あなたの本の世界を変えましょう!

板宿の書店主から見た、本・まち・環境を語ります!

子どもたちが目を輝かせて聞く偉人の話

2015-09-22 07:17:42 | 

  私の本との出会いは、小学校6年生の時の伝記でした。家の2階の下駄箱の上に置かれていた、ポプラ社の伝記シリーズ。両親が読むか読まないかわからないが、息子が読むであろうと期待を込めて買っておいてくれたものでしょう。6年生で学ぶ歴史。戦国時代ではまってしまった私は、「織田信長」「豊臣秀吉」に手を出してから、このシリーズは完読した記憶があります。子供の時代に伝記を読むことの大切さは、自分の生きるモデルを夢想できることです。

  「こんな人になりたいなぁ。大人になったらこんなことがしてみたいなぁ。」

 本書は子どもたちに偉人の行き様を解説していますが、偉人の取り上げ方に感心しました。それは、

 1.人に対する見方を破壊し、子どもの個性に合わせたモデルを紹介する

 2.偉人を通して、子どもへの生き方を指南している

 3.外人の偉人と同タイプの日本人を必ず取り上げている

ことが注目されます。

 1については、外向的な気質の人がもてはやされますが、内向的な人にも優れた功績をあげている偉人の存在を紹介しています。コロンブスに対してのファーブルであり、坂本竜馬に対して南方熊楠。両者の長所、短所も合わせて説明していることは素敵ですね。

 2については、ヘレン・ケラー、塙保己一の稿で、「この二人の生涯を見ていると、『~だからできない」「~だからもうだめだ」なんて簡単に言うのがいかに恥ずかしく、自分を駄目にすることがわかるよね。」と書き、子どもたちやこの本を読む大人にまでエールを送っています。

 3については、上記にあげた人たちでわかるように、知らない外人より、身近な日本人と一緒に偉人を学べます。

 偉人の生き方には志があり、その事をやり遂げる人間力を養うためにも、大人になっても偉人伝、伝記は読むべきですね。

『子どもたちが目を輝かせて聞く偉人の話』( 平光雄著、致知出版社、本体価格1,500円)

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そうじ資本主義

2015-09-21 07:43:11 | 

  ビジネスの世界では5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)、そして、人間学の世界では森信三先生や鍵山秀三郎先生の言葉や実践が「そうじ」の意味を深めています。これを経済学の観点から見ればどうなのかを説いているのが本書です。

 マックス・ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、「プロテスタントから近代資本主義が始まった」と述べています。禁欲的で勤勉な生活をするという「プロテスタントの倫理」が近代資本主義の発生や発展の根本になる一方、儒教の国では近代資本主義は発展しない断言している。儒教色の強い日本には当てはまらないのではないか、ウェーバーの論理は間違っているのではないという視点から、日本の資本主義の成り立ちを考察しています。

  明治に入り、近代資本主義の時代に突入した日本。その当時の日本人は勤勉ではなく、遅刻、仕事中のおしゃべりが横行し、安全意識も希薄でした。これでは経済競争で勝てないと判断した経営陣は、「コミュニティの一員である職業人として躾ける」ために、「人並みであるように育てる」、つまりは枠内にはめ込むために、「理屈を抜きにして、まずは実践」という形で職場の倫理を叩き込みました。その一環として、掃除もされたのですが、欧米では掃除専門の職員もしくは他社に外注委託する分業式であったのに対し、日本は社員自らがやる方式に定着しました。この違いが日本の現場と職員の人間性を変革しました。効率だけでなく、職員のモチベーションの向上にまでその効用は及んでいます。

  このように、日本の場合、躾という手段として行われた掃除が企業の目的である理念の遂行に多大な影響を与え、また、長期間の継続した活動としての掃除は社員に、「自利」から「利他」、そして、損得を超越した「他力」まで人間力を昇華させる力を有しています。企業の目的の一つとして挙げられる「継続」を実行するためにも、手段としての5Sを継続して実践されるのが、資本主義のレベルを一段階上げるキーポイントになっていると思います。帯に書かれた、

凡事徹底」忘れるなかれ。

は日本企業のベースでしょう。

『そうじ資本主義 日本企業の倫理とトイレ掃除の精神』(大森 信著、日経BP社、本体価格1,700円)

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戦地で生きる支えとなった 115通の恋文

2015-09-18 17:22:45 | 

 フィリッピンのミンダナオ島で、「ミンタルの虎」と呼ばれるほど、敵には勇猛でいながら、部下や現地の人には優しい心遣いをした日本陸軍大尉がいました。その名は山田藤栄さん。1945年の敗戦から1年後、フィリピンのダリヤオン捕虜収容所での抑留生活から日本へ帰国。家族の元に戻った時、彼が背負っていたリュックの中には、氷砂糖、干ぶどうと、「故郷の思出」と書かれた表紙で綴られた、妻しづゑからの手紙115通がありました。

 娘の喜久代さんは15歳の時に、押し入れからこの手紙を発見し、その手紙を読むと、普段は口数が少なく、おとなしい印象の母の、戦時中における、夫への熱い想いが爆発していると思ったことでしょう。実際に手紙を読ましてもらうと、結婚後、夫が1年で出征し、運悪く、命を落とすかもしれない境遇の中、妻の恋い焦がれた気持ちが噴出しています。これこそ「恋文」です。夫の武運長久を願いながらも、無事で戻ってきてほしい!早く会いたい!ただそれだけでしょう。

 戦場で受け取っていた夫・藤栄さんも同じ思いで読んでいたことでしょう。彼が転戦し、最後には撤退する戦場で、この手紙を持っていたのは、肌身離したくない思い、そして、彼の守護の御守りにもなっていたような気がします。

 帰国後は、戦地での話を一切しなかった、夫であり父である藤栄さん。戦後の彼はこの恋文が現実になり、苦しい思い出は記憶の闇に追いやったのかもしれません。これこそ純愛、読めば心震わせる70年前の記憶、日本人のこの物語を忘れてはいけません。

『戦地で生きる支えとなった115通の恋文』(稲垣麻由美著、扶桑社、本体価格1,300円)

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明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい

2015-09-06 15:52:57 | 

 「言葉」は人に大きな影響力を持つことはわかっていても、それを上手に使う人は少ないかもしれません。

  医師とがん患者の間の隙間を埋めるための試みとして創設された「がん哲学外来」。順天堂大学医学部病理・腫瘍学教授の著者が、がんを罹患し、不安感を募らせている患者に、副作用のない「言葉の処方箋」を提供しています。この処方箋は、励ましや応援ではなく、患者の思考を前向きに変えてあげる、つまり、人間の根源に触れる問いかけをしていく問診です。

 余命いくばくという診断をされた患者とその家族にとって、うつ状態になるのは当たり前。しかし、 「命が何より大切ではなく、命のある限りやるべきことがあることを自ら認識する」ことに主眼を置いて語りかける。そして、 「死しても生きるとはどういうことか」「死から生を見つめる」視点は健康な人にも重要です。そのバックボーンとして、内村鑑三、新渡戸稲造、南原繫、矢内原忠雄、吉田富三の五人の言葉、箴言を読み込み、タイミングよく患者へ答えていく外来は人間学の新潮流かもしれません。

 語られた言葉の中で、私にとってピカリと光るものを紹介します。

 「あなたは、ただそこにいるだけで価値ある存在です ~ 『to do』よりも『to be』を大事にする」

 「自分以外のものに関心を持つと、やるべきことが見えてくる」

 「自分だけの箴言を持てば不安や寂しさが解消できる ~ どんなにお金がなくても言葉は贈れる」

 「川の流れの源部分の源流は細く、足を広げれば簡単に渡ることが出来る ~ 大切なものの本質は案外小さい ~ 根本を見据える必要がある」

 「よい師、よい友、よい読書 - 人生の三大邂逅のうち、最後の最後に一人でできるのは読書です」

『明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい』(樋野興夫著、幻冬舎、本体価格1,100円)

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