9/25(月)の天満天神繁盛亭の夜席『天神寄席9月席《落語に花咲く仏教~河合隼雄学芸賞受賞記念~》』を聴きに行きました。落語の中には仏教ネタが多く、また、笑えるネタが豊富なので、楽しみでした。以前に一度聴いていますが、特に、桂米紫師匠の「宗論」では大笑いしました。
この寄席に先立って、『落語に花咲く仏教』を読みました。落語だけでなく、日本の伝統芸能は仏教との関係が深い。仏教とともに伝来した歌舞音曲が基本となり、仏教での法会、法要での「声明」と「説法」、そして、法会・法要終了後の娯楽が法要文化として、伝統芸能が形作られていきました。「声明」からは能、狂言、歌舞伎、浄瑠璃、謡、長唄・小唄、民謡などが、「説法」からは落語、講談、浪曲などへ広がって行きました。
特に、落語のネタには、仏教の説法で語られるものが多く、「寿限無」や「始末の極意」、「松山鏡」などは今でも高座にかけられています。落語の原点である「醒酔笑」を書いたのが、浄土宗西山派の日快(別名策伝)が書いていることにも起因します。
「宗教というのは凝縮していく方向性をもつ。(中略)その枠を芸能が揺さぶる。芸能は拡散していく方向性をもつ。」この両輪の凝縮と拡散の相互作用で、布教と娯楽がひとつの仕組みとして成り立って行きました。このように考えると、桂枝雀師匠の笑いの理論である、「緊張と緩和」と同様、真反対の力関係があれば、ものごとは一般的にうまくいくのでしょうね。私自身は、今後は、仏教ネタにも取り組んでみたいですねぇ。
『落語に花咲く仏教 宗教と芸能は共振する』(釈 徹宗著、朝日新聞出版、本体価格1,400円)