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鉱物の部屋へのいざない

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金沢博物館

2017-01-10 13:15:25 | 日記・エッセイ・コラム
今日は「金沢博物館」です。それは明治時代に兼六園内にあった博物館なのですが、私が金沢の歴史にあまり興味がなかったせいか、正直、これまでその存在を知りませんでした。

先日、福井の「これき」のOさんが来店して下さった時に、「金沢の鉱物館を知っていますか?」という話がありました。私は思わず「え?!」と思いました。Oさんは水晶学者市川新松の息子さんの市川渡が「地学研究」(1978年Vol.29)に「水晶の霊感」というタイトルで寄稿している文章で、市川新松が書いた原文を紹介しており、その中に金沢にある博物館に行って一週間見学した、と書いてあった、というお話でした。そして、その鉱物館で外国産の十字石の事が頭に残っている、という内容でした。

金沢の鉱物館!一週間もの滞在!外国産の十字石!私はその話を非常に興味深く思いましたので、その原文を送ってもらい確認しました。そして、確かにそのように書いて会った事がわかったので、すぐに調べたいと思いました。

まず、Web検索で調べると、それは明治9年に兼六園内に設置された金沢博物館である事がわかりました。また、それは明治11年に勧業博物館に改称され、さらに、明治13年には県に移管され石川県勧業博物館となったという歴史がわかりました。そして、当時は全国各地で博覧会が開催されていたようで、金沢では明治7年に金沢博覧会が開催されており、その流れで常設の金沢博物館ができたらしい、という事までわかりました。

私の関心はその金沢博物館にどのような鉱物館があったのか?に移りました。

それを調べる為に、まず、近くの玉川図書館に隣接している近世資料館に行きました。(私は初めて行きました。)

そこで、学芸員の方に調べてもらって、「石川県勧業博物館創立十年略記」なるものを出してもらいました。

その中に「鉱物部」として総計3800余(その中の外国産2300余は外国学士に命し数万金をもって蒐集、金石各種の見本ほとんど漏れなく、を含む)というような事が書いてあり、「金石学を修する者に於いては特に貴重な国産標本1450余種あり」とも書いてありました。興味津々で、興奮しました。

市川新松が一週間も通いつめ、そして頭に残ったという外国産の十字石もその中にあったのだろうと思いました。それらは、もしかするとクランツ商会が関係しているかもしれないとも思いました。それから、今となっては貴重な国産鉱物も気になってしまいます。どうしても、それらの行方が気になってしまいます。

それらのそれ以上の情報がないかと調べましたが、近世資料館ではそれ以上の情報は見つかりませんでした。ただし、その周辺情報の手掛かりを得る事ができました。

その辺の事に関しては、続きを書きたいと思います。
コメント (1)
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