あなたの本の世界を変えましょう!

板宿の書店主から見た、本・まち・環境を語ります!

初の下関

2012-03-26 15:47:37 | 

次男坊の下宿探しの為に、24日(土)午後10時20分三宮発の夜行バスで下関へ。

バスは飛ばしに飛ばし、翌朝午前5時40分着の予定を、午後5時に下車。下関駅周辺は闇に包まれていました。24時間営業の店を探すも見当たらず、寒さが厳しい中、駅のベンチで座っていました。しかし、動かなければ余計に寒いので、ぶらぶらと目的もなく彷徨い歩きました。

すると、韓国料理や焼き肉店が多いなぁと感じ、なぜかと思えば、関釜フェリーの存在を思い出しました。見ると、その通りも釜山通。

6時20分頃に日の出が拝め、気持ちいい朝を迎えました。

結局、東急インが朝7時から朝食を提供しており、宿泊客以外も食すことができるとわかり、入店しました。

8時30分下関発の山陽本線で、次駅の「幡生駅」まで5分の乗車。20分ほど徒歩で大学へ到着。入学手続き、下宿探し、生協の説明を受け、12時45分にやっと大学から自由の身になりました。当日、卒業式を挙行しており、「4年後にこのような姿にあなたもなるんだね」と次男坊にささやきました。

さて、お昼。下関の鮮魚の中央卸市場・唐戸市場へバスに揺られて行きました。本来なら小売りはしないはずですが、そこはこの世の中。各店が寿司、刺身、ふぐ汁、魚の揚げ物など売りまくっていました。観光客が多く訪れ、非常に活況を呈していました。

大きなふぐの置き物も展示されており、福の招きふぐになっていました。

唐戸市場から歩いて7分程のところに赤間神社があり、訪れました。

安徳天皇を奉り、赤い太鼓楼が有名な神社です。

境内からは壇ノ浦を見渡せ、源平の戦いは、今年の「清盛」に任せましょう!

人口28万の下関は歴史と自然が豊かな住みよい街の印象を持って、帰路につきました。

しかし、夜行バスはもうこりごりです。本日も疲れが残っております。

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姫路の山にはスゴイお社がありました!

2011-08-01 17:38:30 | 

昨日、嫁はんとプチお出かけをしました。

「姫路に広峯神社というスピリチュアルなところがあるから行こう!」

「伊勢神宮と出雲大社の真ん中に位置するからスゴイらしい」

ということに触れた文献はありませんが、姫路の山手、夢前の手前野山深いところに位置します。姫路競馬場を左手に見て、山陽自動車道を上に見たり、下に見たりしながら、標高を稼ぎ、SETREというウェディング式場を過ぎて、大きな鳥居に車を付けました。そこから徒歩で15分、境内に到着します。

受付には巫女さんが2人も居られ、「なかなかなもんやなぁ」と感心するばかり。とは言うものの、参拝者は極めて少ない? これからお祭か御祓いがあるのかと想像しながら、本殿や拝殿を見ると立派! 門からは姫路の市街の眺めも良く、一息付きました。

本当に知らない場所はたくさんあります。

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久しぶりの旅~知多編

2011-05-08 10:17:11 | 

GWを利用して、ぶらり旅に出ました。今回の行き先は愛知・知多半島。

愛知は今まで足を運ばなかった地。神戸からの移動時間を考えても2時間ほどで到着する近さ。休みのなかなか取れない我が身ですので、目的地までできるだけ短時間で身を置けることが大切。知多半島を訪れる理由はこんなところにありました。

そして、行くからには良い温泉に身を沈めたい。源泉かけ流しを探すとありました。南知多町内海温泉・魚友。加温もなしですから申し分なし。

5月4日に神戸を発ち、昼には名古屋に。味噌カツ、きしめん、名古屋コーチンを少量ずつ、昼食としていただき、名鉄に乗車し、知多へ向かいました。

最初に降り立ったのは半田市。知多半島の中央部東側にあり、人口・12万人。全くの予備知識もなく街へ繰り出すと、大勢の方が背にリックを背負い歩いています。JR東海の企画したさわやかウォークの参加者が半田の街を闊歩していました。その行程と真反対に歩き出すと、JR半田駅が目に入りました。この駅の跨線橋は明治43(1910)年に完成した日本最古のもの。ちょうど1世紀、百歳の雄姿はお見事です。

駅前から東に足を向けると、見覚えのあるマークを付けたビルがそびえています。食品メーカーのミツカンです。本社ビルの横にある、博物館「酢の里」は漆黒の蔵の中に酢に関する多くの智恵を抱えていました。調味料として食するばかりで、酢のことなど全くの無知な私にとって、棚からぼた餅の情報を得ることが出来ました。酢は酒粕から作られていること、ミツカンは江戸すしに着眼して酢を作り始めたこと、ミツカンは非上場で200年を超える企業、8代続く中埜(なかの)又左衛門により発展してきたことなど教えられることは多くありました。

見学を終え、一歩足を踏み出すと、ミツカンの蔵が半田運河に並んでいます。運河には鯉のぼりが泳ぎ、皐月の風情を漂わしていました。

半田運河を北上すると、国盛・酒の文化館に到着。国盛ブランドを持つ酒蔵の正式名は中埜酒造株式会社。またしても中埜。半田の産業は中埜氏が牛耳っているんではないかと興味を抱き、入館。約二百年を経た土蔵漆喰造りの蔵には、酒造りの智恵がぎっしり詰まっていました。そして、利き酒コーナーでちょっぴり桜色になり、歩を進めました。

半田の街を巡っていると同盟書林という名の書店に出くわしました。残念ながらGWはお休みでした。

黙々と歩くこと15分。半田赤レンガ建物へ到達しました。明治31年に建設された赤レンガのビルは「丸三麦酒株式会社」の「カブトビール」の醸造工場でした。丸三麦酒醸造所の創業者であるミツカン4代目中埜又左衛門。ここにも登場の中埜氏。戦禍にも耐えた建物は赤レンガを2重、3重にも組む床、そして5重の複壁により、極めて素晴らしい断熱のしくみがあり、中に入ると冷房が効いているのではないかという気分にさせられます。こんなところに英知が注ぎ込まれているのですね。

蔵のまち・半田から離れ、半田市の郊外にある新美南吉記念館にはタクシーを利用して行きました。

「ごんぎつね」「おじいちゃんのランプ」「手袋を買いに」「でんでんむしのかなしみ」など童話の名作を生みだした新美南吉。生家のある半田市岩滑(やなべ)に建つ記念館は周辺の田園風景に調和した半地下式で、芝生で覆われた波打つような屋根にはかわいい薄紫のお花が咲き誇っていました。中学校時代から童謡、童話を創作し始めた南吉の生涯と作品群を閲覧した最後に、同じ岩滑出身の教育哲学者・森信三先生のコーナーもあり、偶然の出会いに驚きました。「人生二度なし」の思いを新たにしました。

半田の観光を終え、宿泊先のある南知多町内海へ名鉄に揺られて、また歩き疲れて睡魔にも揺られて、夕刻の時を漂いました。泉温50.2℃の南知多温泉・友の湯(ナトリウム、塩化物温泉)に身を委ね、日頃の疲れを癒すには申し分のない湯でした。広い露天風呂は伊勢湾に面しており、その眺望も抜群で、落陽にも身体を温められる気分に浸れます。当日は雲と黄砂で夕陽は拝めることができず終いでした。

夕食も魚三昧、そして知多牛に箸が迷うほど。至福の食となりました。

次の日は知多半島の最南端の漁港・師崎へ行くためにバスの人になりました。大勢の人が貝を探す潮干狩りの海を横目に見ながら、バスは先へ先へと進みます。岬は観光地として多くの見るところが多いのですが、この港から海上に篠島、日間賀島が高速船で30分圏内にあり、この2島が知多半島の先端部になるのか、知多半島の岬・羽豆(はず)岬は通過点になってしまっており、ちょっぴり閑散とした感がありました。ウバメガシに覆われた鎮守の森を持つ羽豆神社に詣で、旅の安全を祈願しました。

漁港の町には魚を干している風景に遭遇します。ここではタコでした。

タコは多幸とも読め、知多の旅も無事終わることが出来ました。

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「ぷりぷり」でした!

2010-11-24 18:53:07 | 

昨日はちょい旅に出かけました。

お昼からやってきたのは

赤穂市坂越(さこし)港

本当なら紅葉狩りでしょうが、

「R」の付く月に突入したので

「牡蠣喰い」

でした。

海の駅は2度目でしたが、前回来たのはシーズンオフのためひっそりとしていましたが、昨日は超満員。午後2時前だったにもかかわらず、30分以上待ちました。

満腹のお腹を抱え、素敵な街並みも散策しました。

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天領板宿

2010-08-01 19:23:19 | 
今日も猛暑。家に居ても辛いので、午後3時過ぎに、家から徒歩2分足らずにある百耕資料館に行きました。

百耕資料館はこの度リニューアルしており、常設展「板宿の歴史」を楽しみました。

原始・古代から近現代までの歴史を解き知るには格好の展示でした。

板宿は兵庫下荘として、鎌倉時代までは皇室領地、室町始めまで京都・若王子神社領でした。
1222年(貞応元年)の古文書には「板井戸村」と、板宿の地名が登場します。「井戸」の名は板宿にとっては無くてはならない存在です。

江戸時代は一時期は尼崎藩に属しましたが、ほとんど幕府領、すなわち天領でした。いたやにすとの手がける里山も御林、幕府直営の山林でした。葵の御紋が似合う町です。
江戸の治世、板宿は水田風景に300人の人口が汗を流す、和やかな村。
今の姿とは想像できません。

板宿の古地図は非常に興味深いもので、現在と比較すれば楽しみは倍増でした。

百耕資料館は冷房が良く効いており、過ごし良かったことも付け加えておきます。
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年に一度の篠山行

2010-01-12 17:24:41 | 

去年も成人の日に行った篠山。この季節は何と言ってもぼたん鍋。食べれば体の芯から暖まる。旬の食はやめれません。

鍋の前に観音湯に入りました。篠山市とはいえ、京都府県境。朝っぱらから多くの方が入湯していました。

お昼の後は、篠山へ年末に移住した横山一家を突撃訪問しました。就農した彼らは引越しの片付けもままならぬ状態。「行くぞ」と言えば、片づける必要も生じるでしょうから、どっきり訪問で、横山家はびっくり!今年の5月ぐらいから有機野菜の販売をする予定ですので、ぜひ応援したいものです!

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秋を満喫しました!

2009-11-24 18:21:45 | 

 我が細君が「MIHO MUSEUMへ連れて行け!」とのたまうので、滋賀まで出かけました。

 甲賀市信楽の30万坪の山中に、とても素敵な美術館がありました。MIHO MUSEUMは個人が造った美術館と知り、また驚きました。さて、「若冲ワンダーランド」という、伊藤若冲の展覧会が開催されており、若冲ファンの細君は超目玉の「象と鯨図屏風」という六曲一双の大作に満足していました。私は「鹿図掛け軸」の方が良かったですが・・・。

 昼食の後は、「もう好きなところへ行ってくれて結構!」というお許しを得て、滋賀の聖地へ行きました。阿賀神社、別名太郎坊阿は急岨な岩山にこびりつくようなお宮。神の神通力により開かれたと伝えられる夫婦岩はなかなか見事な岩でした。境内からの眺めも絶景で、聖地と呼ばれるだけの価値がありました。

 最後は紅葉狩り。永源寺に行きましたが、車の渋滞がひどく、辟易としました。道中の厳しさが紅葉の美しさを半減させたなぁ。

 とにかく無事に戻れてなによりであった!

 

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酔っぱらいになろうとは!その行先は

2009-10-11 18:21:48 | 

 10月11日の昼から、我が嫁と一緒に大山崎町へ行きました。

 そうです、秀吉が中国攻めから戻り、光秀と戦った山崎の合戦の地です。アサヒビール大山崎山荘美術館に赴きました。

 美術館とは言え、まぁ立派なお屋敷であること。「民藝と仏教美術」展を開催中でしたが、その山荘の佇まいに感動しました。柱の凄さ、テラスからの眺望の素敵さに、大正期の実業家の計らいに驚きました。

 本館2階にある喫茶室で、アサヒプレミアム生ビール熟撰をいただき、ほろ酔い加減で山荘の庭を散策しました。

 「近くにサントリー山崎工場があるよ」と嫁の意見に素直に従い、酔い覚ましで歩いて行きました。工場の見学は予約が必要なので、山崎ウィスキー館、ファクトリーショップを見学した後、テイスティングカウンターで「山崎」を性懲りもなく飲み、気分よく帰路に就きました。

 「これから醸造所廻りもえぇなぁ」と酔った気分は続きます。

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高知の2日目

2009-09-28 15:32:17 | 

7days Hotelのフロントの方に、「どこかのんびりできるところありませんか?」とお訊きしたところ「黒潮本陣はいかがですか? 場所は土佐久礼です。」

フロントでるるぶ高知を拝借しました。るるぶで1ページの観光地。のんびりできるかもしれない。高知から特急で約1時間という距離もいい。

高知駅8時21分発、しまんと1号で土佐久礼駅は9時10分着。中土佐町の中心駅ですが、無人駅でした。

さて、まずは黒潮本陣まで歩いて行きました。車で5分ほどと書かれていたので、のんびり海岸に沿って行きました。江戸時代の本陣に見立てた宿泊施設。ここの温泉は太平洋の海水を汲み上げ、露天風呂にしています。さっそく日帰り入浴を楽しみました。

さすが海水です、塩っぱい。でもカルキ臭くてちょっと閉口でした。本陣の前にある黒潮工房では藁を燃やして作るカツオのたたき体験もやっていました。

町までまたとぼとぼ歩き、大正町市場へ行きました。長さ15メートルほどの市場は魚がメイン。ちょうとど真ん中に食堂があり、カツオのたたき定食、刺身定食、うつぼ定食などを出していました。たたき定食と生中を食し、今度は県内最古の酒蔵と酒造ギャラリーの西岡酒造店へ。
青柳裕介氏「土佐の一本釣り」原画 ギャラリーを見学し、日本酒の試飲をグイグイしました。「土佐の一本釣り」は中土佐町が舞台でした。

この町はほんとのんびりしていましたが、市場だけは観光客でごったがえしていました。

板宿にいれば、市場は日常の風景です。
この世の中、市場が希少価値となり、観光地化しているようですね。
高齢化による廃業、後継者不足など市場の抱える問題は多いですが、市民の台所として、また食材のプロとしての店は必要です。

 

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高知での宿泊

2009-09-23 20:13:47 | 

どこに泊まっても良かったのですが、

『人生を変える!夢の設計図の描き方』に載っていた、

7days Hotel

というビジネスホテルに予約しました。

とてもしゃれた空間を作っておられ、選んで正解でした。ホテルを創る夢に驀進中の、著者・鶴岡秀子さんにも感謝です。

鶴岡さんのホテルは

レジェンド・ホテル

まだ着工をしていませんが、HPも持ち、夢は着々と現実になろうとしています。とても素敵なビジネスの進め方です。一度ご覧ください。

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