昨日は定休日で、あるところに採集に行って参りました。
鉱物の収穫は然ることながら、昨日、最も印象深かった事は、実は、採集の際に衣類に付着した何かの植物の種の事でした。
今日は「植物の勝利」です。
昨日の採集の際に付着してしまった何かの種は強力で、その数も圧倒されるくらいに多数でした。その種は衣類にしっかり固定されており、さらに、とってもとっても、なかなかなくなりません。植物の種の保存戦略の力を思い知りました。その種はそのようにして生息エリアを広げていくのでしょう。
何となく「植物の勝利」というタイトルが思い浮かびました。
「植物の勝利」、このタイトルからすぐに思いつくのは石割桜や石割松かも知れません。植物VS,石です。岩や石の割れ目から育った植物は植物的な時間をかけて最終的に岩や石を割ってしまいます。植物の生命力は恐るべしです。
もうひとつ驚愕の写真を思い出します。それはアンコールワットの石造りの寺院を呑み込むように成長したガジュマルの木の写真です。ひとつの種は石の隙間に入り込み、長い時間をかけて次々と壁を破壊し、寺院を呑み込んでいっているのです。その光景は異様です。植物の持つ底知れない力には圧倒されてしまいます。まさしく「植物の勝利」です。
廃墟となった鉱山も植物に浸食されていきます。植物の根の張ったズリ場からは鉱物の欠片すら採集は困難となってしまいます。圧倒的な植物の力にはかないません。我々も「植物の勝利」とは無関係ではありません。
なぜか?廃墟写真には植物が似合います。否、それは「植物の勝利」なのかも知れません。植物は石に勝利しただけではなく、人類にも勝利するでしょう。いつか人類が滅亡しても植物は芽を出し、根を張り、無人の都市に、しぶとく繁殖していく、そのような妄想を抱いてしまいます。
「植物の勝利」は「死の勝利」なのかも知れません。
「植物」には「やさしさ」や「癒し」のイメージがあるかも知れませんが、「植物の勝利」という言葉からは「廃墟」や「死」のイメージが付き纏います。植物の強さは圧倒的です。
ただ、植物の中でも生存競争があるでしょう。実は植物同士も太陽の光を求めて激しい生存競争をしているのです。生存競争をするのは人間だけではなく動物も植物も同じです。生命は発生した瞬間から生存競争をしなければならない宿命を持っていたのです。
話は急に変わりますが、「iPadミニ」が発売されるようです。ちょっとは気になっています。
IT世界の生存競争も激しく、ソフトバンクモバイルとKDDIの競争も激しくなりそうです。どこの世界でも生存競争を避けては通れないようです。