人間学を学ぶ上で、必ず通る道の1冊が『努力論』。明治の文豪・幸田露伴による、人生を歩むための手引書ですが、原書で読むとなかなか難解です。夏川賀央氏による現代語訳で、現代日本人には理解しやすい希望の本となりました。
「努力」と聞いて、あぁ無理と思う人もあるでしょう。しかし、オリンピックを見て、自分の目の前にある課題に対して、「やらねば」と少しは心動いたことでしょう。リオ五輪のメダリストは言うまでもなく、各競技出場者においても並々ならぬ練習の結晶が光り輝く現実を生み出しています。努力の賜物しかありえません。頭ではわかっても、身体では表現できない人へ向けて、この『努力論』は明確な導きを与えてくれます。
まず、努力する自分を作りだせ!自己改造を訴えています。そのためには「幸福三説」を目指せ!とは理解しやすい。幸せを取り尽くさず、将来のためにとっておく「惜福」、幸せは必ず、人と分かち合えという「分福」、そして、未来の人々も幸福であるよう、幸せの種を播く「植福」の観点から、努力を怠るなと教えられれば、何とかできそうな気がします。努力の目的が自分の幸福のためだけ、利己に留まるのではなく、将来にまで影響を及ぼすという視点を持って事を為す。自分の身体の外向きに付いている目が現実だけでなく、見えない将来を想像し、力を注ぐと結果が変貌します。今回の五輪出場者も、自分たちのベストな身体表現が2020年の東京五輪に結びつくというコメントを語っていましたね。
努力しようにも気が散ることばかりで集中できない現実があります。特に、スマホの存在は気を散らす機械の象徴です。気を散らさないためには、いまここに全気全念でこれにあたれと言い、好きなことに没頭せよと述べています。全身全気で取り組めば、嫌いなことも好きになるのは禅僧の修行の姿に通じます。
そして、気に関しては、「意識して気を張れ!」、すなわち、「私たちと私たちの信念が一致することの自覚」からしか結果が出ないと論じています。これはスポーツなどで言う「ゾーン」に入ること、努力しているのではなく、無意識のうちに努力しているようになっている状態になることでしょう。
本書は青年ばかりでなく、10年に1度は読み、自らの人生の歩みの是正の書として活用できれば良いと感じました。
『努力論』(幸田露伴著、夏川賀央訳、致知出版社、本体価格2,000円)