goo blog サービス終了のお知らせ 

北大ボートblog

北大ボート部部員によるほぼ定期更新ブログ。

理想を追う時間そのものが幸せだった

2022-11-17 18:08:32 | 2022引退ブログ

大変お久しぶりです。
修士1年の向井です。

引退ブログ書きたくないなーと思って、後回しにしていたら、インカレから2ヶ月強も経ってしまいました。インカレすら遠い過去のような気分ですが、インカレまでの今シーズンを振り返りたいと思います。

自分にとって今シーズンが始まったのは、昨年のインカレでした。自分は去年の1年間は新トレをしており、スタッフとしてインカレに同行しました。

契機はインカレフォアのオールをピット辺りまで運んでいた時に見た、他大のフォアのタイムトライアルレース。coxのコールと共に、勢いよく漕ぐ選手を間近に見て、心を揺さぶられてしまいました。もう漕手はやらない、ボートは諦めたと言い聞かせていた自分でしたが、一度揺さぶられてしまったら、もう自分に嘘はつけません。インカレ最終日ごろには、もう来年漕ぐことを決意してました。

まあ漕手復帰を決意した自分ですが、なんせブランク2年。大した才能もない、そんな自分が勝てるほど甘い世界ではないことは、ある程度分かっていたので、目標は最初から「勝ち」以外のところでした。漕手としての自分の目標は「毎日自分に打ち克つこと」、「インカレ後に精一杯やったと思えること」でした。競技者としてはド三流の考えかもしれませんが、どんなに高い目標を立てようが、結局毎日弱い自分との勝負であることには変わりないと思っていたので、この目標を根底に今シーズンはやってきいました。ちなみに漕手は今シーズンだけにしようと最初から決めてました。一度挫折した自分が、また2年も続けられるとは思えなかったし、こっちの方が毎日真剣に臨めると思ったので。

そんなこんなで始まった冬練。復帰後初のエルゴTTは、一年生の時の人生初2000TTより遅かった。圧倒的な遅さで笑えてきましたが、絶望より、これからどれだけ伸びるんだろうというワクワクに溢れていたのを覚えています。ただ結局思っていたより伸びずに、もう冬練終わりなのかと焦りながら、乗艇シーズンを迎えてしまいました。

乗艇シーズンはまず小艇練(シングル・ダブル)からスタート。伊藤さんとのダブル練の短漕で風を切って進む感覚を久しぶりに味わったのが、一番印象に残りました。久しぶり、もしかしたら初めて?ボートが楽しく感じました。

小艇練の次は東北戦でした。今まで定期戦に出たことなかった自分としては、出場できてうれしかった。エルゴはクルー最遅だったけどね。

東北戦は本当に熱かった。結果としては惨敗で悔しい思いでしたが、9人で同じ志の元、漕ぐエイトの良さが初めて分かりました。ちなみに帰艇後のランディングで待機中、皆んなが興奮して話してる中、僕だけ静かだったのは、目頭が熱くなってたからです。このレースができただけで、漕手復帰して良かったと思えるレースでした。

東北戦が終わったら、すぐインカレ選考がスタートしました。結果はエルゴタイムは部内の男子の中で下から2番目。インカレで勝つとか以前に、そもそもこのままだとインカレに出られない状況。インカレの小艇の基準タイムが切れるまでのTT地獄が始まりました。あのときは毎日茨戸に向かうまでの道のりで、今日タイム切れなかったら引退だな、これが最後の茨戸往復だと思いながら、茨戸に向かってました。結局ラストチャンスでギリギリ基準タイムを切ることができました。最後までエントリーを待ってくれたスタッフには感謝しかありません。

インカレは久我(3)とのペアで出ることになりました。クルー組み始めは久我が怪我をしてて満足に乗艇が出来ず、焦りがありましたが、日々見つかる課題に対して、あれこれ議論しながら練習するのは楽しかったです。

インカレでのレースはどのレースも面白かった。特にタイムトライアルでのレースはエルゴ回らない組だったとはいえ、ゴール手前で差して、一位通過して心が震えました。あの時のスパートは本当に気持ちよかった。あれを超える興奮は今後の人生で味わえるだろうか。インカレはそんな興奮を味わえましたが、同時に上位校との圧倒的な差を感じました。A決勝でメダル争い出来たら、もっと興奮できていたのかもしれません。僕には全く届きませんでした。2年ブランクの漕歴3年目が届く世界でないことは分かっていましたが、A決勝で戦える選手がただただ羨ましい。

そんな感じで僕の今シーズンは終わりました。目標自体は達成できたと思います。願わくばもっと上のステージで戦いたかった。
最後となりますが、いつも支えてくれたスタッフを始めとした、現役部員や監督、コーチの皆さん本当にありがとうございました。特に一緒にインカレを戦ってくれた久我君、ワガママ言って練習日以外もモーター出して下さった野田学生コーチ、高いモチベーションで部全体を引っ張ってくれた4年目の皆、本当にありがとう。たぶん4年目がこの代じゃなかったら、自分自身こんなに熱いシーズンにすることは出来なかったです。

またOB、OGの皆様応援ありがとうございました。特にインカレ壮行会やインカレにて、菅井さんや亀山さん、白石さん、川勝さんに直接「向井頑張れ」と言って下さったのは、嬉しかったです。

来年、何をしているかは分かりませんが、この先も毎日ワクワクできるような自分でありたいと思います。

長い間、大変お世話になりました。ボートに入部して、辞めて、また戻って、また漕いで、全ての選択が自分にとって最高のものになりました。ありがとうございました。

 

 

インカレ タイムトライアル時の写真 S 久我(3) B 向井(M1)

コメント

船山の自分語りとか、引退ブログ

2022-10-27 00:46:55 | 2022引退ブログ

お久しぶりです、4年目元主務の船山です。

引退ブログを書こうとずっと思っていたのですが...3年目をはじめとした新シーズンへの意気込みや、新人戦に関するブログが書かれ始めたので書くタイミングを失ってしまっておりました。
新人戦も終わり、現役部員の邪魔にならないタイミングになったかと思うので引退ブログを書かせていただいています。


最後の1年は主務をやったり、いろいろと忙しいことやつらいこともありましたが...なんだかんだ一番覚えていることはcoxのことです。
特に記憶に残っていることを1年の時から書かせてもらおうと思います。


僕のcoxの歴史として、自分の自信のなさをどうするかが大変でした。
自分のcoxを認めてあげられなかったので、本気の漕手と乗るのが申し訳ないという気持ちがずっとありました。


【1年目】

もともと僕は漕手として部活に入部し、1年生の夏にcoxへ転向しました。
僕もcox自体に興味はありましたが、転向したきっかけとしては新人戦でcoxが足りないからだったような気がします。
同期にはもともとcox志望で地崎(水産)と奥田(農女子)が入部しており、そんな2人に対して自分は消極的な理由でcoxをしているような気がしていて…胸を張ってcoxをできていませんでした。
ここですでにネガティブ思考でしたね。

そんな、コックスを初めて数か月というところで最大といってもいい山場がやってきました。
9月末の全道選手権のことです。付きフォアで出場することになったのですが…クルーが全員1個上の先輩方で
S横山敦紀(水産2年)
3野田笙太(農2年)
2上野彰士(経2年)
B岩崎陽平(薬2年)
全員、その年のインカレで対校8+のクルーでした。
ぶっちゃけ、怖すぎました…それまでほとんどしゃべったこと無い先輩たちでしたし、迫力あるメンバーでガクブルでした。
ついでに初めてのトップcoxでした。ついでで済ましていい内容じゃないです、レースまで1週間しか練習できません。
アツキさんから、「船山は真っ直ぐ進めてくれればいいから」といわれて、ひたすらまっすぐ進むことだけを頑張りました。全然真っ直ぐ進まないけどね、はは…
正直、怖すぎて部活辞めたくなるレベルだったのを覚えています。1週間ずっと、逃げたら楽になるんだろうな~と考えていました。
今となっては、逃げなくて本当に良かったです。あと、先輩たちは話してみるといい人でだいぶ怖さが減りました。


新人戦には2nd8+で出場することになりました。
coxboxが不足していたので毎日大声でコールをしていました。僕は声が通る方だったので最低限のコールはできていたと思いますが...果たして漕手にとって漕ぎやすい船だったのかは疑問が残りますね。
初めてのTTではゴール前に艇を止めてしまう失敗もしたりしました。「まだ終わってない!」と誰かが叫んでゴールしましたが、頭が真っ白になりましたね…漕いでないcoxが明確に足を引っ張ってどうするんだ。
そんなこんなで初めて戸田で舵を取りました。真太郎さんや大平さんといった先輩が乗っていたので、戸田での航行でめっちゃ頼らせてもらいました。心強かったです。
レースは楽しかったと思います。2000mがあっという間でした。
この時の新人戦では、正直に言って「乗せてもらっていた」という表現が似合うcoxだったと思います。

新人戦2nd8+の練習風景


ちなみに、全道選手権,新人戦を経験してもcoxとして自信が持てたかというと、全くでした。
僕がcoxにのることが同じ船に乗る漕手にとってはマイナスになると本気で思っていました…

 

冬連を挟み、春遠征が開催されるのですが…coxとして参加することになってました。
全体ミーティングで遠征メンバーの発表を見て
「????????????」
本気で嫌でした。行動力が無くて流されて生きてきた僕が、当時主将だった細川さんに「行きたくないです」と直談判しに行ったレベルで行きたくなかったです。
「船山が嫌なのは理解したし、船山の意見も聞くけど来てもらうことは変わらないかな」と言われて、絶望してました。4+2杯じゃなくて8+出せよ!!!とか思ってました。
しかも遠征なので、気が休まる場所もなさそうだなと…死んでしまいますよ?僕の心臓はそんなに強靭じゃないです。砕け散ります。

まるでテスト前日のような気分のまま春休みに突入したのですが、事態が急変したのは春遠征の2週間ほど前だったでしょうか?
この春遠征は2020年3月に予定されていたのですが、この年のこのタイミング、すでに大昔のような気がしますが…「新型コロナウイルス」が流行し始めていました。
コロナウイルスの影響で、春遠征の開催が見送られることになってしまったのです!
先輩の皆さんごめんなさい、内心大喜びしておりました!プレッシャーから解放されて気持ちが軽くなりました。遠征費も浮くしね。
一方で、春遠征がなくなったことを喜んでいる自分は嫌いでした。めんどくさい性格してますね、僕。

結果的に開催されなかった春遠征ですが、春遠征に僕が行けていた未来も見てみたい気がしますね。僕はどんな成長を遂げてくれるのでしょうか?僕は春遠征で頑張れましたか?

 

【2年目】

自粛、自粛、自粛…
ほぼcoxしてません。気分は楽でした。
そんな中でも「コロナ渦に負けないcoxミーティング」のようなものに参加させてもらいました。
経験豊富な、全国の「本物のcox」たちの貴重な意見を聞くことができました。
艇速への、さまざまアプローチを知りました。乗艇でしか鍛えられないことも多いですが、本当にたくさんの知識をいただけました。

ここでやる気をだして練習をして、自信がついて行ったら良かったのですが…乗艇練習はできていません。
自分の現状と、「本物のcox」との差を感じ、自信はさらに無くなったような気がします。ネガティブすぎんか?


2年生はまともに大艇での練習は数か月しかできず、レースの記憶もほぼ残ってないです。


そんな中、当時4年目coxの藤田さんの引退、同期のcox地崎が水産に行ってしまうため退部、奥田はW4×+がなくなるためcox業はほぼ無くなることになり(男子艇には乗らないらしい)
なんと、乗艇練習をまともにできてない僕が、自信のない僕が、いつの間にか最上級生coxになっていました!
あれぇ~?
なんの冗談かと思いました。
後輩のcoxに長坂がいましたが、コロナの影響で経験が足りていません。来年の対校艇が付き艇なら、ほぼ僕が確実に乗る状況になるでしょう。

僕なんかが対校艇に乗る…?
なんの冗談だろうかと思っていました。とても対校艇に乗る漕手と釣り合うcoxではありません。申し訳ないなあ…と


【3年目】

自粛の流れはいまだに続いていました。
東北戦は来年に延期になり、インカレも10月開催となりました。

この年は、予想通り僕が対校coxに乗ることになり、当時4年の上野さん,義忠さん、同期の小長井,大西と付きフォアでした。
全員本当に尊敬している漕手です。少しでもこのクルーにふさわしいcoxになろうと必死でした。
自信のなさは健在で、自信が無いことをごまかして…漕手の気持ちとか考えて勝手に苦しくなったりしました。
いろんなプレッシャーから、本当に苦しい期間でした。
その分、先輩と同期からいろいろなことを教えてもらって、coxとして一番成長した時期だったんじゃないかと思います。

僕はちゃんと対校coxができていたでしょうか?
先輩と同期の晴れ舞台、僕は少しでも力になれたでしょうか?
今では、少しは力になっていたんじゃないかな、と思っています。

インカレを経て自信が付いたか、微妙なところでした。
少しは、付いたんじゃないかな?

 

さて、4年目の引退で、僕たちが最上級生となるわけですが
僕は主務をやらせてもらうことになりました。

他の人の負担を少しでも減らして、特に同期の漕手にはトレーニングに専念してもらえるようにしようと考えていました。
なので、可能な限り僕だけで仕事をかたずけてやろうとひそかに考えていました。
正しいことではないと思いますが、coxとして自信がない分、そういう形で同期のみんなに貢献したかったわけです。
主務の仕事は結構な仕事量がありましたし、忘れたりすると致命的な問題になる仕事もありました。
僕の前に主務を務めていた和田さん、門野さんへの尊敬の念が深まりました。

冬連の間は主務の仕事に専念していて、この期間でかなり仕事に慣れることができました。

 

春休みの終わりには、無理やり小規模な春遠征(漕手2人と僕だけ)を1週間だけ開催して、コロナ渦の終わりも見えてきたような気がしました。
春遠征は大変でした。スタッフが僕だけですから…買い出しやエッセン作り、洗濯、OBOGさんとの交流、ひたすらに時間がなかった。

春遠征、阿部と福田のM2×でした。3人で県艇の2階が貸し切りでした!めちゃめちゃ贅沢ですね。


【4年目】


さて、新シーズン開始です。
主務とcoxを両立できるか、とても不安でしたが…何とかなっていた、と思いたいです。
全日本選手権は無しフォアで出場したので、僕の出る幕はありませんでした。正直、ほっとしていました。

商大戦を主管しました。同期に助けてもらいながらも、大部分の仕事は僕一人でできました。
2000mレースができないなどのトラブルはありましたが、無事に終わったと信じています。
大西福田ダブルが、イレギュラーな状況の中でも勝ってくれてよかったです。ありがとう。

いい笑顔です

そのあとの東北戦、大変でした。
仕事を先延ばしにする悪癖が出てしまって、東北戦前1週間は大忙しでしたし、前日に東北大学が茨戸入りした時も案内などが大変でした。
大西と菅野が手伝いに来てくれて、心理的に本当に助けられました。前日は結局20:00まで茨戸にいて、急いで帰ってパンフレットの印刷、寝て起きて東北戦の朝練…司会をしてレースをして司会をして…よくやり切ったと自分を褒めましたね。
後輩たちには是非、適切な仕事分配をして負担を減らして運営してほしいです。頑張ってね!
東北戦のcoxは、自分としてはかなり成長できていたのを感じました。
主務をやったり、4年目で活動する中で最上級生としての自覚と自信が出てきたような気がします。

橋本(男子主将)が選手宣誓で噛みました。たまにいじられてます笑

 

いろいろなイベントが過ぎ、最後のインカレとなりました。
対校は4+、coxとして乗ることになります。
対校coxに乗るうえで、これまでは自信が本当にありませんでした。
ただ、最後のインカレのcoxだけは、少しだけ胸を張ってcoxに乗れたかなと思います。
最高の漕手4人に恥じないcoxでありたかったので、自分のcoxに自信がないとか、そんな些細なことは気にしないことにしました。
自分の最大限で答えるしかありません。

一緒の船に乗ってくれた4人は、本当に尊敬して、感謝してます。
特に大西,小長井とは一緒に乗る機会が多かったです。僕を成長させてくれてありがとう。
最終的に、インカレで8位を取ることができました。最後のレースは、ほんのちょっとだけレースの全体が見えた気がしました。他の艇の艇速とか、どれくらい余力があるかとか、なんとなくだけど感じました。

インカレはコロナで想定外のことが起きて、部活全体を主務としてみてきた僕にとっては何とも言えない感じになってしまいましたが、インカレ棄権になってしまった人も、少しでも悔いが無く部活を終われたらいいな…と思ってます。

最後は、coxとして自信を持てたのかはいまだにはっきりとわかりませんが
胸をはってcoxをできるようになりました。
ここまで続けてこれて、続けさせてくれて本当に、いろいろな人に感謝です。
少しは、自分のことに自信をもって生きていけるようになった気がします。




ここまで自分語りをたくさんしました。

ちょっとだけ、後輩について書こうと思います。
coxとして後輩の長坂,納谷,倉内にどれくらいのことを教えてあげられたか、正しいcoxの姿を見せてあげることができたのかはわかりません。

長坂は練習ノートにコメントしてくれたり、函館から全学の活動を応援してくれています。水産学部ということで3年生以降はクルーボートに乗れていない彼ですが、他大学との混成クルーでオッ盾に出場したり、ボートを好きでいてくれているようで良かったです。

倉内は、今シーズンcoxをやれているところをあまり見れていないので、先輩らしいアドバイスとかはあまりしてあげられませんでした。
結構気分が浮き沈みしているのを見るので心配していますが、倉内は良い同期,先輩に恵まれているので大丈夫でしょう。頑張り屋さんだしね。
今シーズンあと少し、8+のcoxをして進化していってほしいです。応援してます!

納谷は…今年で化けたような気がしますね。
最初は彼女も自分に自信がない感じがしてましたが、近頃の活動を見ていると逞しくやっているようです。
来年には、僕よりもクルーを作るのがうまくなっていると確信しています。coxの後継者がいなくて心配をしていたのですが、心から心配の必要がないですね。来年は戸田で最終日にレースをしてきてください、応援してます。
すでに8+のコックスは僕よりもクルー作りが上手なんじゃないかな?トップコックスでの技量は負けませんが!

 

3年目の漕手諸君
コロナ渦の中で入部した君たちは芯の強さが段違いです。僕の代に負けない、強い代です。必ず目標は達成できます。自分たちを信じて突き進んでください。
手伝えることは僕たちも手伝うしね。

 

あと、次期主務の小原と副務の皆さん。
主務の仕事、頑張ってください。わからないこと、手伝ってほしいことがあったらいつでも声をかけてくれれば教えてあげられます。
僕みたいに背負い込んで、無理をしないようにしてください。

 

 

最後に、同期の皆には感謝してもしきれません。
長くなりすぎるのでここでは書けませんが、一人ひとり、本当に助けてもらったし、頑張れる活力をもらいました。
みんな元気で、また一緒になにかできる日を楽しみにしてます!

そんな感じで、僕のラストブログでした!
読みにくくてごめんね!思い付きで書いてるから文脈もぐちゃぐちゃだったかも
では、また会いましょう!

コメント

そしてまた新しい靴を履く

2022-10-13 16:43:05 | 2022引退ブログ

 

お久しぶりです。4年目の豊枝です。

時間が空いてしまい本当に申し訳ありませんがブログ書けたのであげます。書いていてブログにあげるに相応しいかわからなくなりましたが、元々ブログが何なのかわからないのであげようと思います。

 

今回は真面目な内容しか書けなかったので後付けで自分の名言を挟んでみようとしましたが1つしか書けませんでした。自分の意見ばかりだし文学部院にいくのに文章力もなくて長くなっちゃいましたが、時間があるときに読んでもらえたらと思います。

 

 

 

最初に後輩の皆さん、引退式開いてくれたのに参加できなくてごめんなさい。本当に行きたかったのですが、コロナにかかったり家族がうるさくて行けませんでした。本当に直前まで何とか行こうと思ってたんです。僕と菅野と古田の引退式開いてくれたら絶対行きます!

 

 

 

ということでその代わりではないですが、このブログは皆のこと考えながら書きました。引退式で話していたら1時間くらいかかったであろうことをここに詰め込みました。まずは自分の過去を晒します。入部してから今まで、どんなことを考えどんなことをしていたのか。豊枝の過去思考物語でございます。

 

 

 

 

 

まずは1年生の4月、なんといってもここから始まったわけです。正確には北大受験の道案内で声をかけられたのが最初ですが、4月のビラ配りで誰かからもらったビラを見て試乗会に行ったところから運命が動き始めました。

 

 

試乗会はすごい楽しかったです。今とは違ってエッセン食べたりしたんですよ。僕が乗ったのは確かフォアでしたが後ろにあきらさんが乗ってて、褒めてくれたりオアロックに押し付けながら漕いだらいいよとかアドバイスもらったの今でも覚えてます。その後説明会でも話しましたし、僕が入部宣言したのはあきらさんが連れてってくれた南路屋でしたね。入部宣言したら、その日からごっつぁん芸やらされました。上野さんと一緒にマグロの解体ショーやったの覚えてますか?面白かったですか?

 

 

ちなみに僕はボート部の人間の中で唯一かもしれませんが試乗会を体験して、もうボートはいいやと思ったタイプの人間です。30分乗って満足しました。最後の挨拶でボート部は第四志望で入部は考えてませんとか言い切った気がします。そんな人間でもその後フットサルの新歓大会に行ったのが原因でボート部に入ることになってしまうんですから、運命とは面白いですね。

 

 

何があったかというと細かに書いたのは過去のブログにあるはずなので、ざっくり言うと試乗会でひと目見たリーゼントのヤンキーと同じチームになって、なんやかんやで仲良くなってそいつがボート部に入部したので僕も後を追って入りました。今は丸くなってヤンキーの跡形は消えてます。

 

 

誰かを追って入ったと言うと、なんか軽くね?って誤解されそうなのでちゃんと説明しますと、僕は運動神経が良いので部活は何でも良かったのです。新歓は暇つぶしでした。その代わり重視していたのが人です。自分の4年の託せる相手がいるかどうかの方がよっぽど重要でした。見つけられなかったら個人戦の格闘技にしようと思っていたときに現れたのがそのモヒカンリーゼントです。こいつとならやっていけるかと思ったわけです。そしてボクシングとボートで悩んだ末、ボート部に入部を決まりました。

 

 

 

ボート部に入部を決めた私は、ボートを漕ぎたかったわけではないですが心はウキウキでした。学生生活をまた部活に捧げられるんだ!って。中学生の頃から部活好きで、でも高校では満足のいく部活にできなかった分、大学でまた部活ができるっていうことがめちゃくちゃ嬉しかったんです。勉強のことは考えてませんでした。

 

 

でもそんな自分を待ち受けているのは困難ばかりで、ボートを漕ぎ始めて2日で飽きてしまいました。ボートの上で「つまんねぇなー」と思っていたのを覚えています。部の雰囲気もガチガチのやつを想像していた自分にとって、サークルみたいな雰囲気がいやでした。普通にやめようと思いました。

 

 

そんな自分を支えてくれたのは入部するときに決めた目標。インカレで優勝すること。それが僕をここまで導いてくれました。どれだけしんどくても自分を奮い立たせる毎日でした。

 

皆さんは目標ありますか?ある人間とない人間とではボートに対する熱量が全く変わってきます。無理につくれとは言いませんが、入部したときと今とでは部活に対する気持ちは変わってきてるんじゃないでしょうか?改めて考えてみたらこれからの自分を支えてくれる素敵な目標ができるかもしれないですよ。

 

 

 

自分の初めてのレースは東北戦だったはずです。大西と橋本に挟まれて7番を漕いでいました。あのときはとことんバウサイ側に落ちて毎ストローク腹切りしないように死に物狂いでスクエア返していました。小長井も覚えてるかな。自分達の新トレの全く減量してなくて70kgは余裕であったであろう井上海人がcoxに乗ってて明らかに進みが悪かったです。海人さんが減量してたらもっと良い勝負になってたよね。

 

 

 

自分はオッ盾の選考には落ちたのでサポートするだけだった初インカレはあんまり記憶にないです。ただ、4月の説明会であきらさんにインカレ優勝目指してるんですか?みたいなことを聞いたときに微妙な返事が返ってきた理由がわかりました。

 

 

1年生の新人戦は8+で出漕しました。自分は2番でバウが豊枝豊の下位互換の森勇人でした。その頃、自分達の代の4人のマネージャーが辞めそうな空気があってなんとか結果を残そうとしていましたが結果は言わずもがなでした。

 

 

新人戦が終わり、冬練に差しかかる時期にボート部がたいくつすぎて暇だったので、なんとかボート部を続けるためにボクシング部に入りました。留年してる人とかいて雰囲気も好きだったのでめちゃ楽しかったです。ボートと比べたらいけません。その頃はボートのことをスポーツだと思っていませんでした。

 

 

1年生の冬練は特別きつい!というわけでもなく自分のエルゴのフォームが良くなっていくのとかが嬉しかったですね。4人のマネージャーが辞めてしまったのは悲しい事件でしたが、特に気持ちの上下なく練習してました。5番部屋の集まりにはまっていた頃です。ボクシングに続きギターも始めました。

 

 

 

そんなこんなでコロナが流行り始めました。トレセンが使えなくなっても別に気落ちすることなく、家にエルゴを置いてぶんぶん回してました。それから2年間くらい家に置きっぱになるとは。

 

 

自粛期間中は生活リズムがはちゃめちゃで夜の12時に起床して、皆んなが寝静まった2時くらいからエルゴを漕ぎ始めて、朝の9時までゲームして寝て起きたら夜の12時という地獄のサイクルができあがりました。エルゴしながら聞いてたアイドルの曲を聞くとこの頃を思い出せます。あと、あきらとゲーム仲間になりました。モンハンとかApexしてくれてありがとうございました。今でもしたいですよ。

 

 

自粛期間が終わったのは2年生の8月くらい。シングルのみで乗艇が解禁されました。門野さんにキャッチができてない。入れてから押せてないってアドバイスされてめっちゃ練習しました。

 

 

インカレは延期して10月末に新人戦を中止して開催されました。インカレ組が戸田にいるときにやったエルゴ2000tt4年生まで更新できないほどのベストスコアを出しました。久我が710秒切るって言ってて、切ったらエースだねって言ったら本当に切ってて驚きました。その後みんなでキング牛丼早食いしたのも覚えてます。普通に伊藤亮太が早かった。みっそさんの勧誘でひなっちゃんが入部してくれたのもこの時期で、入部してもらおうと皆で行ったany cafeは懐かしいです。

 

岩本っていつ入部したんだっけ??

 

 

2回目の冬練もまともにできませんでしたが、この頃からボート部に対する気持ちが変わってきました。

 

 

最初に書いた通り入部直後に自分の思ってた部活と違ったことにショックを受けて、部活よりも自分を優先しようと決めてたんですけど、やはり僕も人間だったみたいで同期と過ごす時間が楽しかったり、後輩ができて責任感が芽生えてきたりで、少しずつチームとして強くなりたいと思うようになってきました。

 

 

なんとなくですが自分の考えは持ってました。僕の3つ上の代が1人もいなかったのも原因だと思いますが、その頃は部としての体制が取れておらず先輩から後輩への技術の伝達とか全くできていませんでした。

 

そういう問題を解決するために同期と話し合ったのが3年生の6月くらい?部活に対する気持ちとか熱量とか、まずは心を一つにするところから、同じ目標を共有するところから始めました。

 

今までそんなこと話したこともなくて、改めて同期全員と話し合うのは恥ずかしさもありましたが、ちょうど大西も同じことを考えてたり同期との運命もあり、熱い話し合いができだと思います。このときのこと同期の人たちはどう思っているのか気になります。自分にとっては、自分の生まれ変わるきっかけをくれたミーティングです。

 

そして実はこれがネクステの1回目だったりします。そこから同期を超えて今の3年生へ。たまに先輩を呼んだりして部の雰囲気は着実に変わっていったと思います。自分たちが強くなる方法と後輩を強くするための教育方法について話し合う。それがネクステの目的であり起源です。嬉しいことに今の3年生が2年生と共に続けてくれているようなのでどうしてもこれは伝えておきたかったです。続けることが目的になってしまうのは良くないので、なんのためにやるのかよくわからないミーティングではなく、全員がその目指すところを共有したものであってほしいです。今の1年生はなんのこっちゃだと思いますが、もし来年ネクステと聞いたらこのことを思い出してね。

 

 

3年生の冬練が始まる頃にはそのネクステの効果が現れ始めたと思います。まずはキックオフミーティングからですが、ここでは新人を卒業した今の2年生に向けての内容がたくさん含まれていたと思います。練習を効率よくしていくための方法、食事等。週1で上級生が1年生のエルゴやウエイトのフォームを見たりもしましたね。でもなんといってもキックオフミーティングの目的は上級生と1年生の気持ちを1つにすること。それは少し言い過ぎかもしれません。上級生の熱量を1年生に知ってもらうことですかね。

 

 

チームとしての活動がどうしても減ってしまう冬練で如何にお互いの気持ちが乖離することなく過ごせるかを考えたとき、まず1年生には新人を卒業して正式に部員になったという自覚と、どのくらいの熱量で部活に打ち込めばいいかという指標が必要だと思います。それをキックオフミーティングで伝えられたらなと。ちなみに発案してくれたのはヤンキーです。

 

 

当時の1年生にはどう映っていたのでしょうか?もし来年もやるのであれば今の形式を保とうとするのではなく、1年生だったときのキックオフミーティングで自分達がどう感じていたか、何を求めていたかを思い出して自分たちが1年生に向けてやるときにはその形を変えながらやってほしいです。

 

 

 

冬練期間中には1年生だけでなく部員全員を教育するシステムがあきらさんを中心として回りはじめました。1年生と上級生を一緒にして1年生だけでの練習を無くしたこと。週1ut計測、アクティブレストを取り入れたこと。フィードバック会を開いたこと。新しい取り組みをたくさん導入しました。

 

 

これに関してもどうだったでしょうか?皆に聞いてみたいところです。システムを導入した側としては、それを受ける側の気持ちがわからず結構不安です。ただキックオフミーティングと同じようにこれをやる意味は目標を共有するだとか部員を強くするということだけに非ず。ひと通り実践した上で何が足りないかを考え変化させること。自分達の下の代で自分達のやってきたことについてきてくれた皆だからこそ気づくことがたくさんあったと思います。それを君たちの代になったら活かしてほしいです。そうやって常に進化を求めて良い方向へ進んでいくことがネクステやキックオフミーティングをやる狙いでもあります。

 

ちなみにあの冬練中に運動会をやろうとしたりしてて、医学部とかEfyの人呼んだりして、小学生のときみたいにリレーしたら楽しいだろうなとか。でもコロナとかでうまくいかなかったりして。

 

そのくらいの自由度はあります。なんといったって学生主体が売りの北大ボート部ですから。自分達がやりたいと思うことはとことんやっていける、そんな強みを活かしてしきましょう。それが監督ガチガチの経験者寄せ集め大学に勝つためには必要です。もう大人に頼り切りの時代は終わりです。自分達で活路を見いだすのです。

 

 

 

冬練明けといえば新歓でしょう。朝連やってそのまま新歓やったら疲れるよそりゃ。そのあと2スタ目いくのは流石にしんどい。とは言いつつ、いつもと違う雰囲気が割と楽しいです。新歓って4年生はやらなくていいみたいな風潮もありますよね。でも自分はちゃんと参加した方が良いと思います。やっぱり自分の代だけでなく、自分がいなくなったときのことも考えると自分があまり関わらない代だからといって手を抜くことはできないでしょう。おそらく今年で引退した4年生、院生の方々で来年以降のボート部のことを応援していない人はいないでしょう。共に戦った仲間ですから勝ってほしいと思ってるはずです。それならばいずれ部活の中心となっていく1年生には期待するでしょう。入部宣言してくれたときはめちゃ嬉しいですよ。高森はアホみたいなタイミングで入部してくれました。期待大ですね。

 

もっとこうしたら良いとか思うところはありますが、自分の代で変えられなかったことを下の代に押し付けるような形になってしまいそうなのでここでは心の奥にしまっておくことにします。それよりもやはり自分が新入生のときにどう感じたかが大事だと思います。特に記憶が新しい今の1年生にはぜひ来年の新歓で活躍してほしいです。

 

 

4年生になりました!大会続きの6.7月の中でも忘れられないのは東北戦でしょうか。メンバーが決まったとき、ここだけの話ですが、コーチのあきらさんに500mで勝負しようという話をされました。2000mレースですが、最初の1Q500mで全力を出し切るということです。それだけ北大と東北に力の差があるということです。びっくりしちゃいました。そのとには納得はできませんでしたが全員了承したというか了承したけど了承してないというか、なんとも言えない微妙な感じでした。

 

その後どうなったかというと、その後はあのレースです。特に話し合ったわけじゃありません。当然のように500mのあとも漕ぎました。本気で2000m漕ぎました。500mで出し切るつもりで漕いだわけじゃなく、2000mで勝つつもりで漕ぎました。自分の代の人は目標に掲げるくらい東北大に対して強い思いを持ってたのでおそらくあきらさんに何と言われてもああしていたでしょう。もちろん純、あべたい、久我、ともひろ誰一人として気持ちをぶらさなかったと思います。500mの後も漕ぎ続ける北大エイトを見てあきらさんはどう思ったでしょう。いつか聞かせてください。

 

レース自体は本当に素晴らしいものでした。何が良かったか聞かれても答えられませんが、スタート直後のアクシデントを含め心が震えました。結果はあの通りですが、1年生の頃の新人8+から差を縮め、自分達が今までやってきたことが間違ってなかったんだという自信に繋がりました。自分を強くしてくれた忘れられないレースの1つです。

 

 

その後自分の記憶だと漕いだ男子全員がベスト更新したエルゴ2000tt期間。ここで自分達のやってきたことの成果が目に見えてわかりました。嬉しさや興奮とともに、感謝です。

 

 

インカレももちろん記憶に残っています。練習の1つから、僕より自信家の菅野と語ったこと。あきらさんや大熊さんに応援されながら漕いだ2000mとか、インカレ前に東京工業大学と並べた1000m。タイムトライアルで1着のレースも負けたレースも全部覚えてます。スタート地点に向かうまでの間、狭いコースを進んでいるときに笑顔で送ってくれたり手を振ってくれたり、思い返すと照れくさいですが嬉しかった記憶もあります。

 

 

全レース終わったあとの感想はほんとに悔しい。これに尽きます。入部したときからずっと夢に描いてきた舞台に辿り着いたものの、夢に描いたレースはできなかった。悔しすぎる。

 

 

楽しいレースをしようとか、4年生まで漕ぎ切ることに意味があるとかよく聞きますが、

 

 

そんなものインカレで優勝することに比べたら何の意味があるんだろう。

 

 

4年間を注いで得られるものが長い間頑張ったという達成感なのか、1番になったという優越感なのか。もしどっちかしか得られないならどっちを選ぶだろうか。しんどいとき、もう嫌だと思ったとき、それでも自分を奮い立たせてくれたのがそれに対する僕の答えです。

 

 

 

 

 

ここまでがこれまでの僕の歩んできた道とその

ときに感じていたことです。いや、正直こんなところで書き尽くせるほど平坦な道じゃなかったって。いつか直接話せる日が来たら話そうや。

 

ここからは少し内容が変わるので読み疲れた方は休憩してくださいね。第2部は北大ボート部のあり方、現在思考物語と願いです。

 

 

皆は今の北大ボート部をどう思っていますか。北大のボート部以外の部活をみて、他大学のボート部と比べて、その特徴は何だろうと考えたことはありますか?入部してからしばらく経った今となっては今のやり方が普通だと思い込みがちですが、見えないところでは思いもよらない世界が広がっています。

 

 

ここでは組織作りについて書きます。今の時代の部活には大きく分けて2つの形があるでしょう。部をまとめるのが監督か部員かという違いです。北大はまさに部員が部をまとめる、学生主体の形をとっています。もちろん江川監督をはじめ、たくさんの大人の方々の支えがあってこそ成り立っていますが、部活を動かすのは我々学生です。これが本当に難しいんですよ。今の3年生はその難しさを目の当たりにしている頃でしょうか。

 

 

どうやって部を作っていけば良いかあれだけ考えたのは人生で初めてでした。そしてそれこそ学生主体でやることの良さでしょう。組織づくり、役割、協調生、その他にもこれから役立ちそうなことをたくさん学べました。では、監督が部をまとめることの良さとは何でしょうか?僕なりの答えは、監督が絶対的存在になることです。

 

 

絶対的存在とはどんなものか、部に対してどんな影響があるか。まず1つ、怒ってくれること。これだけで監督の存在する価値があるといっても過言ではないでしょう。何かミスをしたとき、悪いことしたとき、遅刻したときに怒ってくれる人が必要でしょう。それがないと反省する機会を逃してしまうかもしれないし、自分が悪いことをしたということに気づけないかもしれない。また、怒ってくれる人がいるというだけでチームの雰囲気が常に緩むことなく練習に対する集中力を保ってくれるはずです。

 

 

次に2つ目、戦略や指導に安定性があり、進化すること。これは指導者が変わらないためです。同じ人が部を作り続けるため、代によって強さに差が出にくかったり、もちろん監督も成長するため時間が経てば経つほど指導のレベルも上がるでしょう。そしてその部の強さが監督のレベルに強く起因するために、高校や大学の部活で急に強くなったり、逆に弱くなったりという話がよくありますがその背景には監督の交代があったりしますよね。

 

 

その他にも、物事を判断するときの指針になったり、学校で権力があれば経験者を呼びやすかったりするんですかね?前者については例えば、学生同士でああした方がいい、いやこうした方がいいと話し合っていても結論が出にくいのに対し、絶対的存在である大熊さんや武田大作さんに言われたことはすっと頭に入ってくるみたいなことです。今まで自分たちが重視していなかったところを指摘されたら逆にそこしか考えられなくなるようなことありましたよね。

 

 

部の人とこういう話をしませんが、自分はすごく気になってました。教えてもらうことが少なく何でも自分でやってみて自分で試行錯誤して成長していくという形で練習が進んでいき、とても苦労しました。上でもいったように、自分の力でやることで得られることももちろんあります。ですが、3年半という限られた時間で結果を残そうとしたときどっちがいいでしょうか?何回も失敗を繰り返し自分で導いた正解が本当に正解かもわからないような状況で強くなるか、進むべき方向が示され強者への道を一直線で進んでいくか。さあ、本当にどっちがいいんでしょう。

 

 

ここまで散々監督主体の良さを書いてきましたが、後輩の皆にはぜひ学生主体でやり続けてほしいです。僕が考える学生主体の最大のメリットは、部の熱量が完全に学生の熱量に依存し、それ故に下限も上限もないということ。動かなければ何も始まらないし、動き出せば止まる所を知らない。今年僕たちは自分たちで考え行動し、互いに高め合い、自分自身を鼓舞し、その熱さで魂を燃やし部全体に命を吹き込んだ。おそらく監督という存在とルールに縛られていてはあれほどの熱い気持ちと勢いを生むことはできなかったでしょう。

 

 

そしてこれだけが学生主体やることの意味だと思います。最初に言った、組織づくりとか協調生が学べるとかそんなものは副産物にすぎない。最高学年としてやった1年を過ごして思います。そんなもの自分が頑張る理由になり得ない。自分たちが火種となり、自分たちを焚きつける。だから熱くなれるんだと思います。

 

 

そして学生主体を続けてほしい理由としては、その一歩目を踏み出したからです。まだ小さな一歩かもしれませんが、北大がいつか猛威を振るうその片鱗が見えたのではないでしょうか?かつて東北大に圧倒していた北大を取り戻したいという思いが僕にはあります。すぐにできることじゃない。だから長年かけて強くなっていける体制を整えることに力を注ぐことができた。そして皆も同じことをしていくことが求められると思いますが、チャレンジするに足るものは残せたと思ってます。

 

 

あの2000ttの日の空気は化物の匂いがした

 

 

 

あまり具体的な話ではありませんでしたが、こんな感じで終わります。そろそろ終幕です。第三部は感謝とエールを伝えます。

 

 

この3年半の間たくさんの人にお世話になりました。僕は人生において、理屈や根拠よりも心や直感を大事にしています。すると感じるのが人に思いを伝えるのがどれだけ大切かということ。たとえ思いが伝わらなかったとしても、伝えようとする心が大事だということ。迷ったときは心に従うこと。だからこの自分の気持ちを伝えずに去ることはできません。

 

 

大熊さん、江川さんをはじめOBの方々

学生が知らない所でたくさん働いてくれていることを僕は3年生になるまで知りませんでした。学生とOBの架け橋になってくれたり、モーターやオール、艇、工具などの道具類、艇庫の設備まで。それでも僕の知らないことはまだたくさんあると思います。直接指導してくださると本当に知識と経験に溢れているのだと感じます。学生主体ではあるものの皆さんの力添えがなければここまで成長できませんでした。

 

 

 

1年生!期待の若者たち

1年生がいるだけで結構雰囲気変わりますよ。なんだか元気がもらえるような気分になります。だけど新人を卒業して正式に部員となってできることが増えたはず。君たちにはとても頼りになる先輩がいると思います。だけどいつかは越えなくちゃいけないし、いつまでも面倒を見てくれません。早く一人前の部員になって部を担う存在になってほしいです。

 

ボート部ってあの異常な活動時間とか練習の成果の出にくさのせいで度々辛くなります。だから皆には目標を持ってほしい。何を成し遂げたいか、ボート部を去るときどうなっていたいか、そうして自分の未来を明確に想像すること、それすれば君たちが何度立ち止まっても道を踏み外さないように行くべき道を示してくれるはずです。

 

 

 

2年生 鉄の心の持ち主たち

感謝しきれません。

結果として去年の冬練で数人の1年生が辞めてしまうこととなってしまいました。申し訳ないなと度々思います。でもそれでも僕達に着いてきて、僕たちを超える勢いで練習を積み重ねて実力をつけてきた今の2年生は本当に誇らしいです。

 

男子はなんか大変そうだけど頑張れと思います。西井!

 

女子は団結力と競争心がすごいですよね。その才能が羨ましいです。自分にしかできないことを見つけて個を高め、絶対同期に負けちゃだめです。

 

 

 

3年生 少数精鋭

まじで頑張れ!君たちが主役!

3年生という時期はやっぱり伸び悩むと思うので。だってここは第3Qで、落ちていきそうなタイムを必至に落とさないように堪える所。すぐに結果が出ないことに焦らないように。

 

今の実力なら十分、来年戦えるはずです。1日の練習を大切にする。毎日の積み重ねが最後には実を結ぶと信じてください。あと、仕事は分担するんだよ。

 

 

 

 

色々思い出していて、感謝すべき人を1人思い出しました。井上海人さん。僕の新トレです。去年インカレ前に茨戸にいらっしゃったので2.3年生は見たことあると思います。もちろん空さん、山谷さん、和田さんにも感謝しています。

 

海人さんと関わったのは新人期間なので半年くらい?適当人間みたいなイメージありますが、教え方は丁寧だし目を見れば熱い人なんだなってわかりますよね。これまでに海人さんに教えてもらったことを何度も思い出し、海人さんを思い出すのは、自分のモチベーションでした。短い期間でしたが色んな記憶があります。エイトの上で説教してもらったこと、練習時間外にダブルに乗ったこと。ダブルに乗ったとき、海人さんは話しやすい人でしたがめちゃめちゃ緊張しました。

一応ボート選手としては大先輩なので朝の集合時からガチガチだったのですが、艇の上で「今日の空、◯◯みたいじゃね?」って言われたのを忘れません。◯◯の部分は忘れました。心を落ち着かせてくれたんですよね。新トレやるだけあって教育の素質ありますね。

 

あとは先輩と呼んでくれたこと。茨戸レガッタだったと思うのですが、シングルのレースで同じ組になって、煽るように「先輩!」と呼んでくれました。僕が先輩のことを、あきら!とかともひろ!って呼び捨てにするのはそんな海人さんの影響なのか、上下関係のない部活が好きだからなんですよ。

 

 

そしてその院生の先輩たち。とても頼もしかった。

2年間男子コーチを務めてくれたあきら。

自分たちの代で一緒に漕いでくれた伊藤さんとむかいおじさん。伊藤さんを呼び捨てにはできません。

女子コーチ兼漕手スカル穂さん。これは内心ひやひやです。

間違いなく今年北大に熱を加えてくれた人たちです。あまり触れていませんが学生主体でやっていくにあたり、院生という存在は不可欠ですもんね。あきらさんのコーチングはすごいですよ。メガホンでアドバイスするようなコーチングというよりは、部員のまとめ方とか、練習方針の立て方とかですね。学生主体の我々にとって絶対的存在に1番近かったと思います。

 

 

 

 

最後4年生。仲間。

照れ臭くて言葉が出てきません。

一緒に戦ってくれて、素敵な時間をくれて、僕の同期になってくれてありがとう。

 

 

 

これで終わろうと思います。これを読んでくれた人はどう感じたでしょうか。人それぞれで感じるものがあれば嬉しいです。

 

 

 

これから僕は何をするのか自分でもわかりません。ただ時間はあります。院に進むのであと2年。院に落ちればあと3年。何かを成し遂げるには十分です。ずっと昔からなりたかったので日本一を目指そうと思います。そして皆に勇気と希望を与えてくれるそんな人間になっていることでしょう。

 

 

 

それでは、今までお世話になりました。大きくなってまた会いましょう。

 

 

コメント

引退に対する心情の変化

2022-09-19 23:19:21 | 2022引退ブログ

こんばんは。4年目漕手の伊藤亮太です。

新世代の練習が始まるのは明日からなので、まだ僕がギリギリボート部ブログを書いても大丈夫だろうと思ったので、急いで最後のブログを書きます。

先日のインカレをもって僕はボート部を引退しました。絶対途中でやめると思ってた部活を、なんだかんだ最後まで続けることができて、割と感動しています。よく頑張ったし、自己評価では100点つけてもいいだろう。そんな気もしています。そしてインカレでは対校4+が見事入賞してくれたので、そんな強いチームに入れてとても誇らしいという気持ちもあります。自分もすごいし、周りなんてもっとすごい。そんな晴れ晴れとした、いい気分の締めくくりでした。

ところで、引退から数日たったある日僕は「ハイキュー」というアニメを見返しました。名シーンの数々で、たちまち感情移入してしまい、まさに神アニメと呼ぶにふさわしいものでした。ハイキューの何がすごいって、主人公が逆境をはねのけ、貪欲にバレーボールをうまくなろうとする気概がよく伝わってくることです。・・・あれ?僕はこれほどまでにボートに必死だったか?まだやれることはたくさんあったのではないか?アニメを見ているうちに、以前までなら考えられないそんな疑問がどんどん出てきました。

今終わりにしてしまうことに後悔が生まれ始め、この先ボートを続ければまだ見ぬ自分になれるのではないか。そう思うようになりました。幸い大学院に行けるし、どうしてもやりたいことがあるわけではない。「よし、ボート部を来年も続けよう。」・・・無理でした。結局どれだけ考えようがその結論に至ることはありませんでした。

エルゴなんて二度と漕ぎたくないし、朝早く起きるのなんてもうごめんです。さらに僕の覚悟なんて、1週間も持たないだろうし、半端な決意でボート部にいられても後輩が迷惑するだけな気がします。所詮僕はこんな感じです。現実はアニメや漫画ほど気持ちよくいかないと実感します。

僕にとってボート部の日々は普通じゃ味わえないかけがえのない大切な思い出です。そこに変わりはありません。だから考え方を変えて、後悔を残しながら終わるのではなく、後悔が生まれるくらいには真剣に取り組んでいけたと思うようにします。結局何が言いたいんだって感じではありますが、これが僕の今の心情です。

後輩の皆さんこれからも練習頑張ってください。最後どうなるかはやりきった者にしかわからないと思います。また機会があれば一緒にご飯でも行きたいですね。

まったく!!いいボート部人生だった!!

コメント (1)

最後の1ストロークがいちばん上手かった

2022-09-15 20:19:20 | 2022引退ブログ

4年目漕手の大西です。

ついに先日理想と現実が収縮していく瞬間が訪れてしまいました。(詳しくは大西のみんな理想と現実の間の住人"ブログ参照)自分の思い描いていた理想に完璧にばっちり辿り着けたとは言えませんが、クルーのみんなのおかげもあって最低限の目標は達成出来ました。8位入賞で表彰状も貰えてそれはとてもとても嬉しかったのですが、自分はそんなことよりも精神と体力を極限まで削って戦うレースを5日間5レース出来たことが本当に楽しくて刺激的でした。

 

自分は今まで、1年生はOX盾敗復落ち、新人戦エイト敗復落ち、2年生はインカレ付きフォア敗復落ち、3年生はインカレ付きフォアタイムトライアル落ちと、戸田でのレースは1日もしくは2日間の最大2レースで終わっていました。それが今回のインカレでは付きフォアB-final進出で5日間5レース漕ぎました。この5日間が今までで1番しんどくて1番刺激的で1番疲れて1番ワクワクしました。初めて5日連続レースする経験をしたので当たり前っちゃ当たり前なんですけどね。ああ結果を残すことをかけてレースをするってこんなに楽しいことなんだなと、あのレースをするために毎日毎日練習してきたんだなと。

 

3年半頑張ってきた最後には8位入賞というちょこっとのご褒美を貰えて嬉しかったと同時に、A-finalという1段階上のステージでレースをしている人達を見て羨ましく思いました。ああもっと楽しいレースしているんだなって。A-finalで戦っている人たちとは明らかに差があって、優勝争いしている人達とはさらに差があって、でも絶望するような差ではない。来年、北大がここからステップアップすれば行けないところではない。どんな関わり方になるかは分からないけれどそのステップアップに関わりたいなと思っています。

3年半ボート部にお世話になりました。今しか出来ない、ここでしか出来ない経験をたくさんしました。ありがとうございました。

最後に、力みなくリラックス出来ている今まででいちばん良い漕ぎができた時のエントリー前の写真を添えて。

 

 

 

コメント