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北大ボートblog

北大ボート部部員によるほぼ定期更新ブログ。

ボートして没頭して

2024-10-10 23:00:00 | 2024引退ブログ

※20,000字ほどあるそうです。非常に長く、体裁も十分に整えてないので読みにくいかもしれません。ご容赦を。



現役引退からもう1か月。



ブログでも1か月ぶりにお邪魔します、元マネチーフのジャガーこと、吉川です。引退ブログを誰もアップしないので僕が切り込み隊長になります。前回のブログは、思っていたよりも広い範囲で認知されていたようで、ブログのことで部員のみならず保護者の皆様、OB・OG様、応援団の皆様、様々な方から大会期間にお声掛けを頂きました。いままでの気持ちが伝えられて嬉しいような、さすがに照れくさいような、でも書いてよかったと思えました。

なんも関係ないけど高校の卒業式の時の写真。多少、受験太りしている

この1か月の間はずっと、シーズン中に溜めに溜めまくった睡眠負債の返済をしていました。あれだけ朝型人間として生きてきたのに、もうあっという間に朝が弱くなってしまいました。同期たちの中には、ちょこちょこ茨戸に通って後輩たちと一緒に乗ったり、作業したりしているようですが、僕は起きた頃にはすでに練習が終わっているので いまだに後輩たちの練習に顔を出せていません🥲

大阪市 天王寺動物園のジャガー、ロンくんとのご対面。雰囲気変わったね、と家族・親戚、地元の友だちにはよく言われます

引退後、なんだか時の流れが異様に遅く感じます。シーズン中は気づいたら1週間が終わっていて、なんか知らないうちに茨戸での練習が終わってしまったのですが、今は「まだ10月上旬!?」という気分です。どれだけ、ボート部が自分の生活を占めていたのかが思い知らせる1か月でもありました。授業・実習もそこまで負荷が高くなく、他の同期と違って卒論も2 年後の話なので、4年後期はだいぶ生活に余裕があります。とりあえず、怠惰に過ごしたり無駄な時間を過ごすことがないよう、現役のころはできなかったいろんな遊びの予定を詰め込みたいです!

ユニバにタマムシロースーみたいなゾンビがいました

部活動というコミュニティから離脱すると、先輩・後輩、社会人・学生といった上下関係を意識する機会がかなり少なくなって、フラットな人間関係になったなあ、とも感じています。後輩のみんなには、僕ら4年生の姿はどのように映ったでしょうか。真面目な人たち?速くて強い?あまり喋ったことない?同期で仲良さそう?

(左奥)純大。いかつい体つきとは裏腹に、甘いボイスが魅力のシャイボーイ
(右手前)まさすけ。カメラを向けると、たとえ本来の被写体が他の人であっても欠かさず視線を向けてくる

僕のことはみんなどう思ってるのかな。勉強が忙しそう?日焼け対策しすぎて不審者にしか見えなかった?激辛マニア?早死にしそう?

特製火鍋🔥これは春合宿のときのもの。呼ばれたらいつでも作りにいくよ~

それぞれのメンバーにいろんなイメージを抱いていることと思います。僕ら4年生は、夏休みに長い時間をかけて何回も何回もミートを重ねて、最上級生らしい姿を見せられるよう意識統一をしてきました。就活や実習、研究室などで多忙な中でもきちんと練習へ来て目標達成に向けてメニューをこなし、その熱意が後輩に伝わっていって部全体がただ一つ、「大会での勝利」に向けて精一杯努力できるような雰囲気が作られていってほしいなあ、という想いがあったのです。僕らは後輩のみんなにとって、多少なりともいい影響を与えられる存在になれたかな?

1年目の夏休みのときの千里。若々しい

僕もあまり口に出すことはしなかったですが、みんながこの部活で活動していて楽しいな!快適な環境だな!と思ってもらえるよう、そして最終到達点である勝利への基盤づくりにマネージャーとして徹してきたつもりです。インカレの時なんて、ずっと死んだ目をしていたかもしれない笑 なんでそんなに身を削っているの?どうして獣医学部なのに週6日活動の鬼ハードな部活に入ったの?といった感想は誰しもが思ったのではないでしょうか。

安永。(時効だから言うが)1年のときに冬練を1回サボってスキーに行ったときの写真、このあと撮影者のぼくに突っ込む

こんな生活をすることになるとは、入部した時にはまったく想定していませんでした。遡ると、僕が新歓される側だったとき、もう3年半前になります。まだ新型コロナによる行動制限真っ只中、対面での新歓が全面的に禁止されていました。そんな中で、北大ボート部の存在は高校時代からの先輩である生純さん(R2)からDMをもらったことがきっかけでした。エルゴなんて拷問器具はもう漕ぎたくない!という考えは、高校ボート経験者の8割9割が大学入学後にたどり着きます。高校時代は漕手だった僕も例外なくそちら側の人間だったのですが、なんだかんだ、旭丘ボート部での生活は充実していたことを思い出し、気づけば北大ボート部にも惹かれて、オンライン説明会に参加しちゃいました。ほとんど記憶はないですが、当時の主務である和田さん(H30)が司会だったこと、平日朝3時起床という絶望の宣告をされたことは覚えています。高校のときは、どれだけ早くても5時起きです(しかも土日のみ)。やっぱ、大学でもボートやる人は頭おかしい、、😅 と思っておきながら、対面新歓解禁後に開催された試乗会に結局行きました。既に同じくらい僕も頭おかしかったみたい。

入部まもない頃の細いまさすけ。じつは新人どうしの初めての顔合わせの時に、一番最初に声をかけてくれた

同じく旭丘ボート部出身で北大へ進学した友達2人とともに試乗会に行きました。司会には相変わらず和田さんが登壇し、筋金入りの関西弁で盛り上げてくれました。すごく、面白い人がこの部活には居るんだなあ

…と思いきや、急に話の流れが変わりました。「誰かボートの漕ぎ方、教えてくれる人、いないかなあ!?」

シャッター「ガラガラガラガラガラガラァ!!!!」

???「オマエラァ!! ボートハコノ,コンゴウリキシゾウミタイナウデデコグトデモ,オモッテンノカァ!!!」

なんか本州のカメムシみたいな原色グリーンの筋肉モリモリ生ローニキが右、左、中央に出現して、急に取り巻きの先輩たちに座っていた椅子を没収されて訳分からんダンス(エビカニクス)をやらされて。友達が本気でドン引いてました。高校のときの新歓は、艇庫に来てまずは新入生と上級生で心穏やか〜なトークから始まったので、そのあまりのギャップも相まって、これだけの人員を投じて、わざわざ車で30分近くかかる場所に新入生を連れてきて、それでこんな選別作業を新歓の序盤でやって大丈夫なのかな、と新歓受ける側でありながら心配になりました。けれど、エイトの試乗は先輩方の盛り上げのおかげですごく楽しかったし、モーターボートの疾走感と漕手とは違った視点への新鮮味に強い魅力を感じて、2回目の試乗会のときに入部を決めました。マネージャーとはいえ週6日の活動だし、エビカニクスをやるし、一日の始まりが朝3時だし、しんどい部活だというイメージは払拭されませんでしたが、他では決して味わえない楽しい経験、面白い先輩たちの存在、この2点が決め手となりました。

爆睡する西井。口数少ないながらも、遊びに誘ったら必ず来てくれるフッ軽代表

入部して新トレ& 新人のLINEグルに追加してもらいました。どんどん、新たな仲間たちが入ってきて、個性豊かな自己紹介をノートに載せてくれました。みんなご存知かな?4年目で引退まで残ったのは10人だけ(あべたい、じゅんだい含む)ですが、もとは22人もいました。このうちの半分くらいが、1年生の冬練、とりわけ年明けから新歓期にかけて消えていってしまいました。

いまの1,2年生と同じく、新人のころはこれだけ賑やかでした…

この話を出すかどうか迷いましたが、りこもそのうちの一人でした。なんの前触れもなくいきなり全体LINEにやめます、とだけメッセージを送って消えてしまいました。このとき僕は千里もスープカレーを食べに行ってて、楽しくおしゃべりしていたのですが、このLINEが来たとたん千里は口をつぐんでしまいました。あの千里がです。「(クルーを組めるだけの同期漕手がいなくなってしまったから)もうスタッフになって部の運営に回ろうかな、全滅したら俺もやめる」と言ってたのが印象的でした。まさすけも留学の準備のために すでに部からいったん離れていたため、当時の2年目は壊滅寸前でした…

江川さんも思わず絶句

僕個人の話をすると、2 年生からは 獣医学部の専門科目がスタートしました。最初の授業は解剖学でした。………え?この骨の名前全部覚えるの?さらに骨の突起や陥凹にもいちいち名称があるんだ…さらに臓器や筋肉、血管走行、神経支配も?!?!!?動物種ごとの差も????🤮🤮勉強量が急激に増え
た。1年生のときの勉強時間よりも解剖学の勉強時間のほうが勝っていたかもしれない笑 いまとなってはただの思い出話ですが、当時の僕は毎日が本当に苦痛でした。

実習のプリント。赤褐色の汚れは、ご想像どおりのものです

学部の友だちは夜に飲める人たちで飲み会したり、土日には遠出して遊んでたり。朝早いが故に夜に予定を入れられなくて、誘ってもらっても断ることが多かったです。一方で部活は、1限から授業があるのもあって終わったらバタバタと準備して直帰し、それでようやくギリギリに着くため 漕手たちと話す機会が全然作れませんでした。
号泣する我らが新トレチーフ、悠哉さん(H29)。岡崎さん、向井さんも観戦に来てくれました。新トレのみなさんがみっちり面倒見してくれた恩を少しでも返すことができてよかったです

部活して授業と実習して、帰ってテスト勉強したらもう寝る時間、という生活だけがひたすら続きました。他のみんなは頑張るときは頑張り、遊ぶときは遊ぶ、というメリハリのある充実した生活を送っているのに、自分はどちらのコミュニティにおいてもはみ出し者になっている気分でした。結局、何をしたくて今の生活をしているのか、これだけの大変思いをして何が結果として返ってくるのか、両方のコミュニティに所属することで、それぞれで本来ならば得られるはずの達成感や楽しみをどちらも逃してしまい、中途半端な状態に陥っていないか。自分の在り方について毎日のように思い悩むも 改善策を考える暇もなく、ただ毎日やるべきことを作業のようにこなすだけの日々だったと記憶しています。

納谷。みんな「納屋」と書き間違える。同じようにマネージャーの道を歩むかと思ってたけどな、どこで世界が分岐しちゃったのやら

そんなこと思っているうちに、同期たちはメキメキ成長していきました。安永が知らないうちにマッチョになっていたことが一番の衝撃でした。 2年目にして、インカレではアベタイが対校M4+に、千里安永純大はセカンドM4×に、りこゆき玉川はW4×に、納谷西井はOX盾エイトに乗ることに(復帰間もない まさすけは確か、スタッフとしてインカレに来てた)。1年のときのOX盾と新人戦は潰れてしまったため、初めての全国大会です。この半年間しんどかったけど、このインカレでいったん区切りになるし レースで勝つ瞬間を見れたらいまま部に貢献してきた分の時間と労力が報われるだろう、と頑張ることにしました。

ゆきちゃん。同期でいちばんアクティブ。定山渓へドライブしたときに、しりとりで「ヒグマ」という用語を僕が出したところ、道民だってのに通じなかった、天然ガール

けど、このインカレで最悪なことが起きます、M4×とW4×が宿泊している会館で新型コロナ感染者が発生してしまいます… 同じ会館に宿泊している選手とスタッフが何人も、同じタイミングで喉の痛みを訴えはじめ、もしかして…と思って抗原検査を実施したら思ったとおり陽性でした。結局、陽性判定となった部員は遠征から離脱し、M4×とW4×はどちらも棄権することになりました…

玉川。1年のときは、なぜかいつも顎だけをマスクで覆いながら練習してた。もう外せばよかったのに

僕はいったんその会館から別のところへ個人的に宿泊先を移したのですが、そこでしだいに症状が悪化して咳が止まらなくなり同じく陽性に…東京都の療養施設に入所することになりました。療養施設に入所した経験がある人が、読んでいる人の中にはいるでしょうか。基本的に専用のホテル部屋の中にずっと閉じ込められ、朝昼晩に弁当を受け取るタイミングのみ共用スペースへ出られる形式です。ネット環境こそあるものの、非常に退屈な時間でした。寝るのにもスマホいじるのにも飽きたら、2年前期に何をしてきたかな、とひたすら考え事をするようになりました。

あべたい。医学部で超多忙だっていうのに毎日弱音を吐かず練習に励む鉄人。僕がここまで続けられた理由の一つには、あべたいには負けてられん!と獣医学部魂が湧いたから、でもある

残ったもの何もないじゃん。部活にもちゃんと通ったし、試験もいい成績とれたけど。なにか、それが自分にとってプラスになった?ちなみに、学部と部活動の両立のためにバイトも早期にやめてました。お金は減っていく一方だし、楽しかった思い出も数えるほど。コミュニティに所属しているのに疎外感、孤独感に押し潰される毎日…ボート部のせいで、私生活が侵食されている。このまま続けても、努力が良い結果として帰ってこないだろう…

金谷に無茶苦茶なヘアセットをしようと試みている瞬間。初期はいつも悲劇的な表情を浮かべているなこの子、と思ったが同期内ではけっこうボケて笑わせるらしい

誰にも言いませんでしたが、本気でボート部を辞めようと考えていました。療養が終わったら、そのまま帰省をしました(もとからそういう予定ではあった)。すると、たまたま帰省先で旅行している学部の友だちがいて、遊びに誘ってもらい、おいしいご飯やスイーツを食べながらこの出来事を話して多少は気持ちが晴れました。ただ、キックオフの日に行くかどうかはまだ迷っていました。辞めるならこのタイミングだ、と。けれど、誰かが悪い訳ではないし、誰かに迷惑かけるようなことはしたくないから、とりあえず行くことにしました。

りこ。恋愛の話題が大好き。練習のとき、ロースーにぜったい合わない、さらし鯨(※)みたいな かわいい靴下を履いていたイメージ

(※)さらし鯨

考え方が変わったのは、2年目の春遠征でした。この年は男女別で行動しており、男子は戸田へ行きました。帯同するスタッフは僕の他に住田と倉内。エッセンを作るときはどちらか一方と2人きりになるので、作っている間はずっとおしゃべりしました。2人と長時間話す機会はこれが初めてだったかもしれない。話した内容は具体的には覚えてないけど、他のボート部員のことをすごく細かく観察しているし、選手のことを考えて支えてやりたい、という想いがすごく伝わってきました。朝起きて眠気が覚めないうちでもしっかり練習に備えて栄養補給できるよう、補食はさらさらと食べやすいリゾットにしたり、遠征の運営とスタッフの運営で、矛盾ができたときにハッキリと指摘して 主将・主務とマネージャーの間で話し合う機会を作ったり。この部活で何をやりたいのかを見失っている自分とは違って しっかりしてるなあ、とね。

特殊なエッセンに目覚めたキッカケもこの遠征

でもここで、踏ん切りがついたんです。後輩たちがこれだけ部活動を良くしようと努力している中で、先輩である自分がなよなよしてたってしゃーないなって。困ったときにはいつでも頼れて、意見を遠慮なく言えて、リードしてくれる存在でもあって。そういう先輩になれるよう頑張りたい。勝てる部を作るためには、まずは部を支える一人ひとりを大切にすることが、不可欠だと感じたのです。そのために、僕自身の力がきっと不可欠なはずだ、と。

カラーサングラスのよく似合う、左からイリエ、ヤナギ、スミダ。イリエは金髪がすごく似合ってるし、ヤナギは度重なるイメチェンを経てオシャレになったし、スミダは高身長も相まってお姉さんらしさが増しててオーラがある。大事な大事な後輩ちゃんたち

そして自分の中での目標も定まりました。この遠征までの間に、普段あまり見ないようなメニューをエッセンでたくさん作ってきて、みんなに喜んでもらえるよう 味や仕込みに工夫を凝らしてきました。自分の知らなかった料理の存在を知ること、美味しくエッセンが作れたときの楽しさは ボート部でしか味わえない。そして、おいしい料理で米も進んで、選手たちが増量でき、艇速アップへの土台となる。この北大ボート部がもっと強くなって、B決勝のさらに上、A決勝に進んで、そこで勝つためには、僕自身の頑張りの有無に懸かっている、と思えるようになりました。

倉内。初期はよく喋る子だなあ というイメージしかなかったが、辛いもの好きだったりエナドリ愛好家だったり、価値観が最も近くて仲良くなれた

3年生も 変わらず、平日は午前座学、午後実習の毎日でしたが、練習での意識ががらっと変わり、忙しくて身体もしんどいながら、ボート部での仕事を楽しみつつ、部を支える存在になれるようめげずに取り組むようになれました。常軌を逸した生活リズムになり、本気で僕の体調を気にする人がちょこちょこいましたが(ありがたいことに)、案外耐えれるなっていう感想がぴったりだったかも。自分がいないと部活が成り立たないという意識はベースにあったため、休んでる暇ないなって思えてくるし、勉強漬けの毎日でもまだ日が昇りきらないような朝から起きられました。獣医学生とボート部員という2つの顔で大学生活を送ることが、誰にも真似できない自分だけのアイデンティティだと思えるようになったら すごく自身がついたし、この生活をやり遂げようという意志までも形成されました。

(左)イリエ。マネージャーの長として頑張ってね 困ったらいつでも頼りなよー
(真ん中)身長僕より高いんじゃあ?みおちゃん。軽音サークルと掛け持ちしていて、ボート部の異質な雰囲気を受け入れられるかな…と心配していたが めちゃくちゃボート部に適応してました。インカレのちょっと前に、3学年下のくせに僕のことを少しイジってきました笑
(右)一條。納谷と同じく名字を正しく覚えてもらえない。夏休み、シングルで誰よりも早く蹴り出して誰よりも長い距離を漕いでいた姿が印象的。新人戦も 来年のインカレも期待してます

3年目のインカレではスタッフの配置を細かく考えたり、必要な調整業務をしたり、遠征の運営の中心として初めて動くことになりました。引き継ぎを受けた訳ではないので、先輩たちの見様見真似で一日のスケジュールを一人ひとり作ってみました。準備の不手際でなにか大事な予定や選手からの希望を取りこぼして、思わぬ不利益が生じないよう常に目を光らせる毎日でした。休憩時間返上で誰よりもたくさん仕事をしてかなり多忙でしたが、それと同時に部へ貢献できている、という自身にも満ち溢れていたようにも思えます。ボートコースすぐ近くの埼玉県立第一艇庫に宿泊していたので、環境は完璧。今年は去年よりももっと舞える!と思えたのですが…

奥村さん。水産学部で函館に移ってから入部するという、レアパターン。インカレが初対面でしたがめちゃくちゃ面白い子でした。全学に欲しかった

敗者復活戦(2日目)の夜から台風が直撃し、翌日の準々決勝がなくなったことで(敗復クルー全体のタイム順で決められたんだっけ)、それ以降のレーススケジュールが直前に大幅な変更がなされました。千里、純大が乗る対校M4+も例外でなく、半ば強制的にC決勝止まりにさせられました…千里からの「本当の実力だったら、きっとB決勝、なんだったらA決勝だって狙えたのに」という言葉も、あの純大が本気で悔しがって涙を浮かべる姿も、痛いほど突き刺さりました。

なんで、こんなにもインカレで報われないんだろうな。

岩崎。次期主将候補。とにかくいつもアクティブで、ハキハキ喋って、ボート部を賑やかにしている張本人。この笑顔を見ているといつも元気をもらえる

そういう思いはずっと心の奥深くにあったから、4年目の最後のインカレで男子つきフォアが予選、準々決勝を1位で余裕で通過していく姿はめちゃくちゃ凄かったし、さらにはA決勝でいままでで最高のレースをして準優勝しちゃうし。女子クォドはあともうひと押し、というところではあったけれど、先行するクルーに食らいついていく様子はすごく頼もしく感じたし、増田も薬学部の多忙研究室生活に耐えながら 他大学とエイトで出場して決勝まで漕ぎきったし。3年半前に出会った頃とは本当に別人のように成長して、本当にかっこよすぎるよ。



このインカレでの僕の想いは前回のブログに綴ったので これ以上は割愛しますが、改めて。



本当におめでとう。そして、ありがとう。



最後の最後でこんなにかっこいい姿を見れるなんて、いい意味で予想外だった。予想以上だった。



引退までボート部を続けてきてよかった。

入部宣言をした直後の小方。いっさい表情変えていないのが怖い。が、実際はすごく心優しいナイスガイ。来シーズンはケガで悔しい思いしませんように

ボート部で練習するにあたって、理由は何であれ絶対に一度はボートという競技、ないしボート部のことが嫌になる瞬間があると思います。これが、なにかボート以外に挑戦したいことがあって部を離れたいだとか、新たな世界を開拓したい、と思っているのなら、僕はその道に進む方を選ぶのは全然アリだと思います。けれど、もしボートのことで何か悩んでいる、迷いが生じているなら、一度立ち止まるのはもちろんokだけど辞めるまではしないでほしい。意志を変えることは簡単ではないかもしれないけれど、視点を変えることは難しくない。与えられた環境に文句を言ったって何も変わらない。その中に、実はまだ気づけていない、自分にとって大事な何かが潜んでいるかもしれない。それを見つけだせるかどうかが、その葛藤を晴らす鍵だと信じています。

真太郎さん(H30)。就活終わったから、という理由で、大変なはずなのに茨戸まで来て手伝いに来てくれた。上野(うわの)さん、都雲さんもそうだが、非常に博識で 話していて自分の知らない世界を知ることができる貴重な先輩方

ボート部に入ったことで、他人と比べることをやめて、自分自身が何をしたいか、端的に言うと主体性を身につけることができたような気がします。他の人が楽しいことをしていたら、自分には無い何かを持っていたら、どうしてもそれを羨ましく思い、自分と比較して自身を貶むことだってあるかもしれないけれど、その人はたまたま今楽しそうにしているだけで裏では絶望の人生を送っているかもしれない、「自分には無いもの」というのは「自分には必要がないから持っていない」から、かもしれない。そういうのが予めすべて分かったら、常に自分にとっての「最適解」だけを選択して幸せになれるかもしれないけれど、現実それは不可能だから。自分がやりたいことを見つけ出して、それに自分の意志で納得できるまで、思う存分取り組めたら、めちゃくちゃ楽しいと思わない?他人が楽しい思いをしていたとしても、それを自分と比較したり、妬んだりしないでしょう。「正解」の人生を歩めるかどうかは自分自身の意識がすべてだ。もちろん人間社会に生きる以上、他の人から多少なりとも批判を受ける時だってある。それを一切聞き入れないのも問題ではあるけれど、人の機嫌ばかりを気にして萎縮しながら生きる人生ほどもったいないものはないと思う。

(左)すいちゃん。度重なるケガで苦労している…。毎回、大会遠征ではスタッフとして助けてくれていたが、ラストイヤーは2,000mを漕ぎきって喜んでいる姿を見たいな
(右)R2世代の主将。3年生までに志望していた企業への内定をゲットし、卒業単位もとりきって卒論も仕上げるという超ハイスペ。ボート部の組織としての質を、部員の練習への熱意を少しでも高めようと駆けずり回る、熱い漢でした

僕は初めて会う人に対して何の興味も湧かないタイプような極度の人見知りで、小中も高校も、今では交友関係は希薄になりつつあるような薄情なタイプでしたが、北大ボート部で出会った人たち、同期たちとは一生の付き合いになりそうな予感がします。社会に出てからも、どれだけ遠くても忙しくても、わざわざ集まって話したくなる存在。そんなかけがえのない人と出会える場所となったこのボート部に3年半居させてもらえたこと、一緒に部活できたこと、本当に感謝しています。僕たち4年目を最後まで応援してくれて、支えてくれて、祝ってくれてありがとうございました。
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