西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

「住居医学」共同研究成果報告会に評価員で参加

2008-03-21 | 色々な仮説や疑問
まず去年のほぼ同時期2007年の3月16日のブログを見てほしい。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/0ed016115b86c9067bf0bc222f2b23b3
今日は、その「住居医学」共同研究成果報告会第二回(奈良県立医大主催)に評価員として参加した。朝から夕方まで19題の研究発表があった。住居学からの評価員は、私と大阪市大の宮野道雄さんである。

発表された研究それ自体は、まだまだ「住居医学」になっていなくて「医学、看護学」そのもので、「枕詞」に「住居においての○○の問題に関連して・・・」とか「この基礎的研究の先に住居の問題を見通して・・・」とかの言い方はあったが、実質、「住居医学」と言うのはどうかな、の段階だ。まあスポンサーの大和ハウスもそう思っているのではないか。医学は、どうしても体の中の状況分析が主で、またマウスなどの実験動物での実験データが多く、では人間ではどうなのか、に対しては「隔靴掻痒(かっかそうよう)」である。しかし、「健康な住居」は重要なキーワードで、今後が期待される。

まあ終わっての懇親会(吉田 修学長の言うpost-congress party)も良かった。奈良女子大の住環境2004年出身で大和ハウスの総合技術研究所勤務のS.さんの元気な姿に会えたのも良かった。

(写真は、「住居医学」講座担当の筏 義人教授ー元・京大医学部教授)

ホテル・グランヴィア(Granvia)京都での「平女」卒業記念パーティ

2008-03-20 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
今日、午後17時からJR京都駅のホテル・グランヴィア(Granvia)京都で「平女」二学部(生活環境学部、人間社会学部)の卒業記念パーティ(合同)があり参加した。去年に続き2回目である。

私は3年前以前の長年、主に奈良ホテルで行われる「奈良女」住居学科、住環境学講座の「卒業謝恩会」に出てきた。で、去年、今年と同じホテル・グランヴィア(Granvia=大きな道)京都で行われた「平女」二学部の卒業記念(合同)パーティに参加して、女子大として同じだな、と思ったところがある。それは、ゼミ生がゼミの先生に感謝の花束贈呈をするところだ。

で、私は学部長・学科長だったのでゼミを持っていないので花束は貰えず、卒業生達のスライドショーでも現れていなかった。一寸さみしいのでゼミを持っていない先生方の「代表」?として最後に「飛び入り」で壇上に出て「フレー、フレー平女」のパフォーマンスをやってしまった。

(写真は、パーティのあった「源氏の間」)

育児は育自、育児なしは意気地なし

2008-03-20 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日の新聞に「夫が家事に積極的→第2子誕生」という記事があった。(『朝日』11面)厚労省の調査。子どもが1人いる夫婦のうち、夫が休日に家事や育児をしない家庭の20.5%で2人目が生まれた。これに対し、夫の家事・育児への参加時間が2~4時間だと51.2%、4~6時間は56.3%、6~8時間は63.8%となり、参加時間が長くなればなるほど、2人目の子どもが生まれることが多い傾向だった。-とある。

私は、老若男女すべてで「基礎的生活力」(炊事、洗濯、掃除、育児・介護、おしゃれ、買い物、近所付き合い)が必要と言っているが、特に若い人たちの結婚披露宴に招かれて、新婦側の客としてスピーチする場合、新郎に対して「育児は育自、育児なしは意気地なし」と言ってきた。

私の場合、家事も育児も結構してきたと思うけれど、事情で一人娘だったが・・・。

ナブラチロア チェコに帰国

2008-03-19 | 時論、雑感
かってのテニスの女王ナブラチロアは、アメリカに住んで、アメリカ国籍も取得していたのだが、5年にもなるブッシュ大統領のイラク介入戦争で米軍戦死者が4千人を越え、「もう戦争を止めて撤退せよ」のアメリカ国民多数の声に対して、ブッシュ政権は何も対応していないことに腹を立てて、母国のチェコに帰国することになったようだ。


戦争すブッシュは今や藪の中  市路
bush=藪

(写真は、往年のナブラチロア)

平安女学院大学の卒業式風景

2008-03-19 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
今日、私の勤める平安女学院大学(高槻キャンパス)で、四大、短大合同の卒業式があった。私のブログで、去年の様子を書いたので、先ず、それを読んで、見てほしい。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/b537e9d1e1232c3baf80c65218eaafb4

今年も基本的に同じやり方でやられた。ただ、昨年は「アカデミックガウン・ユニフォーム」の下は、和服でも袴でも良かった、というか余り配慮しなかったのだが、今年は、見にくくないように下は、「スーツ着用」となった。

去年の卒業式写真は『月報私学』のこの3月号の表紙を飾っている。pdfで見てほしい。http://www.shigaku.go.jp/g_geppo.htm

全体で2時間くらいの儀式である。私も壇上で着用2度目の「アカデミック・ガウン」を着た。こういうやり方は関西では平安女学院の他、京都ノートルダム女子大学等でもやっている。

終わって、生活環境学部の卒業生を前に、次のような話をした。
「君達は、仮に人生を野球に見立てて9回戦とすると、2回表位である。一寸、1回に大量点を入れられて負けていても9回までに十分挽回、逆転可能であると思う。私自身6回裏位ですが、7回のラッキー・セヴンが楽しみと思っているくらいです。一緒に、人生、楽しみつつ張り切っていきましょうね。」という風に・・・。

最後に、久しぶり、応援団風に「フレーフレー生活環境」と大声と身振りでやってしまった。

真ん中の孫の卒園、4月入学など

2008-03-19 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
私達夫婦には一人娘に三人の孫がいる。名古屋に住んでいる。真ん中の孫が女の子で上下の男の子に挟まれているが、昨日、幼稚園の卒園式、母親(娘)が付き添いなので、末孫の世話が必要で、妻が名古屋に出かけた。上の孫は今度、小六で「お兄ちゃん」だ。

末孫は、もうすぐ満一歳、何でも「押す」「引く」のに凝っていて、抱っこして携帯電話などしようものなら、たちまちアチコチ押されて会話中断に追い込まれる。抱っこのために手が届く家中の蛍光灯などの紐を引っ張って消してしまう。まあ、目が離せないようだ。月末に来ると言うので私は手ぐすねひいて待っている。

で、中の女の子は無事卒園、私は電話で「おめでとう」を言った。何時もよりはにかんで「ありがとう」と小さい返事が聞こえた。4月からピカピカの一年生だ。

彼らや彼女が無事成人する位までは元気でいたいもの、と二人で話し合っている。

関連過去ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/d3d65e777ca81d6093c23da0ff784aaa

薬膳レストラン「あわさい」のサロン、オープン

2008-03-18 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
昨日、私が住んでいる近くにある薬膳レストラン「あわさい」のサロンのオープニング・パーティがあった。「けいはんな学研都市」の木津川市にある「ハイタッチ・リサーチ・パーク」内の積水ハウス総合住宅研究所建物の1階である。

私は、家に近いこと、同じ1階の奥に「西山卯三記念文庫」もあるので、前からこの「あわさい」を使っている。途中、経営者が、井原浩二さんに変わって薬膳料理(創作洋風)に特化して現在に至っている。井原さんとは「けいはんなのまちづくりを考える会」で一緒の他「けいはんな地域SNS」でも一緒なので昨日は招待された。井原さんは、中々のアイデアマンでNPOの「薬膳研究所」も持っており、武庫川女子大と共同研究している。「あわさい」では、地元の音楽家の演奏付きディナーの会もやっている。で、今回は、学研都市の異業種、異分野の若手経営者や行政マン、研究者達が、職場の帰りに「一杯飲みつつ駄弁る、アイデアを闘わす」ような場、サロンが必要、と立ち上げたのだ。

ウイスキーや焼酎のボトル・キープは1980円、「つまみ皿」1皿490円で、全て薬膳である。昨日は「蛍烏賊」も薬膳風に味付けしてあった。まあ、ボトルを除くと、1回500円コインが2,3個で楽しめるのでは、と思う。

今日の帰りにも寄ってみようかな。



『いい家みつけた-ロンドン借家住まい日誌-』をみつけた

2008-03-17 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
『いい家みつけた-ロンドン借家住まい日誌-』(晶文社)は、私が1986年に奈良女子大学で教授になってすぐの単著である。1982年から1983年にわたってロンドンのLSEに文部省の在外研究員でいた時の家族3人で住んだ借家(セミ・デタッチト住宅)の住み方報告である。ロンドンで、住まいに絞って経験を書いたのは私が初めてではないか。まあまあ売れて、後日、その印税で再び家族でしばらくロンドン等に行くことが出来た。


その後、絶版になった。今日、たまたまyahoo!のオークション欄をネットで見ていたら、その『いい家みつけた-ロンドン借家住まい日誌-』がオークションにかかっていることがわかった。千円からのスタートでいくらで落ちたかはわからない。
「なつかしく」思うと共に、最近の住まい、子供時代の金沢、学生時代の京都、最初の就職地・豊田辺りの『記』も早く書かねばと思った。


言葉による反応ーアンケート調査ーと行動観察、行動追体験。要求統合。

2008-03-16 | 地域居住学
一昨日、友人のN.先生、梶浦恒男さん達と楽しい「駄弁リング」会があったのだが、その席で私は、住民の(空間)要求を把握するのにアンケート調査だけでは、全く十分ではない、限界がある、という話を、私のもうすぐ1歳になる末孫の要求を例にとって説明した。
参考:おじいちゃんのはいはい:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/774066407f6c9f55028d37d8b11d4c5a

すると梶浦さんは、「アンケートは、言葉で反応する、言葉で答えるのだが、言葉には、嘘が混じる可能性がある。それに対して行動は嘘をつかない。行動をしっかり観察すべし。」と言った。まことにその通りである。口先三寸は、どこでもありうるが、実際に体が動いていることは、そういう要求が実際にあるからなのだ。

そこで、物言わぬ赤ん坊や「論理的言い方」が出来ない認知症の人の(空間)要求を把握するには、彼らの行動の観察と、出来れば彼らの行動の追体験をする必要があるのだ。

こういう話をしていたら「教育学」のK.先生が、「群として要求をまとめて、それが傾向、とやるのではなく、個々人の要求を丁寧に捕まえる必要がある」といった発言をされた。それももっともなことだ。

アンケート調査で、一番要求の強いものを取り上げ、そのようにする、というのは、まあ多数の要求に応えることにはなるが、大多数(全員)の要求に応えることではない。そのようにするためには、個々の要求を先のような方法論で明らかにし、それらを取り上げ、それらをコンピューター技術を駆使して重ね合わせるようにする、というのが今後の方向であろう。




奈良へ散歩?ー色々のことあり。

2008-03-15 | 生活描写と読書・観劇等の文化
義歯の調整に奈良の歯医者まで行った。今日は日和もよく「春だなあ」という感じで散歩気分、歯医者の帰りに昼食として例の「まぐろ小屋」で「あらに定食」を食べた。義歯なので煮た柔らかい魚が良い。少し情けないが・・・。

「まぐろ小屋」のマスターは還暦になったばかり、4月に入ったら奥さんとチェコ、オーストリー、ハンガリーに出かけるという。丁度、私の高校(金大付属高校)の同期生で元チェコ大使の石田寛人君の『プラハ 金沢 街角だより』(時鐘社新書)を読みかけだったので、そのことを少し話した。マスターによると、4月は未だ夏などより「安い」とのこと、私も「行きたいなあ」の気持ちなのだが・・・。(まぐろ小屋:http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&ll=34.686705,135.828717&spn=0.001526,0.002521&z=18&msid=117469149049471677079.000448823fc022b1a065c&iwloc=0004488251aef25cd1dd4

どうも近くの奈良女子大の入学手続き日らしく、母親と新入生らしき人達も店に入ってきていた。外に出ると奈良女のM.先生がカメラ片手に学生たちと通るので聞くと「暖かいので午後の散歩」とのことだ。

その後、私は喫茶店「アン・メリー」でコーヒー飲みつつ『日経新聞』を見て、文化欄情報から、本屋で須賀敦子全集3巻(3冊)買ってしまった。面白そうである。

暖かいニュータウンの専用歩道をぶらりぶらりと帰った。家の近くに来たら近所のK.おじいさんに会った、先だって奥さんを亡くされたばかり、散歩の途中、私はお悔やみを言ってから、そのK.さんの献身的看病振りが近所の評判になっていることを付け加えた。K.さんは涙ぐんでおられた。

「るりもはりも照らせば光る」

2008-03-14 | 言語・字・言語遊戯
「るりもはりも照らせば光る」という諺は、初めて知った。『広辞苑』で調べ、インターネットでも調べた。

るりは瑠璃(青色の宝石),はりは玻璃(水晶)でいずれも七宝の一つ、とのこと、それらの宝も真っ暗闇では光らない、誰かが光を与えてやると光る、ということのようだ。「玉も磨かざれば光なし」に似ている。

別に検索すると「瑠璃も針も磨けば光る」というのもあるが、どうもこれでは意味が通らないようだ。何かの「伝え間違い」ではなかろうか。

「パワフル奥さん」小芝ルリ子さんを訪ねて

2008-03-13 | 生活描写と読書・観劇等の文化
本日、木津川市加茂町にN.W.さんと「パワフル奥さん」とも言うべき小芝ルリ子さんを訪ねた。今度、我々の住む「けいはんな学研都市地域」(木津川市、精華町、京田辺市、枚方市、四条畷町、交野市、奈良市、生駒市)で、有志で「けいはんな市民雑学大学」を立ち上げることになり、講義する「市民教授」の第一号として小芝ルリ子さんにお願いすることになったため、ご挨拶に伺ったのだ。

小芝邸は、「山の上」、回りに畑もある。家は15,6年前に建てられた洋館、外国人の牧師さんが当初住んだが、事情で14,5年前に小芝さんが買い取ったという。ここに共に再婚の夫(元JRマン)と住むが、14年ほど前に、「ハーブ研究家」となり、又、夫との「丁々発止」の生活から「役に立つ夫会」を立ち上げ話題となる。元々は1945年、東京生まれ(62歳)、青山学院大学英米文学科出身、中学の英語・数学の教師となる。その後の経緯は詳しく伺わなかったが、塾経営もされ、ハーブ研究家、絵本作家(孫のために描いた『グランマのお散歩』がアメリカで認められる)、あちこちで講演、最近、楽器リコーダーにも取り組み「西村さん、音楽のない人生は楽しくないですよ」と言われた。私も「オカリナ」を始める羽目となったが・・・。

3階の屋根裏まで見せてもらった。全体に絨毯を敷いた洋館は一寸「いや」なようで、終の棲家は別につくりたい、という。息子の一人はアメリカの大学を出て、今は日本で設計事務所で修行中とのことだ。途中、「はあぶや」を訪れたという城陽市の夫婦が訪ねてきたが、「さあさどうぞ」と招じ入れ、夫さんにハーブティを炒れて頂いた。

とにかく、全部まとめきらないが、「けいはんな市民雑学大学」の第一回講義に相応しい人物だった。3月29日が楽しみだ。講義題は「心のドアーを開きましょうーパワフル奥さん人生自分流」となった。色々、私自身の生きかたにも参考となった。

写真は、小芝邸での「役に立つ夫会」風景


小芝ルリ子さんブログ:http://ha-buya.seesaa.net/archives/200803-1.html


奈良女子大退職教員の「思い」を読む

2008-03-13 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
最近送られてきた奈良女子大学の『学園だより』(Vol.83)を見ると、この3月に6人が63歳の定年で御退職のようだ。6人すべてが理学部関係者だ。こういうことも珍しい。何時もなら、各学部の人数には若干偏りがあるとはいえ、文学部や生活環境学部の先生方も含まれているのに・・・。

ご退職は(順不同、敬称略)、森本 徹さん(数学、構造数学)、池原健二さん(化学、機能化学、理学部長)、榮永義之さん(化学、機能化学)、落合豊行さん(情報科学、数理情報学)、矢野重信さん(大学院、機能性物質科学、研究科長歴任)、古川昭雄さん(共生科学センター)である。

皆さん、懐かしい。可愛い大学なので、全教員を殆ど認識できるのが良かった。例えば、池原さん等とは生協食堂で昼食を食べながら、あるいは、大分昔のことだが夜に研究室で飲みながらの学問談義、一度、ブログにも紹介している。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/f6a5828d29d8417dccd72ca7ab24e784
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/88a3f2eb7617fe51f64bbdbd8605fb41

『学園だより』では、皆さん、奈良女での研究、教育生活は「良かった」とそれぞれの言葉で述べておられる。亡くなられた、私の先輩だった扇田 信先生が「珠玉のような大学」と言われていたのが思い出された。

皆さん、お元気で! 地域人間として、また「ネットワーク」をつくりたい。

「三匹の子豚」のお話より

2008-03-11 | 住まい・建築と庭
子どもの頃、「三匹の子豚」という話を聞いた。イギリスの話である。

ちょっと、思い出したが、金沢市立十一屋小学校に通っていた時、学芸会で私自身、演じている。

三匹の兄弟子豚が、藁の家、木の家そして煉瓦の家を造る。狼がやってきて、藁の家を鼻息で吹き飛ばし、木の家は、体当たりで壊して、中の子豚を食べてしまうが、最後の煉瓦の家で何ともならず、煙突から入ろうとして、湯でがまに落ちてしまい、藁や木の家で飲み込んだ子豚を吐き出して、三匹の子豚は煉瓦の家で仲良く暮らしたとさ! となる。

これでは、イギリスではいいかもしれないが(煉瓦の家を推奨)、日本では一寸困ると思う。それで、ひょっとして私の幼い頭には、自分のお祖父ちゃんの故郷の田舎の藁の家や当時住んでいた金沢の木の家に対して「これは駄目、将来、煉瓦というかコンクリートのような飛ばない、燃えないものに・・・」という意識が「刷り込まれた」のではないか、日本版「三匹の子豚」のストーリーを創る要がある。(藁葺き農家も木造町家も、いいものだ、に連なるストーリーを、だ。)

今日は何の日?1945年3月10日東京大空襲の日

2008-03-10 | 歴史とのつながり、歴史の面白さ
今日は、63年前にアメリカのB29大編隊による焼夷弾雨あられの東京大空襲があった日だ。
私は当時3歳~4歳の時点、住んでいたのは金沢で、幸い空襲はなかった。焼夷弾が何発か落ちたらしいが・・・。先日、広島に行って平和記念資料館で原爆の悲惨さを写真や資料で見てきた。14万人も亡くなった広島原爆も凄いが、10万人が亡くなった東京大空襲も忘れてはいけない。



記録によれば、B29爆撃機は300機以上、墨田区、江東区等の下町に無差別爆撃、約270,000戸が焼失、40平方キロメートルが焦土と化した。
B29(写真)のBとは、Bomber(爆撃機)のBである。Aは、Attacker(攻撃機)、Cは、Cargo(運搬機)、Dは、Defender(防御機)である。


焼夷弾(写真)とは、「高熱を出して燃える薬品を筒の中に詰めたもの」である。