今日は「鉱山絵葉書」です。今更ながらですが、ブログ歴6年目にして、このタイトルは初めてとなります。
つい先日、金沢駅の本屋さんで「kotoba」(2017年冬号)という季刊誌を衝動買いしました。それはその特集が「蒐集家の悦楽」というタイトルだったからです。そのタイトルが気になって、鉱物コレクターの事が載っていないかと期待して、その本をパラパラと見てみましたが、どうも無いようでした。一瞬、パスしようと思ったものの、何か気になったままでは落ち着かないので、そのままレジの方に向かってしまいました。
その特集には様々なコレクター達の様々なコレクションの事が載っておりました。読んでいて、コレクションという趣味は人の性(さが)なのだろうと思いました。
その特集の中でも、「どのような心性が人を蒐集へと駆り立てるのか?」というタイトルの春日武彦(精神科医)さんの記事を興味深く読みました。春日武彦さんの著書は「奇妙な情熱にかられて」(集英社新書)を読んだ事があります。コレクションという行為を精神科医の視点から読み解く文章には説得力がありました。その記事ではご自身の墜落写真コレクションの事が書かれてあり、絵葉書というものの存在意義を知る事ができましたし、コレクターの心的現象も知る事ができ、面白かったと思います。
私がその「kotoba」を読んでいたちょうど同じ日に、あるお客さんが面白いものを持ってきました。それが「鉱山絵葉書」だったのです。
私は鉱物コレクターですが、「鉱山絵葉書」のコレクターではありませんでした。そのお客さんは切手やコイン、他にも様々なコレクションをされている多趣味なコレクターです。御爺さんが尾小屋鉱山の技師をされていたという事もあって、そのような「鉱山絵葉書」もコレクションされているようです。その日は特に20年以上かけて集められたという尾小屋鉱山関係の鉱山絵葉書を大量に見せてくれました。
私は鉱物趣味という観点からそれらの鉱山絵葉書を興味深く見ました。
実は、私はそれらを見るのは初めてではありませんでした。過去に徳田秋聲記念館で「横山家と秋聲-我が兄・順太郎-」という企画展で戦前の尾小屋鉱山絵葉書を見ましたし、尾小屋鉱山の写真資料は比較的大量に存在していますので、それほど珍しくはありません。
ところが、彼の持ってきた中に遊泉寺銅山絵葉書もあったのです。これは初見でした。彼にお願いして、写真を撮らせてもらいました。公開の了解も得ておりますので、今日のブログの写真はそれです。
遊泉寺銅山は古い鉱山です。その鉱山絵葉書の写真を見ながら、現在のズリ場が昔の写真のどの位置になるのかを想像してみました。
私は鉱山絵葉書なるものには、これまでそれほど関心がなかったのですが、戦前の各種絵葉書がコレクションの対象となっている事や、全国各地の有名鉱山にも鉱山絵葉書が存在し、それらが蒐集されている事実を知る事ができました。