いぬぶし秀一の激辛活動日誌

おかしな議員[わんちゃん]の激辛日誌です。日々感じたこと、活動報告、行政への提言など、本音で書き込む人気ブログです。

祝 航空自衛隊府中基地開庁50周年

2007-10-09 | Weblog
 今日は夕方から東京都府中市にある、航空自衛隊府中基地の開庁50周年祝賀式典、祝賀会に出席した。なぜ、府中基地かというと、私はこの基地に所在する防空指揮群という部隊に所属する予備自衛官だからだ。ただ、招待状の肩書きは「大田区議会議員」となっていたが‥

 式典では、国旗登壇、国歌演奏、基地司令の式辞に続き、国会議員、市長、在日米空軍中将の祝辞が続いた。国旗登壇後、国歌が演奏され「国旗に敬礼」という号令がかかるのだが、多くの来賓が起立だけして、手を前に組んだり、後ろに組んだりの姿勢だった。国旗や国歌に対する国際的儀礼である「きをつけ」の姿勢で正対し敬礼する、という行為を教えられていない不幸な国だ。

 また、米空軍の中将閣下は制服を着用されていたが、帽子は「略帽」だった。軍隊(自衛隊も含む)の帽子には、官給品の制帽(ふちのついた正式なもの)と、私物だが着用できる略帽(中華料理のコックさんの帽子のような格好)、そして、制服以外、作業服、体操服装などでも使用が許可される識別帽(通称 アポロキャップ)がある。識別帽は、基地内にある様々な部隊が特色を持ったデザインを競い、帽子だけで所属がわかるようになっている。

 さて、中将以外の全自衛官は、当然礼式であるから制帽を着用している。それが、米軍の来賓が略帽というのはいただけない。結婚式で全員タキシードを着ているのに、一人だけ背広で列席するようなものだ。日本を下に見ているのか、または、この式典の執行者が一等空佐(大佐)なので、自らの階級より3つ下位(自衛隊の階級では1つ下)にあたるからだろうか。それとも、米軍は式典でも略帽OKなのだろうか。

 しかし、だとしても、制服着用で日本流のおじぎまでされる姿勢を示されたのなら、制帽で列席して頂きたかった。(ちなみに、自衛官は帽子着用時にはおじぎはしない。挙手の敬礼である。)さらには、基地司令や国会議員、市長の祝辞の際は隊員は「整列やすめ」の姿勢で聞いていたが、米軍中将には「きをつけ」のままだった。指揮官が英語の挨拶に、号令をかけるタイミングを失したのだろうが、奇異に感ずる列席者もいただろう。

 式典後は基地クラブで祝賀会だ。この基地には3名の自衛隊生徒18期の私の同期生が勤務している。16歳から「同じ釜の飯」を食べた懐かしい顔に会えた。一人は、基地先任准尉。これは、いわゆる下士官(幹部以外)の最高位の立場で、下士官(准曹士という)の相談、行事の仕切り役、調整機能など、大変な仕事だ。階級的には、下位であっても、その職務に礼をつくす意味で、基地司令室の隣に同程度の専用の部屋が与えられている。米軍では、様々な行事、式典では司令官の隣席は必ず、この先任下士官の指定席だ。ご苦労さん!

 もう一人の同期生は、通称ダッペちゃん。福島県出身の彼は、16歳で初めて会って以来在学中はいつも福島弁で話の語尾を「○○ダッペ」とするので、同期の間では今でもそう呼ばれ親しまれている。彼は、自衛隊生徒卒業後、パイロットコースにすすんだが、途中で道を変え「補給幹部」として一等空佐まで上り詰めた。防衛大学校卒の幹部(通称B)や一般大学卒の部外幹部(通称U)以外で、一佐にまで上り詰めるのは、幹部候補生学校の部内幹部課程各期1名程度の狭き門である。(我が同期には2名いる)彼は最近まで、防衛省で全航空自衛隊の補給を担当しており、扱う予算額は年1000億円近かったそうだ。



 また、すでに退官されている生徒の先輩で元偵察航空隊司令と会場内で再開したが、お会いするや、私を引きつれ会場内に居並ぶ高級幹部や先輩を紹介して下さった。なんと、1時間弱で元航空幕僚長以下22名もの方と名刺交換をした。ありがたや先輩!

 もう一人の同期である小隊長には会えなかったが、同期生がそれぞれの立場で航空自衛隊を支えている姿を見るのは、とても誇らしいことだ。残念ながら、その生徒隊も今いる1年生の卒業をもって、国の総人件費削減策のため廃止となる。寂しい限りだ。



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