多くの人がスマホの虜になり、手のひらにある個人の端末がネットと接続すれば、より早く多くの情報と到達できる環境が整っています。動かずともモノも購入でき、ゲームもでき、他者とのコミュニケーションも取れる便利な機器です。
しかし、その裏側では、「私たちは大人しく、自ら進んで隷属状態になり、透明化するように仕向けられて」おり、「私生活を奪われ、自由を決定的に放棄した」状態になっています。グーグル、アップル、マイクロソフト、フェイスブック、アマゾンなどの、アメリカのビッグデータと呼ばれる超大企業は、世界中から情報を収集し、「世界から予測不足なものを取り除き、偶然の力を決別する」ことを目指し、アルゴリズムによりすべてを解決しようとしています。データ提供者である個人は、デジタルの0か1の記号でデータ化され、完全な監視社会の下におり、接続が過ぎると、精神病理的な孤立に落とし込まれています。テロ防止でも活かされる、自ら打ち込んでいる個人情報や街の監視カメラの分析状況からは、オーウェルの小説『1984年』を凌駕する現実が広がっています。
この監視社会から離れようと思えば、「接続しない」ことしか手はないが、一度手にした便利はなかなか離せないし、社会の同調圧力を無視する勇気も伴います。しかしながら、人間たる所以の「考える」存在に戻り、「コンピュータ-ではできないアイデア、コンセプト、想像力」を自らの脳で生み出さない限り、ビッグデータの僕(しもべ)からは逃れられません。
最後に、我々出版人へのエールの言葉、「SNSや、絶えず流れてくる大量の情報の外になる紙の本は、おそらく最後の抵抗の場になる」ことを胆に銘じて、店頭で汗を流したいものであります。
『ビッグデータという独裁者─「便利」とひきかえに「自由」を奪う』(マルク・デュガン、クリストフ・ラベ 著、鳥取絹子訳、筑摩書房、本体価格1,500円)
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