ようこそ石の華へ

鉱物の部屋へのいざない

              【お知らせ】

【定休日は毎週水曜日です。】【10月も毎週日曜日は休業します。】【10月19日(土)は店主は終日不在です。店は通常通り営業します。】

のどけからまし

2015-04-04 10:51:05 | 日記・エッセイ・コラム
昨日の春の嵐で、せっかく咲き始めた桜の花が心配でしたが、先ほど見た近所の白髭神社の桜は暴風にも耐えてくれて、美しく咲き誇っていました。金沢もようやく桜の季節になりました。今日のタイトルは「のどけからまし」です。

この現代の日本語ではわかり難い言葉となった「のどけからまし」は言わずと知れた古今和歌集の在原業平「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」にある言葉です。このブログは古文の解説ではないので、その和歌の意味の説明はしませんが、高校生時代の古文の授業を憶えている方も多いと思います。私はいつも桜の季節になると「のどけからまし」という言葉を思い出します。それはあのアインシュタインの言葉「教養とは、学校で学んだことをすべて忘れたあとに残るもののことです。」と共にいつまでも忘れずに残っております。

桜の季節は「のどけからまし」、その和歌の桜を石に、春を人に置き換えると「世の中にたえて石のなかりせば人の心はのどけからまし」となります。石好きさんにとっては納得できる和歌に変化します。

ところで、ソメイヨシノは種子では増えない品種で、人の手で接木(つぎき)などで増やしたもので、各地にある樹は全て同一クローンだそうです。この事実はある意味異常な事で、生物学的にも大きなリスクを抱えていると言えます。それはいつか一斉に絶滅してしまう危険性があるという事でもあります。ソメイヨシノの美しさには日本的な「はかなさ」の美学が隠れ潜んでいるともいえ、それは単に散り際が美しいというだけではなく、そのものの本質に由来する美学なのかも知れません。また、梶井基次郎の短編小説「櫻の樹の下には」の冒頭「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」を思い出すまでも無く、桜には死のイメージがつきまといます。それは戦前の軍国主義的なネガティブな美意識にも繋がり、単純には賛美できない複層した感情になってしまいます。桜の花は単純に花そのものを愛でたいのですが・・・。

私的には、この季節は、やはり「のどけからまし」よりも「春はあげもの」でしょうか。それから「春眠暁を覚えず」でしょうか。

一昨日、昨日は禁酒日にしましたので、今夜は発泡酒であげものにしたい心境となっております。まだ、何となく眠い朝からそんな事を考えております。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする