ようこそ石の華へ

鉱物の部屋へのいざない

              【お知らせ】

【定休日は毎週水曜日です。】【9月も毎週日曜日は休業します。】

石を割る

2018-05-07 10:20:38 | 日記・エッセイ・コラム
もう先月の事になってしまいましたが、あるお客の言葉が頭から離れません。それが今日のブログのタイトルです。

そのお客は教育関連の仕事をしているようで、つぶれたマッチ箱のような形の典型的な透明方解石を購入しました。その時の言葉が「石を割る」だったのです。それは鉱物の劈開の実験の為にという事だとすぐに理解しましたが、その言葉に不快感を覚えました。

「石の華」の商品を割る為に購入するなんて!意に反する言葉でした。

冷静に考えると、その方解石も自然界から割られて来たもので、地球の欠片の一部なのです。鉱物を構成する原子配列(結晶構造)において,原子同士の結合力の弱い部に沿って割れる性質を劈開といいますが、店にある方解石もそのような劈開という性質を利用して人間的な標本サイズに割られたものです。ただし、「石の華」にとっては、それは標本という商品になっているのです。そのような商品を割るという行為にはどうしても不快感を感じてしまいます。結晶美を愛でるという価値観からはそれがたとえ教育の為だとしても抵抗があります。

今更ながら、申し上げますと「石の華」の商品は鉱物の結晶美です。当店の大半のお客様はその事をご存知のはずだと思っております。

ところが、お客さんの中には、そのような価値観とは違う価値観の人もいます。例えば、鉱物を岩絵の具の原料として捉えている人や陶芸の釉薬の原料とし捉える人など、鉱物を粉末になるまで、すりつぶそうと思っています。また、粉末X線回析法などで分析する研究者も鉱物を粉末にしてしまいます。

先日、「自分で探せる美しい石」(実業之日本社 著者:円城寺 守)という新刊本を読んでいると、「おわりに」というあとがきの部分に「研究の名の下に、自然が長い時間をかけてつくり上げた美しいものを、易々と壊してもいいものなのでしょうか?」と書いてありました。著者は教え子の訴えるような表情からそのように自問し、その後の人生でずっと重いトラウマになっています、と告白されておられました。

教育や研究の為にという特権は正当なものなのでしょうか?

それとは別に、ある研究者のお客さんの言葉も印象的で頭に残っております。

その研究者はマテリアルサイエンスの分野の研究の際、肉眼的には泥のように見える四面銅鉱を電子顕微鏡で見て、そこに美しい正四面体構造が見えた瞬間に「おお!」と思う、とおっしゃっていました。そこには物質の持つ美と神秘に感動する姿勢が読み取れて、私も共感します。

教育や研究の分野にもそのような結晶美に対する美意識が欲しいものです。

ところで、「石を割る」という行為は、鉱物趣味においては、深い意味を持っていると思います。

そもそも、鉱物は天然の自然界の一部、言い換えれば地球の欠片です。その欠片を取り出したり、標本サイズに整形する際にはハンマーを使います。鉱物趣味にはハンマーは必需品とも言えます。

ハンマーワークは鉱物趣味の基本中の基本なのです。

「石を割る」、複数の意味で意味深い行為だったようです。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする