今日、奈良女子大のピアノサークル「piano-forte」から第12回定期演奏会のプログラムが送られてきた。今週土曜日9日の午後15時から奈良女子大講堂で演奏会が行われる。時間の許す人は是非どうぞ。で、この「プログラム」に大分前から顧問の前田行央先生や野口哲子先生とは別枠で私が「挨拶(エッセイ)」を書いている。もう発行されたので、このブログに転載し、広く読んでもらおうと思う。
モーツアルトの記念の年に寄せて
何故、奈良女を定年退職した私がこの「コラム」を引き続き受け持っているのか、最近の入学生には分らないかも知れない。実は、私は昔、皆さんのクラブ活動を統括する最後の「学生部長」(今の井上副学長の役)をしていて、PIANO-FORTEの顧問の前田先生や野口哲子先生のご挨拶とは別に書かせてもらったのが案外「好評」で、歴代の「定演係」から「又書いて」と言われて応援団の一人として書かせてもらっている。
夏休み頃になると、そろそろ「定演係」から言われたら何を書くか、と考え始める。今年は、ある意味で簡単だった。モーツアルト生誕250周年の年だから何かモーツアルトに因んだことを書こうと決めていた。しかしモーツアルトのような天才については多くの人が言及していて書きづらいこともある。しかし、個人的な私に関したことを書けば少なくとも「オリジナリティ」は確保されるだろう、と考えた。
モーツアルトが生まれたのは250年前の1756年1月27日で世は未だ封建時代、フランス革命(1789年)に近づいていた。だからそういう時代背景から領主を出し抜いて恋人同士が結婚にいたる歌劇『フィガロの結婚』も生まれたのだ。そのモーツアルトが生まれたのはオーストリーのザルツブルグであるがウイーンでも活躍したので、今年は両地で記念行事が目白押しで、中には出かけられた人がいるかもしれない。私も休暇で夏にヨーロッパに行ったが、都合でオーストリアには行けずフランスのパリに数日滞在した。それでナポレオン・ボナパルトが眠る「アンヴァリッド」も見学した。フランス人の冗談の一つに「アンヴァリッドのナポレオンの墓に来る最大のお客はイギリス人、彼らは本当にナポレオンが死んだか確認に来るのだ」というのがある。ナポレオンは、イギリスを除く殆どのヨーロッパを一時制圧してイギリスの脅威だったのだ。そのナポレオンもワーテルローの戦いでイギリスに敗れ、セント・ヘレナ島に流され1821年に没した。その後、フランスでは名誉回復され、遺骸は持ち帰られ1840年に盛大な葬儀が行われ、「アンヴァリッド」に安置され現在に至っている。そのフランス上げて行われた葬儀中、モーツアルトの鎮魂ミサ曲(レクイエム)が流されていた、とのことだ。ナポレオンもほぼ同時代のモーツアルトが好きだったのだ。モーツアルトは1791年に35歳、ナポレオンは1821年に52歳で亡くなった。私は歳だけでは彼らを越えてしまった。モーツアルトの『レクイエム』は実はケッヘル番号では最後の626番である。6月26日は奇しくも私の誕生日である。
私が何時死ぬか分らないが、その時、キリスト教徒ではないが、モーツアルトのケッヘル番号最後の626番の『レクイエム』をひそかに流すのも手かな、と思う今日この頃である。
(2006年9月12日 パリから帰って)
(写真は、「レクイエム」のイメージ)
明日は12月5日、モーツアルトの命日である。それこそモーツアルトへのレクイエムである。
モーツアルトの記念の年に寄せて
何故、奈良女を定年退職した私がこの「コラム」を引き続き受け持っているのか、最近の入学生には分らないかも知れない。実は、私は昔、皆さんのクラブ活動を統括する最後の「学生部長」(今の井上副学長の役)をしていて、PIANO-FORTEの顧問の前田先生や野口哲子先生のご挨拶とは別に書かせてもらったのが案外「好評」で、歴代の「定演係」から「又書いて」と言われて応援団の一人として書かせてもらっている。
夏休み頃になると、そろそろ「定演係」から言われたら何を書くか、と考え始める。今年は、ある意味で簡単だった。モーツアルト生誕250周年の年だから何かモーツアルトに因んだことを書こうと決めていた。しかしモーツアルトのような天才については多くの人が言及していて書きづらいこともある。しかし、個人的な私に関したことを書けば少なくとも「オリジナリティ」は確保されるだろう、と考えた。
モーツアルトが生まれたのは250年前の1756年1月27日で世は未だ封建時代、フランス革命(1789年)に近づいていた。だからそういう時代背景から領主を出し抜いて恋人同士が結婚にいたる歌劇『フィガロの結婚』も生まれたのだ。そのモーツアルトが生まれたのはオーストリーのザルツブルグであるがウイーンでも活躍したので、今年は両地で記念行事が目白押しで、中には出かけられた人がいるかもしれない。私も休暇で夏にヨーロッパに行ったが、都合でオーストリアには行けずフランスのパリに数日滞在した。それでナポレオン・ボナパルトが眠る「アンヴァリッド」も見学した。フランス人の冗談の一つに「アンヴァリッドのナポレオンの墓に来る最大のお客はイギリス人、彼らは本当にナポレオンが死んだか確認に来るのだ」というのがある。ナポレオンは、イギリスを除く殆どのヨーロッパを一時制圧してイギリスの脅威だったのだ。そのナポレオンもワーテルローの戦いでイギリスに敗れ、セント・ヘレナ島に流され1821年に没した。その後、フランスでは名誉回復され、遺骸は持ち帰られ1840年に盛大な葬儀が行われ、「アンヴァリッド」に安置され現在に至っている。そのフランス上げて行われた葬儀中、モーツアルトの鎮魂ミサ曲(レクイエム)が流されていた、とのことだ。ナポレオンもほぼ同時代のモーツアルトが好きだったのだ。モーツアルトは1791年に35歳、ナポレオンは1821年に52歳で亡くなった。私は歳だけでは彼らを越えてしまった。モーツアルトの『レクイエム』は実はケッヘル番号では最後の626番である。6月26日は奇しくも私の誕生日である。
私が何時死ぬか分らないが、その時、キリスト教徒ではないが、モーツアルトのケッヘル番号最後の626番の『レクイエム』をひそかに流すのも手かな、と思う今日この頃である。
(2006年9月12日 パリから帰って)
(写真は、「レクイエム」のイメージ)
明日は12月5日、モーツアルトの命日である。それこそモーツアルトへのレクイエムである。
mixi経由できました。
私の在学中も西村先生には「挨拶」を書いて頂いていました。部員の中でも好評で、私自身も毎年楽しみにしていました。
奈良を離れて3年がたち、定期演奏会の案内をもらいながらも、土曜に仕事があり聴きにいけない年が続いています。
こちらで久しぶりに西村先生の「挨拶」と「piano-forte」の言葉を見て、懐かしく嬉しい気持ちになりました。
ありがとうございました。
SoundとNoise かな?