北大ボートblog

北大ボート部部員によるほぼ定期更新ブログ。

出会いと別れとパン祭り

2025-03-27 21:11:47 | 2024引退ブログ

こんにちは。3年目マネージャーの柳です。もうすぐ4年目になります。

 

長かった冬も終わりを告げ、そろそろ新学期が始まろうとしています。部内でも特に1年目が引越し作業をしている様子が窺われます。片付かない段ボール、家のない期間、学館を出て初めての自炊、、、春の風物詩ですね。

 

先日卒業式もあり、ボート部の先輩方も皆さん卒業されました。一つ上の先輩方には特にお世話になりました。感謝してもしきれません。

 

札幌駅での見送りも、終わった時にあーほんとにいなくなっちゃうんだと思いました。卒部後は茨戸からいなくなっても札幌にはいてくれる安心感がありましたが、気軽に会える距離にはいなくなってしまいました。

泣いちゃった増田さん(4)を慰める納谷さん(4)

柔の強さを持つ納谷さんに助けられ、憧れ続けました。事あるごとに納谷さんの凄さを実感しました。住田共々クセのある後輩だったと思いますが、可愛がってくれてありがとうございます。下の代はいい子揃いでちゃんと育ってくれているので、きっと私たちは納谷さんの苦労を知れないまま卒部するでしょう。

 

 

ジャガーさん(4)に拳骨をお見舞いする千里さん(4)

卒部されてからは会計の話しかしなかったし、札幌を発つ前の最後の会話も会計の話でしたね。でも、一昨年の新人戦の時に話した以来よく構ってくれて嬉しかったです。実は、たまに自主的に大喜利もしています。

ところで、前年度部費未納者って誰でしたっけ?

 

 

途中までついて行った山田(3)、小方(3)、東北大に寝返るまさすけさん(4)

なんだか掴めないところがあるまさすけさんでしたが、ボートに対してはストイックで話すとめっちゃ面白い先輩でした。私がスマホ沈した時に励ましてくれた記憶があります。心強かったです。面白がっていたような気もしますが。

 

これから短いようで長いようで短いシーズンが始まりますが、まずは地獄の寒さの艇庫開きがあります。去年は雪が降ってたようないなかったような。

驚くことに納艇の時と艇庫開きの時で然程体感温度が変わらないので、雪が降ったのはどっちだったのか記憶が曖昧です。

 

今年は試乗会の時に流氷がないといいですが。

 

 

ところで、ラストイヤーにやりたいことの一つにキング牛丼にチャレンジするということがあります。

ただ、私は負けず嫌いなので家で実際にキング牛丼を作ってコソ練しようと思います。ご飯640g、牛肉510gだそうです。すき家もチャレンジャーに情報を開示するとは迂闊ですね。

 

超戦のスローガンに恥じないマネージャーになってみせます。それでは。

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日本一を夢見て

2025-02-13 01:40:19 | 2024引退ブログ

井上晟佑です。

引退ブログです。引退してから想定以上に忙しかったため、季節外れのラストブログとなってしまいました。先日ようやく卒論が終わりブログを書いた次第です。久我さんラストブログを書いてほしいと言っていたのに遅くなってすみません...。

 

去年の付きフォアのクルーキャップを務めていたので、自分のボートへの考え方とか大事にしていたことを中心に書きます。

 ブログの構成としては前半にボートで大事にしていたこと、途中にcolumnを挟んだ後、後半にブログっぽいことを書きます。それではどうぞ。

 

 

〇狙いの決め方

練習してよく感じていたのが、乗艇シーズンにおける練習の進め方があまり確立していないため、練習の方針が迷子になること。クルーが全体的にこのままでいいのかなあという不安げな空気感になってしまうことです。北大はコーチが練習を仕切るわけではなく、基本的にクルーで練習方針やそれに沿った練習内容を決めるので、良くも悪くも自由度が高い体制になっています。そんな中で経験の浅いクルーや、ボートの知識のレベルが違う場合、自分が伝えたことと相手に伝わったこと、そしてクルーとして意識したいことなどに乖離が生じてしまいます。そのため、練習を進める上で最も大切にしていたことは、イメージの共有です。具体的には、今の動きがどうなっているか、それをどのように改善したいか、そのためにどのようなイメージを持つべきかを毎回の練習で共有することです。クルーで同じ意識を持つこと、そして知識のある人は経験のない人がイメージを持てるよう工夫することが大事です。

 先ほどクルー内でボートに対する知識に差があると意識の共有が難しいと書きました。この原因として、「狙いを決めるになぜその狙いにするのか」「その狙いの完成度を上げるにはどのような意識が必要か」「何が原因で違う動きになっているのか」を把握できていないことが挙げられます。特に「なぜその狙いにするのか」についての議論は浅くなりがちです。例えば、バランスが悪いからバランスを取るためにフォワードを狙おうとか、フィニッシュの力強さが足りないからフィニッシュをもっと押そう、のような大雑把な話し合いになってしまいます。そうではなく、まず原因を考えて(どこでバランスが崩れているか)、その根拠は何か(どのような揺れになることが多いか、動画を見てどうなっているか)、その根拠はある程度正しいと言えるのか(クルーの中でイメージのずれはないか)を十分に話し合って狙いを定めるべきです。

 

丁寧に振り返りできてていいね!

 

〇練習について

狙いを早く改善させられるほど、別の課題に動きに目を向けられるので、効率よく課題を改善させることが艇速に繋がります。ましてや練習期間が限られている北大ボート部なら尚更です。それでは実際の練習における狙い方について書きます。

最速で課題を克服する方法は次の二つです。

[1]試行回数を増やすこと

繰り返し同じ動きをすることで動きを体に定着させます。

[2]動きを簡単にすること

ドリルの動きを細かく分割したり、スローモーションにしたりすることで、ドリルの難易度を下げることができ、自分のレベルにあったドリルを行うことができます。

 

例えばフォワードのみでバランスを取ることを狙いとしたとき、[1]プレースメントドリル(抜き上げ、ハンズセットからエントリーまで)を何回も繰り返す、ということです。当たり前ですね。

[2]に関して説明すると、ドリルを行うとき、高度な(複雑な)ドリルになるほど意識することが増えて難しくなります。熟練度が低いクルーが最初から難しいことをすると何もできず何も得られず時間を無駄にしてしまうので、簡単なドリルから始め、そのドリルが出来たら少し難しいドリルにステップアップしていくことが基本です。ドリルの動きを簡単にする方法は基本的に、「動きを分割する」「動きをゆっくりにする」の二択です。例えば、プレースメントの動きを分割して、抜き上げ+ハンズセットだけでバランスを取ってみるとか、キャッチドリルのリズムをゆっくりにする、といった感じでしょうか。分割や動きのスピードを変えると実力に合わせたドリルをすることができ、短期間に意識を集中させることでよい感覚をつかむことができます。

 

〇練習メニューの具体例

以下に1スタンバイの練習スケジュールを示します。

 

インカレの付きフォア(UTの練習の日)

キャッチorフィニッシュドリル(どちらか大事な方)やルーティンとしているドリル15分 → 狙いのためのドリル10分~15分? → UT(8kmくらい?)

 → AT(1000×2や500×4など狙いや課題に応じて)

 

としており、狙いのためのドリルを10分から15分くらいとっていた気がします。先ほどご説明したようにこの時間でいかに試行回数を増やせるかを大事にしていました。

ちなみにステップアップする、ということを結構重要視していて、上に示した付きフォアの練習内容は、徐々に動きが複雑もしくはスピードが上がるため、難易度が上がるように設定しています。狙いがどの難易度のメニューまでできたのか、どこからできないのか、それはどうしてかについて深く議論することができるからです。

UTのメニューの日でもATをほぼ必ず入れていたのは、上の理由に加え、UTはなんとなく動きがあっているような感じがしても、基本的にATでは必ず言語化できるような明確な課題が見つかるからです。クルー内で問題意識を持ち続けるためにもATをしていました。

 

 毎日どれくらいの距離を漕いだかは正確に覚えていませんが、UTでめちゃめちゃ距離を稼いだというわけではないです。むしろ漕いだ距離は他のチームと比べて少ないほうなのかなと思います。あまり距離にこだわらなかった理由は、距離を稼ぐよりも漕いでいるときの感覚を重要視したかったから。また、そもそもクルーの体力値がある程度高いことも理由の一つです。ちなみにエルゴのクルー平均は6分45秒くらいといったところか。

UTはある程度の難易度で、試行回数を増やせること、有酸素能力を高められるという二つの観点で優れたトレーニング法です。しかし、有酸素能力を向上させることを目的として経験上1か月前くらいからUTをこなすのは個人的に好みじゃありません。理由としては1か月ごときで伸びた経験がないこと、そして感覚を比較的クルー内で共有しにくいことの2つです。そのため、クルーの完成度を劇的に向上させるためには、体力を向上させることを目的としてUTをするのではなく、一漕ぎ一漕ぎの試行回数を増やすドリルとして取り入れるほうが良いと思います。

自分の漕ぎに課題を見つけるたびにタンクローを使って練習していた。強くなるには孤独にならなければならない時がある。

 

〇インカレのコンディション調整

 大体の大会は普段と違う環境に身を置くことで、いろいろとストレスがかかるので、コンディション調整は特に気を付けるべきです。僕が実際気を付けていたのはメンタル面(緊張しすぎないこと)、手汗対策、暑さ対策です。順に説明していきます。

 一番大事なのはメンタル面で、緊張しすぎてしまうと普段以上のパフォーマンスはほぼ出せません。インカレで戸田に乗り込むと、大会の緊張や焦りに加えて、他のクルーが上手く見えて比較してしまうからメンタルの動きが如実に出るものです。プレッシャーがかかる場面で実力以上の能力を発揮できるかどうかは、レースに勝つことをプラスに捉えられるか、負けたらどうしようというマイナスに捉えてしまうか、という違いだと思います。僕は後者のタイプで、レースのたびにいろいろ考えすぎてしまう性格で、実際インカレ期間はあまり寝付けないほど緊張してしまっていました。主な原因は、他大学のクルーと自艇を比較してしまうことで緊張してしまうことだと感じていたので、戸田で練習していても他大の艇は観察しつつ、自分の艇とは比較しないようにしていました。確かに他大の情報は大事ですが、緊張するなら考えない方がいいと思います。

 

他に気を付けたことは、手汗対策と暑さ対策です。茨戸で練習しているときは手汗を気にしたことはありませんでしたが、戸田で練習していると僕の手汗か水質のせいか、かなりヌメヌメしてかなり感覚が違ったのでテーピングか、リストバンドを持っていくことをお勧めします。

暑さ対策に関しては、氷嚢を持っていき、レース直前まで手首や首回りを冷やしていました。アイススラリーと検索してもらえば出てきますが、長距離系のスポーツでは体温が上がりすぎてしまい、体力を消耗するため、暑い日はなるべく体温を下げておいた方が良いそうです。実際、個人的には夏より冬の方が圧倒的に調子が良かったので信憑性あり。

インカレにて下駄箱で異臭騒ぎが起こり、密かに消臭スプレーを吹きかける純大。靴のニオイの対策もしておいた方がいいかも。

 

〇強くなるための考え方

 僕の考えとしては、成長には2種類あって、[ⅰ]意識的な成長と[ⅱ]能力的な成長です。 [ⅰ] 意識的な成長

これは①自分足りない能力が何か、②どのように練習したら成長できるか、を把握できるようになることです。つまり、ボートの技術やトレーニング方法にとどまらず、上に述べたような自分の課題や改善点を理解できるようになること。

[ⅱ]能力的な成長

これはテクニックや体力など目に見えて成長するもののことです。

 

基本的に成長するときは[ⅰ]の後に [ⅱ]が起こると思います。自分の漕ぎの悪いところが認識できずに、それを直しようがないですから。[ⅱ]を重視しがちですが、[ⅰ]の方が大事で、これまで自分が感じなかった課題を見つけることが出来た時、「あれ、自分はこんなに下手だったっけ?」と思えた時、それは大きな進歩です。

[ⅰ]を起こすには自己分析を徹底的にやることが重要です。自分の漕ぎを動画で確認して、自分の漕ぎの課題や改善点を具体的に指摘できるかどうか確認してみてください。自分の漕ぎのどこが良くないのか、なぜタイムが伸びないのか、以下のように明確に説明できるようになりましょう。

  1. 自分の現状を把握する

・自分の課題は何か。なぜそれが課題だと感じるのか。その原因は何で、その課題を解決できたら自分の漕ぎがどう改善するか

 

  1. 解決策を考える

・課題を解決するにはどのような練習や意識が必要となるか

・複数ある課題の中で何を優先的に直すべきか

 

  1. 記録する

・他人が見てもわかるように記述してみてください。そうすると後から見直してもわかる上に、チーム内で意見交換できるようになります。

 

1や2が分からなければわからないと記述して知識のある人に聞いてください。何より自分で考えることが大事です。

 

以上のことに付随して、自分の課題を認識する手段は多く持っておいた方がいいです。エルゴだけでなく、ウエイト、バイク、そしてそれぞれの種目の中でもUT、AT、インターバル、筋肥大、MAX重量などの能力のうち自分が得意、苦手とする分野の分析をしてみてください。

それを日々続けて沢山トライアンドエラーを繰り返すとローイングが体系的に理解できるようになると思います。

 

以上でローイングの話終わりです。

どの話でも一貫していますが、一番重要なことは「強くなるために考え抜くこと」です。

過去一の自信作だったが、ウケがいまいちだったのでここで供養しておく。金谷は笑ってくれた。

 

column  夢の皿じゃん強者へ

個人的にボート部生活で熱を入れていた皿じゃんについて語ります。実は皿ジャンのブログ書こうかなと思っていたのですが、ブログのせいで皿じゃんの勝率が下がったらたまったもんじゃないと思い、書くことができませんでした。皿じゃん弱者の方々には申し訳ない。

 

ボート部ではエッセンを食べた後に自分の皿洗いをかけたじゃんけんバトル、通称皿じゃんが定期的に開催されます。もちろん負けた場合は相手の分の皿洗いを行わなければなりません。皿ジャンの参加人数が多ければ多いほど負ける確率は低くなるものの負けた場合の絶望は何物にも代えがたいものです。

先にお伝えしますが、皿じゃんとは確率ではなく勝負です。いかに自分の勝率を上げる戦略を確立できるかがカギになります。それでは、大人数でのじゃんけんの場合と、少人数、特に一対一の場合の順番にご説明します。

 

〇大人数の場合

大人数の場合は、少人数と比べて圧倒的に皿じゃんのプレッシャーが小さく、各々負けてもまだセーフみたいな雰囲気があります。しかしそこで気を抜かず、「まるでじゃんけんにやる気のなさそうな男」、略して「マジオ」を探しましょう。もしそのマジオが考えなしに出すタイプの人であれば、カモです。ほぼ何も考えていない人はグー、チョキ、パーを順番に出したり、パーを出すときは少し手を開いて準備したりする場合があるほか、パーを出すときは少し手を開き気味にしていたり、グーの時は強く握りこんでいたりします。よく観察して自分の出す手を熟考してください。

 

〇少人数の場合

先にお伝えしておきますが、この戦略は少人数であるほど効果的です。(私の個人的な統計データによる)皿ジャンの勝負はじゃんけんの前から始まっています。負けたら皿を洗わなくてはいけないという究極のプレッシャーの中で如何に相手にさらなるプレッシャーをかけて優位に勝負をかけられるかが最も大事です。プレッシャーをかけるためにも体は極限までデカくしておきましょう。ちなみに僕は皿ジャンのために5kg以上増量しました。

僕がどうしても勝ちたいときによく使う戦略が、「自分が出す手を宣言すること」です。そして実際に自分が出す手はその宣言した手に対して勝つ手をだします。例えば「グーを出す」と宣言したとすると、実際にはパーを出します。これはどういうことかというと、相手は、無意識のうちに宣言された手に対して負ける手を出さなくなるからです。グーを出すといわれたのにチョキを出したいか?ということですね。つまり、じゃんけん慣れしていない人はこの宣言であいこか負けしか可能性がないということです。

この戦略を使えば玉川には100%勝てます。

 

 

 

日本一を夢見て

 僕がボート部に入ったのは何でもいいから日本一になりたかったからです。あー、日本一になりたいと思いながら北大の受験帰りの新千歳空港で北大の部活を調べていると、YouTubeのボート部のPVに「君も日本一を目指さないか?」と書いてありました。やっぱ日本一っていいよなと思いつつ、ボートで日本一になることに思いを馳せながらボート部に少し憧れを持ったのが懐かしい。

 

 入部した理由が日本一になることだったから、1年生の時は自分の実力と目標との差に一番思い悩んだ時期でした。気胸や肩のけがで満足に練習できず、練習してもコロナで一回も大会に参加できず、俺は何のためにボートを漕いでいるんだ?と耽るようになりました。それに加えて、ボートが意外にも難しく、衝撃でした。驚くべきことに俺がスポーツをやるんだら日本一はいけるだろうと本気で思っていました。もちろんそんなわけ無く、シングルを初めて漕いだら難しすぎて絶望しました。そして大層な自信とは裏腹に入学した時は体重60kg程度で、ボート経験者のあべたいや純大との差が大きく、このままで日本一になれるのだろうか、このまま続けていても何も成し得ないのではないかと悩んでいました。

僕がヒョロガリだった一年生の時、伊藤さんに「俺はインカレで優勝する」と熱く語った時、鼻で笑うことなく真剣に向き合ってくれたのを覚えている。最高の新トレ。

 

冬練に入っても日本一になるにはどのように練習を工夫すればよいのか、どう時間を使うか、どれくらい練習したら日本一になれるか分からなかったため、日本一という目標が現実的でないと感じ、部から離れることにしました。(ちなみにこのブログのはじめに練習のやり方みたいなものを書いたのは僕がそれを知らなくて悩んでいたからです。)そもそも日本一になるという目的の下、ボートという手段を選んだのであって、日本一の希望が薄いのであれば手段を変えるのが妥当だと思ってしまいました。先輩にはすごく気にかけてもらっていたし、期待されていた分、多少申し訳なく感じていました。LINEでボート部をやめることをグループに伝えた次の日に同期の安永、千里、ジャガーと西井の四人で僕が勉強していた北図書館に押しかけてきて、一緒に漕ぎたい!!と思いを伝えられるかと思いきや「まさすけがやめると次の新人戦クルー組めんくなるから、戻ってきてくれへん?」と言われ、初めて同期がやばい奴だと感じました。もちろん辞めました。

 

ちなみにその後化石発掘サークルに入りました。化石発掘で日本一になろうと思いました。でもアンモナイトを見つけるのが難しすぎて諦めました。一応書きますが、北海道は日本有数の化石発掘地で、三笠や夕張の河原に行くとアンモナイトが転がってます。アンモナイトを初めて拾ったときは本当に感動しました。インカレ準優勝の次くらいに感動しました。もし興味のある人がいるならシュマの会で検索を。

 

復帰したきっかけは、部活を辞めてから半年後の東北戦でした。印象的だったのは「絶対勝ってくるよ」と言ってレースに臨んでいた向井さんの姿です。絶対に勝つと自分を鼓舞して勝負する、その姿に痺れました。日本一になりたいと本気で思っていたのに、勝負すらせず自分に限界を決めて諦める自分を恥ずかしく感じました。そしてボートそのものに魅かれたのもこの時で、レースをして感情を爆発させる姿に感動しました。「日本一になりたい」から「ボートで日本一になりたい」と思った出来事でした。

 

2年のインカレはスタッフとして帯同しましたが、そのときに見た最終日の決勝レースが印象的で、勝ったチームが雄叫びを上げて喜ぶ姿が輝かしく見えました。ここまで自分の魂をかけられるほどの努力をして勝って、チームで喜びたいとその時強く感じました。

野田さん   1,2年の時のコーチだった。僕に大きな影響を与えてくれた人の一人。

 

 そして2度目の冬練に突入するのですが、今思えば冬練が一番きつい冬練でした。暖房が利き過ぎの部屋でアイヌ語の授業を一年生と一緒に90分受けた後に体育館のギャラリーでやった1時間のエルゴUT。もう僕の頭はぶっ壊れそうでした。伊藤さんがエルゴを担いでいく姿に対して修行みたいと言っていたけど、まさにその通りだと思う。

 

 三年になって、やっとエルゴで7分を切り、東北戦のエイトに乗ることに。東北戦の練習は自分が日々成長していくことが実感でき、クルーで議論することが楽しく、充実した練習をしていたと思います。だからこそ負けたときはすごく悔しかった。来年は絶対にリベンジすることを誓いました。ゾロの「もう2度と負けねえから!!」みたいな感じです。

インカレの練習では僕が長い間怪我により練習を休んでしまい、クルーとなった4年目にかなり迷惑をかけてしまったと反省しています。今思えば4年目はずっと僕を気遣ってくれていて、多分僕をクルーキャップにしたのも、当時は建前で一番スカルうまいから、みたいな感じのことを言っていましたが、本当は4年目に遠慮せず自分の意見を言ってほしいと配慮してくれていたからだと思います。僕が休んでしまってかなりスタンバイが減っているのにうまくいかなくても僕にプレッシャーをかけることなく、クルーとしてどう成長すべきかに常に焦点を当てて議論してくれていました。いい先輩だったなあ。

クォドにて初めての沈。大熊さんがゲラゲラ笑って写真を撮っていた。あんなに楽しそうな大熊さんを初めて見た。

 

練習の取り組み方に疑問を持ったのもこの時で、練習の振り返りが十分に実のあるものになっていないのではないか?と感じていました。知識のある人とない人の間で情報共有がされなかったり、狙いを決めるときになぜそれが大事かについて深く議論できなかったりしていて、狙いの重要性を認識しないまま練習して、意識の統一ができていなかったと思います。

そこで、3年目の最後の冬練では意識的な成長に重点を置いた練習をしていました。常に自分よりエルゴが回る人と漕ぎを比較し、その違いを次の練習で実践して、また比較して..の繰り返しです。そうやって練習した結果、どこを変えたらどの動きが良くなって、そのあとどんな動きにつながるか、効率よく漕ぐにはどうしたらいいかをある程度把握することができるようになったと思います。

 

インカレが終わって自分の代になり、キックオフミーティングに向けて男子の目標を決めることになった時、目標をインカレ優勝にするか、メダル獲得にするかで同期間で揉めました。言わずもがな僕はインカレ優勝派で、インカレで優勝を目標にできなければボート部にいる意味はないと思っていました。一方同期にとっては、その年のインカレは対校がC決勝進出で、インカレ優勝チームなど雲の上の存在という認識だったようです。結局目標決めの折り合いがつかず、僕が折れてインカレメダルとなりました。正直インカレ優勝を目指していない人に無理に目標を変えさせても意味ないですから。きっと自分たちの可能性を信じきれないチームになってしまっていたのだと思います。それが悔しくて、キックオフミーティングで「僕は一人でもインカレ優勝を目指します」なんて言っていました。

それからの練習は、部内で競い合っているレベルでは話にならないと自分に言い聞かせて練習していました。だからチームで練習していても孤独感を感じていました。同期からも絡みづらいと感じられてしまっていたと耳にしています。

 

4年目の練習ではクルーキャップとしてクルーをまとめる機会が増え、まとめることにかなり苦戦しました。特に春合宿ではクルーの動きがバラバラで何から手を付けるべきか分からず、そのせいで練習しても上手くならないことにクルーの士気が下がってしまうことも多々ありました。結局東北戦まであまりクルーのまとめ方や練習方針の立て方が確立できなかったと感じています。

 インカレのクルーでは対校4+のクルーキャップになり、クルー作りについて深く考えるいい機会になったと思います。僕はクルー作りで一番大事なことは意識を統一することだと考えています。意識統一のため、クルー全員が狙いの重要性を認識すること、ローイングイメージをすり合わせることの2つを特に大切にしていました。

しかし茨戸の練習ではいろいろあり、正規クルーで練習できたのは1か月半のうち半分くらいでした。コックスがいない時は付きフォアの船でなしフォアで練習したり、漕手が欠けた時はペアに分解して一人黙々とエルゴを漕いだりして試行錯誤していました。クルーの課題が山積みでタイムも芳しくなかったことから、かなり焦っていた時期でした。戸田入りしてからも練習について思索を重ねました。残り数スタンバイの中で疲れを溜めずに完成度を高めるには何をすればよいか、レースが始まってからもレースプランメンバーで話し合い、A決勝前日まで突き詰めました。レースをするたびに成長することができたのはこのような背景からだと思います。

レース期間はプレッシャーと気持ちの昂ぶりから寝付けない日が続いたものの、周りから支えられたことがかなり精神的な支えになりました。スタッフはもちろん、チーム全員に一身に応援されて、存分に自分の漕ぎをすることができました。改めてありがとうございました。

蹴りだしてこんな大勢に応援されたらプレッシャーも吹っ飛んだ。

 

インカレで準優勝して、一番嬉しかったのは周りの人が泣くほど喜んでくれたこと。応援してくれた人が涙を流す姿を見たとき、ボートを漕いできて、そして日本一を目指して努力して良かったと心から思いました。僕は2年前に憧れたような、自分を信じぬいて漕ぎきる、そんなボート選手になれただろうか。

僕を応援してくれた沢山の人と涙を流して喜びを噛みしめることが出来た。

 

最後に

インカレで良い結果を出すことができたのは、先輩や後輩から受けた刺激が凄く大きかったと思います。OBの人たちがインカレで泣いて喜んでくれたのは、次の世代に勝ってほしいとそれだけ願っていたからからだろうし、僕も入部した時からそんな先輩たちの思いをひしひしと感じてきました。だから強くなれたし、ボートそのものが楽しいと思えました。思う存分に練習できる土日が僕の最大の楽しみでした。これまで関わってくれた全ての方へ感謝申し上げます。

僕にとってはボート部で過ごした全ての瞬間がかけがえのないものだった。そう思わせてくれる場所だった。

 

次の世代へ

日本一になったわけではないので、僕としては満足していません。日本一になることができなかったのは日本一になりたいという執念が足りなかったからです。僕の代は自分たちの可能性を信じ切ることができず、日本一を想像する事すらできませんでした。でも今は「超戦」という素晴らしいスローガンを掲げ、自分の可能性を広げられる最高のチームになっていると思います。

そして君たちは自分の夢見る世界に向かって努力し、困難に立ち向かう力があると感じています。夏に女子が練習時間前に集合して練習を始めていることに驚いたし、Slackを見ていても反省の言語化能力が大幅に上がってきていると思います。きっと君たちなら日本一を成し遂げてくれると信じています。

 

最後に、自分がどうなりたいかは自分が決めることです。それは日本一でも世界一でも何でも構いません。君たちはどんな姿に憧れ、どんな夢を見ますか?君たちが夢見る世界を、いつか僕にも見せてください。

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充実!大満足!大好き♡

2025-01-27 16:55:46 | 2024引退ブログ

お久しぶりです。4年目増田友姫です。

引退ブログ、遅れてすみません。というか遅れるつもりでしたm(_ _)m  引退してから研究を根詰めすぎ、また11/30と1/9にでかいテストがあり、とてもブログを書く時間がありませんでした。

ミスってボート部の方に入れちゃった.... 当日これをみて元気もらいました。


テストが終わったら書こう、同期の中でビリだろうと思っていたけど、あれ?みんな生きてる?笑  

というわけで、他3人みたいな熱いブログや読み応えのあるブログをかける自信は全くないので、暖かい目で読んでくれると嬉しいです。

※文章に自信はないので写真多め ※約17500字

 

とりあえず私の4年間を紹介させてください!読み返してみたらほぼ自己満でした笑
休憩しながら読んでください、あるいは2年インカレあたりから3年目のところだけでも可です。

 

1年目
運動神経はないものの体を動かすことは好きなので、運動部。そして授業の後かつ18時以降の運動は考えられなくて、元々朝型であったこともあり、朝部活。


最初はキャッチボールとか投げることとかが好きなので、ソフトボール部が気になっていました。そこは男子部だけど、今年から女子も受け付けるというような感じで何回も練習に行ったし、先輩にもよくしてもらいました。他にもう一人でも女子の同期が入れば入部しようと思っていました。でも結局入部してきたのは経験者だったり、他大学だったりで、うーーんどうしようと思っていたところ、韓国語のズームの授業で、大向に出会いました。読み練習をした後解散してもいいしおしゃべりしてもいいし、みたいな感じで、大向が積極的に話を広げてくれたことを覚えています。そこでボート部の存在を知り、朝型!いいやん!という事で、自転車で茨戸まで行き、少し遅刻して新トレ伊藤さんに注意されるというところから、私のボート人生は始まりました。その頃既に6月末?くらい。もう新歓は終わっていて、普通に練習に参加させてもらったり、度々ブログに登場する和田さんにゴムモーターのせてもらったりしました。後日入部したあとに和田さんに「あんなに嘘ついたのによう入ったな」みたいなこと言われて頭の中はてなでしたが、何が嘘だったのかいずれわかるようになります笑 (雨が降ったら練習はないとか、部費も安く見積もられてました笑)

ソフトボール部の入部に3ヶ月くらい悩んでいたくらい私は優柔不断なので本当はもっと体験してから決断したかったのですが、3回くらい体験に行ったら「もうそろそろ、ね?」みたいな雰囲気を感じてきました。今思えばボート部に入部できたのはその圧のおかげであるかもしれません。いつまでも優しく待ってくれていたソフトボール部ではなく、ちょっと厚の圧あるボート部が勝ちました。


入部しようと思ったきっかけは皆のようにかっこいい理由ではなく、
・朝型いい!
・週6で活動できるなんて暇にならない!
・茨戸に泊まれてご飯食べれるなんて楽しそう!実家暮らしだったので外に出たい憧れから。(茨戸泊することは一度もなかったけど)
くらいですかね!自分の大学生活がボートに侵食されるなんて想像もしていませんでした。

1年目はコロナで活動が少なかったり、同期で遊んだりするのが楽しかったりで、特にボートに関する面白い話はないので割愛。
あ、1年後期からパン屋さんでバイトを始め、売れ残りは好きなだけ持ってかえれるので、えぐいほど食べまくって、60kg超えたことは笑い話にしてください。冬練前は40kg代。

カップルみたいな千里とジャガー

 

憧れの野田あきらさんと、まさかの新人のときに乗艇していた。

 

 

2年目  
特にボートが好きだった訳では無いけどとりあえず練習していたと思います。
新歓期、誰もが陥るボートやめよう時期に突入します。バイト先の人員不足によりめちゃめちゃ駆り出され(時給890円で月9万弱稼いでた)、新歓で時間は溶けていき、ボートのこと好きじゃないのに朝起きないといけないし。一度玉川大向増田で一揆を起こして無断欠席。当時女子主将福政さんに怒られ、ダブルに乗ってくれると言ってくれていた珠美さん、そして納谷に呆れられました。みんなで休もうと提案した自分を責めたけどボートに対する気持ちも分からないし、ただただ辛くて、トイレで泣きまくり、初めて過呼吸になったのを覚えています。確かこの時期は千里に助けてもらい、何とかやめずに続けることにしたと思います。


あとは4月、漂流事件が起こりました。強風によりシングルで中島まで流されました。漕いで戻らなきゃと思うけど、波が高すぎて漕げなくて、どんどん船の中に水が入っていき、このまま沈んでしまうのかと怖かったです。医学部のシングルも一緒に流されていたので、中島に上がって助けに来てくれました。ぐるっと陸を回って駆けつけてくれた橋本さんの姿をみて安心したこと、そしてこれからも楽しく元気に漕いで欲しいと励ましてくれたこと、今でも覚えています。私のボート人生において「元気に楽しく漕ぐ」がモットーになりました。

 

でもしばらくし早くもボートやめよう時期パート2に入ります。
薬学部に入ってテストの山が訪れる7月頃、部活<勉強に気持ちが偏り、やめたいやめたいと思っていたそんなある日。ダブルのリギングだけで1スタンバイを終えてしまい、練習を終えた福政さんからもらったお叱りの一言により、もうやめようと心が折れました。泣きながら自転車で帰っている途中、玉川が後ろから声を掛けてくれ、一度は追い抜いたものの、コンビニでチョコを買って待っていてくれたことを覚えています。でももう私の気持ちは固まっていました。
ですが、どういう訳か3週間ほどの休部を経てまた戻ってくることになります笑
確か同期に何を言われても意思は固かったのに、久我さんによる1本の電話により部に戻ることを決めた気がします笑
勉強したり、他にやりたいこと探したりしてみたけど、結局やりたいこともないし、ただ寝る時間が遅くなるだけだし。あと2,3時間早起きするだけで何かしらの活動ができるなら、そっちの方が魅力的じゃない?と思ったのかな?


その頃インカレで珠美さん(当時4)と同期とクォードに出られるというありがたいことになりました。

スマホを持ったまま海に入り心配する玉川をよそに楽しむ他3人。

 

このインカレ期間を経てからボートに対する気持ちが変わってきたように思います。
これが本格的にクルーを組み、レースに向けてクルーをつくる初めての経験でした。
へなちょこ2年目3人を指導しなければならない珠美さんは想像も絶するほど大変なことだったのだろうと、4年間ボートに関わってみて改めて思います。私たちはボートの技術はもちろん、部員としても未熟者すぎました。

珠美さんのボートに対する姿勢、練習に対する向き合い方からは多くのことを学びました。練習の意味、狙いの意味、クルーの意味など。それまではただ漕いでいるだけだったけど、この時期を機に、なぜ狙いを決めて練習するのかやその狙いに対するフィードバックの仕方などを理解出来るようになったと思います。上手く言えないけど、新トレからはボートの基礎を、珠美さんからは漕手の基礎を教えてもらったような気がします。
しかしコロナのクラスター発生により、珠美さん最後のレースを一緒に完遂することはなく、終わりました。珠美さんと銭湯で組み合わせをみて盛り上がった後、会館に戻って奥田さん(当時4)に抗原検査を頼まれた、このなんとも表せない喪失感は忘れられません。

 

この気持ちを新人戦にぶつけるしかないと思っていました。珠美さんも手伝いにきてくれるとなり、珠美さんに成長した自分をみてもらいたい、その気持ちが大きかったです。でも大向とのダブルは上手くいかないことばかりでした。上手くなりたい、強くなりたい、という気持ちはあるのに。いや、今思えば、自分が上手くなることしか考えていなかったという簡単な話でした。ボートに対する解像度は上がったものの、お互いまだ部員としては未熟で、お互いストレスを貯めたままレースを迎えてしまいました。涙を流しながらの蹴り出し。自分が珠美さんに見せたかった姿とはかけ離れた姿を見せてしまいました。
人生で一番大きな、仲間との衝突でした。


足が長く見えるアングル、二重顎防止済。

 

 

続きまして、ボート競技に対しては高いモチベーションのまま2年冬シーズンを迎えました。
有酸素もウエイトもちゃんと決められたスタンバイ、いやそれ以上をこなしていました。思うようにATは伸びなかったけど、UTは着々と伸びていた時期でした。好きだったメニューは12kmUT。ave 2:30で1時間なので、55分くらいで終わってたはず。今はみんな90分UTとかやってるので大したことないメニューだけどあの頃の自分には達成感しかなかった。


そして春合宿、2年目である自分たちも積極的に関わり、3週間という激長合宿を行うことができました。3週間も他人と生活することなんてないですよね笑 本当に色々なことがありました。私は免許もなかったので買い出し班になることもなく、最初の10日くらい勘八峡の施設に缶詰め状態でした(全然苦じゃなく、むしろボートだけやっていて大満足でした)


最初は5日くらい玉川とダブルだったのですが、初めて玉川と喧嘩しました。バウである私は後ろを気をつけているのに、整調玉川はブラインドローをしている、こうしたいああしたいってことがあるのに上手くいかなくて玉川に当たってしまう、玉川の性格上思うことがあっても場の調和を優先してあまり口に出すことはしない、などでぶつかりました。ちゃんと話して仲直りして、より仲が深まりました。玉川がやらかして先輩に怒られて落ち込んでいた時は一緒にコンビニに散歩しに行きました。確かスイーツを買ってあげたのですが、これは2年目でチョコを買って待っていてくれたあの時のお礼の意味もありました。みなさん、私がピンクの帽子につけているおぱんちゅうさぎバッチわかりますか?それはこの春合宿の思い出として玉川とおそろいにしたやつなんですよ。


あとは名古屋大学との交流が真ん中らへんにあったのですが、疲労がピークに達していたり、名大のAMPM練の時間間隔が長すぎていつものリズムと合わなかったりで、自分史上最悪な顔をしてしまっていたような気がします。(ごめんなさい) でもここで庄内川に行けたことが、4年目のインカレエイトに繋がったような気がしています。

また高校からの経験者であるいずみさんと福政さんとの知識・技術の差にも苦しみました。私たちがもうすぐ3年目になるのに何も知らないことに呆れられ、正直先輩が怖かったです。今の後輩達はしっかりしていて技術があるので心配は要らないですが、先輩方が呆れるほど私たちは未熟者でした。

でもこの春合宿で小艇を漕ぎこめたことでいいシーズンのスタートを切ることができました。
そしてこの春合宿でトヨタの坂口さん(H22)にボートについてたくさん教えてもらい、またボートに対する視点が大きく変わりました。
この年のシーズンは坂口さんにたくさん相談することになります。

 

 

3年目
3年目シーズン(2年の冬練も含めて)はとてもボートにハマり、勉強や私生活よりもただひたすらにボートについて考えていました。※なので長いです。

そんな時、茨戸からの帰り道で自転車事故に遭うことになります。完全に自分のせいですが、頭から地面にたたきつけられた気がしたので死ぬかと思いました。ヘルメットが割れました。

⚠️絶対にヘルメットは付けましょう⚠️

この日は救急車に乗って脳に問題ないことを見てもらって、実習と提出しなければならないレポートがあったので午後は学校に行きました。でもその実習中に肩を動かすと激痛でした。耐えられなくなり、実習後に整形外科へ行くことにしました。整形外科での待ち時間、痛さとこれから漕げないかもしれないという悔しさで涙が止まらず、玉川にLINEして付き添ってもらいました。

その時の1枚。この体勢でしか歩けなかった。

 

そしてちょうど東北戦選考の時期であったので、選考に対してもナーバスになっていたし、メンタルは崩壊してしまいました。

結局選考を延期してもらい、無事に選考を突破し、福政さんと対抗ダブルを組むことになりました。この時福政さんとシングル1000ttは30秒差、格上福政さんとダブルを組むのは恐れ多いという感じでした。しかし福政さんはクルーとして対等に接してくれました。フラットをとるという土台作りから始め、福政さんのキャッチに反応できるようにしたり、ドライブが2段階漕ぎにならないようにしたり、確実に上達していたし、それを実感していたし、とても楽しかったです。クルーを作るとはこういうことか、と感じました。乗艇中も私がどう感じているのかを聞いてくれるので、私もたくさん考えながら漕ぐようになり、ボートに対して繊細な感覚を得ることができた期間になりました。また、乗艇時間を確保するため、乗艇に集中するため、メニューを完遂するため、あらゆる観点から練習に対する姿勢を学びました。ロングUTではペケの橋を超えた奥までの往復8kmをほぼ休憩なしで漕いだり、東北入り直前にやった1000m×4 のハイレートメニューでは息が合っていてすごい楽にリラックスして漕げたし、船が進んでいるのを感じれたり、しました。このハイレートメニューが終わったあとは思わずハイタッチをしてしまいました。この船が進んでいる感覚やハイタッチした瞬間は忘れられません。


東北戦では勝利することは出来なかったものの、前の年より差を詰めることができました。またレースプランや結構難しいコース取りについても福政さんと話し合って決めて、そしてプラン通りしかけられました。当日の漕ぎもよかったし、すごく達成感のあるレースとなりました。

 

 

この期間は本当にボートが楽しくて楽しくて仕方なかった。薬学部6年あるし、6年生まで漕ぎたいって本気で思ったし、後輩と乗る時はこうなりたいと思わせてくれました。福政さんからは色々指導を受け、怖いと思ってしまうこともありましたが、本当に感謝と尊敬の気持ちでいっぱいです。

バラレガ1位!蛇行しまくりだったけど嬉しかった。

この夏初めてトライしたずんだ。一番好きな食べ物になったかも。

 

そしてこの東北戦の時期はインカレ選考に向けて2000tt、8:05cutを達成した時期でもあります。
ベストは8:24 2年生12月に出したもので、そこから20秒ほどあげる必要がありました。その時木原と関という怪物がいたのでもしかしたら対抗にのれないかもしれないという気持ちと、8:05は切りたいという冬練からのこだわりがありました。この高すぎるとも思える目標を達成できたのはトヨタ坂口さんのおかげであります。
Slack「増田8分5絶対切るぞ計画」チャンネルを作り、自分でも「8:05切るぞ」ドキュメントで記録していました。計画を始めた6/5から、8:05カットできた7/15までのエルゴカットまでの軌跡であり、今読み返しても自分に感動します。一限があり乗艇後には時間がなかったので、集合30分前には艇庫についてATを少しでもやる。目標があれば朝起きることも苦ではありませんでした。エルゴについては安永が熱く語っているのでそちらを読んでください笑 1ヶ月という短い中でエルゴタイムを上げるために私がやった事はレートとDFを上げることでした。本番は初の試みで配信ttを行いました。漕いでいる時、苦しくなく楽に漕げたのでこれは絶対切れる、と確信しました。4Qに一度ハンドルを離してしまったのですが、それがなかったらもっとベストが出せたのかもしれないと思うと少し悔しいですが、そんなことより目標をカットできたことに大満足でした。たくさんの方がおめでとうとコメントをくださり、坂口さんにもいい報告ができ、嬉しかったです。


坂口さんにはこの期間どんなメニューをこなせばいいかや何を狙っていくべきかなど相談させていただきました。目標が高すぎて、近づいているのか不安になったこともあったけど、坂口さんを信じきることができたので突き進むことができました。後輩達も今後伸び悩むことや自分が目指してるものに近づけているのか、恐ろしく思う時があると思います。でもそういう時に何か揺るがない信じるものがあるのは大事だと思います。1人で抱え込まず、吐き出してみてほしいです。そういう時のためのコーチ、先輩、仲間です。


そしてまたこの東北戦、8:05カット期間は膝の痛みにも悩んでいた時期でもあります。普通に漕いでたので知らない人が多いかもしれないです。ボート以外に膝を使わないようにしていました。平日の午後希望者のみ乗艇練できる日も、タクシーを使ってリッチに茨戸から帰りました笑 本当に意味があるのか分からなかったけど、整骨院に結構課金しました。あとは部車にも乗せてもらいました。普通に練習しているのになんで部車乗っているんだろう?という視線も感じる時もありました。こういう時きちんと説明することから逃げてしまうのが私のだめな性格です。後悔ポイント1

 

あと夏休み、茨戸で開催された医レガに出て、初めてメダルをもらうことができたことも自慢させてください。

シングルは漕ぎこんでいなかったのでいい漕ぎとは言えなかったけども、大満足。

 

 

そしてインカレ選考を経て、いずみさん(当時4)、玉川、関(当時1)と対抗女子クォードに乗ることになります。

雰囲気がよかったのはおそらく関がいたおかげ。

いずみさんは実習もあり忙しいスケジュールで練習をこなしていました。ラストイヤーにかける思いが伝わり、その気持ちにこたえたかった。

けどこのインカレ期間を終えて、私は努力できていたと胸を張って言えませんでした。すみません。ここで猫をかぶる必要はないと思うので正直にかかせて下さい。エルゴ8:05カットして、対抗にのるというのが最終目標になってしまっていて、その時期よりインカレ期間が頑張れていなかった。初めてのクォードのバウで、全然漕いでいる感じがしなくて楽しくなかったり。ダブルの時は成長を感じられたし、ハードに練習して達成感まみれだったけど、クォードではただオールを水中に入れて出してるだけで、ttですら疲れなかったり。みんなと漕いでる感覚は違うから1人だけ取り残されてる感じがしたり。関とはレンジが違いすぎてどう合わせていいのか信じられなくなったり。そんな時8月上旬、レポートが終わらず、ttの日に寝坊してしまいました。クルーもこの日に準備していたし、迷惑をかけたことはもちろん反省していますが、明らか時間がなかったし、その時全然ボートをしている感じがしなったので楽しくなかったし。やっぱり薬学部とボート部は無理なのかもしれない。そう思いました。3年後期からは研究室に配属され、論文とか読まなきゃいけないし、研究室では夏休みはないと聞いていたし。このインカレで漕手は引退しよう。誰にも相談することなく、そう決めてしまいました。後悔ポイント2


そうして迎えた1レース目、みんなの漕ぎが全然合わず、コールできないくらいバウの私がやられてしまいました。でもわたし的には船が重かったからなのか漕いでる、水を掴んでいるという感じがありました。2レース目ではそんなことはなく、私個人は1レース目の方がいい漕ぎだったと思ってしまいました。詳しい時系列は覚えていないけど、その話を坂口さんにした時にバウは気持ちよく漕がなくてよくて、他のみんなが漕ぎやすくなるようにするのが仕事だと言う言葉(一語一句はあってないけどニュアンスはこれ)をもらいました。


インカレ期間中坂口さんに相談できていたら、この言葉をもらえていたら、気持ちも楽になってボートに本気になれたらもしれない。後悔しました。自分が努力出来ていない自覚があったから他の人に相談できなかった。ましてやインカレ期間に。 
なのでこのインカレ遠征で新人と仲良くなってしまうのは後輩に悪影響だと思って、あまり話さないようにしてしまった。ラストシーズンを共に頑張るのはこの後輩達と大向であったのに、学校との両立やボート競技に対する熱量で悩んでしまっていることをしっかり話すことから逃げてしまった。この時に後輩のことをもっとよく知ろうとしていたら、研究室や勉強が忙しくても一緒に頑張れる後輩達だと気づくことが出来たかもしれない。3年目のこのシーズンで部活を辞めたいと、男子含め同期には相談させてもらって、席だけは残して来れる時に来ていいよみたいな立場にさせてもらったことはあの時の私ができたベストな選択であったことは間違いありません。でも女子部でそれを話し合うことから逃げてしまった。後悔ポイント3。これが一番大きい後悔だと思います。引退式の色紙で木原と入江がこの時期の足の筋肉がきれいだった、推しだったと書いてくれていて、全然そんなこと思ってくれていたなんて知らなかったです。確かに今思えばあの頃の自分むきむきだったなあ笑 MAX58kg。

 

 

4年目

結局中途半端な立場だったので、シングル艇が確保できなかったり、朝起きれなかったり、あまり顔を出すことが出来ませんでした。ですが、東北戦で新人女子クォードを出すために1人漕手を探しているという話があがり、新人とともに乗せてもらえることになりました。パワフルな新人女子達と一緒に練習ができてとても楽しくて、もう1回仲間と一緒に頑張ってみたいなと思えるようになりました。

1位の1。

 

そこでインカレ混成エイトの話を進めて、名古屋大学、名古屋工業大学、南山大学との混成エイトでの出漕が決まりました。みんな優しく一緒にレースできてとても楽しかったです。

夏休みは朝練して研究室行っての繰り返しでハードすぎましたが、ボートも研究もやりたいことだったので充実していました。3年目ではボート100で練習していて、4年目ではボートと研究合わせて100で過ごして、自分の中では全力でどちらも取り組みました。初めてのスイープを教えてもらったり、違うクルーで出漕する1年生も含めて練習したり、3年目とはまた違う視点でボートに関われて、結論としては良かったなと思います。


同期の銀メダルのお陰で忘れ去られていますが、一応私も花形のエイトでA決勝に進出しました。最終日は最後から2番目の大トリです。同期はメダル取ってくるし、自分も夢だったA決勝や賞状をもらえたし、うまくいきすぎています。一方で、女子対抗は思うような結果ではなかったかもしれないけど、全国で戦えるチームに化けることはできていました。あまりレースの結果にこだわっていなかったけど、同期のメダルをたくさんの方が祝福して下さり、やっぱり結果は大事なのだと実感しました。正直、私もあの時続けていれば、女子部に少しでも貢献できたかもしれないと思ってしまった。やれるところまででもやれば良かったなと。そんなことを思って私の4年間は幕を閉じました。

 

 


こうやって振り返ってみると私って意思弱、泣き虫人間ですね笑

そんな私でもボート部に入って、たくさん成長させてもらったなと感じます。

 

 

続いての第2部ではみんなへのメッセージを述べたいなと思います。男子にも書いたのですが、内容が薄すぎたので女子だけ載せます。ごめん、男子。

まずは1年目
今の1年目はとにかく仲がいいですね。その仲があれば何があっても大丈夫だと思います。部活を、ボートを、仲間と過ごす時間を、すべてを楽しんでいて、少し羨ましいです。来年の新歓ではそのきらきらした姿を見せて、たくさんの新入生をボート部に引き寄せてください。
そしてボートを楽しんでください。


東北戦とインカレ期間お世話になった女子3人へ。藤見は怪我で漕げる期間が他2人より少なかったけど、藤見の漕ぎは癖がなくて、新人には見えませんでした笑 そのセンスがあればもうあとは筋肉つけてでかくなって下さい。そらはスイープで逆サイドということもあってペアでも練習しました。ペアは難しいと聞いていたのに先輩とのってるのかってくらい安定していて、東北戦福政さんダブルのときに経験したくらい、気持ちいいときがありました。新人でそれが出来るってすごすぎ、才能の塊だと感じたので、これからも芽を咲かせ続けてください。鈴木はやる気根気があります。アドバイスしたことを吸収しようとしてくれる姿勢がすごい嬉しかったです。後輩が憧れるかっこいい漕手になると期待しています。

 

 

2年目

一條へ
全道で初生ローしてくれてありがとう。エルゴ差のある玉川関ダブルに勝てて嬉しかったのが、一條との一番の思い出です。今年のインカレでシングル練習している姿がとてもかっこよかったです。サーキットでは豊枝さんイズム、考え方とかは福政さんイズムを引き継いでいると感じているので、これから後輩に引き継いで欲しいなと密かに楽しみにしています。女子主将応援してます。

みんなとの写真を探すのは困難だと気付いたのでここで写真終わり。

 

木原へ
木原とはレースに出たことはなく、同じ艇で練習することは少なかったかな。今年の女子インカレクォードの代漕として何回か乗った時に、2年目とは思えないくらいフィードバックが的確で、繊細な感覚を持っていること、それを言語化できることに驚きました。水産でも、その知識、感覚をこれからも伸ばし続けてください。

関へ
ストイックに練習できるだけでなくて、質の高い練習をしていて、脳筋&頭脳派のどちらも兼ね備えているなと思っています。みんなが関に期待しているとは思うんだけどプレッシャーに怯えずに、のびのびとボートを楽しんで欲しいです。体調が悪くても、どこか痛めてても、有り得んスケジュールでも、誰が止めても、やると決めたらやる関は化け物です。みんなは真似しないでください笑 無理せず楽しんでね。

河田へ
会ったらゆきさ〜んって来てくれる可愛い後輩です。あと今年はたくさんお世話になりました。今までcox艇でクルーを組んだことがなく、バウとして先輩としてどこまで口を出したらいいのか迷ったりもしました。立派なcoxになっていて、なんだか少し嬉しいです。水産にいっても持ち前の可愛さで函館を盛り上げてください。

入江へ
朝からメイクばっちりでどこにそんな時間と能力があるのか不思議でした笑
髪色や髪型が変わったりするのも楽しかったです笑 スタッフさんの存在は漕手が頑張る糧にもなります。入江のために勝つんだと頑張ってくれる漕手達が楽しみです。

 

3年目

住田へ
住田はしっかりしているので、主務としての責任の重さに悩まされるときがあるかもしれない、けどそんな時は周りをみてみてね。同じ志をもっている仲間がたくさんいるから。その仲間に頼ろうと思えるかもしれないし、頑張ろうと思えるかもしれないし。主務は1人だけど、ひとりじゃないよ。

柳へ
2年目の春合宿、3週間も来てくれてありがとう。1年目1人で先輩だらけの合宿なんてゆきなら行きたくないけど、柳の面白さ全開で楽しかったです。またいずみさんと柳の掛け合い見せてください笑

    

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最後に


北大ボート部で過ごした約3年間は人生の中で最も濃く、かけがえのないものになりました。誰かに期待されて、応援されることがとても嬉しかったです。3年で1回部を離れた時に、江川前監督に4年目まで続けるからこそみえる景色があると言われたことを覚えています。うまく言えないけど、その通りでした。そのひとつの例が、応援してくれている人がたくさんいるということ。OBOG、社会人コーチ・監督、そして4年目まで続けたということは4年間分の思い出のあると同期と、3年分の思い出のある1個上1個下、2年分の思い出のある2個上と2個下…みたいに。自分らのボートを楽しみにしてくれている人がこんなにいるってことだけで心強いです。

後輩達には迷った時には1度周りを見てみて欲しいです。応援してくれる人、支えてくれる人、一緒に頑張ってくれる人がいる、それだけで幸せで、充実した大学生活になりますよ!

何回もやめようと思ったり、大学生活これでいいのか?と思ったりもしたけど、続けられてこれて本当によかったです。ボート部じゃなかったら違う人生もあったんだろうけど後悔はありません。何回か部を離れたから実感したけど、私にはキラキラ大学生よりも、頭おかしいくらいがむしゃらに頑張る方が性に合っていました。まだまだ未熟者だけど、ボート部に入り、スポーツとしてだけでなく、精神面でも鍛えられました。私を育ててくださり、ボートを教えてくださった先輩方、コーチ陣、坂口さん。どんなときも努力を惜しまない部員のみんな。雨の日も寒い日もモーターや陸監してくれて、長い長い退屈なUTも応援してくれ、動画を撮ってくれたマネージャーさん達。色々な人に支えられて漕手として続けることができ、とても感謝の気持ちでいっぱいです。

 

またわたしは嫌なことを話し合うことから逃げてしまう癖があり、沢山後悔と迷惑をかけてしまいました。なので話し合うことを恐れずに逃げないで欲しいなと思います。結局みんな目指してるしてるものは同じで、それに対する考え方が違ったり、時期によってめちゃめちゃやる気に満ち溢れている時期やまた時には無理かもって思ってしまう時期があったり、それが普通なのだと思います。

 


あと私が1年の終わりに薬学部か農学部かで迷っていた時に藤田さんからもらった考え方を紹介します。それは薬学部に入ったら勉強がハードで部活に集中できるか分からないというデメリットがあるのに、薬学部が気になっているのならば、それほど薬学部に魅力を感じているってことなんじゃないかという考えです。デメリットを感じながらもそれが気になっているのならばそれが本当にやりたいこと!
すごいかっこいい考え方で、私の人生のモットーになりました。みんなもなにかに迷った時に使ってみてください。朝3時台に起きなければならない、週1しか休みがない、そんな拘束されまくりのこの部活を続けているみんなは、この不自由なことをかき消すくらいの魅力をボート部に感じているから。文字に起こすとなんだか当たり前なんだけど笑


とりあえずこの長いブログで伝えたいことは、ボート部に入って充実した大学生活を送れたという事実と、それは決して簡単な道のりではなかったけど後輩達にも色々と乗り越えて4年目まで続けて欲しいという願いと、あとたくさんの方への感謝の気持ちです。
4年間、本当にありがとうございました。

 


本当に最後に。
同期ども!!誰よりも同期のことが大好きな自信があります。一生の仲間です。ありがとう、大好き!

3年インカレ打ち上げ

 

3年忘年会

 

4年インカレ打ち上げ

 

4年引退式

 

4年引退式後の二次会

コメント (1)

主将引退。

2024-11-01 02:40:47 | 2024引退ブログ

 

こんばんは、4年目の安永です。

決勝の日から2ヶ月近くが経ちました。いまや部活での数々の思い出が美化され、美しい物語として幕を閉じようとしていますが、どうしても拭いきれない想いや、伝えきれなかったことがいまだに残っています。苦い味ほど舌に残るものですが、いつまでも過去をふり返っている場合ではないので、全てこのブログで「引退」の言葉と共に成仏したいと思います。

 

 

ボート部の大部分を僕は漕手として過ごしてきました。ある意味で常に「主役」であり続けられたことは、自分にとってとても幸せなことだったと思います。ただ、競技する側として本当に楽しかったのは今年のインカレだけで、本当の意味でローイングを競技として好きになるまでにはかなりの時間がかかりました。

 

推し(S: Tom George B: Ollie Wynne-Griffith)

 

1年生の頃、自己紹介ブログにも書いてありますが、当時の僕は漠然と「強くなりたい」という気持ちでこの部活に入部しました。当時の僕は中高のころから周囲と自分を比較することが多く、特に、顧問から厳しく指導された経験を持つ部活動組は自分にとって強者に見えていました。だから何かしらスポーツをやって結果を残せば自信になるだろうという考えがぼんやりとありました。しかし、大学から始めて勝てるスポーツは限られていて、僕の中では最初からボートに興味がありました。当時主務だった和田さんの熱い言葉に惹かれて、試乗会で即入部を決めることになります。今思えば、同じ日に僕よりも先に勇気を出して入部宣言をした女子がいましたが、それがまさか運命の出会いになるとは思いもしませんでした。

 

漕手人生を振り返って思い出すのはまず「エルゴ」です。好きな人はいないと思います。北大ボート部は冬漕げないので、尚更エルゴと向き合う機会が増えるわけですが、あの心肺を限界まで追い詰めることのできるマシンを忘れることはできないでしょう。昔から、持久力には少し自信がありましたが、それでも心臓がちぎれるまで追い込む2000mTTなんて地獄で、常に恐怖でした。

 

今でも覚えているのですが、冬練のとき、どうしてもキツいメニューをやる日に漕手以外スタッフが来ない日があって、気持ちが萎えてしまった僕はジャガーに応援をお願いすることにしました。突然の要望に来てくれないかなと思いましたが、ジャガーは律儀に来てくれて、へバっている僕に檄を飛ばしてくれました。ジャガーはその日だけ来てくれれば良かったのですが、次の週も、そのまた次の週も欠かさずに応援に来てくれました。当時まだコロナでマスク等の期制が厳しかった中で、来る必要もないのに応援しに来てくれる同期の存在はとても貴重でした。その頃からジャガーのスタッフ魂みたいなものを感じていましたが、2年生になってからも、その魂は健在で、ずっと冬練のクソ退屈なUTを見守ってくれたし、動画も撮ってくれたし、高校時代の漕手の経験も活かしてアドバイスもしてくれたし。どれだけ感謝しても仕切れないくらいの気持ちです。冬練のときは本当にありがとう。

 

新人期間のエルゴタイムを振り返ると面白いもので、初めての2000mTTのタイムは7分27秒でしたが、翌月のTTでは7分18秒、更に年末のTTでは7分08秒と短いスパンで確実にタイムを伸ばしていました。こうやってタイムが伸びるとキツいエルゴもモチベーションが爆上がりするのですが、問題は伸び悩んだときです。

僕が最もエルゴに悩んだのは、最高学年のシーズンでした。同期3人の中でエルゴベストタイム最下位の僕が偉そうに語れる分際ではありませんが、それでも僕がエルゴにどうやって向き合ってきたか振り返ってみようと思います。ここではTTで失敗した例をいくつか紹介することにしましょう。

まずは3年目の冬。当時の僕は練習で出すエルゴタイムは誰にも負けていませんでした。1時間UTのタイムが明らかに伸びたことに加えて、500m×6のタイム、12分エルゴのタイムどれに於いても過去最高のタイムでした(シーズンが始まってから冬練で出したタイムを超えることが出来なかったくらい、最も調子が良い時期でした)。その頃エルゴが一番回るのは小方だったので、僕は小方に勝つことを目標に6分40秒カットの目標を打ち立てました。

しかし、当日は思うように体が動きませんでした。いつも短漕で楽々と1分40秒ペースで漕ぐことが出来ていたのに、いざウォームアップで漕いでみると何故か出ない。しかし、自分が決めたプランを変更したくなかったので、そのまま本番に挑みました。結果は、ベストタイムから2秒落ち。ペース配分を完全に間違えて、頭では必死で漕ごうと思っても思うように体は動かず、後半はガス欠でした。一方で練習では確実にタイムが伸びていたのにもかかわらず、本番では何も変わらない現実に打ちのめされました。

このままでは終われないと思い、後日納谷に見守られながらリベンジTTを敢行しましたが、途中から気力がなくなり、完全に失敗に終わりました。そのころからエルゴに対しての自信がなくなってまた恐怖心が強くなっていました。

 

続いての失敗例は最後の夏、8月末のTTです。これはブログにも書いたので省略しますが、リベンジTTに向けて乗艇練習の合間にこそこそと1000mエルゴを何発か引いていました。正直に言うとタイムは満足いくものではありませんでした。練習後の補強でやっていたためかも知れませんが、500mのラップタイムを1分40秒でキープするだけでも精一杯で、レートを上げる以外に選択肢はありませんでした。そのため、自分が現状出せるペースは前回のベストタイム程度だと考えていました。あとは1秒でもいいからベストは更新したいと思っていました。

当日はリベンジTTをやることを誰にも伝えていませんでした。自分だけで完結させるつもりでした。オフ明けの乗艇前、これしかチャンスはないと思い、ハンドルを握りました。結局大勢の人に応援されながらエルゴを回しましたが、500m過ぎたあたりからまたコンスタントへの恐怖心が出てきて、急に漕ぎが弱くなりました。コンスタントは結局目標のペースよりも2秒遅く、得意のスパートで巻き返しを図るも最終的にベストタイムには届きませんでした。皆が「ああ、やっぱりそうだよね」という感じで去って行くのが哀しくて、虚しかった記憶があります。インカレ前に何も成長していない自分がとても情けなく感じられました。

 

これらの例はあくまで一部で、何回もTTをやっているので、多くの漕手がそうだと思いますが、何回もベストを出せずに悔しい思いをしているし、その分何度もベストを更新してきました。特に自分の場合、弱点はコンスタントにありました。逆に、スパートは大の得意で、コンスタントさえ決まれば後は勝ちでした。500m過ぎたあたりからベストを出せない原因は何か。僕は以下の通りだと考えました。

  • 自分が漕ぎきれるペースを理解していない
    • 自分が目標としているペースに自信がない
      • それゆえ本番では目標のペースと現実で出せるペースが乖離している

まず、最初の失敗例からもわかるように、自分が漕ぎきれる2000mTTのペースは必ずしも練習のベストタイムに比例しない、ということです。逆に、練習であまり伸びていなくてもTTで伸びることだってあります。なので、自分が漕ぎきることが出来るペースを掴むことは非常に難しいです。だからといって、自分が楽に漕げるタイムを狙いすぎるとベスト更新にはつながりません。ではどうすれば良いのでしょうか。

僕がこれらの失敗例から次のような教訓を得ました。

まず、TT本番は常に最良のコンディションとは限らないということ。だから、できる限り定期的に同じATメニューをこなしておくことです。

ベストを狙うならコンディションを整えるのは当然のことですが、それでもコンディションは大きく変化します。なので、練習で出た「ベストタイム」は決して参考にしてはいけません。ATトレーニングは基本的にキツいメニューなのでくり返しやりたくないのは事実ですが、同じタイムを別の日のコンディションでも出せると信じるためには、再現性をとることが必要になります。なので、1回やったタイムではなく、同じメニューで複数のタイムを参考にすることです。ここで1つ注意しなければならないのは、半年以上前のタイムは参考にならないということです。TTはそんなに短期間で訪れるイベントではないので、TTに関わらず定期的にATメニューをこなしておくことがポイントです。これはガムシャラにATメニューをやりまくればいいという話ではなく、高頻度である必要はありません。自分でなにかTTに向けて参考にするメニューを決めてそれを最低でも月に1回はやるなどと決めておくと、TT前だからといって焦ることはなくなります。また、定期的にATメニューを行えば、それなりにキツいことをやるメンタルの耐性もついてくるはずです。そして実際にそれらのタイムから自分が出せる最適な2000mTTのコンスタントペースを割り出すのです。メニューのタイムからコンスタントペースを割り出す明確な計算方法はありません。なので、自分だけでなく、周囲のデータも参考にすることです。もちろん、余りにも体格差を考慮しないで参照するのはよくありませんが、自分の身長と体重も考慮して、いろんな先輩の過去の記録を見たり、コーチに相談したりすることが成長への近道だと僕は思います。

一番良くないのはこの日にTTやるからといって、あわてて数週間前からATメニューをたくさん回して、1回きりのメニューだけで自分の状態を把握しようとすることです。僕はほとんどこのやり方でTTに臨んでいたので、理想の高いプランを立てて、タイムが伸びなくてもその時のコンディションが悪かったからだと言い訳していました。しかし、今思えば、もっと定期的にATメニューを行い、過去の蓄積から冷静に自分の出せるタイムを見極めて、プランを立てるべきだったなと思っています。

練習の記録からある程度自分のペースを割り出すことで、自分が漕ぎきれるペースをある程度理解することはできます。しかし、それだけでは不十分です。僕の2つ目の失敗例では、TT前に複数回行ってきた1000mエルゴタイムから自分がベストタイムと同じペースで漕ぐことはできると理解していたにもかかわらず、途中で自信を失ったがために、ベスト更新を逃してしまいました(もちろん、そもそもペース配分を理解できていなかった可能性もあります)。

この事例から言える2つ目の教訓は、自分のペースを理解するだけではなく、実際に同じ強度で漕いだときに漕ぎきれる自信をもつことが必要だということです。

自分のプランに自信を持つためには、なるべく本番の強度に近づけたトレーニングをする必要があります。例えば、1週間前にTTを一人でやってみたり、B4を漕いだり、1000mを漕いだりするなど、人それぞれやり方が異なります。自分の場合、成功例は多くないですがTTの強度を再現することで自信を付けるタイプだったので、TT前に一人で2000mTTを敢行することもありました。3年目の東北戦選考の時は、1週間くらい前に2000mTTを行って6分50秒をギリギリでカットし、本番では6分47秒でフィニッシュし、ベスト更新したのを覚えています。

このように、自分の漕ぐことが出来るペースを理解し、そのプランに自信を持つことが出来て初めて、ベスト更新が見えてきます。僕は1年生の頃からタイムを40秒以上伸ばしてきましたが、ベスト更新したTTの多くは、現実のペースがプランにマッチしているときでした。ペースを理解しないまま根性で押し切ろうとしたり、逆にペースを理解していても、キツいところを乗り越えるメンタルが弱かったりすると、上手くいきません。振り返ればガムシャラに何の考えも無しに練習をこなしてきた自分に対して、もう少し頭使えばよかったな、と思うことは山ほどあります。でも、最後まで諦めずにエルゴに向き合ったからこそ、最後の表彰台に結びついたのかもしれません。

 

さて、かなりエルゴの話が長くなってしまいましたが、漕手としてエルゴと同じくらい重要なことは乗艇練習です。乗艇技術について偉そうなことはなにひとつ言えませんが、今まで組んできたクルーの思い出は沢山あります。

僕にとって大きなターニングポイントは2年生の夏、インカレクォドルプルのクルーに選ばれたときでした。当時、僕の新トレだった伊藤悠哉さんがクルーキャップで、かなり厳しく指導された記憶があります。今思えば、修士2年の先輩が僕と千里の2年生2人を指導することはかなり大変だったと思います。今でも覚えているのは、僕がバウに乗ったとき、漕ぎについて行くだけで精一杯で後ろを見る余裕がなく、ペケレットの曲がる地点で後ろを見ずに逆漕しかけて怒られたことです。当時の伊藤さんの練習に一切妥協しない姿勢は、後の自分に大きな影響を及ぼしたと言っても過言ではないと思います。乗艇距離は絶対で、ノルマが達成出来なかったら陸に揚がってからもサーキット、体幹、懸垂・・・などなど。 上級生の中でもトップレベルのハードワークで頑張りましたが、結局、インカレはコロナの影響で棄権。伊藤さんの引退に華を添えられなかったことは非常に残念でしたが、大西さんたちが成し遂げたインカレ入賞という革命は僕の中で大きな希望でした。しかし、その喜びを現場で分かち合うことはできず、ホテルの一室で無限に出てくる咳とともに苦しみました。

 

2022年9月男子クオドルプル予選

 

療養していたホテルから見たスカイツリー。いまだにこれを見ると思い出す・・・

 

インカレでの無念を晴らすべく、奮闘したのが新人戦でした。レースについてはブログに残してあるので、そちらを参照していただきたいと思います。かなり記憶が美化されているので、あまりちゃんとしたことは覚えていませんが、最初の予選で僕が臆病で足蹴りを入れなかったところに、後ろから千里がたくさん足蹴りを入れてくれたことを今でも覚えています。普段斜に構えて面倒なヤツだと偏見しか持っていませんでしたが、レースで魅せたアツい一面に心動かされました。。あのときの足蹴りは今でも感謝していて、敗復で攻めたレース展開ができたのは後ろから千里が支えてくれたおかげでした。あのときは本当にありがとう。

 

レースでは悔しい思いを味わった一方で、新人戦の運営面でもかなり自分の無力さを痛感することになりました。当時は僕が2年目の代表という立場でしたが、実際に運営の切り盛りをしていたのは納谷と上野さんたちでした。当時から納谷の責任感の強さと行動力の高さはかなり相当レベルの高いものでした。代表者会議をすっぽかして、ブレードカラー不統一にあたふたする自分と比べて、テキパキミーティングをこなす彼女の存在は、まだ何も知らなかった僕にとって、自分よりも遙かに強く、優秀な存在に見えました。このころから、リーダー格としての納谷を自分と比べることが増えていました。挙げ句の果てには、主将は自分じゃなくて納谷が務めた方が良いのではないか、とすら思っていました。

 

話が少し逸れてしまいましたが、新人戦が終わってからはスイープを漕ぐ機会が増えました。スカルを漕いでいた頃はまだ良かったのですが、スイープを漕ぐことになってからある大きな壁にぶち当たることになります。初めからそうだったのですが、僕にとって重要な課題は、自分が漕ぎづらい環境下におかれたときに、上手く対処できないことでした。乗艇練習ではよく「リラックス」を意識しますが、僕はそれが非常に苦手でした。常に力が入っていないと思い通りに体が動かせないと勘違いしている、典型的な運動音痴だったのです。そんな僕にとってクルーに合わせることは何よりも難しいことでした。なので、「自分が気持ちよく漕げないから合わせられなくて当然だろ」という考えの方が大きく、こんなに必死で頑張っているのに気持ちよく漕げないのはなぜ?と不満を顕わにすることが非常に多くありました。自分の技術に自信があれば、漕ぎにも余裕が生まれてくるのですが、下手クソな僕はその余裕がありません。でも、クルーでそろえることができないと重たいし、漕いでも漕いでも良くならないし、不満は募るばかり。その不満はいつしか他人に向くようになっていました。

去年の夏、3年目のインカレのシーズンは一番クルーに迷惑をかけた時期でした。

 僕は付きフォアに乗ることが初めてで、バウを担当するのも初めてでした。怪我を乗り越えて勝ち獲った対校の座だったからこそ、初めはとてもワクワクしていました。しかし、その期待もつかの間、バランスの取れない付きフォアで様々な苦労が待っていました。そう、気持ちよく漕げないのです。当時自分は東北戦を経験したことで、それなりに上手い選手だという自惚れがありましたが、エイトの安定したバランスでできていた漕ぎは、付きフォアでは全くできませんでした。付きフォアは当然ですが4本のオールしかないので、8本のオールでバランスを誤魔化すことはできません。上手くリラックスなどできず、UTは重たいし、ふらふらするし、技術は狙えない。バウだった僕は積極的に声を出して今まで得た経験や自分の感覚だけを頼りに、こうすれば上手くいくと思ったことをできる限り実行に移そうと考えていました。そしたら後ろから飛んでくるコールは何故か自分が思ったことと全然違う。背中合わせで違う方向を向いているだけで、思った通りのコールが飛んでくると思ったら違う。違和感で済んだら良かったのですが、上手くいかないときほどその違和感は大きくなり、感情に表すことが増えました。なぜキツいことをしている漕手のことを分かってくれないのか?漕いだこともない人間に技術の何が分かるのか?自分が気持ちよく漕げないことを分かっているのか?手探りで、漕いだこともないからこそ積み重ねてきた納谷の努力を知る由もなく威圧的な要求だけして、COXを育てることはしませんでした。様々な感情をごちゃ混ぜにして自分から壁を作っていました。しかしそれのせいで、他のクルーにも、特に千里には沢山迷惑を掛けました。人のミスを指摘したり、出来ないことを責めたりすることは簡単でした。でも僕はこのインカレ期間で、COXからの指摘を一切改善することなく終わりました。エントリーも、キャッチも、フィニッシュも。何一つ。

 

本当に、申し訳ありませんでした。

 

インカレで急遽代漕で出てくださった佐々木さん、ありがとうございました。

 

 その年のインカレはC決勝止まりでした。クルーキャップを務めた純大がレース後に言葉を失う姿は、見ていて辛いものがありました。悔しかったし、自分が起こしたトラブルに対する責任も感じましたが、何より、大西さんたちが成し遂げた8位入賞の偉業が、ずっと、遠くにあるように感じられました。誰よりもリスペクトする先輩たちに、こんな自分が届くのだろうか。そんな不安を抱えたまま代替わりを迎えました。

 

 代替わりしてからも、乗艇中にイライラしたり、自分の下手くそさに萎えたりことは沢山ありました。乗艇で上手くいかなかっただけで、練習後もあまり誰とも口をききたくないと思ったことなんて山ほどあります。本当に切り替えが下手クソでした。それでも、最高学年が雰囲気を悪くしてはいけない、自分を変えなければいけないということは分かっていました。

 それと同時に、段々ローイング熱が冷めてきたのもこの頃でした。主将になり、自分が何のために部活をやっているのか、何を目的としているのか明確な答えを出せないまま時間だけが過ぎていきました。自分は心の底からメダルを獲りたいと思って言うのだろうか?と自分の覚悟を疑う程でした。理想と現実の遠さを実感したからこそ、目の前のハードワークのキツさが「割に合わない」と感じていたのでしょう。ローイングを見る分には好きでしたが、自分が心からローイングを楽しむことは全くできていませんでした。

 

 最後のシーズンが始まり、東北戦ではクルーキャップを務めました。ヌルっと決まったのは今でも覚えています。自分が主将だから、大事なレースでキャプテンを務めなければいけない、というプライドだけが全てでした。春遠征の頃はガタガタだった艇もペアの練習を積んだおかげで、艇のバランスも良くなり、初めてのTTで6分10秒(強い順風だったけれど)を切って、東北戦勝利はもう目の前だと思っていました。

しかし、ある日のミーティングで出た発言を僕が一笑に付したことがきっかけで、一人の後輩の機嫌を損ねたあたりから雲行きが怪しくなり始めました。度重なる肋骨の怪我、体調不良、ミーティングの間延び、4年目の意見の食い違い、後輩との信頼関係のゆらぎ。当時小林(2)が「このエイトは楽しくない」と言っていたのを今でも覚えています。僕自身、クルーキャップとして急速に自信失っていき、方針決定ができない状況にありました。しかも、そもそもクルーのメンバーが揃わず、練習をこなすだけで精一杯でした。特にクルー変更をして7番に乗ってからは佐々木さんのリズムに合わせられないことに悩みました。悩んでいる側からエントリーが遅れている、1枚入っていないなどと澄ました顔で指摘してくるCOXにまたイライラし始めました。今思えば、あのとき自分が抱いている漕ぎの悩みをハッキリ話しておけば良かったと思うし、ここのキツいところで応援が欲しいと誤魔化さずに伝えておけば、なんてことはなかったと思うのですが、そういったことはせず自分が漕ぎやすいか漕ぎにくいか、今の状況が自分にとって正解か不正解かだけを考えていました。情けないクルーキャップだったと思います。「向いてない。」そう思って逃げていました。

 

 

インカレで結果残せたから良かったように見えてるけど、あのときは辛かった。自信がなくてクルーの誰にも頼れなかった。頼っているように見えても、自分が何とかしなければというプライドのようなものにしがみついて最後まで頼り切れなかった。

 

 

こうして迎えた東北戦、男子エイトは負けました。ただ、良いレースだったとは思います。田中や小林が一生懸命声を張り上げて後ろからサポートしてくれたことは今でも覚えているし本当に感謝しています。また、僕らよりも一足先に同期の大向がシングルスカルで大勝し、新人エイトも接戦を制して勝利しました。大向のSlackはよく見ていたのですが、孤独なシングルスカルを小澤さんと二人三脚で頑張っていることはよく知っていました。だからこそ、素直に同期が喜んでいる姿は嬉しかった。新人エイトの勝利も久々で、北大が負けっぱなしの時代は終わりを迎えつつあるなと思いました。

 

 

東北戦後、あることがきっかけで当時北大ボート部のテクニカルアドバイザーであった浅野さんに全てを打ち明けて相談に乗って頂きました。今でも覚えていることは、「相手にも親がいて、家族がいて、子供がいることだってある。そんな人に威圧的な口を利けるか考えたらいいよ」、と言われたことです。それをきっかけに、すこし意識を変えてみようと思うようになりました。恥ずかしながらタイトルだけ見てアンガーマネジメントの本を図書館で借りてみましたが、おかげで自分が感情的になったときに、その裏で自分が何を期待しているからムカつくのか?を考えるようになりました。また、相手を否定しないこと、まずは聞く姿勢を持つことも大事なんだと知りました。それで何か自分が変わったわけではありませんが、大きな目標のためには自分の態度を変えていかなければならないという気持ちは強くありました。

あのとき相談に乗って頂いた浅野さんには本当に感謝しています。ありがとうございました。

浅野さん(左)、後神さん(右)

 

 こうして、あっというまに迎えたインカレ選考では対校クルーにギリギリのタイミングで選ばれて首の皮一枚繋がったという感じでした。その頃にはもうまさすけが実権を握り始めていて、僕がしゃしゃり出る隙など一ミリもありませんでした。ある日、クルーで初めてミーティングを開いたときは自分がクルーキャップを名乗り出ようかと思いましたが、自分が今までのようにプライドに固執してクルーキャップになるよりは、まさすけをクルーキャップにする方が良いと思ったので、心の中にこびりついていた主将としてのプライドは捨てました。

インカレクルーを組んでからは、上手く行くことばかりではありませんでした。正規のクルーでまともに漕げる日は少なく、茨戸でのTTも数えるほど。タイムも6分40秒台前半で、このままインカレに出てもB決勝が関の山といったところでした。それでも、あることをきっかけに僕が成長するチャンスが訪れます。

ある日、僕が今まですっと悩んできたリラックスすることが苦手で漕ぎが固くなってしまうことをまさすけに思い切って打ち明け、どうすれば良いか尋ねてみました。そしたら、まさすけは一言、「ノーワークで漕げば良いんじゃない?」といって去って行きました笑。この言葉は余りにも衝撃過ぎました。乗艇中に手を抜くことは僕にとって許されませんでしたが、それでも乗艇中に力みが取れなくなったら試してみることにしました。

 実際試してみると、最初はうまくいきませんでしたが、段々改善の兆しが見え始めました。パドルの合間に手を抜くことは良くないと考える人が多いとは思いますが、僕にとって、手を抜くくらいがちょうど良くて、フォワードとドライブのメリハリを付けるためのいいきっかけを与えてくれました(※後輩はマネしすぎないで下さい)。おかげで、フォワード中はこんなに休んで良いんだと分かるようになりました。逆に、力み始めたら、フォワードのリラックス感を思い出すようになっていきました。乗艇中のバランスへの対応力も良くなり、漕ぎづらさも減ってきました。そして、戸田の予選前日にはかなり良いイメージとともに仕上がっていました。まさすけのぶっきらぼうな一言がなければ、ここまでたどり着いていなかったと思います。大感謝です。本当にありがとう。

 

最後のインカレはあっという間にやってきました。

 

どのクルーも例年以上に追い込んでいる印象でした。そんな中で、僕ら対校付きフォアのメンバーは誰一人、メダルを取れる100%の自信は無かったと思います。唯一の希望は何かをきっかけにこのクルーが「化ける」こと。ただそれだけでした。

 今年のインカレについては沢山の人が書いていることだと思うので、レースの詳細は省きます。ただ1つだけ、メダルを獲った大きな理由は何かと言われたときに、レースの前日に練った戦略にあったと僕は考えています。レース戦略を練る際には、他大学のペース配分やエルゴタイムなどの情報が非常に重要です。予選まではデータが少なく、相手がどこまで仕上げてきているかが分からないので、自分たちのプランで攻めるしかありません。しかし、予選を超えてからは違います。各大学のペース配分やスタートの速さ、スパートの掛けるタイミングが予選のレースから見えてくるからです。予選が終わったその夜、僕はかねてから納谷と約束していた、レースデータの分析を行いました(単にタイムをグラフ化して並べただけですが)。それを納谷のレースプランと細かく摺り合わせながら、どこでコンスタントに入るべきか、スタートの本数はどうするか、コールはどうするか、などといった具体的な対策を念入りに相談しました。これは予選だけでなく、毎レース、前日の夜に打ち合わせをしていました。おかげで、レース本番は何の迷いもなく、漕ぐことができました。こんな経験は全く初めてのことでした。このレースプランを練る時間は人生で最も有意義な時間だったと思います。納谷と組んで初めて上手く行ったレースでした。

 

決勝の日、僕は千里を自由に漕がせることだけを考えていました。自分の役目はストロークを支えることだと本気で思っていました。いつもだったら500m過ぎて「北大、出てるぞ!」のコールを信じることはできなかったと思いますが、納谷のプランを完全に信じ切っていたので、100%信頼して足蹴りを入れ続けました。僕は唯のCOXの指示に従うローイングマシーンでした。

今納谷が自分のCOXに対する評価をどう捉えているかは知りませんが、僕は納谷がいなければ、足蹴りを入れる余裕などありませんでした。間違いなく、北大ボート部80年の歴史が誇るCOXです。そしてこれからも舵を取り続けてください。

 

こんなクソみたいな漕手に、どんな辛いときも発破を掛けてくれてありがとう。

 

小林という次世代のスーパーエースと、最も信頼しうる同期3人が共に乗ってくれていたからこそ、初めてローイングを心から楽しいと思うことができるようになりました。インカレで化けたことで、やっぱりまだまだ自分は上手くなれるし、もっと速くなれると思えるようになりました。

 

感謝を述べたら切りがなですが、一緒に乗ってくれたクルーの皆、サポートしてくれた同期、大西さん、浅野さん、そして駆けつけてくれた野田さん、伊藤さん、先輩・後輩の皆さん。本当にありがとうございました。

久我さん(右)

都雲さん(左)

二人とも僕にとって憧れの主将でした。

 

 

僕はこのインカレを通して本当の意味で、ローイングが好きになりました。

 

 

振り返れば、これまで自分が主将になって抱えてきた、「自分が立てた目標を何が何でも達成したいと思えない」悩みについては、目標を達成したときに側にいる人がどんな気持ちになるかを明確に想像していなかったことが原因にあると思います。当時の僕は高尚な目的ばかり考えていましたが、「自分がローイング未経験でも活躍する姿を見せることで、自分のようにスポーツの経験が浅い人を勇気づけたい!」とか、「自分が代表になってローイング界を盛り上げたい!!」みたいなことは、口にすることは簡単ですが、だれしも最初から持っている訳ではありません。そんな漠然とした広い範囲の対象よりも、重要なことはもっと近くに目を向けることです。目標を達成した時に「自分の近くにいる人」例えば同期がどんな顔をしているのか、後輩がどんな目で見てくれるのか、お世話になった新トレや先輩方はどんな気持ちになってくれるのか。これを考えることが目標に向かって努力する1番の原動力になると考えています。身近な人のために頑張ろうと思うことで、チームのために頑張ろうと思えるし、そうやってチームのために頑張る人が増えることで、全国の舞台での結果に結びつくのだと思います。今年のインカレではそのことを強く実感させられました。

 

応援団のみなさんもありがとうございました!!

 

こうして、今までは主役として前線で戦ってきましたが、今度はチームのために後方から支援する番だと思っています。ここで宣言しますが、来年は新トレを務めさせて頂きます。1年生を育て、今流れる北大ボート部の上昇気流を止めることなくむしろ加速させていきたいですね!

 

何はともあれ、ひとまず3年半北海道大学ボート部にお世話になりました。

 

また来年もお世話になります。

 

 

 

漕手は引退しません

 

 

 

 

※引退ブログの投稿遅くなってすみません。

 

コメント

4年間のすべてに、感謝を

2024-10-29 01:17:09 | 2024引退ブログ

 

4年目の納谷です。

 

お待たせしました引退ブログです。こんなにお待たせしたのになんと同期で2番乗りですね!

 

大変遅くなりました!ごめんなさい!

書いても書いてもまとまらず、書きたいこともよくわからず、需要あるかしら?と思いながら書いていますが、お暇な人はお読みください。

長いです!!!

 

 

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まずはCOX編、COXとしての私の思考の過程を、関わってくれた人たちへの感謝を交えながらまとめていこうと思います。

COXって漕手と違って他のCOXを深く知ることが難しくて、「より強いCOX」とは何なのか、成長するために自分に何が足りないか客観的に考えることも難しくて、

私はずっと他のCOXが何を大事にして、どんな過程で成長して、どんなことを考えながら艇に乗っているのか知りたいと思い続けていました。

もちろん漕手から学べることもたくさんありますが、COXとしてのあり方に悩んだとき、他のCOXは似たような悩みを抱えているのかいないのか、乗り越えるためにどんなことをしたのか知れたらいいのにと思いながら黙々と悩み続けることも多かったです。

 

ということで、私と同じような悩みを抱えるCOXや、COXのことをもっと詳しく知りたいと思う漕手にほんの少しでも参考になることがあれば!という想いです。

COXって、COX自身の性格や一緒に乗る漕手の特性、チームの特性によって様々な正解があると思っていて、なので「あくまで私の場合」ということになります。

人によっては理解不能なことにも当たり前すぎることにも捉えられると思いますが、あくまで私の場合です(大事なので2回目)

大した人間ではないし今でも自分のCOXに自信があるかと言われれば微妙なところも多々ありますが、ボートを知らなかった気弱な人間がどのようにCOXと向き合ったのか、一つの過程を示すことができたらなと思います。

 

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1年目

 

まずそもそも私は、マネージャーとしての入部でした。

高校の部活で腰を壊したものの運動部の空気感が合っていたのでマネージャーのいる運動部、朝に弱いタイプだったので他律してもらうために朝練のある部活を探す中でボート部を発見し、試乗会で雰囲気に惹かれて入部しました。

コロナ禍でエッセンもなければ度々オンライン練習でしたが、ジャガーって人話しかけても反応薄いな~、そもそもなんでジャガー?などと思いながら一緒にマネージャーしてました。

当時スタッフ間では、納谷と奥田さん(H31)がモーターの日は沈が多いという噂があったりなかったり…

 

そんな中、新人戦でW4×+を出したいがCOXがいないということで、夏に新トレの伊藤さんと岡崎さん(ともにH29)からCOXやらない?と言われました。

正直COXのことなんて全然わかっておらず「難しそうだな~」くらいの感覚でしたが、1個上の女子漕手のお二人や同期の後押しもあり、わりと軽い気持ちで引き受けることになります。

新トレのお二人には引退直前までいろいろ気にかけていただきました。

 

ここで1回目の転機を迎えた私は、COXの活動をスタートさせました。

コロナで新人戦はなくなりましたが、同期女子4×+に乗ったり、同期男子8+に乗って早くもクルーがまとまらなくてオロオロしたり、ちょくちょく艇に乗り始めたところで納艇。

この頃何を考えていたかは正直覚えていないのですが、何を言ったらいいのかなとずっと悩んでいた記憶です。

 

 

 

同期女子とがっつり一緒に乗ったのはほぼこれが最初で最後でした。懐かしい

 

 

2年目

 

冬の同期大量離脱を乗り越え2年目になった私も、春まではスタッフとしてモーター免許を取ったりエッセン復活に関わったりしてました。

 

2度目の転機は2年目の夏に訪れました。

当時対校COXだった船山さん(H31)が今年で引退だから、その後の男子対校COXはどうなるんだ?納谷??みたいな雰囲気でしたが、自分自身は身の振り方に悩んでいました。

 

当時の私は、天候が悪くて女子が大艇を出す日だけCOXするという中途半端な立場でした。もっとCOXを頑張ってみたいという思いはあったのですが、悪天候の日だけ単発で乗る練習では磨ける技術も限られているし、反省を次いつ活かせるのかわからない状況が正直苦痛でした。

女子はスカルばっかりだったのでCOX需要がないのは当然でしたが、男子と関わるのもそんなに得意でなく怖かったので、男子艇に乗ることにも前向きになれず。

成長できないまま間に合わせのCOXを続けるのも居心地悪かったので、いっそスタッフに専念したいというのが本音でした。

 

勇気を出してそんな気持ちを久我さん(R2)に相談するもなぜか全く伝わらず、「俺は来年以降納谷に乗ってもらいたいと思ってる!よろしく!」という感じのことだけ言われて、ちょっと萎えました。笑

今となっては逆の立場の気持ちもわかりますが、相談した人全員に「当然やってくれるよね?」みたいな雰囲気を出されて、この部にいたいんだったらやらなきゃいけないのかな…と。

そんなとき、1年目の新トレだった都雲さん(H30)が親身に話を聞いてくれて、長坂さん(R2水産)からの言葉もあって、COXとして成長したいという気持ちに火が付き、頑張ってみようじゃないかと腹を括りました。

 

私が男子COXをするようになった経緯はこんな感じです。

 

 

成長の機会も与えられないままいきなり高いレベルを求められるのは辛すぎる!と新トレチーフうわのさん(H30)に直談判して、新人中心のオッ盾8+に乗せてもらうことになりました。

うわのさん最初めっちゃ怖かったし「本気で勝たせたいから正直お前じゃないほうが嬉しい」とまで言われ、渋られましたね…

それでも、このクルーに加えてもらえて本当に良かったです。

 

そしてこの経験から「下級生COXの成長できる機会を大事にしたい」という気持ちが芽生え、いろんな場で訴えるようになりました。それがちょっとでも今の後輩COXたちに繋がっていたら嬉しいな~と思ったり。

 

 

 

この期間はひたすら基礎を学んで吸収することに必死でした。

自分もド初心者でしたが後輩だらけだったので、どうすればみんなの集中力が続くかな、練習の質を高められるかな、と考え続けていました。

 

結果は敗復落ちで、初めての戸田に圧倒されて、初めて全国を知りました。

本格的にクルーを組んだのも、後輩男子と関わるのも戸田を回すのも全部初めてで頼りなかったと思います。下ドン9km遠漕も頑張ったね。3年目(この時乗って今残ってるの、小方と金谷しかいないね…)、西井、岩本さん吉田さん(ともにR2)、ありがとうございました。

 

その後新人戦にも、ほぼ同じクルーで出場しました。

 

 

準決勝に進出できてすごく嬉しかったけど、準決勝は歯が立ちませんでした。

COXの技術を磨けたのはもちろん、レースの奥深さやレース準備の重要性、レースに繋げるための練習とは何かを学びました。

内気で自己肯定感も低い私でしたが、新人戦を経て勝ちたいという気持ちが強固なものになりました。

 

うわのさんから褒められることは滅多になくて悲しかったですが、オッ盾と新人戦が終わった後にうわのさんから貰った言葉は全て、4年目の最後まで私を支え続けてくれました。

本当にお世話になりました。

 

 

オッ盾後すぐには、社会人のお2人、生純さん(R2)、玉川と一緒にW4×+で国体にも出場させてもらいました。慣れない1000mレースで調子が狂ってしまったり、全く貢献できた気はしませんが先輩方に温かく教えていただきました。

 

 

2年目の3つの大会を経て「最低限必要なことは一通りできる」レベルのCOXになりました。ここまではたぶん、教えてもらうことをがむしゃらに吸収していたら成長できる気がします。

 

この時私の頭は「COXとは常に冷静な司令塔であり、クルーを導くコーチのような存在であり、漕手からの信頼を得るために常に完璧でいて、常に弱音を見せてはいけず…」みたいなCOX像で凝り固まっていました。自分で調べた知識でしたが、絶対こうならなきゃいけないんだ!と自分にプレッシャーをかけ続け、艇庫でもずっと気を張っていました。しんどいなと感じながらも、自分は漕がずに指示を出すんだからこれぐらいの覚悟で当然だと思っていましたね。

 

 

そして、秋からいよいよ対校COXとして乗艇するようになります。これまでずっと「より上手く新人のクルーをまとめる」ことだけ考えていたので、上級生男子の空気感に戸惑いました。ぶっちゃけ同期も怖かったです。

自分より経験値の高い漕手から信頼を得るためには、まずは完璧なフィードバックをできるようにならないといけない!と思っていろいろ勉強しましたが、漕手経験もないので文字を読んだり動画を見たりするだけでは深くまで理解できず、浅い知識でコールして漕手を戸惑わせたりもしました。

漕手にフィードバックを求めようと思っても、求め方もアバウトだったので「COXのことはよくわからない、聞かないで」と言われることも多く、コーチとの距離感も今までよりかなり遠くなってしまって、行き詰まることが増えていきます。

 

 

3年目

 

そんな中で3年目になりました。完全にCOXになり、モーターに乗ることも稀になります。ジャガーに「同期マネいなくなって寂しい…」と言わせてしまい、非常に胸を痛めました。

歓送迎会や試乗会運営、大学の実習で余裕がなくなり、授業もバイトもパンパンで体調にも異変が訪れた蕁麻疹暴発期です。主務の仕事も肩代わりし始めて主務変更のゴタゴタもあり、正直COXに全力を注ぐ体力も気力もありませんでした。

突然重くなった責任、体調不良、馴染めない対校艇、結局中途半端にCOXしてる自分への苛立ちで気持ちはずっと苦しかったです。

 

 

残る気力を全部使って乗艇し、全日にも出場させてもらいました。

COXは休んだら首が飛ぶと思っていたし漕手も怖くて「体調悪いから休みます」と言えず、休んだら負けだと思っていました。今思えば、この頃の私にとって漕手は「一緒に戦う存在」というより「自分を評価する存在」でした。

 

それでも日々乗艇する中で徐々に対校の空気感に慣れ、艇の挙動への感覚も少しずつ磨かれていきました。

レースではスピーカーが壊れて何もできず虚しさだけが残りましたが、他団体の様子をたくさん観察して、強く刺激を受けた大会でした。

 

 

実はこの時部の短所ばかりに目が向いてしまって、全日が終わったら部活をやめようと考えていました。

でもゴール間近で1人で見た8+と4+の決勝でCOXへの憧れが再燃し、自分もああなりたいという気持ちを諦められず踏みとどまりました。

たくさんの先輩方にも救っていただきました。久我さん&岩本さん、橋本さん(H31)、激励会でお話させていただいた川勝さん、芹澤さん、都雲さん、ありがとうございました。

 

 

 

4月には低体温症になってしまい、多方面に心配をかけました。元々自分が耐えればいいやという脳筋素質が若干あるのと、自分の寒さで練習を止めては漕手の信頼を失う!という過激な価値観だったことが原因だと思ってます。

久我さんと安永を初めて本気で怒らせ、クルーに青ざめた顔をさせ、救急車に付き添ってくれた増田を泣かせて大反省でした。

 

 

 

いろいろあった全日期間が終わり、東北戦に向けて8+に乗り始めます。

この頃は対校艇には慣れたものの、自分が目指す方向性がぶれかけていました。

今までCOXが常に指揮をとるべきなのかなと思っていましたが、私より経験豊かな漕手がほとんどで、私に絶対的なリーダーシップを求めていない漕手が多いように感じていて、このままでいいのか悩みつつ、漕手に委ねることも増えました。

徐々に漕手といろんな話ができるようにはなっていましたが、もっともっと深く話すべきだったなと思っています。まだまだ1人で「艇の感覚を磨かなければ」という焦りに追われていました。

 

全日の反省を活かしてCOXに全力を注いだ期間で、勝つ想像もできていただけに結果はどうしようもなく悔しかったです。

ですが苦手意識のあったレース技術、航行・艇の挙動・艇差への意識を上手く両立させながらのレース運びに少し手ごたえも感じました。

 

 

そして、少しの自信とともに乗り始めたインカレM4+で大きな転機が訪れます。

その頃は漕手に自分の意見を否定されることが多かったので「とにかく艇の感覚の精度を上げなきゃ!」と焦りが大きくなり、練習中はひたすら「今漕ぎのどこが悪いのか」だけを考えてコールしていました。ある程度の感覚は掴めるようになっていましたが、さらに細部の感覚を身につけなきゃ!と必死でした。

しかしそれで漕手との関係がよくなるはずもなく、初めて漕手と大衝突します。

これをきっかけに、漕手は自分に何を求めているのか、練習中・レース中に漕手が何を考えているのかを知ることができ、今の自分に足りないのは「完璧なフィードバックを目指すこと」ではなく「漕手を気持ちよく漕がせること」だなと認識を改めることができました。

 

 

 

やっとかよ…!という人も多いでしょう。でも、漕手と深く話せていなかったり、自分に自信がもてないCOXではよくある現象ではないかな?とも思います。

ここで衝突して漕手の本音を知れて、本当に良かったです。

 

 

「漕手経験がなく先輩漕手と乗った経験もほぼない自分が、COXとして漕手に何ができるか。漕手がそんな自分と乗る意味は何か。」

 

対校艇に乗るようになってから引退まで、この問いを永遠に考えていました。

この時までは「努力して漕手を上回る知識をつけること」を目指していました。

でも漕手と話して、自分がコーチのように漕手に新しい感覚を教えることはたぶん無理だし、挙動の全てを1人で把握できるようになろうと焦る必要はないことに気づきました。

 

この時から私は艇の挙動に関して、自分がこれまで身につけた感覚を上手く使えたら、ひとまず及第点だと思うようになりました(もちろんコーチや漕手から新しい感覚を教わったり、漕ぎに結び付けられなくとも気になった挙動を伝えたりということは継続しました)。

今狙うポイント、これまで狙っていたポイントを適切な時にコールして、漕手が無意識下でもできるようになるまで思い出してもらうこと、

今自分がつかめる感覚を活かしたフィードバックができること、

シンプルにこの2つを意識して、それ以外のことは優先順位を下げました。

 

その代わり今まで以上に真剣に考えるようになったのが、どうしたら漕手を気持ちよく漕がせられるか、今漕手が何を考えているか、ということでした。

最も漕手にとってストレスなく艇を回すためにはどうすればいいか、どんな声色でどんな口調でどんな言葉を選んでコールするべきか、技術の指摘以外にどんな言葉を加えると効果的か、今この瞬間の漕手にかけるべき言葉は何か、乗艇中はひたすらそれを考え続けました。いつまで経っても正解はわからないし、最後まで至らないところも多々ありましたが…

 

このインカレを機に、目指す方向性が「漕手を気持ちよく漕がせること」に変わりました。

 

 

とはいえこの時は漕手に対する委縮の気持ちもまだあり、もともと人に強気なことを言えないタイプだったのでアツいコールは苦手でした。

 

そこでレースで2つのことを試した結果、クルーにコールを褒めてもらえました。

1つめは、これまでのメニューから漕ぎの傾向を掴み、レース前にどの地点で何をコールするか細かく想像して何度もイメージレースを繰り返すことです。事前にシミュレーションすることで自分自身に余裕を作り、舵やレース展開の分析などとの意識の両立を狙いました。こんな時にはこんな言葉をかけよう、とか考えながら鼓舞の練習もしていました。

2つめはNTT時代の佐々野さんが8+で最後に競り勝つレースの動画を、レース前に何度も見ることです。佐々野さんがずっとアツいコールをしていて自分も気持ちが入り、絶対勝たせるぞ、何があっても最後まで諦めないぞと気合を入れていました。

 

 

手ごたえも掴んだインカレでしたが、台風の影響もあってC決勝進出となりました。

並べやレース経験の少なさもあり、自分がもう少し他艇との競り合いを上手くできれば…という場面もありました。

来年は絶対にこの課題をクリアして引退しよう、と胸に刻んで3年目のシーズンを終えました。

 

 

そして冬練中も漕手のエルゴを見ながらとにかく鼓舞することを繰り返し、さすがに男子にも慣れてきて徐々に強気でコールできるようになりました。

この頃ようやく、衝突も繰り返しながら少しずつ漕手との相互理解を深めていけて、「一緒に戦う仲間」だと思えるようになっていった気がします。

 

 

HOB同期&吉田さん8+

 

しかし、そんなときに私の体調は人生最悪に崩れてしまいまして…

代替わりして同期でこれからというときでしたが、自分はすでにエネルギーを絞り切ってしまったような気分でした。

ずっとぼんやりしたことしか話せていなかったのですが、3年の春あたりから生理前後に心身ともに調子が崩れるようになり、1か月のうち1.2週間は日常生活も苦労する状態でした。3年の夏は気合で乗り切れることも多かったのですが徐々に悪化して、就活も相まって3年冬はもうヘロヘロでした。

春遠征もぎりぎりまで行くつもりでしたが、安永・玉川・ジャガーに全力で止められて休む決心がつきました。植村監督に電話したら1時間ぐらい反対されましたが…笑

4年目の途中で治療を始めて今では効果も出ているのですが、もう少し早くから病院行っていたらなと思います。現役時代は治療が間に合わず、インカレ直前までいろんな人に心配と迷惑をかけました。練習に出れない日も増えてしまい、乗艇やミートの前後で勝手に涙が止まらなくなることも増え、頑張りたい気持ちと体調とのギャップが悔しかったです。

 

 

4年目

 

4月から復帰して乗艇を開始します。

体調に不安が残る中で半ば意地と申し訳なさで復帰を早めましたが、いざ戻ってみるとやっぱり水上を艇が進む感覚が好きで、部員からもらえるエネルギーも大きくて、あと半年、自分が満足いくまで頑張ろうという一心でした。

また、主務との両立も2年目だったので、去年の全日期のようにならないように「後から振り返ったときに100%COXに集中できたと思えるように、両立を絶対に妥協しない」ということをとにかく心掛けていました。

 

 

 

東北戦8+。漕手の個性がぶつかりあうことが多く、自分がこれまでやってきたことは間違っていたのか、漕手の意見を尊重するのではなく自分が我を出して引っ張るCOXを目指していたら上手くいったのか?と葛藤していました。正解はわかりませんが、今でも後輩たちに申し訳なかったなという気持ちがあります。

 

 

 

インカレ4+。銀メダルを獲れましたが、この期間も実はドタバタでした。

これまで少しずつ積み上げてきた自信が、東北戦前後に漕手から放たれた言葉で崩れさってしまいました。それだけで?という感じですが、たくさんぶつかって徐々に信頼を築けてきたと思っていただけに傷が深かったようで、和解した後も体調が不安定な時期の乗艇中は何度もその言葉が蘇り、頭が動かなくなりました。つくづく情けなかったしクルーに申し訳なかったです。

 

4年目にもなって情けないと思いながらも長坂さんや小澤さんに相談し、踏ん張れました。一度崩れた自信も全くゼロにはならず、糧になりました。

 

これまで意識してきた「漕手を気持ちよく漕がせる」ための自分の行動がちゃんと実を結んでいたんだな~と、マイクが壊れたときの練習で実感できたり。笑

苦手意識のあったレース戦略の考え方も進化できました。これまで「細かいプランはCOXが考える」という雰囲気が多く、それに則っていたのですが、漕手の性格や得意な戦い方によって強い戦略も変わるよな?という疑問があり、浅野さんからも助言をいただき、どこで攻めてどこで守るか、徹底的に漕手と議論することを心掛けました。

個人的には、今回のインカレのレースで特にこれがハマったなと思っています。自分もどんな戦況でも正確な判断を下せる自信はないし、漕手もどんな戦略でも対応できるわけでもない中で、事前に様々な戦況を想定して「自分たちの実力を最大限活かして最終的に勝つための戦略」をすり合わせられたことは、クルーの意識を統一するうえで重要だったと思います。

 

レースでは、心の底からクルーを信頼してコールすることができました。

私にとってはメダルと同じくらい嬉しいことでした。

 

 

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長々4年間とCOXとしての思考を振り返りました。実に約8000字。お疲れ様です。

 

ここから、まとめとCOXに関わる漕手やコーチに向けて私が思うことを書かせてください。

 

 

私が感じたCOXの苦しさは、自分のCOXで自信を持っていいところが分からないことから来ていたなと思います。

漕手からはたまに要望をもらうぐらいでコーチも漕手への指導がほとんどだったので、自分の長所と課題を客観的に整理できず、とにかく自分の粗探しを繰り返していました。自分を褒めることができず、乗艇が楽しくない時期も長かったです。もっと恐れずに漕手にもコーチにもコミュニケーションを求められたらよかった、というのは自分の中で大きな後悔です。

 

ただ、恐れてしまう気持ちを少しでも理解できる漕手やコーチがいたら、自分からCOXに、良いと思っているところや直してほしいところをどんどん話にいって、目指すCOX像を一緒に作ってあげてほしいです。それはきっと、COXにとって大きな支えになります。

 

漕手とCOXは見ている方向も違えば考えていることも全然違って、たとえ同じ時間を過ごしていても意外とお互い何考えてるかわからないんだな、というのが私の学びです。ときにぶつかりながらも話して、お互いが何を考えているのか知ることで初めて信頼関係は生まれると思います。

 

個人的には、直してほしいところがあるのに遠慮して我慢されるよりもガツガツ言ってくれる方が嬉しいCOXが多い気がします。ただ指摘ばっかりだと誰でも自信がなくなるので、良いところを省略せずちゃんと言うということを大切にしてくれたら、COXも漕手のことを信頼しやすくなるはずです(これは漕手間でも、COXからのフィードバックでも言えることですが)。漕手を信頼してのびのびと発言できるCOXは、漕手の顔色を伺うCOXよりも絶対にクルーにいい効果をもたらします。

 

 

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これにてCOX編、終了です。お疲れ様です。

もしもう少しCOXについて知りたい人がいたら、「京大ボート部 ブログ COX」で調べてみてください。COX心理についてものすごく論理的にまとめられたブログがあります。

 

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ここまでですでに長いのですが、最後に、みんなへの感謝を述べさせてください。

疲れた人は休憩しながら読んでくれたら嬉しいです。

 

 

まず、大山へ。

まずは入部してくれてありがとう。「COXかっこよくないすか?」と言ってくれて、すでにリーダーシップたっぷりなオーラを出していた大山が入部を決めてくれた時、叫びそうなぐらい嬉しかったです。

このシーズン私は自分のことで精一杯で、上手く気にかけてあげられなかったけど、陰ながらずっと見守っていました。

勝利への意欲、責任感と覚悟、ボートへの情熱、漕手とのコミュニケーション、

私がCOXにとって重要だと思うものを、大山は1年生ながら全部持っています。1年生でこれだったら3年後どうなっちゃうんだろうと、もはやちょっと羨ましいです。

あとは経験値を増やして技術を磨くだけ。

既存の型にはまらなくていいから自信をもって、漕手と自分にとって1番最高だと思えるCOX像を作っていってほしいです。

今は大丈夫かなと思うけど、この先もし壁にぶつかったとき、漕手に言えない気持ちを吐きたい時が来たら、頼ってくれると嬉しいです。

ずっと応援してるよ!

 

 

1年生へ

新人戦でのレースも、スタッフとして帯同した人の頑張りにも、めちゃめちゃ感動しました。皆で切磋琢磨しながら頑張っている良い雰囲気が大好きです。来年再来年、成長した皆のレースを見れるのが今から楽しみです!

先輩をたくさん頼って、同期ともたくさん遊んで、ボート部生活を楽しみながら頑張ってね。応援してます!

 

 

2年生へ

新人の頃から自分たちの考えをしっかり持っていて恐れず発言できる君たちのこと、ちょっと怖かったけどとても頼もしかったです。

2年目の目線から今年の4年目に対して思っていたことを自分たちの代で昇華させて、部をよりよくしていってほしいなと思っています。

 

小林、インカレ一緒にメダル獲れて嬉しかった。4年目を支えてくれてありがとう

これからも怪我に気をつけて、最後までこのまま突っ走ってください。期待してるよ

 

隆真、たぶん隆真にとって私は頼りないCOXだったけど、こんなにクルー作りを大切に考える漕手と私は初めて出会いました。私が今まで飲み込んでしまってたことを恐れず伝えてくれる姿勢を見て、自分ももっと頑張らなきゃと思わされました。

これからも周りとたくさん話して、皆がいいと思えるクルーを作っていってほしいです。

 

岩崎、岩崎の明るさは北大ボート部の光だと思います。北大ボート部のキーパーソンとしてこれからも岩崎らしく皆を引っ張っていってね。ずっといろいろ気にかけてくれてありがとう。岩崎のスラックめっちゃ好きです、応援してるよ!

 

松井、ひそかに松井のことずっと心配してたんだけど、今シーズン松井が真剣に頑張ってるところをたくさん見れて、心配する必要なかったなと思いました。松井の整調ちょっと泣きそうでした、かっこよかったよ!

 

尾上には最初試乗会で「雨が嫌です」って言われてどうしようかと思ったけど、入部してからずっと頑張り続けてどんどん成長していく尾上を見ていて、尊敬しかありませんでした。

実は最上級生になって後輩との関わり方に迷っていた時、尾上みたいな熱心な子がのびのび頑張れる部活にしたいという思いを軸にしていました。

オッ盾と新人戦、本当にお疲れ様でした

 

平松と今井はごめん正直最後まで嫌われてるんじゃないかと思っていましたが、私は2人のストイックさをずっと見習っていました。

今井が楽しそうにシングル漕いでるところ見るの大好きでした。

平松、東北戦で一緒に戦えてうれしかったよ。ありがとう。

 

入江、2個も年下なのに入江といるとなぜかまるで妹になったような気分でした^^

素晴らしい包容力でこれからのボート部を優しく包んであげてください。

新人戦遠征の入江はまじでかっこよかったです、すごいんだから自信もってね。

 

一條、練習も部の仕事も頑張り続けてるイメージしかないです。苦しい時に自分を追い込める一條は最高にかっこいいし、皆にめちゃめちゃいい影響を与えてます。

一條なら女子を元気に引っ張っていけるから、たまには息抜きしながら頑張ってね。

 

木原、木原を見ると私はかわいいとかかっこいいとかしか言わなかった気がします笑

去年の冬練で木原のエルゴを見る機会が多くて嬉しかった!

今シーズンは部屋で号泣してるところとか見せちゃって情けない限りでした。木原も体調気をつけて、楽しく冬を乗り切ってね。

 

河田のことは1年生の時はいろいろ心配してたけど、2年生になって新トレにCOXにとたくさん挑戦していく河田を見て、頼もしいな~と思うことばかりでした。

COXやるって聞いたとき嬉しかったよ、本当にお疲れ様!

 

関、高校の後輩が謎の主務メールからの連絡で入部してくれて、めちゃめちゃ嬉しいやと思ってたら想像以上の逸材でびっくりでした。追い込みすぎなんじゃないかいと思うことも多いけど、たぶん性格ちょっと似てるんだろうね笑

ここから飛躍していく関を見るのが楽しみです。ずっと応援してるよ!

 

 

3年目の男たちへ

3年目は私が初心者COXの頃から一緒に乗ってくれて、やっぱり私にとって特別で、同期と同じくらい一緒に戦ってきたと思える存在でした。

 

山田と乗れたのは新人戦だけだったけど、あの8+は山田の声だけ私のところまで聞こえてきてて、それが私にとってすごく心強くて、一緒にコールしてるみたいな気持ちでした。山田はクルーボートで他のクルーに力を与えられる漕手だと思っています。

いつだったか厳しいことをいろいろ言っちゃったけど、山田を応援し続けてる気持ちはあの時も今も変わってません。

ラスト1年悔いがないようにね、引退の日笑い泣きしてる山田が見たいです

 

小方と金谷はたくさん同じ艇に乗ってきて、ずっと心強い存在でした。

今年の東北戦8+での悩みを小方に話した時に「3年目は4年目についていきたいです」と目を見て言ってくれたこと、すごく嬉しかったです。

やっぱり新人の時の印象が強くて、後方のことなんも言ってくれなかった小方と疲れましたしか言わなかった金谷のイメージなので、インカレは感動しながら見てました。

今年一緒に戦いたかったなと思っていたけど、2人ともに色紙で謝罪されちゃって大困惑だったよ笑

そのぶん全部来年にぶつけてください。期待してます。

ラストシーズン自分の気持ちに妥協せずに、体大事に頑張ってね。

 

 

ゆりちゃん、柳へ

2人には本当にお世話になりました。正直私が2人にしてもらったことはたくさんありすぎるけど、私がしてあげられたことは何かあるのかな、、と不安になります。

2人がしっかりしているのをいいことに、あんまり気にかけてあげられない時も多かったし、いつもいろんな仕事を任せてしまっていました。

 

今年のインカレでめちゃめちゃ泣いて喜んでくれてありがとう。

私が動かなくていいようにって、自分から私の仕事を奪うぐらい気遣ってくれてありがとう。

寒い時期の帰艇のとき、ベンチコート持って待っててくれてありがとう。

納谷さんが報われて良かったなんて、言ってくれてありがとう。

本当に支えてもらってばっかりでした。特に今シーズンは、2人やジャガーのおかげで私のCOX業が成り立っていました。

いつでも選手のことを考えて動いて、選手に寄り添い続ける2人はマネージャーの鏡です。尊敬しています。

私なんぞいなくても、君たち絶対大丈夫ですよ。

しんどくなる前にいつでも連絡してね。

 

 

 

主務を2年もしていたので、私のパソコンの予測変換にはすぐにみんなのフルネームが出てきます。卒論執筆中に変換されるたびにニッコリしちゃいます。

大好きで大事な後輩たち、これからもずっと応援してるよ!

 

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同期たちへ

 

同期全員、それぞれに救ってもらったことがあります。

最高の同期だと思ってます。ありがとう!

 

 

個別に伝えるのはこの場でなくてもいい気がするので、これでおしまい!

 

 

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最後に、

 

安永、玉川、

主将としての1年間、本当にお疲れ様。

たくさん2人が悩む姿は見てきたけど、私にとって2人は最高に尊敬できる、頼もしい主将でした。

2人ともアツい気持ちをもっていて、それを追求して示し続けてくれたから今年の北大ボート部の雰囲気が作れたと思っています。

主務業もいっぱい助けてもらっちゃって申し訳なかったけど、ありがとう。

 

 

 

 

約12500字、じゃがぼよりは短いですが長いですね。

 

 

 

最後の最後に、これまで活動を支えてくれた家族、先輩方、OBOGの皆様、本当にありがとうございました。

 

 

家族には申し訳ないぐらい心配をかけっぱなしでした。いつでも話聞いてくれて、ずっと応援し続けてくれてありがとう。

 

 

先輩方へ、お世話になった先輩の名前を挙げたらキリがないくらい、本当にたくさんの方々にお世話になりました。ずっと見守ってくださってありがとうございました。

特に、藤田さん(H29)、地崎さん(H31水産)、船山さん奥田さん、長坂さん、たくさんご迷惑をおかけしました。先輩方が先輩方じゃなかったら私はCOXしてなかったと思うくらい、偉大な存在です。

 

 

江川さん、植村さん、川勝さん、亀山さん、関わってくれたコーチの皆さん、ご支援いただいた皆様、部の活動を支えていただきありがとうございました。

2年も主務をしたのに至らないところばかりで、たくさんフォローしていただきました。

これからの後輩たちをよろしくお願いいたします。

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

4年間のすべてに、感謝を!          

 

 

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