ようこそ石の華へ

鉱物の部屋へのいざない

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アンソダイト

2014-09-18 13:02:01 | 日記・エッセイ・コラム

今日は「アンソダイト」です。「アンソダイト」の和名は「石花」、「いしはな」ではなく「せっか」と呼びます。それは炭酸カルシウム(方解石)が花びらのように結晶した鍾乳石の事です。

「アンソダイト」の写真は竜ヶ岩洞のものならすぐにWebの画像検索で見る事ができると思います。竜ヶ岩洞は静岡県浜松市にある鍾乳洞です。私は名古屋に住んでいた10年間に2度行った事があります。1度ならず2度行くと言う事は、それだけ魅力的な場所だったからです。石好き、洞窟好き、滝好き(落差30mの地底の滝があります。)ならば、1度は行く価値のある場所だと思います。竜ヶ岩洞の鍾乳石はバリエーションが多く、あらゆる種類の鍾乳石があるようです。鍾乳石にはでき方、形状によって約15種類あるそうですが、もちろん「アンソダイト」も含まれます。「アンソダイト」(「石花」)は親近感のある鍾乳石です。私は方解石も大好きな鉱物なのですが、その理由のひとつはその形状の多様性にあります。方解石の多様性、そして方解石から成る鍾乳石の多様性にも魅かれます。そして、店の名前に通じる「石花」という名前にも親近感が湧いてしまいます。

「アンソダイト」は鍾乳洞の中でできる地底の「石花」です。それは人がそれを発見するまで暗闇の中で密かに咲いていました。その事を想うと何となく不思議な感じがします。

そもそも花と言う存在は他者の目を引くことを目的としています。この場合の他者とは人ではなく蝶や蜂などの昆虫や鳥の事になります。花が美しいのは昆虫や鳥などの目を引くためで、生殖の為、彼らを誘うために発達した構造が美しい花びらで飾られた花なのです。植物は花と蜜とで昆虫や鳥などを誘い、花粉を受粉し、繁殖します。それは植物と動物との共生という関係です。

では、植物の花と人との関係は何なのでしょうか?だいぶ前の事ですが、「人はなぜ花を愛でるのか」(日高敏隆・白幡洋三郎編 八坂書房 2007年)という本を読んだ事があります。その本では様々な視点からそのテーマに迫っておりましたが、この本を読み終わっても結局はよくわかりませんでした。私としては素朴に単に人の持っている美意識から花を愛でている、と思っております。ただ、この「美意識」という概念は「美」と「意識」という非常に難しい概念から成り立っておりますので、深く考えると、やはり、よくわからない、という事になってしまいます。

ところで、地底の「石花」と言われる「アンソダイト」は何の為に花のような形状になるのでしょうか?

理由はないのかも知れません。ただ単に物質的・化学的に自己組織化して、そうなっただけの事かも知れません。美しいと思うのは人の勝手な思い込みに過ぎないのかも知れません。ただ、それらは人に発見されて初めてその存在が知られます。石には意識はないはずですから、決して目立とうとしている訳ではないはずです。「石花」を美しいと思うのは人だけかも知れません。

チョッと変な考えが浮かんでしまいました。

植物には意識があるのでしょうか?恐らく、人とは質、量、ともに違うものの、動物には意識のようなものがあると思われます。ある種の植物と動物には花による共生という関係性があります。植物には意識のようなものはないとしても生存と言う目的の為の共生関係があります。ただ、動物には美意識はないと思われます。

石には意識はありません。ただ、美意識という人との関係性が一種の共生関係になっているとすると・・・

人は美しく結晶した「石花」を愛でて、大切にします。決して破壊するような事はしません。(その昔、市之川鉱山で巨大で美しい輝安鉱の結晶が出ると鉱夫達の生産性が落ちるとして、親方の人がわざとその結晶を破壊したという野蛮な行為があったらしいという話を聞いた事がありますが・・・)石は美しく結晶する事で人に愛でられ、保護されたいと思っているとしたら・・・

ペットの犬や猫、特に子犬や子猫のかわいさは人の意識にうったえてきます。それらは飼ってみたい、保護したい、というような人の感情に影響し、彼らの生存をプラスの方へ向かわせている、と考える事ができます。

石には意識のようなものがないとしても、人の美意識との関係性で共生関係にあるとすると・・・

植物と動物、鉱物と人間、はそれぞれ共生という関係性で成り立っている、とも言えます。そして、そこには意識というキーワードが潜んでいるようです。

物質から生命、そして意識へという飛躍は人間的な美意識というものに進化していったと考えられるかも知れません。それはまた、鉱物、植物、動物、人間というそれぞれの互いの共生関係で成り立っているのかも知れません。

「アンソダイト」の事を考えていると森羅万象が意識と共生という関係性で繋がっているような気がしてきました。そして、「美」は進化の過程で人が獲得したポジティブな価値観のひとつなのだろう、と思います。

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額縁

2014-09-16 12:01:18 | 日記・エッセイ・コラム

今日は「額縁」です。このブログでは過去1回「ボックスアート」(2013.10.21)の時に「額縁」という言葉が登場しておりました。

昨日も、このところ毎日いらしゃっている常連客のKさんがご来店されました。飲み物とお菓子の差し入れがあり、ありがたく思いました。そのKさん、昨日はホームセンターで購入されたという額縁を持ってきました。その額縁に鉱物を入れて飾りたいというお話です。この種のお話は過去にもあり、「ボックスアート」の時のブルーレースアゲートの写真も同じKさんの作品?です。それは今でも店に飾ってあります。

昨日の額縁は額の部分が非常に大きく、飾るものの面積は非常に狭いのですが、その形状・質感がある意味、鉱物的でいい感じなのです。鉱物よりも額縁が先にある、という本末転倒の話だなー、と思いつつも、Kさんの話に乗りました。私はその額縁に合う鉱物標本を探しました。例えば、黄鉄鉱のキューブ状の結晶やビスマスの結晶などがすぐに思いつきましたが、実際にその額縁に合わせてみると、マッチし過ぎで、何となく面白くありませんでした。Kさんと一緒に店にある幾つかの鉱物で試してみましたが、サイズや形や質感で、中々ピッタリと合うものが見つかりませんでした。そもそも、鉱物はそのようなニーズに合わせて出来て来たものではありません。額縁が先にありき、というお話は簡単そうで、難しい問題です。

そのような試行錯誤をやっている内に、私は一昨日にKさんが他の店で買ってこられたというアンモライトの欠片の事を思い出しました。その事をKさんにお話しすると、Kさんはそれなら持ち歩いているカバンの中にある、という事で、そのアンモライトの欠片をカバンから取り出しました。そして、そのアンモライトの欠片を額縁に合わせてみました。すると、何と!見事にマッチしました。それも見る角度でアンモライトの色調が赤と緑にカラーチェンジします。私とKさんの美意識が一致しました。

次に、そのアンモライトをどのようにその額縁にいれるか?という問題になりました。最初はそのまま台紙に貼り付けよう、という話になりましたが、店にあったルースケースを額縁のスペースにはめてみると、また何と!ぴったりサイズだったのです。問題は一気に解決しました。

Kさんもその作品?に満足され、当面は「石の華」に置いておこう、という話になりました。

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その写真が上の2点です。これは当面、非売品となりますが、もしご希望の方がいらっしゃいましたら、Kさんとご相談の上、交渉させて頂きます。宜しくお願い申し上げます。

今回の額縁のケースをやっている内に、私も以前、同じような事をしていた事を思い出しました。それが次の写真です。

Photo

これはデンドライトが先にありき、でした。私はこの石に合わせて、額縁を特注しました。このデンドライトの模様があまりにも絵画的だったので、額縁に入れる事は自然な流れだったと思い出しました。この一見、蔡 國強(ニューヨーク在住の中国人現代美術家、火薬の爆発による絵画制作を行っている)の作品を彷彿とさせるデンドライトはまぎれもなく自然が創った芸術です。そのような芸術作品に額縁をつけるのは自然な行為だったと思います。

今回は両方の額縁を並べて、店に置いてみます。いつでも見れます。

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水晶に見える方解石と方解石に見える水晶

2014-09-12 18:22:39 | 日記・エッセイ・コラム

今日は「水晶に見える方解石と方解石に見える水晶」です。「水晶」も「方解石」もどちらも登場回数の多い鉱物ですが、このようなタイトルは初めてです。

このところ、鉱物そのものが写真付で登場するケースが少なかったので、何となく久しぶりのような気がしながら書いています。

今日は鉱物標本の問屋さんから水晶のポイントが送付されて来ましたので、それを吟味していました。その水晶はブラジル ミナスジェライス州 コリント産の水晶のポイントです。そこの水晶は透明度が高い事で有名です。さらに不思議な事なのですが、それらには錐面にウィンドウという菱形面が出ているものの出現確率が高いのです。今回は総量1kg、本数で40本ほどの量だったのですが、自由に選んで良い、という事なので、それらの中から透明感があり、さらにウィンドウがあるものを中心に全体の3分の1程選別しました。

今日はそのような作業中に見つけた1本の水晶から今日のテーマが決まりました。

その1本とはその水晶の錐面が3つしかないように見えるものだったのです。水晶の錐面は6つなければなりませんので、それは非常に奇妙な形をしております。ただ、実際には3つの錐面の間に非常に小さい3角形の形をした錐面がひとつおきに3つありますので、6つの錐面がある事には変わりはありません。それは結晶形態の中のひとつの極端なケースに過ぎません。水晶の面白さのひとつはその結晶形態の多様性だと思いますが、このような珍品を見つけると非常にうれしくなってしまいます。あらゆる水晶には同じものが二つとなく、それぞれに個性があるところが良いのです。同じような水晶でも似ている中のチョッとした違いが個性となっており、そのような中で面白いものが見つかるのです。水晶が飽きないのはそのようなところにあるような気がします。

今日はその水晶を見ていると、既にお店にあったひとつの方解石に似ている!と思ってしまいました。その方解石は中国 湖南省 南京市産なのですが、方解石らしくない柱状の形をしております。それも透明感があり、水晶のように見える方解石なのです。それはどう見ても方解石には見えないのですが、方解石だとわかるひとつの要素はその錐面の形からなのです。その3つの錐面は5角形をしております。

今日見つけた水晶の錐面も3つの5角形から成り立っているように見えます。この2つのポイントはある意味非常に似ています。

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上の写真がそれです。右が方解石、左が水晶です。

今日のタイトルは「水晶に見える方解石と方解石に見える水晶」です。両者とも変な形なのですが、それぞれ異種なのに似ているのです。このような関係性は数論の「友愛数」の関係に似ているような気がします。友愛数とは異なる2つの自然数の組で、自分自身を除いた約数の和が、互いに他方と等しくなるような数の事です。それは「親和数」とも呼ばれる事があります。お互いに親和性が高い関係性があります。因みに一番小さな友愛数の組は(220, 284)です。この友愛数の組は40組ほど知られていますが、それが無限に存在するかは未解決問題となっております。

今日の「水晶に見える方解石と方解石に見える水晶」の組合せも「友愛数」的なレアな組合せになると思います。そう思うと、この組み合わせは一対セットとしたいと思います。対になる事で、そのレア度はアップします。今日は面白いものを見つけたと思います。

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石花

2014-09-09 18:22:35 | 日記・エッセイ・コラム

今日は「石花」です。「石の華」ではありません。「いしはな」と呼びます。

「石花」とは石花会の石花ちとくさんが行っている和風ロックバランシングの事です。

ロックバランシングとは自然にある石を絶妙なバランスで積み上げるというアートの事です。Webで画像検索すれば、数多くの驚異的な写真が見れます。世界には既に多くの愛好者がおり、ひとつのアートとしてのジャンルとして確立されているようです。そのようなロックバランシングの日本版が「石花」と言えるようです。そこには盆栽的な、ある意味、水石的な精神性が宿っているようで、和風ならではの趣があると思います。

実は、この「石花」の事を知ったのは、「奇跡のロックバランシング」(ピーター・ジュール著 武田崇元訳 今日の話題社)を読んだからです。「石花」が店の名前「石の華」に似ているからではありません。石の本を探している内に石積みアートの本に出会い興味を持ちました。このロックバランシングは見た目より簡単そうで、誰にでもできそうです。特に石川県はその名前通りに石の川の県ですから、材料には事欠きません。今後、鉱物趣味のように静かに浸透していく可能性を秘めていると思います。

ロックバランシングにはいろんなスタイルとテクニックがあるようですが、その原理は物理学の法則に則っており、バランスしている石は、それに加えられる力の総計が正確にゼロになっているので、その場に静止するのです。あらゆる物体が持っているたったひとつの重心と、石と石との接点をコントロールすることによって、驚異的なバランシングを表現できるようです。遊び心さえあれば、練習しだいで誰にでもできるそうです。私もやってみたくなりました。

思えば、奇跡的なバランシングは自然界にもあります。それは世界各地にあるバランスロックです。もちろん日本にもあります。恵那峡の品の字岩や御在所岳の地蔵岩などがそれです。自然が造った芸術ともいえるバランスロックの画像は今ではWeb検索でいくらでも見れると思います。それらの写真を見ているとその偶然とも必然とも言える姿に思わず感動してしまいます。

そのようなバランスロックの人間的なアートがロックバランシングなのだと、思います。そのような感動的なアートが「石花」と呼ばれる事に「石の華」としては素直に共感してしまいます。

あなたもできる! 奇跡のロックバランシング
ピーター・ジュール
今日の話題社
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郷土愛

2014-09-08 15:23:06 | 日記・エッセイ・コラム

今日は「郷土愛」です。

一昨日の事ですが、お店で常連客のNさんと石談義をしていると、名古屋からいらっしゃったというSさんがご来店され、国産の金属鉱物を探している、というお話をされました。店にある幾つかの金属鉱物をお見せしましたが、相当なコレクターでいらっしゃるようで、既に持っているというものが多く、中々探し物は見つかりませんでした。そのSさん、とりあえず金平鉱山産の方鉛鉱・閃亜鉛鉱と新潟県の白板鉱山産の方鉛鉱・黄銅鉱を選び、夕方に再度ご来店する、という事でお出かけになられました。

その日の夕方、Sさんが再度ご来店されました。そのSさん、列車の時間までの僅かの時間で選ばれたのは愛知県の津具鉱山産の輝安鉱でした。それは花のように放射状に母岩に張り付いているもので、石の華というべきものでした。実は、同じような形状の岩手県川井村道又の頑火輝石も気になるようで、両者を天秤にかけ、結局は輝安鉱の方をお選びになられました。どうも、やはり、最終的には郷土の鉱物になってしまうようです。

このような里帰りというケースはこれまでにも多くありました。実際、私自身もミネラルショーなどで見かけた石川県産の鉱物標本は気になりますし、購入するケースもあります。このような心理現象は一種の「郷土愛」と言えるかも知れません。

そもそも日本の鉱物趣味の方は国産鉱物を好む傾向があります。その心理はそのまま郷土の鉱物を好むというような「郷土愛」に繋がっているような気がします。

ただし、平均的な鉱物標本市場では国産鉱物はレアですし、日本国内のほとんどの鉱山は閉山して久しく、そのような状況下では良品は希です。「石の華」でも圧倒的に外国産鉱物が多数派を占めています。国産鉱物、郷土の鉱物、それも良品となると中々見つからないと思います。

では、鉱物的な「郷土愛」はどこから来るのでしょうか?

少し考えてみました。レアなものにはレアならではの価値があります。ただ、それだけではないはずです。

どうも、人の心理現象の根源部分には「郷土愛」が潜んでいるようです。それは、例えば、高校野球の応援を思えば、すぐ分かります。地方大会では自分の出身校を応援しますが、甲子園では県の代表校を応援すると思います。そこには「郷土愛」があります。

食品の「地産地消」にも同じような「郷土愛」が潜んでいるような気がします。それはある意味、合理的な心理だと思います。

大河ドラマなどに見られる国替えへの抵抗心理にも同じような「郷土愛」が感じられます。

今、フッと想った事なのですが、もしかすると、物質の循環を考えると、そこには慣性の法則のようなその場に留まろうとするような力学が働いているのかも知れません。例えば、水の循環などは地球規模の循環もあるかも知れませんが、そのような広大な循環よりももっと狭い地域的な循環が圧倒的に多いような気がします。そこには「郷土愛」のような心理的現象とは言えないものの、ある種の合理的な力学が働いているような気がします。

鉱物も物質循環のひとつの形態です。そこには物質的・地球化学的な物質循環だけに留まらず、人を介した循環も存在します。その良い例は鉱物コレクターによる海外流出鉱物標本の国内里帰りや同郷鉱物への「郷土愛」です。

コレクションという行為は人を介した物質の濃集システムのひとつとも考えられます。それは地球化学的な濃集プロセスを経てできた鉱物を「郷土愛」という人の心理的な濃集プロセスを経て生じます。「郷土愛」による郷土鉱物コレクションとはそのようなものとも考えられます。

今日は鉱物的「郷土愛」仮説でした。

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