著者のロボット博士・森政弘氏はロボットコンテスト(ロボコン)の創始者で、約40年にわたる仏教および禅研究家と活躍されています。仏教に関する著作も多く、本書は矛盾の多い現代を生きる上で多くの示唆を与えてくれます。
森先生は書名の通り、「退歩に生きろ!」とおっしゃっています。成長を目指し、何事も外に外に求めていこうとする「進歩」に対し、自己の内面に智慧の光を照らし、静かに見直す「退歩」が必要であることを強調しています。では、具体的にはどのようにすればよいか?
一例として、説教強盗を紹介しています。大正15年から昭和4年まで強盗に入って、お金や通帳を盗み、家主に「犬を飼いなさい」など、戸締りについて説教して逃げる犯人がいました。指紋から逮捕、無期懲役に処せられましたが、戦後に出所し、防犯協会の顧問に就任。前歴の知識がフル活用されました。
強盗は「悪」、防犯は「善」です。「悪」から「善」へ転ずるのに、「悪」でも「善」でもない、善悪以前の状態を「無記」と言いますが、この場合の無記は「戸締りに精通している」ということになり、無記を善にするには「心の制御」が必要になります。人には「善」ばかりでなく、「悪」の部分も悲しいかな持っています。「善」が70%で、「悪」が30%だったら、その人のパワーは70%となりますが、30%の「悪」を「無記」の状態にして、「善」に転ずると100%の力が発揮できます。このように、「善悪は容体の属性ではなく、心(主体)が作り出すものという『三性の理』の理解が不可欠」になります。すなわち、心次第で人は変わるのです。アメリカなどの心理学ではポジティブ心理学の成果を発表していますが、何のことはない、禅の導きで十分なのですね。
さらに、もう一つ、現代日本人が忘れていること、それは「仏性」です。「経済では、『物』は金に換算できる貨幣価値、または使用価値として計算の対象」になりますが、「仏教では、『物』は合掌の対象」です。「宇宙のすべての存在には、仏になれることができる性質、『仏性』を有している」ため、「尊い物によって生かされているという感謝の念」を抱いたり、「物が発する無言の声を聴く」姿勢が大切になります。私が子どもの頃、物をまたぐと、おばあちゃんに「物にも心があるから、またいだらあかん!」と怒られました。物に対する感謝の心があれば、「足るを知る」が肚に落ちてくるのでしょうね。大量生産、大量販売、大量消費、大量廃棄は「悪」となり、物を大切に扱う心が養われます。
「退歩」、これからの世、これは欠くことができない思想です。
『退歩を学べ ロボット博士の仏教的省察』(森政弘著、佼成出版社、本体価格900円)