北大ボートblog

北大ボート部部員によるほぼ定期更新ブログ。

主将引退。

2024-11-01 02:40:47 | 2024引退ブログ

 

こんばんは、4年目の安永です。

決勝の日から2ヶ月近くが経ちました。いまや部活での数々の思い出が美化され、美しい物語として幕を閉じようとしていますが、どうしても拭いきれない想いや、伝えきれなかったことがいまだに残っています。苦い味ほど舌に残るものですが、いつまでも過去をふり返っている場合ではないので、全てこのブログで「引退」の言葉と共に成仏したいと思います。

 

 

ボート部の大部分を僕は漕手として過ごしてきました。ある意味で常に「主役」であり続けられたことは、自分にとってとても幸せなことだったと思います。ただ、競技する側として本当に楽しかったのは今年のインカレだけで、本当の意味でローイングを競技として好きになるまでにはかなりの時間がかかりました。

 

推し(S: Tom George B: Ollie Wynne-Griffith)

 

1年生の頃、自己紹介ブログにも書いてありますが、当時の僕は漠然と「強くなりたい」という気持ちでこの部活に入部しました。当時の僕は中高のころから周囲と自分を比較することが多く、特に、顧問から厳しく指導された経験を持つ部活動組は自分にとって強者に見えていました。だから何かしらスポーツをやって結果を残せば自信になるだろうという考えがぼんやりとありました。しかし、大学から始めて勝てるスポーツは限られていて、僕の中では最初からボートに興味がありました。当時主務だった和田さんの熱い言葉に惹かれて、試乗会で即入部を決めることになります。今思えば、同じ日に僕よりも先に勇気を出して入部宣言をした女子がいましたが、それがまさか運命の出会いになるとは思いもしませんでした。

 

漕手人生を振り返って思い出すのはまず「エルゴ」です。好きな人はいないと思います。北大ボート部は冬漕げないので、尚更エルゴと向き合う機会が増えるわけですが、あの心肺を限界まで追い詰めることのできるマシンを忘れることはできないでしょう。昔から、持久力には少し自信がありましたが、それでも心臓がちぎれるまで追い込む2000mTTなんて地獄で、常に恐怖でした。

 

今でも覚えているのですが、冬練のとき、どうしてもキツいメニューをやる日に漕手以外スタッフが来ない日があって、気持ちが萎えてしまった僕はジャガーに応援をお願いすることにしました。突然の要望に来てくれないかなと思いましたが、ジャガーは律儀に来てくれて、へバっている僕に檄を飛ばしてくれました。ジャガーはその日だけ来てくれれば良かったのですが、次の週も、そのまた次の週も欠かさずに応援に来てくれました。当時まだコロナでマスク等の期制が厳しかった中で、来る必要もないのに応援しに来てくれる同期の存在はとても貴重でした。その頃からジャガーのスタッフ魂みたいなものを感じていましたが、2年生になってからも、その魂は健在で、ずっと冬練のクソ退屈なUTを見守ってくれたし、動画も撮ってくれたし、高校時代の漕手の経験も活かしてアドバイスもしてくれたし。どれだけ感謝しても仕切れないくらいの気持ちです。冬練のときは本当にありがとう。

 

新人期間のエルゴタイムを振り返ると面白いもので、初めての2000mTTのタイムは7分27秒でしたが、翌月のTTでは7分18秒、更に年末のTTでは7分08秒と短いスパンで確実にタイムを伸ばしていました。こうやってタイムが伸びるとキツいエルゴもモチベーションが爆上がりするのですが、問題は伸び悩んだときです。

僕が最もエルゴに悩んだのは、最高学年のシーズンでした。同期3人の中でエルゴベストタイム最下位の僕が偉そうに語れる分際ではありませんが、それでも僕がエルゴにどうやって向き合ってきたか振り返ってみようと思います。ここではTTで失敗した例をいくつか紹介することにしましょう。

まずは3年目の冬。当時の僕は練習で出すエルゴタイムは誰にも負けていませんでした。1時間UTのタイムが明らかに伸びたことに加えて、500m×6のタイム、12分エルゴのタイムどれに於いても過去最高のタイムでした(シーズンが始まってから冬練で出したタイムを超えることが出来なかったくらい、最も調子が良い時期でした)。その頃エルゴが一番回るのは小方だったので、僕は小方に勝つことを目標に6分40秒カットの目標を打ち立てました。

しかし、当日は思うように体が動きませんでした。いつも短漕で楽々と1分40秒ペースで漕ぐことが出来ていたのに、いざウォームアップで漕いでみると何故か出ない。しかし、自分が決めたプランを変更したくなかったので、そのまま本番に挑みました。結果は、ベストタイムから2秒落ち。ペース配分を完全に間違えて、頭では必死で漕ごうと思っても思うように体は動かず、後半はガス欠でした。一方で練習では確実にタイムが伸びていたのにもかかわらず、本番では何も変わらない現実に打ちのめされました。

このままでは終われないと思い、後日納谷に見守られながらリベンジTTを敢行しましたが、途中から気力がなくなり、完全に失敗に終わりました。そのころからエルゴに対しての自信がなくなってまた恐怖心が強くなっていました。

 

続いての失敗例は最後の夏、8月末のTTです。これはブログにも書いたので省略しますが、リベンジTTに向けて乗艇練習の合間にこそこそと1000mエルゴを何発か引いていました。正直に言うとタイムは満足いくものではありませんでした。練習後の補強でやっていたためかも知れませんが、500mのラップタイムを1分40秒でキープするだけでも精一杯で、レートを上げる以外に選択肢はありませんでした。そのため、自分が現状出せるペースは前回のベストタイム程度だと考えていました。あとは1秒でもいいからベストは更新したいと思っていました。

当日はリベンジTTをやることを誰にも伝えていませんでした。自分だけで完結させるつもりでした。オフ明けの乗艇前、これしかチャンスはないと思い、ハンドルを握りました。結局大勢の人に応援されながらエルゴを回しましたが、500m過ぎたあたりからまたコンスタントへの恐怖心が出てきて、急に漕ぎが弱くなりました。コンスタントは結局目標のペースよりも2秒遅く、得意のスパートで巻き返しを図るも最終的にベストタイムには届きませんでした。皆が「ああ、やっぱりそうだよね」という感じで去って行くのが哀しくて、虚しかった記憶があります。インカレ前に何も成長していない自分がとても情けなく感じられました。

 

これらの例はあくまで一部で、何回もTTをやっているので、多くの漕手がそうだと思いますが、何回もベストを出せずに悔しい思いをしているし、その分何度もベストを更新してきました。特に自分の場合、弱点はコンスタントにありました。逆に、スパートは大の得意で、コンスタントさえ決まれば後は勝ちでした。500m過ぎたあたりからベストを出せない原因は何か。僕は以下の通りだと考えました。

  • 自分が漕ぎきれるペースを理解していない
    • 自分が目標としているペースに自信がない
      • それゆえ本番では目標のペースと現実で出せるペースが乖離している

まず、最初の失敗例からもわかるように、自分が漕ぎきれる2000mTTのペースは必ずしも練習のベストタイムに比例しない、ということです。逆に、練習であまり伸びていなくてもTTで伸びることだってあります。なので、自分が漕ぎきることが出来るペースを掴むことは非常に難しいです。だからといって、自分が楽に漕げるタイムを狙いすぎるとベスト更新にはつながりません。ではどうすれば良いのでしょうか。

僕がこれらの失敗例から次のような教訓を得ました。

まず、TT本番は常に最良のコンディションとは限らないということ。だから、できる限り定期的に同じATメニューをこなしておくことです。

ベストを狙うならコンディションを整えるのは当然のことですが、それでもコンディションは大きく変化します。なので、練習で出た「ベストタイム」は決して参考にしてはいけません。ATトレーニングは基本的にキツいメニューなのでくり返しやりたくないのは事実ですが、同じタイムを別の日のコンディションでも出せると信じるためには、再現性をとることが必要になります。なので、1回やったタイムではなく、同じメニューで複数のタイムを参考にすることです。ここで1つ注意しなければならないのは、半年以上前のタイムは参考にならないということです。TTはそんなに短期間で訪れるイベントではないので、TTに関わらず定期的にATメニューをこなしておくことがポイントです。これはガムシャラにATメニューをやりまくればいいという話ではなく、高頻度である必要はありません。自分でなにかTTに向けて参考にするメニューを決めてそれを最低でも月に1回はやるなどと決めておくと、TT前だからといって焦ることはなくなります。また、定期的にATメニューを行えば、それなりにキツいことをやるメンタルの耐性もついてくるはずです。そして実際にそれらのタイムから自分が出せる最適な2000mTTのコンスタントペースを割り出すのです。メニューのタイムからコンスタントペースを割り出す明確な計算方法はありません。なので、自分だけでなく、周囲のデータも参考にすることです。もちろん、余りにも体格差を考慮しないで参照するのはよくありませんが、自分の身長と体重も考慮して、いろんな先輩の過去の記録を見たり、コーチに相談したりすることが成長への近道だと僕は思います。

一番良くないのはこの日にTTやるからといって、あわてて数週間前からATメニューをたくさん回して、1回きりのメニューだけで自分の状態を把握しようとすることです。僕はほとんどこのやり方でTTに臨んでいたので、理想の高いプランを立てて、タイムが伸びなくてもその時のコンディションが悪かったからだと言い訳していました。しかし、今思えば、もっと定期的にATメニューを行い、過去の蓄積から冷静に自分の出せるタイムを見極めて、プランを立てるべきだったなと思っています。

練習の記録からある程度自分のペースを割り出すことで、自分が漕ぎきれるペースをある程度理解することはできます。しかし、それだけでは不十分です。僕の2つ目の失敗例では、TT前に複数回行ってきた1000mエルゴタイムから自分がベストタイムと同じペースで漕ぐことはできると理解していたにもかかわらず、途中で自信を失ったがために、ベスト更新を逃してしまいました(もちろん、そもそもペース配分を理解できていなかった可能性もあります)。

この事例から言える2つ目の教訓は、自分のペースを理解するだけではなく、実際に同じ強度で漕いだときに漕ぎきれる自信をもつことが必要だということです。

自分のプランに自信を持つためには、なるべく本番の強度に近づけたトレーニングをする必要があります。例えば、1週間前にTTを一人でやってみたり、B4を漕いだり、1000mを漕いだりするなど、人それぞれやり方が異なります。自分の場合、成功例は多くないですがTTの強度を再現することで自信を付けるタイプだったので、TT前に一人で2000mTTを敢行することもありました。3年目の東北戦選考の時は、1週間くらい前に2000mTTを行って6分50秒をギリギリでカットし、本番では6分47秒でフィニッシュし、ベスト更新したのを覚えています。

このように、自分の漕ぐことが出来るペースを理解し、そのプランに自信を持つことが出来て初めて、ベスト更新が見えてきます。僕は1年生の頃からタイムを40秒以上伸ばしてきましたが、ベスト更新したTTの多くは、現実のペースがプランにマッチしているときでした。ペースを理解しないまま根性で押し切ろうとしたり、逆にペースを理解していても、キツいところを乗り越えるメンタルが弱かったりすると、上手くいきません。振り返ればガムシャラに何の考えも無しに練習をこなしてきた自分に対して、もう少し頭使えばよかったな、と思うことは山ほどあります。でも、最後まで諦めずにエルゴに向き合ったからこそ、最後の表彰台に結びついたのかもしれません。

 

さて、かなりエルゴの話が長くなってしまいましたが、漕手としてエルゴと同じくらい重要なことは乗艇練習です。乗艇技術について偉そうなことはなにひとつ言えませんが、今まで組んできたクルーの思い出は沢山あります。

僕にとって大きなターニングポイントは2年生の夏、インカレクォドルプルのクルーに選ばれたときでした。当時、僕の新トレだった伊藤悠哉さんがクルーキャップで、かなり厳しく指導された記憶があります。今思えば、修士2年の先輩が僕と千里の2年生2人を指導することはかなり大変だったと思います。今でも覚えているのは、僕がバウに乗ったとき、漕ぎについて行くだけで精一杯で後ろを見る余裕がなく、ペケレットの曲がる地点で後ろを見ずに逆漕しかけて怒られたことです。当時の伊藤さんの練習に一切妥協しない姿勢は、後の自分に大きな影響を及ぼしたと言っても過言ではないと思います。乗艇距離は絶対で、ノルマが達成出来なかったら陸に揚がってからもサーキット、体幹、懸垂・・・などなど。 上級生の中でもトップレベルのハードワークで頑張りましたが、結局、インカレはコロナの影響で棄権。伊藤さんの引退に華を添えられなかったことは非常に残念でしたが、大西さんたちが成し遂げたインカレ入賞という革命は僕の中で大きな希望でした。しかし、その喜びを現場で分かち合うことはできず、ホテルの一室で無限に出てくる咳とともに苦しみました。

 

2022年9月男子クオドルプル予選

 

療養していたホテルから見たスカイツリー。いまだにこれを見ると思い出す・・・

 

インカレでの無念を晴らすべく、奮闘したのが新人戦でした。レースについてはブログに残してあるので、そちらを参照していただきたいと思います。かなり記憶が美化されているので、あまりちゃんとしたことは覚えていませんが、最初の予選で僕が臆病で足蹴りを入れなかったところに、後ろから千里がたくさん足蹴りを入れてくれたことを今でも覚えています。普段斜に構えて面倒なヤツだと偏見しか持っていませんでしたが、レースで魅せたアツい一面に心動かされました。。あのときの足蹴りは今でも感謝していて、敗復で攻めたレース展開ができたのは後ろから千里が支えてくれたおかげでした。あのときは本当にありがとう。

 

レースでは悔しい思いを味わった一方で、新人戦の運営面でもかなり自分の無力さを痛感することになりました。当時は僕が2年目の代表という立場でしたが、実際に運営の切り盛りをしていたのは納谷と上野さんたちでした。当時から納谷の責任感の強さと行動力の高さはかなり相当レベルの高いものでした。代表者会議をすっぽかして、ブレードカラー不統一にあたふたする自分と比べて、テキパキミーティングをこなす彼女の存在は、まだ何も知らなかった僕にとって、自分よりも遙かに強く、優秀な存在に見えました。このころから、リーダー格としての納谷を自分と比べることが増えていました。挙げ句の果てには、主将は自分じゃなくて納谷が務めた方が良いのではないか、とすら思っていました。

 

話が少し逸れてしまいましたが、新人戦が終わってからはスイープを漕ぐ機会が増えました。スカルを漕いでいた頃はまだ良かったのですが、スイープを漕ぐことになってからある大きな壁にぶち当たることになります。初めからそうだったのですが、僕にとって重要な課題は、自分が漕ぎづらい環境下におかれたときに、上手く対処できないことでした。乗艇練習ではよく「リラックス」を意識しますが、僕はそれが非常に苦手でした。常に力が入っていないと思い通りに体が動かせないと勘違いしている、典型的な運動音痴だったのです。そんな僕にとってクルーに合わせることは何よりも難しいことでした。なので、「自分が気持ちよく漕げないから合わせられなくて当然だろ」という考えの方が大きく、こんなに必死で頑張っているのに気持ちよく漕げないのはなぜ?と不満を顕わにすることが非常に多くありました。自分の技術に自信があれば、漕ぎにも余裕が生まれてくるのですが、下手クソな僕はその余裕がありません。でも、クルーでそろえることができないと重たいし、漕いでも漕いでも良くならないし、不満は募るばかり。その不満はいつしか他人に向くようになっていました。

去年の夏、3年目のインカレのシーズンは一番クルーに迷惑をかけた時期でした。

 僕は付きフォアに乗ることが初めてで、バウを担当するのも初めてでした。怪我を乗り越えて勝ち獲った対校の座だったからこそ、初めはとてもワクワクしていました。しかし、その期待もつかの間、バランスの取れない付きフォアで様々な苦労が待っていました。そう、気持ちよく漕げないのです。当時自分は東北戦を経験したことで、それなりに上手い選手だという自惚れがありましたが、エイトの安定したバランスでできていた漕ぎは、付きフォアでは全くできませんでした。付きフォアは当然ですが4本のオールしかないので、8本のオールでバランスを誤魔化すことはできません。上手くリラックスなどできず、UTは重たいし、ふらふらするし、技術は狙えない。バウだった僕は積極的に声を出して今まで得た経験や自分の感覚だけを頼りに、こうすれば上手くいくと思ったことをできる限り実行に移そうと考えていました。そしたら後ろから飛んでくるコールは何故か自分が思ったことと全然違う。背中合わせで違う方向を向いているだけで、思った通りのコールが飛んでくると思ったら違う。違和感で済んだら良かったのですが、上手くいかないときほどその違和感は大きくなり、感情に表すことが増えました。なぜキツいことをしている漕手のことを分かってくれないのか?漕いだこともない人間に技術の何が分かるのか?自分が気持ちよく漕げないことを分かっているのか?手探りで、漕いだこともないからこそ積み重ねてきた納谷の努力を知る由もなく威圧的な要求だけして、COXを育てることはしませんでした。様々な感情をごちゃ混ぜにして自分から壁を作っていました。しかしそれのせいで、他のクルーにも、特に千里には沢山迷惑を掛けました。人のミスを指摘したり、出来ないことを責めたりすることは簡単でした。でも僕はこのインカレ期間で、COXからの指摘を一切改善することなく終わりました。エントリーも、キャッチも、フィニッシュも。何一つ。

 

本当に、申し訳ありませんでした。

 

インカレで急遽代漕で出てくださった佐々木さん、ありがとうございました。

 

 その年のインカレはC決勝止まりでした。クルーキャップを務めた純大がレース後に言葉を失う姿は、見ていて辛いものがありました。悔しかったし、自分が起こしたトラブルに対する責任も感じましたが、何より、大西さんたちが成し遂げた8位入賞の偉業が、ずっと、遠くにあるように感じられました。誰よりもリスペクトする先輩たちに、こんな自分が届くのだろうか。そんな不安を抱えたまま代替わりを迎えました。

 

 代替わりしてからも、乗艇中にイライラしたり、自分の下手くそさに萎えたりことは沢山ありました。乗艇で上手くいかなかっただけで、練習後もあまり誰とも口をききたくないと思ったことなんて山ほどあります。本当に切り替えが下手クソでした。それでも、最高学年が雰囲気を悪くしてはいけない、自分を変えなければいけないということは分かっていました。

 それと同時に、段々ローイング熱が冷めてきたのもこの頃でした。主将になり、自分が何のために部活をやっているのか、何を目的としているのか明確な答えを出せないまま時間だけが過ぎていきました。自分は心の底からメダルを獲りたいと思って言うのだろうか?と自分の覚悟を疑う程でした。理想と現実の遠さを実感したからこそ、目の前のハードワークのキツさが「割に合わない」と感じていたのでしょう。ローイングを見る分には好きでしたが、自分が心からローイングを楽しむことは全くできていませんでした。

 

 最後のシーズンが始まり、東北戦ではクルーキャップを務めました。ヌルっと決まったのは今でも覚えています。自分が主将だから、大事なレースでキャプテンを務めなければいけない、というプライドだけが全てでした。春遠征の頃はガタガタだった艇もペアの練習を積んだおかげで、艇のバランスも良くなり、初めてのTTで6分10秒(強い順風だったけれど)を切って、東北戦勝利はもう目の前だと思っていました。

しかし、ある日のミーティングで出た発言を僕が一笑に付したことがきっかけで、一人の後輩の機嫌を損ねたあたりから雲行きが怪しくなり始めました。度重なる肋骨の怪我、体調不良、ミーティングの間延び、4年目の意見の食い違い、後輩との信頼関係のゆらぎ。当時小林(2)が「このエイトは楽しくない」と言っていたのを今でも覚えています。僕自身、クルーキャップとして急速に自信失っていき、方針決定ができない状況にありました。しかも、そもそもクルーのメンバーが揃わず、練習をこなすだけで精一杯でした。特にクルー変更をして7番に乗ってからは佐々木さんのリズムに合わせられないことに悩みました。悩んでいる側からエントリーが遅れている、1枚入っていないなどと澄ました顔で指摘してくるCOXにまたイライラし始めました。今思えば、あのとき自分が抱いている漕ぎの悩みをハッキリ話しておけば良かったと思うし、ここのキツいところで応援が欲しいと誤魔化さずに伝えておけば、なんてことはなかったと思うのですが、そういったことはせず自分が漕ぎやすいか漕ぎにくいか、今の状況が自分にとって正解か不正解かだけを考えていました。情けないクルーキャップだったと思います。「向いてない。」そう思って逃げていました。

 

 

インカレで結果残せたから良かったように見えてるけど、あのときは辛かった。自信がなくてクルーの誰にも頼れなかった。頼っているように見えても、自分が何とかしなければというプライドのようなものにしがみついて最後まで頼り切れなかった。

 

 

こうして迎えた東北戦、男子エイトは負けました。ただ、良いレースだったとは思います。田中や小林が一生懸命声を張り上げて後ろからサポートしてくれたことは今でも覚えているし本当に感謝しています。また、僕らよりも一足先に同期の大向がシングルスカルで大勝し、新人エイトも接戦を制して勝利しました。大向のSlackはよく見ていたのですが、孤独なシングルスカルを小澤さんと二人三脚で頑張っていることはよく知っていました。だからこそ、素直に同期が喜んでいる姿は嬉しかった。新人エイトの勝利も久々で、北大が負けっぱなしの時代は終わりを迎えつつあるなと思いました。

 

 

東北戦後、あることがきっかけで当時北大ボート部のテクニカルアドバイザーであった浅野さんに全てを打ち明けて相談に乗って頂きました。今でも覚えていることは、「相手にも親がいて、家族がいて、子供がいることだってある。そんな人に威圧的な口を利けるか考えたらいいよ」、と言われたことです。それをきっかけに、すこし意識を変えてみようと思うようになりました。恥ずかしながらタイトルだけ見てアンガーマネジメントの本を図書館で借りてみましたが、おかげで自分が感情的になったときに、その裏で自分が何を期待しているからムカつくのか?を考えるようになりました。また、相手を否定しないこと、まずは聞く姿勢を持つことも大事なんだと知りました。それで何か自分が変わったわけではありませんが、大きな目標のためには自分の態度を変えていかなければならないという気持ちは強くありました。

あのとき相談に乗って頂いた浅野さんには本当に感謝しています。ありがとうございました。

浅野さん(左)、後神さん(右)

 

 こうして、あっというまに迎えたインカレ選考では対校クルーにギリギリのタイミングで選ばれて首の皮一枚繋がったという感じでした。その頃にはもうまさすけが実権を握り始めていて、僕がしゃしゃり出る隙など一ミリもありませんでした。ある日、クルーで初めてミーティングを開いたときは自分がクルーキャップを名乗り出ようかと思いましたが、自分が今までのようにプライドに固執してクルーキャップになるよりは、まさすけをクルーキャップにする方が良いと思ったので、心の中にこびりついていた主将としてのプライドは捨てました。

インカレクルーを組んでからは、上手く行くことばかりではありませんでした。正規のクルーでまともに漕げる日は少なく、茨戸でのTTも数えるほど。タイムも6分40秒台前半で、このままインカレに出てもB決勝が関の山といったところでした。それでも、あることをきっかけに僕が成長するチャンスが訪れます。

ある日、僕が今まですっと悩んできたリラックスすることが苦手で漕ぎが固くなってしまうことをまさすけに思い切って打ち明け、どうすれば良いか尋ねてみました。そしたら、まさすけは一言、「ノーワークで漕げば良いんじゃない?」といって去って行きました笑。この言葉は余りにも衝撃過ぎました。乗艇中に手を抜くことは僕にとって許されませんでしたが、それでも乗艇中に力みが取れなくなったら試してみることにしました。

 実際試してみると、最初はうまくいきませんでしたが、段々改善の兆しが見え始めました。パドルの合間に手を抜くことは良くないと考える人が多いとは思いますが、僕にとって、手を抜くくらいがちょうど良くて、フォワードとドライブのメリハリを付けるためのいいきっかけを与えてくれました(※後輩はマネしすぎないで下さい)。おかげで、フォワード中はこんなに休んで良いんだと分かるようになりました。逆に、力み始めたら、フォワードのリラックス感を思い出すようになっていきました。乗艇中のバランスへの対応力も良くなり、漕ぎづらさも減ってきました。そして、戸田の予選前日にはかなり良いイメージとともに仕上がっていました。まさすけのぶっきらぼうな一言がなければ、ここまでたどり着いていなかったと思います。大感謝です。本当にありがとう。

 

最後のインカレはあっという間にやってきました。

 

どのクルーも例年以上に追い込んでいる印象でした。そんな中で、僕ら対校付きフォアのメンバーは誰一人、メダルを取れる100%の自信は無かったと思います。唯一の希望は何かをきっかけにこのクルーが「化ける」こと。ただそれだけでした。

 今年のインカレについては沢山の人が書いていることだと思うので、レースの詳細は省きます。ただ1つだけ、メダルを獲った大きな理由は何かと言われたときに、レースの前日に練った戦略にあったと僕は考えています。レース戦略を練る際には、他大学のペース配分やエルゴタイムなどの情報が非常に重要です。予選まではデータが少なく、相手がどこまで仕上げてきているかが分からないので、自分たちのプランで攻めるしかありません。しかし、予選を超えてからは違います。各大学のペース配分やスタートの速さ、スパートの掛けるタイミングが予選のレースから見えてくるからです。予選が終わったその夜、僕はかねてから納谷と約束していた、レースデータの分析を行いました(単にタイムをグラフ化して並べただけですが)。それを納谷のレースプランと細かく摺り合わせながら、どこでコンスタントに入るべきか、スタートの本数はどうするか、コールはどうするか、などといった具体的な対策を念入りに相談しました。これは予選だけでなく、毎レース、前日の夜に打ち合わせをしていました。おかげで、レース本番は何の迷いもなく、漕ぐことができました。こんな経験は全く初めてのことでした。このレースプランを練る時間は人生で最も有意義な時間だったと思います。納谷と組んで初めて上手く行ったレースでした。

 

決勝の日、僕は千里を自由に漕がせることだけを考えていました。自分の役目はストロークを支えることだと本気で思っていました。いつもだったら500m過ぎて「北大、出てるぞ!」のコールを信じることはできなかったと思いますが、納谷のプランを完全に信じ切っていたので、100%信頼して足蹴りを入れ続けました。僕は唯のCOXの指示に従うローイングマシーンでした。

今納谷が自分のCOXに対する評価をどう捉えているかは知りませんが、僕は納谷がいなければ、足蹴りを入れる余裕などありませんでした。間違いなく、北大ボート部80年の歴史が誇るCOXです。そしてこれからも舵を取り続けてください。

 

こんなクソみたいな漕手に、どんな辛いときも発破を掛けてくれてありがとう。

 

小林という次世代のスーパーエースと、最も信頼しうる同期3人が共に乗ってくれていたからこそ、初めてローイングを心から楽しいと思うことができるようになりました。インカレで化けたことで、やっぱりまだまだ自分は上手くなれるし、もっと速くなれると思えるようになりました。

 

感謝を述べたら切りがなですが、一緒に乗ってくれたクルーの皆、サポートしてくれた同期、大西さん、浅野さん、そして駆けつけてくれた野田さん、伊藤さん、先輩・後輩の皆さん。本当にありがとうございました。

久我さん(右)

都雲さん(左)

二人とも僕にとって憧れの主将でした。

 

 

僕はこのインカレを通して本当の意味で、ローイングが好きになりました。

 

 

振り返れば、これまで自分が主将になって抱えてきた、「自分が立てた目標を何が何でも達成したいと思えない」悩みについては、目標を達成したときに側にいる人がどんな気持ちになるかを明確に想像していなかったことが原因にあると思います。当時の僕は高尚な目的ばかり考えていましたが、「自分がローイング未経験でも活躍する姿を見せることで、自分のようにスポーツの経験が浅い人を勇気づけたい!」とか、「自分が代表になってローイング界を盛り上げたい!!」みたいなことは、口にすることは簡単ですが、だれしも最初から持っている訳ではありません。そんな漠然とした広い範囲の対象よりも、重要なことはもっと近くに目を向けることです。目標を達成した時に「自分の近くにいる人」例えば同期がどんな顔をしているのか、後輩がどんな目で見てくれるのか、お世話になった新トレや先輩方はどんな気持ちになってくれるのか。これを考えることが目標に向かって努力する1番の原動力になると考えています。身近な人のために頑張ろうと思うことで、チームのために頑張ろうと思えるし、そうやってチームのために頑張る人が増えることで、全国の舞台での結果に結びつくのだと思います。今年のインカレではそのことを強く実感させられました。

 

応援団のみなさんもありがとうございました!!

 

こうして、今までは主役として前線で戦ってきましたが、今度はチームのために後方から支援する番だと思っています。ここで宣言しますが、来年は新トレを務めさせて頂きます。1年生を育て、今流れる北大ボート部の上昇気流を止めることなくむしろ加速させていきたいですね!

 

何はともあれ、ひとまず3年半北海道大学ボート部にお世話になりました。

 

また来年もお世話になります。

 

 

 

漕手は引退しません

 

 

 

 

※引退ブログの投稿遅くなってすみません。

 

コメント

4年間のすべてに、感謝を

2024-10-29 01:17:09 | 2024引退ブログ

 

4年目の納谷です。

 

お待たせしました引退ブログです。こんなにお待たせしたのになんと同期で2番乗りですね!

 

大変遅くなりました!ごめんなさい!

書いても書いてもまとまらず、書きたいこともよくわからず、需要あるかしら?と思いながら書いていますが、お暇な人はお読みください。

長いです!!!

 

 

――

 

まずはCOX編、COXとしての私の思考の過程を、関わってくれた人たちへの感謝を交えながらまとめていこうと思います。

COXって漕手と違って他のCOXを深く知ることが難しくて、「より強いCOX」とは何なのか、成長するために自分に何が足りないか客観的に考えることも難しくて、

私はずっと他のCOXが何を大事にして、どんな過程で成長して、どんなことを考えながら艇に乗っているのか知りたいと思い続けていました。

もちろん漕手から学べることもたくさんありますが、COXとしてのあり方に悩んだとき、他のCOXは似たような悩みを抱えているのかいないのか、乗り越えるためにどんなことをしたのか知れたらいいのにと思いながら黙々と悩み続けることも多かったです。

 

ということで、私と同じような悩みを抱えるCOXや、COXのことをもっと詳しく知りたいと思う漕手にほんの少しでも参考になることがあれば!という想いです。

COXって、COX自身の性格や一緒に乗る漕手の特性、チームの特性によって様々な正解があると思っていて、なので「あくまで私の場合」ということになります。

人によっては理解不能なことにも当たり前すぎることにも捉えられると思いますが、あくまで私の場合です(大事なので2回目)

大した人間ではないし今でも自分のCOXに自信があるかと言われれば微妙なところも多々ありますが、ボートを知らなかった気弱な人間がどのようにCOXと向き合ったのか、一つの過程を示すことができたらなと思います。

 

――

1年目

 

まずそもそも私は、マネージャーとしての入部でした。

高校の部活で腰を壊したものの運動部の空気感が合っていたのでマネージャーのいる運動部、朝に弱いタイプだったので他律してもらうために朝練のある部活を探す中でボート部を発見し、試乗会で雰囲気に惹かれて入部しました。

コロナ禍でエッセンもなければ度々オンライン練習でしたが、ジャガーって人話しかけても反応薄いな~、そもそもなんでジャガー?などと思いながら一緒にマネージャーしてました。

当時スタッフ間では、納谷と奥田さん(H31)がモーターの日は沈が多いという噂があったりなかったり…

 

そんな中、新人戦でW4×+を出したいがCOXがいないということで、夏に新トレの伊藤さんと岡崎さん(ともにH29)からCOXやらない?と言われました。

正直COXのことなんて全然わかっておらず「難しそうだな~」くらいの感覚でしたが、1個上の女子漕手のお二人や同期の後押しもあり、わりと軽い気持ちで引き受けることになります。

新トレのお二人には引退直前までいろいろ気にかけていただきました。

 

ここで1回目の転機を迎えた私は、COXの活動をスタートさせました。

コロナで新人戦はなくなりましたが、同期女子4×+に乗ったり、同期男子8+に乗って早くもクルーがまとまらなくてオロオロしたり、ちょくちょく艇に乗り始めたところで納艇。

この頃何を考えていたかは正直覚えていないのですが、何を言ったらいいのかなとずっと悩んでいた記憶です。

 

 

 

同期女子とがっつり一緒に乗ったのはほぼこれが最初で最後でした。懐かしい

 

 

2年目

 

冬の同期大量離脱を乗り越え2年目になった私も、春まではスタッフとしてモーター免許を取ったりエッセン復活に関わったりしてました。

 

2度目の転機は2年目の夏に訪れました。

当時対校COXだった船山さん(H31)が今年で引退だから、その後の男子対校COXはどうなるんだ?納谷??みたいな雰囲気でしたが、自分自身は身の振り方に悩んでいました。

 

当時の私は、天候が悪くて女子が大艇を出す日だけCOXするという中途半端な立場でした。もっとCOXを頑張ってみたいという思いはあったのですが、悪天候の日だけ単発で乗る練習では磨ける技術も限られているし、反省を次いつ活かせるのかわからない状況が正直苦痛でした。

女子はスカルばっかりだったのでCOX需要がないのは当然でしたが、男子と関わるのもそんなに得意でなく怖かったので、男子艇に乗ることにも前向きになれず。

成長できないまま間に合わせのCOXを続けるのも居心地悪かったので、いっそスタッフに専念したいというのが本音でした。

 

勇気を出してそんな気持ちを久我さん(R2)に相談するもなぜか全く伝わらず、「俺は来年以降納谷に乗ってもらいたいと思ってる!よろしく!」という感じのことだけ言われて、ちょっと萎えました。笑

今となっては逆の立場の気持ちもわかりますが、相談した人全員に「当然やってくれるよね?」みたいな雰囲気を出されて、この部にいたいんだったらやらなきゃいけないのかな…と。

そんなとき、1年目の新トレだった都雲さん(H30)が親身に話を聞いてくれて、長坂さん(R2水産)からの言葉もあって、COXとして成長したいという気持ちに火が付き、頑張ってみようじゃないかと腹を括りました。

 

私が男子COXをするようになった経緯はこんな感じです。

 

 

成長の機会も与えられないままいきなり高いレベルを求められるのは辛すぎる!と新トレチーフうわのさん(H30)に直談判して、新人中心のオッ盾8+に乗せてもらうことになりました。

うわのさん最初めっちゃ怖かったし「本気で勝たせたいから正直お前じゃないほうが嬉しい」とまで言われ、渋られましたね…

それでも、このクルーに加えてもらえて本当に良かったです。

 

そしてこの経験から「下級生COXの成長できる機会を大事にしたい」という気持ちが芽生え、いろんな場で訴えるようになりました。それがちょっとでも今の後輩COXたちに繋がっていたら嬉しいな~と思ったり。

 

 

 

この期間はひたすら基礎を学んで吸収することに必死でした。

自分もド初心者でしたが後輩だらけだったので、どうすればみんなの集中力が続くかな、練習の質を高められるかな、と考え続けていました。

 

結果は敗復落ちで、初めての戸田に圧倒されて、初めて全国を知りました。

本格的にクルーを組んだのも、後輩男子と関わるのも戸田を回すのも全部初めてで頼りなかったと思います。下ドン9km遠漕も頑張ったね。3年目(この時乗って今残ってるの、小方と金谷しかいないね…)、西井、岩本さん吉田さん(ともにR2)、ありがとうございました。

 

その後新人戦にも、ほぼ同じクルーで出場しました。

 

 

準決勝に進出できてすごく嬉しかったけど、準決勝は歯が立ちませんでした。

COXの技術を磨けたのはもちろん、レースの奥深さやレース準備の重要性、レースに繋げるための練習とは何かを学びました。

内気で自己肯定感も低い私でしたが、新人戦を経て勝ちたいという気持ちが強固なものになりました。

 

うわのさんから褒められることは滅多になくて悲しかったですが、オッ盾と新人戦が終わった後にうわのさんから貰った言葉は全て、4年目の最後まで私を支え続けてくれました。

本当にお世話になりました。

 

 

オッ盾後すぐには、社会人のお2人、生純さん(R2)、玉川と一緒にW4×+で国体にも出場させてもらいました。慣れない1000mレースで調子が狂ってしまったり、全く貢献できた気はしませんが先輩方に温かく教えていただきました。

 

 

2年目の3つの大会を経て「最低限必要なことは一通りできる」レベルのCOXになりました。ここまではたぶん、教えてもらうことをがむしゃらに吸収していたら成長できる気がします。

 

この時私の頭は「COXとは常に冷静な司令塔であり、クルーを導くコーチのような存在であり、漕手からの信頼を得るために常に完璧でいて、常に弱音を見せてはいけず…」みたいなCOX像で凝り固まっていました。自分で調べた知識でしたが、絶対こうならなきゃいけないんだ!と自分にプレッシャーをかけ続け、艇庫でもずっと気を張っていました。しんどいなと感じながらも、自分は漕がずに指示を出すんだからこれぐらいの覚悟で当然だと思っていましたね。

 

 

そして、秋からいよいよ対校COXとして乗艇するようになります。これまでずっと「より上手く新人のクルーをまとめる」ことだけ考えていたので、上級生男子の空気感に戸惑いました。ぶっちゃけ同期も怖かったです。

自分より経験値の高い漕手から信頼を得るためには、まずは完璧なフィードバックをできるようにならないといけない!と思っていろいろ勉強しましたが、漕手経験もないので文字を読んだり動画を見たりするだけでは深くまで理解できず、浅い知識でコールして漕手を戸惑わせたりもしました。

漕手にフィードバックを求めようと思っても、求め方もアバウトだったので「COXのことはよくわからない、聞かないで」と言われることも多く、コーチとの距離感も今までよりかなり遠くなってしまって、行き詰まることが増えていきます。

 

 

3年目

 

そんな中で3年目になりました。完全にCOXになり、モーターに乗ることも稀になります。ジャガーに「同期マネいなくなって寂しい…」と言わせてしまい、非常に胸を痛めました。

歓送迎会や試乗会運営、大学の実習で余裕がなくなり、授業もバイトもパンパンで体調にも異変が訪れた蕁麻疹暴発期です。主務の仕事も肩代わりし始めて主務変更のゴタゴタもあり、正直COXに全力を注ぐ体力も気力もありませんでした。

突然重くなった責任、体調不良、馴染めない対校艇、結局中途半端にCOXしてる自分への苛立ちで気持ちはずっと苦しかったです。

 

 

残る気力を全部使って乗艇し、全日にも出場させてもらいました。

COXは休んだら首が飛ぶと思っていたし漕手も怖くて「体調悪いから休みます」と言えず、休んだら負けだと思っていました。今思えば、この頃の私にとって漕手は「一緒に戦う存在」というより「自分を評価する存在」でした。

 

それでも日々乗艇する中で徐々に対校の空気感に慣れ、艇の挙動への感覚も少しずつ磨かれていきました。

レースではスピーカーが壊れて何もできず虚しさだけが残りましたが、他団体の様子をたくさん観察して、強く刺激を受けた大会でした。

 

 

実はこの時部の短所ばかりに目が向いてしまって、全日が終わったら部活をやめようと考えていました。

でもゴール間近で1人で見た8+と4+の決勝でCOXへの憧れが再燃し、自分もああなりたいという気持ちを諦められず踏みとどまりました。

たくさんの先輩方にも救っていただきました。久我さん&岩本さん、橋本さん(H31)、激励会でお話させていただいた川勝さん、芹澤さん、都雲さん、ありがとうございました。

 

 

 

4月には低体温症になってしまい、多方面に心配をかけました。元々自分が耐えればいいやという脳筋素質が若干あるのと、自分の寒さで練習を止めては漕手の信頼を失う!という過激な価値観だったことが原因だと思ってます。

久我さんと安永を初めて本気で怒らせ、クルーに青ざめた顔をさせ、救急車に付き添ってくれた増田を泣かせて大反省でした。

 

 

 

いろいろあった全日期間が終わり、東北戦に向けて8+に乗り始めます。

この頃は対校艇には慣れたものの、自分が目指す方向性がぶれかけていました。

今までCOXが常に指揮をとるべきなのかなと思っていましたが、私より経験豊かな漕手がほとんどで、私に絶対的なリーダーシップを求めていない漕手が多いように感じていて、このままでいいのか悩みつつ、漕手に委ねることも増えました。

徐々に漕手といろんな話ができるようにはなっていましたが、もっともっと深く話すべきだったなと思っています。まだまだ1人で「艇の感覚を磨かなければ」という焦りに追われていました。

 

全日の反省を活かしてCOXに全力を注いだ期間で、勝つ想像もできていただけに結果はどうしようもなく悔しかったです。

ですが苦手意識のあったレース技術、航行・艇の挙動・艇差への意識を上手く両立させながらのレース運びに少し手ごたえも感じました。

 

 

そして、少しの自信とともに乗り始めたインカレM4+で大きな転機が訪れます。

その頃は漕手に自分の意見を否定されることが多かったので「とにかく艇の感覚の精度を上げなきゃ!」と焦りが大きくなり、練習中はひたすら「今漕ぎのどこが悪いのか」だけを考えてコールしていました。ある程度の感覚は掴めるようになっていましたが、さらに細部の感覚を身につけなきゃ!と必死でした。

しかしそれで漕手との関係がよくなるはずもなく、初めて漕手と大衝突します。

これをきっかけに、漕手は自分に何を求めているのか、練習中・レース中に漕手が何を考えているのかを知ることができ、今の自分に足りないのは「完璧なフィードバックを目指すこと」ではなく「漕手を気持ちよく漕がせること」だなと認識を改めることができました。

 

 

 

やっとかよ…!という人も多いでしょう。でも、漕手と深く話せていなかったり、自分に自信がもてないCOXではよくある現象ではないかな?とも思います。

ここで衝突して漕手の本音を知れて、本当に良かったです。

 

 

「漕手経験がなく先輩漕手と乗った経験もほぼない自分が、COXとして漕手に何ができるか。漕手がそんな自分と乗る意味は何か。」

 

対校艇に乗るようになってから引退まで、この問いを永遠に考えていました。

この時までは「努力して漕手を上回る知識をつけること」を目指していました。

でも漕手と話して、自分がコーチのように漕手に新しい感覚を教えることはたぶん無理だし、挙動の全てを1人で把握できるようになろうと焦る必要はないことに気づきました。

 

この時から私は艇の挙動に関して、自分がこれまで身につけた感覚を上手く使えたら、ひとまず及第点だと思うようになりました(もちろんコーチや漕手から新しい感覚を教わったり、漕ぎに結び付けられなくとも気になった挙動を伝えたりということは継続しました)。

今狙うポイント、これまで狙っていたポイントを適切な時にコールして、漕手が無意識下でもできるようになるまで思い出してもらうこと、

今自分がつかめる感覚を活かしたフィードバックができること、

シンプルにこの2つを意識して、それ以外のことは優先順位を下げました。

 

その代わり今まで以上に真剣に考えるようになったのが、どうしたら漕手を気持ちよく漕がせられるか、今漕手が何を考えているか、ということでした。

最も漕手にとってストレスなく艇を回すためにはどうすればいいか、どんな声色でどんな口調でどんな言葉を選んでコールするべきか、技術の指摘以外にどんな言葉を加えると効果的か、今この瞬間の漕手にかけるべき言葉は何か、乗艇中はひたすらそれを考え続けました。いつまで経っても正解はわからないし、最後まで至らないところも多々ありましたが…

 

このインカレを機に、目指す方向性が「漕手を気持ちよく漕がせること」に変わりました。

 

 

とはいえこの時は漕手に対する委縮の気持ちもまだあり、もともと人に強気なことを言えないタイプだったのでアツいコールは苦手でした。

 

そこでレースで2つのことを試した結果、クルーにコールを褒めてもらえました。

1つめは、これまでのメニューから漕ぎの傾向を掴み、レース前にどの地点で何をコールするか細かく想像して何度もイメージレースを繰り返すことです。事前にシミュレーションすることで自分自身に余裕を作り、舵やレース展開の分析などとの意識の両立を狙いました。こんな時にはこんな言葉をかけよう、とか考えながら鼓舞の練習もしていました。

2つめはNTT時代の佐々野さんが8+で最後に競り勝つレースの動画を、レース前に何度も見ることです。佐々野さんがずっとアツいコールをしていて自分も気持ちが入り、絶対勝たせるぞ、何があっても最後まで諦めないぞと気合を入れていました。

 

 

手ごたえも掴んだインカレでしたが、台風の影響もあってC決勝進出となりました。

並べやレース経験の少なさもあり、自分がもう少し他艇との競り合いを上手くできれば…という場面もありました。

来年は絶対にこの課題をクリアして引退しよう、と胸に刻んで3年目のシーズンを終えました。

 

 

そして冬練中も漕手のエルゴを見ながらとにかく鼓舞することを繰り返し、さすがに男子にも慣れてきて徐々に強気でコールできるようになりました。

この頃ようやく、衝突も繰り返しながら少しずつ漕手との相互理解を深めていけて、「一緒に戦う仲間」だと思えるようになっていった気がします。

 

 

HOB同期&吉田さん8+

 

しかし、そんなときに私の体調は人生最悪に崩れてしまいまして…

代替わりして同期でこれからというときでしたが、自分はすでにエネルギーを絞り切ってしまったような気分でした。

ずっとぼんやりしたことしか話せていなかったのですが、3年の春あたりから生理前後に心身ともに調子が崩れるようになり、1か月のうち1.2週間は日常生活も苦労する状態でした。3年の夏は気合で乗り切れることも多かったのですが徐々に悪化して、就活も相まって3年冬はもうヘロヘロでした。

春遠征もぎりぎりまで行くつもりでしたが、安永・玉川・ジャガーに全力で止められて休む決心がつきました。植村監督に電話したら1時間ぐらい反対されましたが…笑

4年目の途中で治療を始めて今では効果も出ているのですが、もう少し早くから病院行っていたらなと思います。現役時代は治療が間に合わず、インカレ直前までいろんな人に心配と迷惑をかけました。練習に出れない日も増えてしまい、乗艇やミートの前後で勝手に涙が止まらなくなることも増え、頑張りたい気持ちと体調とのギャップが悔しかったです。

 

 

4年目

 

4月から復帰して乗艇を開始します。

体調に不安が残る中で半ば意地と申し訳なさで復帰を早めましたが、いざ戻ってみるとやっぱり水上を艇が進む感覚が好きで、部員からもらえるエネルギーも大きくて、あと半年、自分が満足いくまで頑張ろうという一心でした。

また、主務との両立も2年目だったので、去年の全日期のようにならないように「後から振り返ったときに100%COXに集中できたと思えるように、両立を絶対に妥協しない」ということをとにかく心掛けていました。

 

 

 

東北戦8+。漕手の個性がぶつかりあうことが多く、自分がこれまでやってきたことは間違っていたのか、漕手の意見を尊重するのではなく自分が我を出して引っ張るCOXを目指していたら上手くいったのか?と葛藤していました。正解はわかりませんが、今でも後輩たちに申し訳なかったなという気持ちがあります。

 

 

 

インカレ4+。銀メダルを獲れましたが、この期間も実はドタバタでした。

これまで少しずつ積み上げてきた自信が、東北戦前後に漕手から放たれた言葉で崩れさってしまいました。それだけで?という感じですが、たくさんぶつかって徐々に信頼を築けてきたと思っていただけに傷が深かったようで、和解した後も体調が不安定な時期の乗艇中は何度もその言葉が蘇り、頭が動かなくなりました。つくづく情けなかったしクルーに申し訳なかったです。

 

4年目にもなって情けないと思いながらも長坂さんや小澤さんに相談し、踏ん張れました。一度崩れた自信も全くゼロにはならず、糧になりました。

 

これまで意識してきた「漕手を気持ちよく漕がせる」ための自分の行動がちゃんと実を結んでいたんだな~と、マイクが壊れたときの練習で実感できたり。笑

苦手意識のあったレース戦略の考え方も進化できました。これまで「細かいプランはCOXが考える」という雰囲気が多く、それに則っていたのですが、漕手の性格や得意な戦い方によって強い戦略も変わるよな?という疑問があり、浅野さんからも助言をいただき、どこで攻めてどこで守るか、徹底的に漕手と議論することを心掛けました。

個人的には、今回のインカレのレースで特にこれがハマったなと思っています。自分もどんな戦況でも正確な判断を下せる自信はないし、漕手もどんな戦略でも対応できるわけでもない中で、事前に様々な戦況を想定して「自分たちの実力を最大限活かして最終的に勝つための戦略」をすり合わせられたことは、クルーの意識を統一するうえで重要だったと思います。

 

レースでは、心の底からクルーを信頼してコールすることができました。

私にとってはメダルと同じくらい嬉しいことでした。

 

 

――

 

長々4年間とCOXとしての思考を振り返りました。実に約8000字。お疲れ様です。

 

ここから、まとめとCOXに関わる漕手やコーチに向けて私が思うことを書かせてください。

 

 

私が感じたCOXの苦しさは、自分のCOXで自信を持っていいところが分からないことから来ていたなと思います。

漕手からはたまに要望をもらうぐらいでコーチも漕手への指導がほとんどだったので、自分の長所と課題を客観的に整理できず、とにかく自分の粗探しを繰り返していました。自分を褒めることができず、乗艇が楽しくない時期も長かったです。もっと恐れずに漕手にもコーチにもコミュニケーションを求められたらよかった、というのは自分の中で大きな後悔です。

 

ただ、恐れてしまう気持ちを少しでも理解できる漕手やコーチがいたら、自分からCOXに、良いと思っているところや直してほしいところをどんどん話にいって、目指すCOX像を一緒に作ってあげてほしいです。それはきっと、COXにとって大きな支えになります。

 

漕手とCOXは見ている方向も違えば考えていることも全然違って、たとえ同じ時間を過ごしていても意外とお互い何考えてるかわからないんだな、というのが私の学びです。ときにぶつかりながらも話して、お互いが何を考えているのか知ることで初めて信頼関係は生まれると思います。

 

個人的には、直してほしいところがあるのに遠慮して我慢されるよりもガツガツ言ってくれる方が嬉しいCOXが多い気がします。ただ指摘ばっかりだと誰でも自信がなくなるので、良いところを省略せずちゃんと言うということを大切にしてくれたら、COXも漕手のことを信頼しやすくなるはずです(これは漕手間でも、COXからのフィードバックでも言えることですが)。漕手を信頼してのびのびと発言できるCOXは、漕手の顔色を伺うCOXよりも絶対にクルーにいい効果をもたらします。

 

 

――

これにてCOX編、終了です。お疲れ様です。

もしもう少しCOXについて知りたい人がいたら、「京大ボート部 ブログ COX」で調べてみてください。COX心理についてものすごく論理的にまとめられたブログがあります。

 

――

 

ここまでですでに長いのですが、最後に、みんなへの感謝を述べさせてください。

疲れた人は休憩しながら読んでくれたら嬉しいです。

 

 

まず、大山へ。

まずは入部してくれてありがとう。「COXかっこよくないすか?」と言ってくれて、すでにリーダーシップたっぷりなオーラを出していた大山が入部を決めてくれた時、叫びそうなぐらい嬉しかったです。

このシーズン私は自分のことで精一杯で、上手く気にかけてあげられなかったけど、陰ながらずっと見守っていました。

勝利への意欲、責任感と覚悟、ボートへの情熱、漕手とのコミュニケーション、

私がCOXにとって重要だと思うものを、大山は1年生ながら全部持っています。1年生でこれだったら3年後どうなっちゃうんだろうと、もはやちょっと羨ましいです。

あとは経験値を増やして技術を磨くだけ。

既存の型にはまらなくていいから自信をもって、漕手と自分にとって1番最高だと思えるCOX像を作っていってほしいです。

今は大丈夫かなと思うけど、この先もし壁にぶつかったとき、漕手に言えない気持ちを吐きたい時が来たら、頼ってくれると嬉しいです。

ずっと応援してるよ!

 

 

1年生へ

新人戦でのレースも、スタッフとして帯同した人の頑張りにも、めちゃめちゃ感動しました。皆で切磋琢磨しながら頑張っている良い雰囲気が大好きです。来年再来年、成長した皆のレースを見れるのが今から楽しみです!

先輩をたくさん頼って、同期ともたくさん遊んで、ボート部生活を楽しみながら頑張ってね。応援してます!

 

 

2年生へ

新人の頃から自分たちの考えをしっかり持っていて恐れず発言できる君たちのこと、ちょっと怖かったけどとても頼もしかったです。

2年目の目線から今年の4年目に対して思っていたことを自分たちの代で昇華させて、部をよりよくしていってほしいなと思っています。

 

小林、インカレ一緒にメダル獲れて嬉しかった。4年目を支えてくれてありがとう

これからも怪我に気をつけて、最後までこのまま突っ走ってください。期待してるよ

 

隆真、たぶん隆真にとって私は頼りないCOXだったけど、こんなにクルー作りを大切に考える漕手と私は初めて出会いました。私が今まで飲み込んでしまってたことを恐れず伝えてくれる姿勢を見て、自分ももっと頑張らなきゃと思わされました。

これからも周りとたくさん話して、皆がいいと思えるクルーを作っていってほしいです。

 

岩崎、岩崎の明るさは北大ボート部の光だと思います。北大ボート部のキーパーソンとしてこれからも岩崎らしく皆を引っ張っていってね。ずっといろいろ気にかけてくれてありがとう。岩崎のスラックめっちゃ好きです、応援してるよ!

 

松井、ひそかに松井のことずっと心配してたんだけど、今シーズン松井が真剣に頑張ってるところをたくさん見れて、心配する必要なかったなと思いました。松井の整調ちょっと泣きそうでした、かっこよかったよ!

 

尾上には最初試乗会で「雨が嫌です」って言われてどうしようかと思ったけど、入部してからずっと頑張り続けてどんどん成長していく尾上を見ていて、尊敬しかありませんでした。

実は最上級生になって後輩との関わり方に迷っていた時、尾上みたいな熱心な子がのびのび頑張れる部活にしたいという思いを軸にしていました。

オッ盾と新人戦、本当にお疲れ様でした

 

平松と今井はごめん正直最後まで嫌われてるんじゃないかと思っていましたが、私は2人のストイックさをずっと見習っていました。

今井が楽しそうにシングル漕いでるところ見るの大好きでした。

平松、東北戦で一緒に戦えてうれしかったよ。ありがとう。

 

入江、2個も年下なのに入江といるとなぜかまるで妹になったような気分でした^^

素晴らしい包容力でこれからのボート部を優しく包んであげてください。

新人戦遠征の入江はまじでかっこよかったです、すごいんだから自信もってね。

 

一條、練習も部の仕事も頑張り続けてるイメージしかないです。苦しい時に自分を追い込める一條は最高にかっこいいし、皆にめちゃめちゃいい影響を与えてます。

一條なら女子を元気に引っ張っていけるから、たまには息抜きしながら頑張ってね。

 

木原、木原を見ると私はかわいいとかかっこいいとかしか言わなかった気がします笑

去年の冬練で木原のエルゴを見る機会が多くて嬉しかった!

今シーズンは部屋で号泣してるところとか見せちゃって情けない限りでした。木原も体調気をつけて、楽しく冬を乗り切ってね。

 

河田のことは1年生の時はいろいろ心配してたけど、2年生になって新トレにCOXにとたくさん挑戦していく河田を見て、頼もしいな~と思うことばかりでした。

COXやるって聞いたとき嬉しかったよ、本当にお疲れ様!

 

関、高校の後輩が謎の主務メールからの連絡で入部してくれて、めちゃめちゃ嬉しいやと思ってたら想像以上の逸材でびっくりでした。追い込みすぎなんじゃないかいと思うことも多いけど、たぶん性格ちょっと似てるんだろうね笑

ここから飛躍していく関を見るのが楽しみです。ずっと応援してるよ!

 

 

3年目の男たちへ

3年目は私が初心者COXの頃から一緒に乗ってくれて、やっぱり私にとって特別で、同期と同じくらい一緒に戦ってきたと思える存在でした。

 

山田と乗れたのは新人戦だけだったけど、あの8+は山田の声だけ私のところまで聞こえてきてて、それが私にとってすごく心強くて、一緒にコールしてるみたいな気持ちでした。山田はクルーボートで他のクルーに力を与えられる漕手だと思っています。

いつだったか厳しいことをいろいろ言っちゃったけど、山田を応援し続けてる気持ちはあの時も今も変わってません。

ラスト1年悔いがないようにね、引退の日笑い泣きしてる山田が見たいです

 

小方と金谷はたくさん同じ艇に乗ってきて、ずっと心強い存在でした。

今年の東北戦8+での悩みを小方に話した時に「3年目は4年目についていきたいです」と目を見て言ってくれたこと、すごく嬉しかったです。

やっぱり新人の時の印象が強くて、後方のことなんも言ってくれなかった小方と疲れましたしか言わなかった金谷のイメージなので、インカレは感動しながら見てました。

今年一緒に戦いたかったなと思っていたけど、2人ともに色紙で謝罪されちゃって大困惑だったよ笑

そのぶん全部来年にぶつけてください。期待してます。

ラストシーズン自分の気持ちに妥協せずに、体大事に頑張ってね。

 

 

ゆりちゃん、柳へ

2人には本当にお世話になりました。正直私が2人にしてもらったことはたくさんありすぎるけど、私がしてあげられたことは何かあるのかな、、と不安になります。

2人がしっかりしているのをいいことに、あんまり気にかけてあげられない時も多かったし、いつもいろんな仕事を任せてしまっていました。

 

今年のインカレでめちゃめちゃ泣いて喜んでくれてありがとう。

私が動かなくていいようにって、自分から私の仕事を奪うぐらい気遣ってくれてありがとう。

寒い時期の帰艇のとき、ベンチコート持って待っててくれてありがとう。

納谷さんが報われて良かったなんて、言ってくれてありがとう。

本当に支えてもらってばっかりでした。特に今シーズンは、2人やジャガーのおかげで私のCOX業が成り立っていました。

いつでも選手のことを考えて動いて、選手に寄り添い続ける2人はマネージャーの鏡です。尊敬しています。

私なんぞいなくても、君たち絶対大丈夫ですよ。

しんどくなる前にいつでも連絡してね。

 

 

 

主務を2年もしていたので、私のパソコンの予測変換にはすぐにみんなのフルネームが出てきます。卒論執筆中に変換されるたびにニッコリしちゃいます。

大好きで大事な後輩たち、これからもずっと応援してるよ!

 

――

 

同期たちへ

 

同期全員、それぞれに救ってもらったことがあります。

最高の同期だと思ってます。ありがとう!

 

 

個別に伝えるのはこの場でなくてもいい気がするので、これでおしまい!

 

 

――

 

最後に、

 

安永、玉川、

主将としての1年間、本当にお疲れ様。

たくさん2人が悩む姿は見てきたけど、私にとって2人は最高に尊敬できる、頼もしい主将でした。

2人ともアツい気持ちをもっていて、それを追求して示し続けてくれたから今年の北大ボート部の雰囲気が作れたと思っています。

主務業もいっぱい助けてもらっちゃって申し訳なかったけど、ありがとう。

 

 

 

 

約12500字、じゃがぼよりは短いですが長いですね。

 

 

 

最後の最後に、これまで活動を支えてくれた家族、先輩方、OBOGの皆様、本当にありがとうございました。

 

 

家族には申し訳ないぐらい心配をかけっぱなしでした。いつでも話聞いてくれて、ずっと応援し続けてくれてありがとう。

 

 

先輩方へ、お世話になった先輩の名前を挙げたらキリがないくらい、本当にたくさんの方々にお世話になりました。ずっと見守ってくださってありがとうございました。

特に、藤田さん(H29)、地崎さん(H31水産)、船山さん奥田さん、長坂さん、たくさんご迷惑をおかけしました。先輩方が先輩方じゃなかったら私はCOXしてなかったと思うくらい、偉大な存在です。

 

 

江川さん、植村さん、川勝さん、亀山さん、関わってくれたコーチの皆さん、ご支援いただいた皆様、部の活動を支えていただきありがとうございました。

2年も主務をしたのに至らないところばかりで、たくさんフォローしていただきました。

これからの後輩たちをよろしくお願いいたします。

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

4年間のすべてに、感謝を!          

 

 

コメント

ボートして没頭して

2024-10-10 23:00:00 | 2024引退ブログ

※20,000字ほどあるそうです。非常に長く、体裁も十分に整えてないので読みにくいかもしれません。ご容赦を。



現役引退からもう1か月。



ブログでも1か月ぶりにお邪魔します、元マネチーフのジャガーこと、吉川です。引退ブログを誰もアップしないので僕が切り込み隊長になります。前回のブログは、思っていたよりも広い範囲で認知されていたようで、ブログのことで部員のみならず保護者の皆様、OB・OG様、応援団の皆様、様々な方から大会期間にお声掛けを頂きました。いままでの気持ちが伝えられて嬉しいような、さすがに照れくさいような、でも書いてよかったと思えました。

なんも関係ないけど高校の卒業式の時の写真。多少、受験太りしている

この1か月の間はずっと、シーズン中に溜めに溜めまくった睡眠負債の返済をしていました。あれだけ朝型人間として生きてきたのに、もうあっという間に朝が弱くなってしまいました。同期たちの中には、ちょこちょこ茨戸に通って後輩たちと一緒に乗ったり、作業したりしているようですが、僕は起きた頃にはすでに練習が終わっているので いまだに後輩たちの練習に顔を出せていません🥲

大阪市 天王寺動物園のジャガー、ロンくんとのご対面。雰囲気変わったね、と家族・親戚、地元の友だちにはよく言われます

引退後、なんだか時の流れが異様に遅く感じます。シーズン中は気づいたら1週間が終わっていて、なんか知らないうちに茨戸での練習が終わってしまったのですが、今は「まだ10月上旬!?」という気分です。どれだけ、ボート部が自分の生活を占めていたのかが思い知らせる1か月でもありました。授業・実習もそこまで負荷が高くなく、他の同期と違って卒論も2 年後の話なので、4年後期はだいぶ生活に余裕があります。とりあえず、怠惰に過ごしたり無駄な時間を過ごすことがないよう、現役のころはできなかったいろんな遊びの予定を詰め込みたいです!

ユニバにタマムシロースーみたいなゾンビがいました

部活動というコミュニティから離脱すると、先輩・後輩、社会人・学生といった上下関係を意識する機会がかなり少なくなって、フラットな人間関係になったなあ、とも感じています。後輩のみんなには、僕ら4年生の姿はどのように映ったでしょうか。真面目な人たち?速くて強い?あまり喋ったことない?同期で仲良さそう?

(左奥)純大。いかつい体つきとは裏腹に、甘いボイスが魅力のシャイボーイ
(右手前)まさすけ。カメラを向けると、たとえ本来の被写体が他の人であっても欠かさず視線を向けてくる

僕のことはみんなどう思ってるのかな。勉強が忙しそう?日焼け対策しすぎて不審者にしか見えなかった?激辛マニア?早死にしそう?

特製火鍋🔥これは春合宿のときのもの。呼ばれたらいつでも作りにいくよ~

それぞれのメンバーにいろんなイメージを抱いていることと思います。僕ら4年生は、夏休みに長い時間をかけて何回も何回もミートを重ねて、最上級生らしい姿を見せられるよう意識統一をしてきました。就活や実習、研究室などで多忙な中でもきちんと練習へ来て目標達成に向けてメニューをこなし、その熱意が後輩に伝わっていって部全体がただ一つ、「大会での勝利」に向けて精一杯努力できるような雰囲気が作られていってほしいなあ、という想いがあったのです。僕らは後輩のみんなにとって、多少なりともいい影響を与えられる存在になれたかな?

1年目の夏休みのときの千里。若々しい

僕もあまり口に出すことはしなかったですが、みんながこの部活で活動していて楽しいな!快適な環境だな!と思ってもらえるよう、そして最終到達点である勝利への基盤づくりにマネージャーとして徹してきたつもりです。インカレの時なんて、ずっと死んだ目をしていたかもしれない笑 なんでそんなに身を削っているの?どうして獣医学部なのに週6日活動の鬼ハードな部活に入ったの?といった感想は誰しもが思ったのではないでしょうか。

安永。(時効だから言うが)1年のときに冬練を1回サボってスキーに行ったときの写真、このあと撮影者のぼくに突っ込む

こんな生活をすることになるとは、入部した時にはまったく想定していませんでした。遡ると、僕が新歓される側だったとき、もう3年半前になります。まだ新型コロナによる行動制限真っ只中、対面での新歓が全面的に禁止されていました。そんな中で、北大ボート部の存在は高校時代からの先輩である生純さん(R2)からDMをもらったことがきっかけでした。エルゴなんて拷問器具はもう漕ぎたくない!という考えは、高校ボート経験者の8割9割が大学入学後にたどり着きます。高校時代は漕手だった僕も例外なくそちら側の人間だったのですが、なんだかんだ、旭丘ボート部での生活は充実していたことを思い出し、気づけば北大ボート部にも惹かれて、オンライン説明会に参加しちゃいました。ほとんど記憶はないですが、当時の主務である和田さん(H30)が司会だったこと、平日朝3時起床という絶望の宣告をされたことは覚えています。高校のときは、どれだけ早くても5時起きです(しかも土日のみ)。やっぱ、大学でもボートやる人は頭おかしい、、😅 と思っておきながら、対面新歓解禁後に開催された試乗会に結局行きました。既に同じくらい僕も頭おかしかったみたい。

入部まもない頃の細いまさすけ。じつは新人どうしの初めての顔合わせの時に、一番最初に声をかけてくれた

同じく旭丘ボート部出身で北大へ進学した友達2人とともに試乗会に行きました。司会には相変わらず和田さんが登壇し、筋金入りの関西弁で盛り上げてくれました。すごく、面白い人がこの部活には居るんだなあ

…と思いきや、急に話の流れが変わりました。「誰かボートの漕ぎ方、教えてくれる人、いないかなあ!?」

シャッター「ガラガラガラガラガラガラァ!!!!」

???「オマエラァ!! ボートハコノ,コンゴウリキシゾウミタイナウデデコグトデモ,オモッテンノカァ!!!」

なんか本州のカメムシみたいな原色グリーンの筋肉モリモリ生ローニキが右、左、中央に出現して、急に取り巻きの先輩たちに座っていた椅子を没収されて訳分からんダンス(エビカニクス)をやらされて。友達が本気でドン引いてました。高校のときの新歓は、艇庫に来てまずは新入生と上級生で心穏やか〜なトークから始まったので、そのあまりのギャップも相まって、これだけの人員を投じて、わざわざ車で30分近くかかる場所に新入生を連れてきて、それでこんな選別作業を新歓の序盤でやって大丈夫なのかな、と新歓受ける側でありながら心配になりました。けれど、エイトの試乗は先輩方の盛り上げのおかげですごく楽しかったし、モーターボートの疾走感と漕手とは違った視点への新鮮味に強い魅力を感じて、2回目の試乗会のときに入部を決めました。マネージャーとはいえ週6日の活動だし、エビカニクスをやるし、一日の始まりが朝3時だし、しんどい部活だというイメージは払拭されませんでしたが、他では決して味わえない楽しい経験、面白い先輩たちの存在、この2点が決め手となりました。

爆睡する西井。口数少ないながらも、遊びに誘ったら必ず来てくれるフッ軽代表

入部して新トレ& 新人のLINEグルに追加してもらいました。どんどん、新たな仲間たちが入ってきて、個性豊かな自己紹介をノートに載せてくれました。みんなご存知かな?4年目で引退まで残ったのは10人だけ(あべたい、じゅんだい含む)ですが、もとは22人もいました。このうちの半分くらいが、1年生の冬練、とりわけ年明けから新歓期にかけて消えていってしまいました。

いまの1,2年生と同じく、新人のころはこれだけ賑やかでした…

この話を出すかどうか迷いましたが、りこもそのうちの一人でした。なんの前触れもなくいきなり全体LINEにやめます、とだけメッセージを送って消えてしまいました。このとき僕は千里もスープカレーを食べに行ってて、楽しくおしゃべりしていたのですが、このLINEが来たとたん千里は口をつぐんでしまいました。あの千里がです。「(クルーを組めるだけの同期漕手がいなくなってしまったから)もうスタッフになって部の運営に回ろうかな、全滅したら俺もやめる」と言ってたのが印象的でした。まさすけも留学の準備のために すでに部からいったん離れていたため、当時の2年目は壊滅寸前でした…

江川さんも思わず絶句

僕個人の話をすると、2 年生からは 獣医学部の専門科目がスタートしました。最初の授業は解剖学でした。………え?この骨の名前全部覚えるの?さらに骨の突起や陥凹にもいちいち名称があるんだ…さらに臓器や筋肉、血管走行、神経支配も?!?!!?動物種ごとの差も????🤮🤮勉強量が急激に増え
た。1年生のときの勉強時間よりも解剖学の勉強時間のほうが勝っていたかもしれない笑 いまとなってはただの思い出話ですが、当時の僕は毎日が本当に苦痛でした。

実習のプリント。赤褐色の汚れは、ご想像どおりのものです

学部の友だちは夜に飲める人たちで飲み会したり、土日には遠出して遊んでたり。朝早いが故に夜に予定を入れられなくて、誘ってもらっても断ることが多かったです。一方で部活は、1限から授業があるのもあって終わったらバタバタと準備して直帰し、それでようやくギリギリに着くため 漕手たちと話す機会が全然作れませんでした。
号泣する我らが新トレチーフ、悠哉さん(H29)。岡崎さん、向井さんも観戦に来てくれました。新トレのみなさんがみっちり面倒見してくれた恩を少しでも返すことができてよかったです

部活して授業と実習して、帰ってテスト勉強したらもう寝る時間、という生活だけがひたすら続きました。他のみんなは頑張るときは頑張り、遊ぶときは遊ぶ、というメリハリのある充実した生活を送っているのに、自分はどちらのコミュニティにおいてもはみ出し者になっている気分でした。結局、何をしたくて今の生活をしているのか、これだけの大変思いをして何が結果として返ってくるのか、両方のコミュニティに所属することで、それぞれで本来ならば得られるはずの達成感や楽しみをどちらも逃してしまい、中途半端な状態に陥っていないか。自分の在り方について毎日のように思い悩むも 改善策を考える暇もなく、ただ毎日やるべきことを作業のようにこなすだけの日々だったと記憶しています。

納谷。みんな「納屋」と書き間違える。同じようにマネージャーの道を歩むかと思ってたけどな、どこで世界が分岐しちゃったのやら

そんなこと思っているうちに、同期たちはメキメキ成長していきました。安永が知らないうちにマッチョになっていたことが一番の衝撃でした。 2年目にして、インカレではアベタイが対校M4+に、千里安永純大はセカンドM4×に、りこゆき玉川はW4×に、納谷西井はOX盾エイトに乗ることに(復帰間もない まさすけは確か、スタッフとしてインカレに来てた)。1年のときのOX盾と新人戦は潰れてしまったため、初めての全国大会です。この半年間しんどかったけど、このインカレでいったん区切りになるし レースで勝つ瞬間を見れたらいまま部に貢献してきた分の時間と労力が報われるだろう、と頑張ることにしました。

ゆきちゃん。同期でいちばんアクティブ。定山渓へドライブしたときに、しりとりで「ヒグマ」という用語を僕が出したところ、道民だってのに通じなかった、天然ガール

けど、このインカレで最悪なことが起きます、M4×とW4×が宿泊している会館で新型コロナ感染者が発生してしまいます… 同じ会館に宿泊している選手とスタッフが何人も、同じタイミングで喉の痛みを訴えはじめ、もしかして…と思って抗原検査を実施したら思ったとおり陽性でした。結局、陽性判定となった部員は遠征から離脱し、M4×とW4×はどちらも棄権することになりました…

玉川。1年のときは、なぜかいつも顎だけをマスクで覆いながら練習してた。もう外せばよかったのに

僕はいったんその会館から別のところへ個人的に宿泊先を移したのですが、そこでしだいに症状が悪化して咳が止まらなくなり同じく陽性に…東京都の療養施設に入所することになりました。療養施設に入所した経験がある人が、読んでいる人の中にはいるでしょうか。基本的に専用のホテル部屋の中にずっと閉じ込められ、朝昼晩に弁当を受け取るタイミングのみ共用スペースへ出られる形式です。ネット環境こそあるものの、非常に退屈な時間でした。寝るのにもスマホいじるのにも飽きたら、2年前期に何をしてきたかな、とひたすら考え事をするようになりました。

あべたい。医学部で超多忙だっていうのに毎日弱音を吐かず練習に励む鉄人。僕がここまで続けられた理由の一つには、あべたいには負けてられん!と獣医学部魂が湧いたから、でもある

残ったもの何もないじゃん。部活にもちゃんと通ったし、試験もいい成績とれたけど。なにか、それが自分にとってプラスになった?ちなみに、学部と部活動の両立のためにバイトも早期にやめてました。お金は減っていく一方だし、楽しかった思い出も数えるほど。コミュニティに所属しているのに疎外感、孤独感に押し潰される毎日…ボート部のせいで、私生活が侵食されている。このまま続けても、努力が良い結果として帰ってこないだろう…

金谷に無茶苦茶なヘアセットをしようと試みている瞬間。初期はいつも悲劇的な表情を浮かべているなこの子、と思ったが同期内ではけっこうボケて笑わせるらしい

誰にも言いませんでしたが、本気でボート部を辞めようと考えていました。療養が終わったら、そのまま帰省をしました(もとからそういう予定ではあった)。すると、たまたま帰省先で旅行している学部の友だちがいて、遊びに誘ってもらい、おいしいご飯やスイーツを食べながらこの出来事を話して多少は気持ちが晴れました。ただ、キックオフの日に行くかどうかはまだ迷っていました。辞めるならこのタイミングだ、と。けれど、誰かが悪い訳ではないし、誰かに迷惑かけるようなことはしたくないから、とりあえず行くことにしました。

りこ。恋愛の話題が大好き。練習のとき、ロースーにぜったい合わない、さらし鯨(※)みたいな かわいい靴下を履いていたイメージ

(※)さらし鯨

考え方が変わったのは、2年目の春遠征でした。この年は男女別で行動しており、男子は戸田へ行きました。帯同するスタッフは僕の他に住田と倉内。エッセンを作るときはどちらか一方と2人きりになるので、作っている間はずっとおしゃべりしました。2人と長時間話す機会はこれが初めてだったかもしれない。話した内容は具体的には覚えてないけど、他のボート部員のことをすごく細かく観察しているし、選手のことを考えて支えてやりたい、という想いがすごく伝わってきました。朝起きて眠気が覚めないうちでもしっかり練習に備えて栄養補給できるよう、補食はさらさらと食べやすいリゾットにしたり、遠征の運営とスタッフの運営で、矛盾ができたときにハッキリと指摘して 主将・主務とマネージャーの間で話し合う機会を作ったり。この部活で何をやりたいのかを見失っている自分とは違って しっかりしてるなあ、とね。

特殊なエッセンに目覚めたキッカケもこの遠征

でもここで、踏ん切りがついたんです。後輩たちがこれだけ部活動を良くしようと努力している中で、先輩である自分がなよなよしてたってしゃーないなって。困ったときにはいつでも頼れて、意見を遠慮なく言えて、リードしてくれる存在でもあって。そういう先輩になれるよう頑張りたい。勝てる部を作るためには、まずは部を支える一人ひとりを大切にすることが、不可欠だと感じたのです。そのために、僕自身の力がきっと不可欠なはずだ、と。

カラーサングラスのよく似合う、左からイリエ、ヤナギ、スミダ。イリエは金髪がすごく似合ってるし、ヤナギは度重なるイメチェンを経てオシャレになったし、スミダは高身長も相まってお姉さんらしさが増しててオーラがある。大事な大事な後輩ちゃんたち

そして自分の中での目標も定まりました。この遠征までの間に、普段あまり見ないようなメニューをエッセンでたくさん作ってきて、みんなに喜んでもらえるよう 味や仕込みに工夫を凝らしてきました。自分の知らなかった料理の存在を知ること、美味しくエッセンが作れたときの楽しさは ボート部でしか味わえない。そして、おいしい料理で米も進んで、選手たちが増量でき、艇速アップへの土台となる。この北大ボート部がもっと強くなって、B決勝のさらに上、A決勝に進んで、そこで勝つためには、僕自身の頑張りの有無に懸かっている、と思えるようになりました。

倉内。初期はよく喋る子だなあ というイメージしかなかったが、辛いもの好きだったりエナドリ愛好家だったり、価値観が最も近くて仲良くなれた

3年生も 変わらず、平日は午前座学、午後実習の毎日でしたが、練習での意識ががらっと変わり、忙しくて身体もしんどいながら、ボート部での仕事を楽しみつつ、部を支える存在になれるようめげずに取り組むようになれました。常軌を逸した生活リズムになり、本気で僕の体調を気にする人がちょこちょこいましたが(ありがたいことに)、案外耐えれるなっていう感想がぴったりだったかも。自分がいないと部活が成り立たないという意識はベースにあったため、休んでる暇ないなって思えてくるし、勉強漬けの毎日でもまだ日が昇りきらないような朝から起きられました。獣医学生とボート部員という2つの顔で大学生活を送ることが、誰にも真似できない自分だけのアイデンティティだと思えるようになったら すごく自身がついたし、この生活をやり遂げようという意志までも形成されました。

(左)イリエ。マネージャーの長として頑張ってね 困ったらいつでも頼りなよー
(真ん中)身長僕より高いんじゃあ?みおちゃん。軽音サークルと掛け持ちしていて、ボート部の異質な雰囲気を受け入れられるかな…と心配していたが めちゃくちゃボート部に適応してました。インカレのちょっと前に、3学年下のくせに僕のことを少しイジってきました笑
(右)一條。納谷と同じく名字を正しく覚えてもらえない。夏休み、シングルで誰よりも早く蹴り出して誰よりも長い距離を漕いでいた姿が印象的。新人戦も 来年のインカレも期待してます

3年目のインカレではスタッフの配置を細かく考えたり、必要な調整業務をしたり、遠征の運営の中心として初めて動くことになりました。引き継ぎを受けた訳ではないので、先輩たちの見様見真似で一日のスケジュールを一人ひとり作ってみました。準備の不手際でなにか大事な予定や選手からの希望を取りこぼして、思わぬ不利益が生じないよう常に目を光らせる毎日でした。休憩時間返上で誰よりもたくさん仕事をしてかなり多忙でしたが、それと同時に部へ貢献できている、という自身にも満ち溢れていたようにも思えます。ボートコースすぐ近くの埼玉県立第一艇庫に宿泊していたので、環境は完璧。今年は去年よりももっと舞える!と思えたのですが…

奥村さん。水産学部で函館に移ってから入部するという、レアパターン。インカレが初対面でしたがめちゃくちゃ面白い子でした。全学に欲しかった

敗者復活戦(2日目)の夜から台風が直撃し、翌日の準々決勝がなくなったことで(敗復クルー全体のタイム順で決められたんだっけ)、それ以降のレーススケジュールが直前に大幅な変更がなされました。千里、純大が乗る対校M4+も例外でなく、半ば強制的にC決勝止まりにさせられました…千里からの「本当の実力だったら、きっとB決勝、なんだったらA決勝だって狙えたのに」という言葉も、あの純大が本気で悔しがって涙を浮かべる姿も、痛いほど突き刺さりました。

なんで、こんなにもインカレで報われないんだろうな。

岩崎。次期主将候補。とにかくいつもアクティブで、ハキハキ喋って、ボート部を賑やかにしている張本人。この笑顔を見ているといつも元気をもらえる

そういう思いはずっと心の奥深くにあったから、4年目の最後のインカレで男子つきフォアが予選、準々決勝を1位で余裕で通過していく姿はめちゃくちゃ凄かったし、さらにはA決勝でいままでで最高のレースをして準優勝しちゃうし。女子クォドはあともうひと押し、というところではあったけれど、先行するクルーに食らいついていく様子はすごく頼もしく感じたし、増田も薬学部の多忙研究室生活に耐えながら 他大学とエイトで出場して決勝まで漕ぎきったし。3年半前に出会った頃とは本当に別人のように成長して、本当にかっこよすぎるよ。



このインカレでの僕の想いは前回のブログに綴ったので これ以上は割愛しますが、改めて。



本当におめでとう。そして、ありがとう。



最後の最後でこんなにかっこいい姿を見れるなんて、いい意味で予想外だった。予想以上だった。



引退までボート部を続けてきてよかった。

入部宣言をした直後の小方。いっさい表情変えていないのが怖い。が、実際はすごく心優しいナイスガイ。来シーズンはケガで悔しい思いしませんように

ボート部で練習するにあたって、理由は何であれ絶対に一度はボートという競技、ないしボート部のことが嫌になる瞬間があると思います。これが、なにかボート以外に挑戦したいことがあって部を離れたいだとか、新たな世界を開拓したい、と思っているのなら、僕はその道に進む方を選ぶのは全然アリだと思います。けれど、もしボートのことで何か悩んでいる、迷いが生じているなら、一度立ち止まるのはもちろんokだけど辞めるまではしないでほしい。意志を変えることは簡単ではないかもしれないけれど、視点を変えることは難しくない。与えられた環境に文句を言ったって何も変わらない。その中に、実はまだ気づけていない、自分にとって大事な何かが潜んでいるかもしれない。それを見つけだせるかどうかが、その葛藤を晴らす鍵だと信じています。

真太郎さん(H30)。就活終わったから、という理由で、大変なはずなのに茨戸まで来て手伝いに来てくれた。上野(うわの)さん、都雲さんもそうだが、非常に博識で 話していて自分の知らない世界を知ることができる貴重な先輩方

ボート部に入ったことで、他人と比べることをやめて、自分自身が何をしたいか、端的に言うと主体性を身につけることができたような気がします。他の人が楽しいことをしていたら、自分には無い何かを持っていたら、どうしてもそれを羨ましく思い、自分と比較して自身を貶むことだってあるかもしれないけれど、その人はたまたま今楽しそうにしているだけで裏では絶望の人生を送っているかもしれない、「自分には無いもの」というのは「自分には必要がないから持っていない」から、かもしれない。そういうのが予めすべて分かったら、常に自分にとっての「最適解」だけを選択して幸せになれるかもしれないけれど、現実それは不可能だから。自分がやりたいことを見つけ出して、それに自分の意志で納得できるまで、思う存分取り組めたら、めちゃくちゃ楽しいと思わない?他人が楽しい思いをしていたとしても、それを自分と比較したり、妬んだりしないでしょう。「正解」の人生を歩めるかどうかは自分自身の意識がすべてだ。もちろん人間社会に生きる以上、他の人から多少なりとも批判を受ける時だってある。それを一切聞き入れないのも問題ではあるけれど、人の機嫌ばかりを気にして萎縮しながら生きる人生ほどもったいないものはないと思う。

(左)すいちゃん。度重なるケガで苦労している…。毎回、大会遠征ではスタッフとして助けてくれていたが、ラストイヤーは2,000mを漕ぎきって喜んでいる姿を見たいな
(右)R2世代の主将。3年生までに志望していた企業への内定をゲットし、卒業単位もとりきって卒論も仕上げるという超ハイスペ。ボート部の組織としての質を、部員の練習への熱意を少しでも高めようと駆けずり回る、熱い漢でした

僕は初めて会う人に対して何の興味も湧かないタイプような極度の人見知りで、小中も高校も、今では交友関係は希薄になりつつあるような薄情なタイプでしたが、北大ボート部で出会った人たち、同期たちとは一生の付き合いになりそうな予感がします。社会に出てからも、どれだけ遠くても忙しくても、わざわざ集まって話したくなる存在。そんなかけがえのない人と出会える場所となったこのボート部に3年半居させてもらえたこと、一緒に部活できたこと、本当に感謝しています。僕たち4年目を最後まで応援してくれて、支えてくれて、祝ってくれてありがとうございました。
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