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鉱物の部屋へのいざない

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金沢博物館 続報1

2017-01-13 13:43:02 | 日記・エッセイ・コラム
気が重いです。金沢博物館の鉱物館にあったという鉱物標本の行方を調べているのですが、現在、その周辺情報はリサーチ中であるものの、肝心のそれらの行方はまだわかっておりません。

それらの行方に関しては非常に興味深い事なのですが、その行方が現在わかっていない事自体に一抹の不安を感じてしまいます。

そもそも、その存在自体がそれほど知られておりませんでした。その行方がしっかりと管理されていたとすると、これまでその存在を知らなかったはずがありません。

もしかすると、それらはどこかの時点で廃棄されてしまった可能性もあると思います。

金沢博物館(石川県勧業博物館)は明治41年に博物館活動に終止符がうたれました。その後についてはリサーチ中なのですが、現在、系譜的に最も可能性の残っている施設としては今の石川県立自然史資料館です。ただ、現在のそのホームページを見る限りは、そこの地質資料は総数2万点余を収蔵しているものの、主に化石標本が大半のようで、岩石や鉱物の標本はあまりありません、と書いてあります。期待が薄いと思われます。それとも人知れず、密かに倉庫の隅かどこかに眠っているのでしょうか?そんなはずありません。3800余という数の標本ならそれなりのスペースをとるはずです。

そもそも、石川県は歴史や伝統工芸には力が入っているのですが、長らく自然史系の科学博物館がなかったくらいで、鉱物標本の事など重要視してこなかったのかもしれません。それで、散逸もしくは廃棄されてしまった可能性もあります。

その点、福井県では市川新松鉱物コレクションが登録記念物となっています。意識の差を感じてしまいます。

他には、江戸時代の木内石亭の石コレクションは一部は散逸してしまったものの、その最も重要な「二十一種珍蔵」は明治時代に和田維四郎の蔵する所となり、他の膨大な「和田コレクション」とともに、三菱ミネラルコレクションの一部として厳重に管理保存されております。(現在はまだ非公開)また、同じ江戸時代の木村蒹葭堂の奇石コレクションに至っては大阪市立自然史博物館のホームページに鮮明な画像とともにWeb公開されております。

石の文化的価値は人が決めます。その意識の差によって左右されてしまう、という現実があります。気が重いです。







コメント (2)
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