当時で16人しかいませんでしたから、今はもっと減ってるかもしれませんね。滞在していた家はお父さんが結核でいなくて、お母さんと13歳の娘、マリア・ルイサがいました。私はいつも、旅先で子供がいたら「大きくなったら何になるの?」と聞くんですが、南米ではだいたいスチュワーデスや先生や看護師、という答えが多い。今回もそういう答えが返ってくるのかなと思っていたら、彼女は「考古学者になりたい」と。そんな答えは初めてでした。
彼女はある冊子を見せてくれました。それはチロエ島の先住民ウィジチェの歴史を描いた劇画でした。つまり彼女は、カウェスカルの歴史もこのように本にしたい、それが夢だと言ったんです。彼女は学校に通っていましたから「社会科の教科書みせて」と言って見たら、太古からコロンブスまでの歴史は1ページ。あとは全部スペイン人がやってきてからの歴史でした。案の定。そうじゃない歴史を彼女は作りたかったんですね。
ちなみに、ウィジチェとカウェスカルは交流があって、ウィジチェは船を作る技術を持っているんですが、仕事がないので技術を活かせない。一方、カウェスカルは漁をしているけど漁船がないので、白人や白人の混血の人のもとで、本当に安い賃金で働かされています。それを助けようと、あるベルギーのNGOが支援をしたんです。ウィジチェに11メートルの漁船を作らせ、カウェスカルに船を操業させて自由に漁業ができる形にしました。まったく理想的な形ですよね。2つの民族が船を作る技術、魚をとる技術を活かせる。船の名前は、カウェスカルの少女マリア・ルイサからとってマリア・ルイサ号という名前がついています。
マリア・ルイサはその後、プンタアレナスで高校に通って大学受験の準備をしていました。先住民には枠があるので入学できるかもしれないと言っていたのですが、残念なことに大学を諦めていました。そして、混血の男性と結婚していました。彼女はカウェスカル族の中で最年少だったので、もう純血のカウェスカルが残る可能性はなくなって彼女がいなくなったら純粋なカウェスカルはいなくなります。
それから『真珠のボタン』に出てくる、クリスティナ・カルデロンさんというヤマナ族のおばあちゃんに何回か会ったことがあります。最後に会ったときはお姉さんがいたんですけど、亡くなってしまって今は一人になってしまったんですね。彼らは世界最南端のプエルト・ウィリアムズというチリ海軍基地の近くのウキケというムラにいて、かつては先祖の墓があるメヒジョンという、放牧にも農業にも適した集落に住んでいましたが、現在は海軍に占拠され、追い払われてしまったのです。もう90歳に近いのですが、カルデロンさんが最後です。ですから彼女が国宝となっていますが、彼女がなくなった後はみんなが混血なんです。ですからヤマナも滅びてしまう。
アタカマ砂漠のミイラ
アタカマの話に移りますが、アタカマは本当に天気がいいんです。『光のノスタルジア』にカラマの女性たちが出てきますが、カラマでは観測史上、一回も雨が降ったことがない。それなのに人が住んでいるのはどうしてだと思いますか?それは人が住むのに雨は必要がないからです。アンデス山脈から川が西の方に伸びて流れていて、川があれば緑や畑が広がるので、実は砂漠の土地はとても肥沃なんです。アタカマには博物館があって、そこにはミス・アタカマというミイラがあります。アタカマはミイラ文化で有名なんです。実は一昨年前に科学博物館でわたしの「グレートジャーニー」という特別展をやったのですが、そのときにアタカマから持ってきた世界最古のミイラを飾りました。ようするにエジプトより古いミイラがあります。おもしろいのはミイラを飾っている家があることです。そしてまるで生きているように朝、食事をあげるという文化が根付いています。
西パタゴニアとアタカマって本当に正反対です。パタゴニアの氷河を歩いたのですが、ずぶずぶで着生植物だらけのところを縫っていかなくてはならない。それでやっと岩や氷のところにたどり着けます。『光のノスタルジア』『真珠のボタン』、この2本の映画の舞台はまるで対照的な2つの地域なんです。政治的なことを扱ってはいますが、それをちょっと引いた目で、啓示的な視点で観てるから、ダイレクトじゃない。チリの歴史に興味がなくても、知らなくても見られる。そして素直に入っていける、とてもすばらしい映画ですね。
(2015年11月8日、岩波ホール内・岩波シネサロンにて)
関野吉晴(せきの・よしはる) プロフィール
一橋大学在学中に探検部を創設、アマゾン全踏査隊長としてアマゾン川全流を下る。その後医師となり、南米への旅を重ねる。1993年から2002年にかけて、アフリカで誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸に拡散した道を、南米最南端から逆ルートでたどる「グレートジャーニー」に挑んだ。2004年からは「新グレートジャーニー 日本列島にやってきた人々」をスタート。シベリアから稚内までの「北方ルート」、ヒマラヤからインドシナを経由して朝鮮半島から対馬までの「中央ルート」、インドネシア・スラウェシ島から石垣島までの「海上ルート」を踏破。1999年植村直己冒険賞受賞。現在武蔵野美術大学教授。
http://www.webdice.jp/dice/detail/4906/

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苫小牧市民訪問団、ネーピア入り ホンギで歓迎

2015-11-14 | 先住民族関連
苫小牧民報  (2015年 11/13)

空港でホンギを交わす訪問団とマオリ族の人たち=12日、ネーピア市のホークスベイ空港
 苫小牧市と姉妹都市締結35周年となるニュージーランド・ネーピア市への苫小牧市民訪問団が12日、現地に到着した。ネーピア市のホークスベイ空港でニュージーランドの先住民マオリ族から歓迎を受けた。
 市民訪問団27人と、すでに現地入りしていた1人が同空港に昼すぎに到着。ネーピア市のビル・ダルトン市長やホークスベイ日本人協会のロバート・アレル会長をはじめとするメンバー、マオリ族5人の計15人が横断幕を掲げて迎えた。
 ビル・ダルトン市長は「訪問団を歓迎します」と笑顔であいさつ。マオリ族が伝統の歌を披露し、友好を表す鼻と鼻をくっつけるあいさつ「ホンギ」を訪問団一人ひとりと交わした。夜には岩倉博文市長などが合流した。
 訪問団の一人、今田和史さん(67)は「5年前にも横断幕を掲げて迎え入れてくれた。今回はマオリの儀式もあり、非常に感銘を受け、友情がまた深まっているのを実感している。あすからは苫小牧市美術博物館の収蔵展も始まるので、ネーピアの方たちに苫小牧の文化を知ってほしい」と話していた。
http://www.tomamin.co.jp/20151132138



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【BOOKセレクト】佐山和夫著「1935年のサムライ野球団」

2015-11-14 | 先住民族関連
スポーツ報知 2015年11月13日15時0分
 米国野球に造詣の深いノンフィクション作家の佐山和夫さん(79)が「1935年のサムライ野球団」(KADOKAWA、1728円)を刊行した。今から80年も前に、米カンザス州で行われた“裏ワールド・シリーズ”に参加したカリフォルニア州の日系2世チーム。善意とフェアネスに基づく、その奮闘ぶりを描いている。佐山さんは、米国史上最高の投手といわれる伝説の黒人選手サチェル・ペイジも参加した大会の経緯や、日本野球は米国人にどう映ったのか、現地取材で解き明かした。(蛭間 豊章)
 通算2000勝以上したという“米球界最高の投手”サチェル・ペイジ研究の第一人者である佐山さん。今回取り上げた“裏ワールド・シリーズ”を知ったのもペイジが出場していたからだった。
 「米国だけでなくカリブ海沿岸諸国まで足を伸ばしていたペイジは、いろいろな試合に投げていました。この大会も多くの登板試合の一つかと思って最初は興味を持たなかったんです」
 しかし、その当初「ナショナル・ベースボール・コングレス・ワールド・シリーズ」と呼ばれたその大会が、当時、白人しかプレーできなかったメジャーリーグのワールド・シリーズに対抗して計画されたもので、元メジャーだけでなく排除されていた黒人、米先住民、海外から米国に定住した2世らによって編成された32チームが集結していたことを知って、作家意欲をかき立てられた。歴史を掘り起こそうと考えたという。
 「この大会はプロ、アマ関係なく、そして肌の色が違っていてもOKの、まったく差別のない野球大会だったのです。そして日系2世チームも出ていたんです。彼らはどこから来たのか、どんな選手で、どうして参加したか、次々と疑問が湧いてきたのです」
 佐山さんは、大会が行われた米国のど真ん中・カンザス州ウィチタに飛んだ。あのメジャーの通算本塁打記録保持者バリー・ボンズも大学生の時に2度出場した「ナショナル・ベースボール・コングレス」として続いている大会。その創設者の名前を冠したローレンス・デューモント・スタジアム外野後方のモニュメントには「ジャッキー・ロビンソンが大リーグにあった人種差別の壁を破った1947年よりはるか以前に(中略) すでに人種差別を撤廃していた」と大会の意義が記されていた。そして、参加チームのひとつとして、「全員が日本人から成るニッポニーズ(Nipponese)・スターズ」とも記されている。
 「調べてみると、カリフォルニアからはせ参じた日系チームは、ウィチタに行くまで各地で試合を重ねて移動費用を捻出しながらだったようです。大会には、彼らのほかに、アメリカ先住民族野球大会優勝チーム、兄弟だけのチーム、など、全米から集結したのです」
 太平洋戦争以前の米国では、野球が最も人気のあるスポーツだった。特にカリフォルニア州の日系人にとっても最大の娯楽でもあり、米マイナーのチームでプレーする選手もいたほどだった。そのカリフォルニア州の日系オールスターともいうべきニッポニーズ。メンバーの中には、後に日本プロ野球の阪急で“ヘソ伝”のニックネームで知られた(フランク)山田伝外野手、後にパ・リーグの審判にもなった(ジョージ)上田藤夫内野手も加わっていたことも突き止めた。
 「日本と違って米国は、戦災に遭っていないので各地の図書館には古い地元紙が大切に保管されています。ですから、彼らがどのようにウィチタまでの3000キロを超える道のりを向かったのかも分かったのです」
 80年前の“侍ジャパン”は、大会では2戦連敗し早々と姿を消した。だが、帰路でもさまざまな試合に出場した彼らは、大会を含めた遠征中、実に約40日で32試合(22勝)も戦った。すべての試合で、真摯(しんし)で全力プレーの“日本野球”を貫き、観客にはそれを印象づけた。
 「彼らは米国的なベースボールではなく、父世代の一世が日本で学んできた正々堂々とした野球を披露しました。そして日本人がどんなに真面目で善意に満ちていたかと示そうとしたのです」
 翌年、日本プロ野球がスタート。21世紀に入ってプロ参加の国際試合が格段に多くなり、現在プレミア12が開催中だ。
 佐山さんは「80年前の日系人が、米国で日本野球の神髄を披露してくれた。今の侍ジャパンにもそんな先達の真摯なプレーを忘れずに、優勝してほしい」と期待している。
 ◆佐山 和夫(さやま・かずお)1936年8月18日、和歌山県生まれ。79歳。慶大文学部英文学科卒業後、レコード会社勤務や高校教師などを経て文筆活動へ。「史上最高の投手はだれか」で84年度(第3回)潮ノンフィクション賞を受賞。その後も精力的に野球のルーツを探る書籍を多数出版。近著に「箱根駅伝に賭けた夢」(講談社)、「ペリーより62年も前に」(渓流社)がある。報知新聞社制定「ゴールデンスピリット賞」では第1回から選考委員も務める。
 ◆プレゼント 佐山和夫さんの直筆サイン本「1935年のサムライ野球団」を5人に。希望者ははがきに〒住所、氏名、年齢、好きな作家、社会面の感想を書き、〒108―8485 報知新聞社文化社会部・ブック「佐山和夫」係まで。11月19日の消印まで有効。当選者発表は発送をもって代えます。
 【小田嶋さんが選ぶこの一冊】
 佐山さんは感銘を受けた本として、評論家の故・松本健一氏が03年に刊行した「砂の文明・石の文明・泥の文明」(PHP新書)を挙げた。
 「文明論として、こんなに具体的で分かりやすい本は他にありません。世界に広まってきたベースボールという球技が、それぞれの地でどうしてかくも違った様相を呈するのか。その理解のカギを、私はこの本から得た気がします」
 松本氏は民族と風土のあり様を3つのカテゴリーに分類。「砂の文明」のイスラム、「石の文明」の欧米、そして「泥の文明」のアジアの、それぞれの文明の発達のあり方を描いた独創的な文明論。
 「ボール状の物を、バット状の物で打つという遊びは、人類の最初からあったでしょう。それが各地において違った価値観を背負うものとなっていった根源を教えられます。ボールの発生からベースボールへの進化、あるいはベースボールになり得たゲームたちの消滅の背景までわかりました」
 野球のルーツを追って米国各地だけでなく、英国やフランスにまで足を運んだ佐山さんだけに、ボールゲームの歴史を語る上で格好の一冊になったという。
http://www.hochi.co.jp/topics/serial/CO019592/20151113-OHT1T50096.html

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インディオ代表者が政府高官と面会=居住地を狭める法案に反対し

2015-11-14 | 先住民族関連
ニッケイ新聞2015年11月13日

ベルゾイーニ総務室長官と面会するインディオの族長達(Valter Campanato/Agencia Brasil)
 リカルド・ベルゾイーニ大統領府総務室長官は11日、ブラジリアで全国各地から集った先住民族(インディオ)の訪問を受けた。
 先住民達の訪問は、先住民保護区の制定権を連邦議会に移すという憲法補足法案(PEC)215/2000に反対するためのものだった。
 総務室広報担当官によると、ベルゾイーニ長官は先住民達の闘争を支援する姿勢を打ち出し、「我々のスタンスは対話を求めること。PEC215は議会から出たもので、連邦政府は賛成していない」との声明を発表後、「PEC215は対立を煽り、先住民族の領土権を危険にさらす可能性があり、何の解決策にもならない」とも付け加えた。
 カラジャー族の族長、ナルビア・ウェレリア氏は「部族全体がPECは部族の土地を奪うものだと考え、同法案を先住民の権利の後退だと評している」と述べた。
 トカンチンス州生まれの同族長は、先住民保護区の制定を今後も継続する事を求めると共に、「我々は勝ち得た権利が脅かされるのを良しとしない。現世代は闘争を通じて鍛えられている。PECの速やかな撤回を要求する」と語った。(11日付アジェンシア・ブラジルより)
http://www.nikkeyshimbun.jp/2015/151113-02topics.html


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岐阜)狩猟文化発信に研究所 岐阜大助教が揖斐川に開設

2015-11-14 | 先住民族関連
朝日新聞 2015年11月13日03時00分 古沢孝樹

 岐阜大学地域科学部助教の山口未花子さん(38)が、狩猟文化の発信や交流拠点「狩猟採集文化研究所」を揖斐川町の山間部に開設した。獣害対策だけではなく、狩猟を通した人と動物の密接な関係も伝えたい考え。こうした内容に特化した研究所は珍しい。
 研究所の開設では、岐阜大が「地(知)の拠点整備事業」(大学COC事業)で助成し、地元住民らが協力。施設は空き家だった民家を利用した。山口さんは代表者として、その運営にあたる。
 山口さんは人間の生活と関わりが深い動物と向き合いたいと、カナダで狩猟を続けている先住民カスカ族の生活を研究。ヘラジカなどの大型動物は猟銃で、ビーバーなど小型動物はワナで狩猟をしている。
残り:507文字/全文:808文字
http://www.asahi.com/articles/ASHC95WGNHC9OHGB00N.html

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内閣の半数を「女性」に指名したカナダの新首相、その理由が・・・男前すぎる!

2015-11-14 | 先住民族関連
TABI LABO-2015/11/11平野星良

10年ぶりの政権交代を果たし、カナダの新リーダーとなったジャスティン・トルドー首相。2015年11月4日に行われた新内閣発足の発表会見の席で記者からの質問に対し、たった一言で“らしさ”を表現。新内閣のカラーを示してみせた。
この組閣でトルドー首相は、自身を除く新内閣30人のうち、男性15人、女性15人と同数を登用。均等にバランスが取れた組閣は、カナダの歴史上初めてのことだと「The Gurdian」が指摘する。
ここで紹介する動画は、女性記者からの質問で始まり、それに答えるトルドー首相の一場面だ。
「この組閣からも首相が男女平等を重要視されていることがよく分かります。では、なぜこれほどまでに“男女平等”を重要視した組閣となったのでしょうか?」
すると、トルドー首相は肩をすくめ、たった3ワードでこう返して見せた。
「Because it's 2015!(だって、もう2015年じゃないか!)」
ユーモアを交えた彼の力強いメッセージに、支持者や記者団からも大きな歓声が上がった。
43歳の新リーダー“らしさ”を発揮
新首相がこだわったのはジェンダーだけではない。後に続く彼のスピーチにあるように、今回の組閣はカナダ全国から、多様なバックボーンを持った議員に声をかけたようだ。先住民族出身者や障がいをもった人、カナダへ移民としてやってきた人などを積極的に起用。世代間のバランスも考えられている。
先の選挙戦勝利演説の場で「真の変化をもたらす」と約束したトルドー首相。彼は16年首相を務めた故ピエール・トルドーの長男で、いわゆる二世議員だ。2013年自由党の党首に就任後も、偉大な父と比較され「かわいい坊や」と、対抗勢力から揶揄されてきた事実を「IBTimes」が伝えている。
これまでの内閣にない“らしさ”を出し、時代の変化を予感させた新リーダー。真の実力発揮はここからだ。
http://tabi-labo.com/208332/canadasnewcabinet/


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北海道新幹線、開業カウントダウン。東京駅で「北海道つながる物産・観光祭」

2015-11-14 | アイヌ民族関連
トラベル Watch-(2015/11/13 20:46)
11月13日~15日開催。人々の笑顔で作られたH5系モザイクアートを公開
 東京駅お祭りストリート委員会は、11月13日~15日の3日間、東京駅 丸の内南口 地下1階の「動輪の広場」で「東京駅お祭りストリート『北海道つながる物産・観光祭』」を開催している。初日の11月13日には、オープニングセレモニーも行なわれた。自慢の特産品販売や、北海道の文化を紹介する華やかなステージ、北海道産のじゃがいもを合計1トン分無料配布を行なうなど見所満載のイベントと、東京駅駅舎内のスペシャルジャックの様子をお伝えする。
 今回の「北海道つながる物産・観光祭」は、北海道新幹線の開業が2016年3月26日に決定したことを受け、関東圏の鉄道利用者に向けて北海道新幹線と北海道の魅力を伝えるために開催されたアピールイベント。物産展やコラボフードの食などとともに東京駅駅舎内を北海道色に染め上げる「東京駅スペシャルジャック」のオープニングも兼ねている。
 セレモニーでは、北海道白老町のアイヌ民族博物館のメンバーによる「アイヌ古式舞踊」が披露され、オープニングを飾った。この舞踊は同町で古くから伝承されており、イヨマンテと呼ばれる熊の霊送りの際に踊られるもの。大きな輪をつくり手拍子とともに歌声に合わせて舞うもので、狩猟民族であったアイヌの人々の重要な儀式の1つだ。

独特のかけ声と拍、アイヌ語で歌われた「イヨマンテリムセ(熊の霊送りの踊り)」。アイヌの代表的な工芸である「アットゥシ織」の衣装をまとい、素足での演舞に観客は圧倒された。イベント期間中14~15日はカピウ&アポッパのメンバーが舞踊を披露予定
 続いて、主催者の北海道知事の高橋はるみ氏が登壇。「開業まで134日、鹿児島中央駅から新函館北斗駅まで2150kmが2本のレールで繋がり、北から南までの交通ネットワークの完成となります。しかも東京駅から北海道まで約4時間で乗り換えなしで来られます」とその利便性をアピールした。
 また、同じく主催者である北海道観光振興機構の山本邦彦氏が「北海道への期待と注目を高めていただければ」と今回のイベントの主旨を説明。
 そしてJR北海道(北海道旅客鉄道)代表取締役社長 島田修氏は「今回新しく新幹線の区間には青函トンネルを挟み、青森側に奥津軽いまべつ駅、北海道川に木古内駅、終着点として新函館北斗駅の3つができるが、現在駅舎はほぼ完成し、最終仕上げ、準備作業に入っている」と近況を報告。
 最後にJR東日本(東日本旅客鉄道)の東京駅 駅長 江藤尚志氏が「北海道の豊かな恵み、人情も含め首都圏の人々は北海道に非常に魅力を感じている。東京駅を毎日利用する183万人にこのイベントで北海道のよい部分を見せてほしい。また、全力で私たちも新幹線開業に向けて走って行きたい。ちなみに開業が26日ですが、私自身の誕生日が実は3月24日なのです」とラストには会場の雰囲気を和ませる演出も。
 挨拶の後は、「ツーリズムEXPO JAPAN」をはじめ各イベント会場などで撮影された北海道新幹線開業を心待ちにしている人々の笑顔の2000枚の写真を繋げ、新幹線の車体を描いた幅4mの巨大モザイクアートの除幕式も行なわれた。
 セレモニーでは北海道新幹線開業イメージソング「Supernova Express 2016」を書き下ろしたGLAYの4人が映像で登場。リーダーのTAKURO氏は「僕らの故郷北海道に新幹線が走ることは自分達にとっても、首都圏の皆さんにとってもすごく長年の夢だったと思っています。その期待に応えられるように一生懸命制作をしたのが新曲。3月26日から新幹線が北海道まで伸びるということで、たくさんの夢を載せて新幹線が走ってくれると思います。北海道でコンサートがある時には新幹線に乗ってみたいと思います」とコメントしてた。
 ラストには「つながる美術館」の表彰式も行なわれた。これは、イベント期間中に北海道の子供たちの描いた「見てほしい北海道」「感じてほしい北海道」を描いた作品が新幹線の車窓をイメージしたデザインの柱に展示されているもの。式には優秀賞を受賞した代表の小学生と、絵本作家のそら氏、ご当地キャラクターたちが登場。北海道観光PRキャラクター「キュンちゃん」、北海道新幹線PRキャラクター「どこでもユキちゃん」、東京駅キャラクター「ドームくん」、函館市観光PRキャラクター「イカール星人」、北斗市公式キャラクター「ずーしーほっきー」、さっぽろテレビ塔非公式キャラクター「テレビ父さん」、上川町マスコットキャラクターの「かみっきー」に見守られながら和やかに表彰式が執り行なわれた。
 また、同じく動輪の広場で開催している「北海道つながる物産・観光祭」には17店舗が出店中。お菓子や薫製、魚介類に惣菜まで幅広く取り扱っており、北海道の“おいしい物産”が手に入る。函館市や鹿部町、北斗市、札幌市・北海道新幹線建設促進関係自治体連絡協議会、層雲峡観光協会、札幌商工会議所北が展開するブランド「イランカラプテ」キャンペーン促進協議会も観光案内を行なっており、北海道新幹線の開業に向けて地元の名所や名産をアピールしている。
 同時に開催される「東京駅スペシャルジャック」では、東京駅の改札内にあるポスターやデジタルサイネージなどで、北海道の名所と名産品を18種類掲出。美しい風景や、美味しそうな食材が並ぶ。また、“TOKYO MARU-VISION”や“丸の内大型LEDビジョン”では北海道新幹線の車体をメインにドラマティックな映像も終日放映とまさに北海道づくし。東京駅を歩くだけで北海道新幹線開業への熱気を感じられるようになっている。
 さらに、11月13日~29日には、「北の大地と海のおいしいフェア」として、東京駅内の43店舗にて北海道全域からよりすぐった名産品を使った創作料理が味わえるイベントも開催する予定。グランスタやグランルーフ、キッチンストリートなどエキナカで北の味覚をたっぷり味わうことができる。
http://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/20151113_730607.html

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差別禁止法制定求め、当事者が会してシンポ

2015-11-14 | アイヌ民族関連
週刊金曜日編集部 2015年11月13日 12:29

シンポジウムには60人あまりが出席した。(10月24日、東京都千代田区、写真/林克明)
10月24日、東京・永田町の全国町村会館で(一社)解放・人権研究所主催のシンポジウム「差別禁止法制定を求める当事者の声」が開催された。
当日は、セクシュアル・マイノリティ、ハンセン病、外国人、自死遺族、見た目、水俣病、HIV、被差別、アイヌ民族などの被差別当事者が一堂に会する画期的な集まりとなった。
ヘイト・スピーチに対しては、人種差別撤廃基本法案が5月に国会に上程されているが、今回の集会では、より広汎で抜本的に差別を禁止する法制定を求めている。在日コリアン差別の具体例を述べたうえで、多民族共生人権教育センターの文公輝・事務局次長は、「せめて条例があれば、裁判を起こして身を守り闘うことができ、判例が積み重なることで、何が差別かという見識が深まる」と訴えた。
差別禁止法研究会代表で神戸学院大学法科大学院の内田博文教授は法の必要性を整理した。
「法を制定することで、これは差別だ、差別でない、という水掛け論に終止符を打てる。そして、大規模な差別被害実態調査を行ない、その客観的事実を立法事実(法制定の根拠となる具体的事実)として定義規定できる。これにより、既定の曖昧さも解消できる」
変革を求めて一歩を踏み出す、当事者による貴重な集まりだった。
(林克明・ジャーナリスト、10月30日号)
http://blogos.com/article/144473/

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え!靴べらで楽器を演奏する!?小山清茂のアイヌの唄を演奏(11月13日)

2015-11-14 | アイヌ民族関連
株式会社スリーシェルズのプレスリリース
2015年 11月 13日

吹奏楽の世界で人気の小山清茂(1914-2009) の名曲「弦楽のためのアイヌの唄」(1964)。
参考動画
https://www.youtube.com/watch?v=NPHB7Q4GvCo
ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスがダイナミックに繰り返すリズムと音の迫力が聴きどころである。
しかし、この曲には「pizz.(靴べらで)」という演奏指定がある。
「靴べらで楽器の弦をひっかけ」という指示なのだ。
ちょっと驚きの指示にあまり演奏されることがないが、11月13日19時からの演奏会で久々に演奏される。
アイヌのムックリやトンコリなどにある打楽器的な音色を狙った奏法と思われるが、どんな音がするか楽しみである。
ほかにも、やはりコントラバスをこぶしで叩く指定のある山本和智のコントラバス協奏曲などもあり、音楽のコンサートといえども、ヴィジュアルな期待ができるコンサートである。
オーケストラ・トリプティーク第四回演奏会 「作曲家と日本の響き」
2015年11月13日(金)開演19:00~(開場18:30~)
東京オペラシティ リサイタルホール https://www.operacity.jp/access/index.php
【演奏曲目】
助川敏弥(1930-2015)ちいさきいのちのために(弦楽合奏版初演)-追悼演奏-
松村禎三(1929-2007) 映画『美しい夏キリシマ』より イネのテーマ ヴィオラソロ:高橋奨
山本和智(1975-)コントラバスと弦楽オーケストラのための『乱流と星月夜』(委嘱新作) コントラバスソロ:佐藤洋嗣
林光(1931-2012)弦楽のためのアレグロ(1954)
芥川也寸志(1925-1989)秋田地方の子守唄(1977)(清道洋一 編曲初演)ヴァイオリンソロ:三宅政弘
映画「破戒」(1962)市川崑監督、島崎藤村原作 より(清道洋一 編曲初演)
休憩
水野修孝(1934-)独奏チェロと弦楽オーケストラのための協奏曲(委嘱初演)チェロソロ:竹本聖子
團伊玖磨(1924-2001) ソロヴァイオリンと弦楽四重奏のための黒と黄(2001/遺作)ヴァイオリンソロ:三瀬俊吾
白石茂浩(1958-)フルートと弦楽合奏のための夕鶴幻想(2008)フルートソロ:向井理絵
團伊玖磨(1924-2001)ソロヴァイオリンと弦楽のためのファンタジア(1973)(白石茂浩 編曲初演)ヴァイオリンソロ:小林武史
小山清茂(1914-2009)弦楽のためのアイヌの唄(1964) 打楽器ソロ:高橋明邦

指揮:水戸博之
演奏:オーケストラ・トリプティーク
ソロ・ヴァイオリン:小林武史(ゲスト)
ソロ・打楽器:高橋明邦(ゲスト)
ソロ・ヴァイオリン:三宅政弘(コンサートマスター)
ソロ・ヴァイオリン:三瀬俊吾
ソロ・ヴィオラ:高橋奨
ソロ・チェロ:竹本聖子
ソロ・コントラバス:佐藤洋嗣
ソロ・フルート:向井理絵
ヴァイオリン:阿曽璃子、大杉那々子、小澤麻里、梶川空飛亜、加藤美菜子、迫田圭、知見寺武、藤代優意、森本由希子
ヴィオラ:伊藤美香、神山和歌子、星光
チェロ :任キョンア、大岩直季、渋井妙
コントラバス:志水祐亮、青木惟央
【主催】オーケストラ・トリプティーク
【後援】スリーシェルズ
【施設・公演のご案内】03-5353-0788 東京オペラシティ コンサートホール/リサイタルホール
【お問合せ】info@3s-cd.net 070-5464-5060
【チケット】一般:3,500円、学生:2,500円、高校生以下:1,500円 全席自由・当日各500円増(未就学児不可)
http://pressrelease-zero.jp/archives/85004

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らっこ・ライブ・レビュー:LIVE MAGIC! 2015 確かな眼力でポップスに光

2015-11-14 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2015年11月12日 東京夕刊

 発信力の高い音楽紹介者であるピーター・バラカンが仕切る音楽フェスティバルが、“Peter Barakan’s LIVE MAGIC! 2015”だ。昨年に続き、2回目が開催された。
 その2日目となる10月25日には、ルーツ音楽を清新に編み込む米国人女性3人組のアイム・ウィズ・ハー、豪州アボリジニのシンガー/ギタリストのグルムル、モンゴルの新旧音楽をつなぐデリヒ、アイヌの伝承歌“ウポポ”の再生を求める女性4人のマレウレウ、細野晴臣や鈴木茂らのTINPAN他が、7時間にわたり大小三つのステージに登場した。
 ルーツミュージックとつながる意志を強く持つ音楽家。テクノロジーに頼らない、手作り感覚や土臭い感覚を前に出した人たち。一つのジャンルにとらわれずに、しなやかに音楽の枠をまたがるような作り手。国籍や抱える文化が見事に散る出演者たちの共通点をあげるなら、そうなるだろうか。
 それらさまざまな出自を持つ出演者のなか、特に大きな感銘を与えたのが、この日のトリとして出演した20代前半のキューバ人歌手であるダイメ・アロセナだった。ジャズとラテン音楽を大胆に俯瞰(ふかん)しながら、スピリチュアルかつ鋭敏な現代感覚でくくったようなスケールの大きな表現は、未知の素晴らしい音楽家が世界各地にいる事実を痛感させる。そして、圧倒的な歌唱力に支えられた荘厳とも言える彼女の実演は、門外漢の聴き手にも強い印象を残したに違いない。そこには、音楽の力とマジックがあった。
 ヒットチャートの序列や、音楽ジャンルという縦切りの骨組みでは語ることのできない、作り手の素顔が見える大衆音楽の数々。それらは一握りの好奇心や知識があると、より魅力的に聞こえる表現でもある。確かな審美眼のもと、そうした音楽の担い手を紹介するこの音楽フェスティバルは、まだまだなくならないポップミュージックの希望もあらわにしていたと確信する。恵比寿ザ・ガーデンホール/ザ・ガーデンルーム。(音楽評論家・佐藤英輔)
http://mainichi.jp/shimen/news/20151112dde012070022000c.html

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