今日から「御用始め」である。「御用」というのも、いかにも上から目線で、時代劇の「御用だ!御用だ!」のようだ。しかし、いまだに「お上」の時代からの名残は、お役所には多く残っているのだ。
例えば、議会やお役所に対する「お願い」を「陳情」又は「請願」と呼ぶ。辞典によれば「陳情」とは「目上の人に、実情や心情を述べること。」とある。お役所やお役人、議会は「目上」だろうか?
また、議員の控え室のカギの「授受簿」を通称「庁中(ちょうちゅう)」と呼ぶ。これは正式名称「庁中取締簿」という。なんのことはない、最後にカギを閉めた者が「異状なし」と書いて捺印、夜間管理室にカギを返納する綴りのことだ。厳めしい名前がお役人のお好みなのだろう。
私が議員になったころは「使走さん(しそうさん)」という仕事があった。議案などを自宅まで届けてくれる仕事で、場合によっては管理職の訃報まで、持ってきてくれたことがある。公務員だったのかどうかは知らないが、字ずらからは「使いっぱしり」とも読めるが、使走(しそう)というと、なんとなく立派に聞こえる。
さて、前置きが長くなったが、大田区役所での議員の御用始めは、新春の集いからである。これは、大田区と大田区議会が主催して開催する「新年会」である。区内の各種団体(業界、町会、NPO、PTA、官公署等)と大田区管理職、議員が一堂に会して新年を祝うものだ。
公費で、真昼間から酒を飲むのはどうか?という疑問は残るが、日頃区政に協力頂いている方々に、年一回ぐらいはいいだろうとも思う。
さて、多くの区議会議員、都議会議員などが開会前から入口に並び、来場者に挨拶をするのが恒例行事である。いっぺんに区内の「オピニオンリーダー」に顔を売る大チャンスなので、大人気なのだ。
私はと言えば「米つきバッタ」の仲間にはなりたくないし、長ったらしい「誰が書いたかわからな挨拶原稿」の朗読を聞くのが嫌なので、いつも開会30分後に行くことを常としている。今年もそうした。
ところが、失敗!まだ区議会議長が挨拶しているではないか。2000人はいるであろう招待者は、料理と酒を前に、聞きたくもない(失礼)挨拶をたったまま30分以上聞くという「苦行」を新年早々強いられているのだ。さすが「お上」である。
議長挨拶では「議会改革をせねば」との趣旨の言葉が聞こえたが「新年からウソいうな!」とヤジってしまった。区民の方々は、議会は「議論している」だろうと思われている。ところが、議会、特に大田区議会には「議論」は存在しないのだ。あるのは「質問」だけだ。本会議でも委員会でも「質問」することが議会だと、議員もお役人も勘違いしている。
これを改革して議論する議会にすることが「議会改革」の本旨であるはずが、大田区議会や多くの自治体議会で叫ばれている「議会改革」は、議決事件の数を増やすとか、議会招集権を議長にも持たせる等、「制度改革」しか問題にしていないのだ。
それを「議会改革」だと思っている議員の「オツム」を変えることこそが、真の議会改革である。もし、どこかの新年会で議長が「議会改革」の話をしたら、何をどうするのか質問して欲しい。中身はないはずである。「原稿書いた本人に聞いてくれ」と答えれば正直者なのだが…
さて、その新春の集いで、素晴らしいツーショットを見つけた。西野前区長と松原現区長のツーショット現場である。松原政権が誕生した4年前、新政権が行った最初の仕事は、旧政権中枢の粛清だった。ほとんでの中枢管理職は区外に出向させ、旧政権への忠誠度の高くないであろう管理職には、新政権への踏み絵を迫ったのだ。その、新旧の区長が4年も経つと、かくも仲良く歓談でききるという、素晴らしい図柄である。
お二人のステキな笑顔のように、大田区民すべてが今年一年幸せでありますよう願って料理を一品も食べずに会場を後にした。(話している間に、お開きになってしまった!)海老フライ食べたかったのに~
例えば、議会やお役所に対する「お願い」を「陳情」又は「請願」と呼ぶ。辞典によれば「陳情」とは「目上の人に、実情や心情を述べること。」とある。お役所やお役人、議会は「目上」だろうか?
また、議員の控え室のカギの「授受簿」を通称「庁中(ちょうちゅう)」と呼ぶ。これは正式名称「庁中取締簿」という。なんのことはない、最後にカギを閉めた者が「異状なし」と書いて捺印、夜間管理室にカギを返納する綴りのことだ。厳めしい名前がお役人のお好みなのだろう。
私が議員になったころは「使走さん(しそうさん)」という仕事があった。議案などを自宅まで届けてくれる仕事で、場合によっては管理職の訃報まで、持ってきてくれたことがある。公務員だったのかどうかは知らないが、字ずらからは「使いっぱしり」とも読めるが、使走(しそう)というと、なんとなく立派に聞こえる。
さて、前置きが長くなったが、大田区役所での議員の御用始めは、新春の集いからである。これは、大田区と大田区議会が主催して開催する「新年会」である。区内の各種団体(業界、町会、NPO、PTA、官公署等)と大田区管理職、議員が一堂に会して新年を祝うものだ。
公費で、真昼間から酒を飲むのはどうか?という疑問は残るが、日頃区政に協力頂いている方々に、年一回ぐらいはいいだろうとも思う。
さて、多くの区議会議員、都議会議員などが開会前から入口に並び、来場者に挨拶をするのが恒例行事である。いっぺんに区内の「オピニオンリーダー」に顔を売る大チャンスなので、大人気なのだ。
私はと言えば「米つきバッタ」の仲間にはなりたくないし、長ったらしい「誰が書いたかわからな挨拶原稿」の朗読を聞くのが嫌なので、いつも開会30分後に行くことを常としている。今年もそうした。
ところが、失敗!まだ区議会議長が挨拶しているではないか。2000人はいるであろう招待者は、料理と酒を前に、聞きたくもない(失礼)挨拶をたったまま30分以上聞くという「苦行」を新年早々強いられているのだ。さすが「お上」である。
議長挨拶では「議会改革をせねば」との趣旨の言葉が聞こえたが「新年からウソいうな!」とヤジってしまった。区民の方々は、議会は「議論している」だろうと思われている。ところが、議会、特に大田区議会には「議論」は存在しないのだ。あるのは「質問」だけだ。本会議でも委員会でも「質問」することが議会だと、議員もお役人も勘違いしている。
これを改革して議論する議会にすることが「議会改革」の本旨であるはずが、大田区議会や多くの自治体議会で叫ばれている「議会改革」は、議決事件の数を増やすとか、議会招集権を議長にも持たせる等、「制度改革」しか問題にしていないのだ。
それを「議会改革」だと思っている議員の「オツム」を変えることこそが、真の議会改革である。もし、どこかの新年会で議長が「議会改革」の話をしたら、何をどうするのか質問して欲しい。中身はないはずである。「原稿書いた本人に聞いてくれ」と答えれば正直者なのだが…
さて、その新春の集いで、素晴らしいツーショットを見つけた。西野前区長と松原現区長のツーショット現場である。松原政権が誕生した4年前、新政権が行った最初の仕事は、旧政権中枢の粛清だった。ほとんでの中枢管理職は区外に出向させ、旧政権への忠誠度の高くないであろう管理職には、新政権への踏み絵を迫ったのだ。その、新旧の区長が4年も経つと、かくも仲良く歓談でききるという、素晴らしい図柄である。
お二人のステキな笑顔のように、大田区民すべてが今年一年幸せでありますよう願って料理を一品も食べずに会場を後にした。(話している間に、お開きになってしまった!)海老フライ食べたかったのに~