北大ボートblog

北大ボート部部員によるほぼ定期更新ブログ。

バラ para Barato

2023-09-30 10:16:24 | 2023引退ブログ

うーん難しい、、←これはボートの難しさに悩んでいるわけではなく、これまでの4年目の引退ブログを読んで、「こんないい文章けねえなー、どうしたらいいんだろう」とこのブログを描き始めている時の私の心境です。悩みすぎて、何も手が動かないので、とりあえず手を動かすために今の心境から書き始めてみました。

3年目4年生の阿部泰樹です。

 

4年目の方々のように今までのボート生活を振り返ってもいいのですが、いかんせん今までのブログでネタ切れの時に結構使って来てしまったので、全く新しい文章を書こうと思ったのですが、なんの骨組みもないところから文章を作成するのは、キャンパスを用いずに空に絵を描くに等しく、伏魔御厨子もかくやという神業なので、諦めて短編にします!

 

「バラ色のキャンパスライフ」

私を含め、皆さん高校を卒業して大学生になるときには、誰しもが「バラ色のキャンパスライフ」に憧れていたと思います。「学業成績優秀、学内の友達は100人を超え、放課後にはアルバイトでたくさんお金を稼ぎ、休日は友人とドライブに行ったり趣味の時間でまったり。サークルくらいで適度に体を動かし、適度にむきむき。そんな完璧な君の横には黒髪の乙女。」こんなキャンパスライフを想像していたのではないでしょうか。しかし、現実は「平日は朝4時に起き、そこから部活。帰って来てからは記憶もなく、放課後は泥のように眠り、休日も茨戸へGO。週7回の練習で体はムチムチ。横には同じくムチムチな漢たち。」

これでは「バラ色」ではなく「茨戸色」のキャンパスライフではないか!どこで道を間違えたのか!いや、まだ上方修正可能なのではないか?今この部活を抜け出したら、私にはバラ色のキャンパスライフを手に入れるチャンスがある!と多くの人が途中で思うことと思います。私にもそんな風に考えた時期があったような、なかったような気がします。

そんなこんなで私は4年生まで残っていたわけですが。

大学にはたくさんの人がいます。ボート部以外にもたくさんのコミュニティがあり、もっと私に合うところがあるんじゃないかって探したくなる気持ちもわかります。そんな迷える後輩たちのために、私も事前調査を行ってきました。調査対象はこの部活と医学部の部活2つ、全学のサークル1つ、そして医学科102期です。これらの団体に4年生まで潜入してきました。そして調査の結果、誘ったら一緒にエルゴを漕いでくれるのはこの北大ボート部だけでした。そうなんです、この部に入ってると意外かもしれませんが、「エルゴ」なんていう、あんなに疲れるのに1ミリも進んでないマシーンを一緒にやってくれる人なんて実は世の中にそういないんですよ!「エルゴしよ!」て言ってエルゴをやってくれる、そんな人たちを見つけられた時点でみなさんはこれ以上ない仲間に出会えてるんです。「エルゴを漕ごう」と誘って一緒に漕いでくれる仲間が北大ボート部にはいます!ここ以外にわざわざ探しに行く必要はないんです!仲間を置いていってまで行くべきコミュニティってあるんでしょうか?

 

そして最後に、「やっぱり部活きついなーとかやめたいなあ」って思っている君へ。君がそう悩むとき、だいたい最上学年はもっともっときつい状況だったりします。それは学年が上がるにつれて、ボート競技そのものだけでなく、部活を運営するために部の外の人たちとやりとりをしたり、テストが増えたり、就活があったり。それらをこなした上で君と同じきつい練習をやっているんです。そんな中できっと君がきつそうにしているのも気にかけていると思います。そして君を励ましてくれることでしょう。しかし、励ますのも励ますのでとても心労がかかります。自分自身が一番忙しいのに、それを押し殺して時間も心も費やさなければいけないからです。私自身も色々と周りに心労をかけてきてしまったと思います。それが4年生になっての唯一の後悔です。

どうか3年目への親孝行だと思って、2年目以下はしっかりと支えてあげてください。もし辛いと思ったら、4年目以上にぽろっと伝えてください。辛くなったら一緒に話しましょ。

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やがて大きな花は咲いたのか

2023-09-29 06:36:24 | 2023引退ブログ

引退ブログ

こんにちは、4年目の岩本です。

札幌に帰り、ボート部の生活から離れてから2週間ほどが経ちました。毎日のように通っていた茨戸が一気に遠くなった気がします。

 

突然ですが、大西みたいにある言葉を紹介します。
高校の時、部活の顧問の先生に教えてもらった言葉のうちの1つです。

「何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」

この言葉、ご存じの人も多いかもしれませんが日本女子陸上界に史上初となるオリンピック金メダルをもたらした、高橋尚子さんの高校時代の顧問の中澤正仁さんの言葉らしいです。(もっと元をたどると元三洋電機副社長、後藤清一氏の言葉で著書の『リーダーズノート』にも収められている名言で、中澤さんが大学陸上部時代に監督の上田誠仁さんから送られた言葉らしいです。 つまり受け売りの受け売りの受け売りの受け、、、)

意味としてはネットで拾ってきたのをそのまま書きますが、

最初から花が咲くことも、花が絶えず咲き続けることも難しい。陽の光を浴び、水を吸収ししっかり根を張り成長してこそ、大きな美しい花が咲くのだ。マラソンや筋トレのように常に数字がつきまとうと結果が出ないと焦ったり、諦めたりしたくなりがちだが、苦しいときに踏ん張るからこそ、根が伸びるのだ。根を伸ばすことをやめなければ、やがて大きな花が咲くだろう。

こんな感じです。ボート競技も数字が付きまとう競技ですよね。

ふとした時に思い出し、意味を調べて、シンプルにいい言葉だし、北海道の気候とか、冬連やエルゴにぴったりだと思いました。ボート競技やってたら誰しもがぶつかるような苦しさに、耐える意味をストレートに教えてくれる言葉だと思います。


書き始めてみたはいいものの上手い話もないのでみんなと同じように4年間の振り返りをしようと思います。先に言っておきますが、こんな感じで思い付きをだらだら書いてます。中身うっすいですごめんね。

 

1年目

正直秋までの記憶はほとんどありません。自分は後期入学だったので下宿する部屋を探す猶予も短く、コロナで全面オンライン授業となり、急いで札幌に行く必要もないなということで、夏まで実家にいました。

部活もサークルもなんとなくネットやSNSで新歓情報を見るくらいで、特に行動に移していませんでした。
僕は高校でラグビーをやっていた上、1個上の先輩が北大ラグビー部にいたので困ったらそこに入ろうかなとか考えていたような気がします。結局ラグビーは見る専門になりましたが。

そんなこんなしてたら下手をして秋になってしまいました。気づいたらあんなに大々的に新歓を行っていた部活もサークルも新歓終了モード(のちに新歓やる側になって新歓の仕組みやしんどさを知ってからはそりゃそうだよなとは思ってます)で結構焦りました。
手当たり次第に興味ある部活を体験しようとした中で最初に行ったのがボート部でした。
大学で何かやるからには、何か新しいこと、大学でしかできないことをやりたいなーと漠然と考えていた自分にとってボート部はドンピシャ、勢いで2回目の試乗会の時に入部宣言しました。他にも動機はあったかもしれませんが正直あんまり覚えてません。
その時もうすでに10月。エイトに何回か乗せてもらって、藤田さん(H29入学)が救急車で運ばれるのを見たら、あっという間に納艇でした。ローイングのロの字も知らないまま冬連に入りました。
今でこそ思いますが、もうちょっと漕いでから冬連に入ってたらやめてたかもしれません。

1回目の冬連はまさにエルゴ部でした。コロナで制限された活動の中、先輩の家に行っては40minUTやって帰る生活をしてました。普通に考えたらきついですが、その時はエルゴビギナーのためやる度に記録が伸びるのが楽しく、全然苦ではありませんでした。どちらかというとジムやゲーム感覚でした。
また、自分より早く入部していた人たちを魅了する何かがボートにあるのだろうと思い、それを見ないうちにはやめようと思ったこともありませんでした。特に久我と吉岡は若干怖いくらいモチベあったと思います。
とはいえ、後から聞いたことですが、有り難いことに当時はいろんな人に気を使ってもらっていたみたいです。

 

2年目

2年目(実質1年目)のシーズンイン後はなかなか漕ぐことが出来ない時期が続きましたが、国体予選で4+(勢雄)に乗って初レースに出ました。当時のクルーは真太郎さん(H30入学)、伊藤亮太さん(H31入学)、同期の久我、長坂と自分でした。
ボートって何?状態で冬連を超えた自分にとって、このレースが初めてボート競技に触れる瞬間でした。

今思えばド下手でクルーには迷惑かけてたと思いますが、予選から敗復で15秒くらい更新して嬉しかったのを覚えてます。
そっからまたコロナ自粛の暗黒期に入るのですが、このレースのおかげでモチベが上がり、色々あってインカレ2nd8+に出ることになりました。
結果は惨敗でしたが、決して無駄じゃないし、サポートして下さった当時の先輩方には感謝しています。
また当時は新人戦もなくなったり、部内各所で暗黒期に入っていましたが(特に吉田)あまりうまい言葉をかけることはできなかったです。

2回目の冬連は大失敗しました。インカレの流れでモチベがあり、最初のTTこそベストが出たものの、第2期に入ってから大きく体調を崩しました。あんまり他の人に言ってないのですが具体的には下血してました。病院で検査しましたが原因は不明でした。しばらくして体調は回復したのですが、体力はだいぶ落ちてしまい、冬連1期ほどのモチベーションも維持できなくなっていました。ただここでやめるのは個人的にあり得なかったので、なんとか最後のTTだけは参加しました。

 

3年目

大失敗した冬連から巻き返すためそれなりに頑張りましたが、結局このシーズンは東北戦、インカレ共に落選しました。結果的に出ることになったオッ盾でしたが、正直ぶっちゃけると、始めはそんなに乗り気ではありませんでした。ただ練習を重ねていくうちにどんどん艇速は上がっていき、1年生(現2年目)の成長速度に感化される形で本気になっていきました。上野さん、狩野さん、真太郎さん(H30入学)をはじめとした新トレの方々にお世話になりながら、大きく成長もできたと思っています。

インカレで見た対校4+のB決勝にはまさに心が躍りました。自分もこんなレースがしたい。来シーズンにおける目標になりました。

ラストの冬連はとにかく伸び悩んでも気にしないを信条にやりました。経験則ですがウエイトはあきらめずにやっていれば必ず伸びてくれます。どんな人でも。才能はいらないと思ってます。エルゴやバイクの結果が伸び悩んでも冒頭の言葉を思い出し、大して気にせずに続けることが出来ました。

 

4年目

ラスト
最も濃密な一年でした。代替わり後、人数の少ない僕ら4年目で本当にちゃんと部を運営していくことが出来るのか、正直なところ不安でした。しかし、コーチ陣や先輩方や3年目の幹部の皆、スタッフの皆に支えられて何とかインカレまで続けることが出来ました。

全日本ではふがいない結果に終わってしまいましたが、東北戦への布石にできたと思います。

茨戸レガッタ、決まったばかりの東北戦クルーをばらした急造クルーで4+に出場し優勝しました。(他のクルーは納谷、千里、安永、井上で全員3年目)実は1位になったのはこのレースが初だったりします。心躍りました。結構思い出に残っています。

東北戦、久我が離脱しどうなるかと思いましたが、本番でベストパフォーマンスをぶつけることが出来ました。勝利は来年に任せます。

インカレラストレース、ラスト500mで応援が聞こえ、間違いなく心躍りました。レース結果には悔いは残っていません。いわゆる大きな花は咲かなかったかもしれない。けど、最後に少なくとも心躍るレースが出来、その目標は達成できました。拡大解釈かもだけど花は確かに咲きました。最後の茨戸でのあの出来事も含めて生涯の思い出です。

そして、会計として、年末のエントリー料の引き上げや体育会の強化費の減額、等々ありましたが、なんとかまとめることが出来そうです。茨水会、OBOGの方々からのたくさんの御支援、応援のおかげです。本当に心からお礼申し上げます。

この4年間、何一つ無駄なことなんてなかったと思っています。OBOGの方々、先輩方、後輩達、同期、4年間本当に有難うございました。


いくつか残っている仕事を終わらせたらとりあえず真に引退です。2年後どうしてるかな。

ちょっと日付がずれ込んでしまいました。ごめんなさい。

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オフのおもひで

2023-09-26 13:51:00 | 日記

こんにちは、漕手3年の大向です


4年目先輩方の引退ブログに挟まっていますが、オフの話です。ゆるいです


3年目はインカレ後の全道選手権を終え、ようやく10日間のオフを迎えています


この10日間はおじいちゃんおばあちゃんのお家に帰省したり、埼玉の実家に帰省したりしていました。


会うたび「痩せたね〜」と言われました😔

家族も私を増量させようとしてくれており、品数いっぱいの料理を出してくれました。私はもぐもぐ食べ続けました。

栄養いっぱいの料理を食べていたおかげで心なしか調子がいいです。札幌でもちゃんと野菜を食べようと思いました。自炊頑張ります




帰省した埼玉では高校時代の友だちに会いました。

会うのは久しぶりだったのですが、みんなキラキラしていて、ちょっと大人っぽくなっていて、新鮮な気持ちになりました


めっちゃ勉強してる人。部活に捧げてる人。海外で働きながら勉強してる人。パリピな人。凄そうなとこに就職する人。


楽しそうでいいな〜って思ったと同時に、大学生活の頑張り方は人それぞれだなって気づかされました


以前「ボート部を辞めたら自分に何が残るんだろう」っていう圧迫感や閉塞感のようなものを感じながら茨戸に通っていました。


でももっと力を抜いて視野を広く持つことが必要な気がします


色々な考え方を知って、それらを尊重できるようになれば、自ずと自分の選択は尊いものだと思えるようになるのではないか

「自分にはここしか無い」って思い込むよりも「自分で選んでここにいる」って思えた方が心躍るんじゃないか


ボートのことも、ボート部のことも、もっと好きにために、オフシーズンは部活以外の色んなことに挑戦してみようと思います!

最後まで読んでくださってありがとうございました!

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さんきゅー

2023-09-26 09:01:00 | 2023引退ブログ

引退ブログ


どうもこんにちは。4年目のおおにしいずみです。
引退ブログと言いましても、書くことが思いつかないので、4年間の振り返りをしたいと思います。面白くなかったらすみません。

とりあえず、久我くん並みに長くなりそうなので、先に、好きな言葉を書いときます。めんどくさい人はこれだけ読んで貰えればと思います。

センスがあるか無いかなんて進むのが早いか遅いかの違いさ。

この言葉、ALL OUT!!っていう漫画のセリフなんですけど、良くないですか?
私はこの言葉と高校の頃出会って、そのころはボート始めた頃だったから下手くそで、ボートって結構、身長とか体力とかが実力差に直結することが多いじゃないですか。持久系のスポーツやってた人とか結構すごいじゃないですか。あとは、私自身、シングルがド下手くそで、チームで最下位、みたいな感じだったんですよね。
でも、ボートの競技特性的に、頑張った分だけ結果が付いてきやすくて、時間はかかるかもだけど、そこに行けるんだぞ、追いつくんだぞって気持ちにさせてくれたので、今でも忘れずにいます。
まあ、上の人も伸びていくスピードが速いんでしょうけど、
諦めない限り、届かない場所は無いんだろうなと思わせてくれるから、結構この言葉は好きです。亀みたいなスピードでしょうけど、この言葉のおかげで進み続けれたのではないかなと思ってます。

 


あ、もう疲れた人はここで読むのやめて大丈夫ですよ。大事なことは終わりました。ありがとうございました。

 

 

 

それでは4年間を振り返ってみます。


まず、入部の経緯ですが、もともと高校でやっていたので、入部することは決めていました。高校のボート引退後にボートロスがありまして、こんなにロスになるくらい素敵なボート競技にずっと関わって恩返しがしたいと思いまして、とりあえず、好きなことができて、身体もブンブン動くうちは選手として競技の復興に貢献できればと思い、入部を決めました。

とか言ってますけども、ボート漕ぐの楽しいんですよね、冬連は嫌いだけど。

私は保健学科だったので、医学部ボート部に入ろうかと悩んだんですけど、高校の顧問に、絶対全学のほうで頑張ったほうがいいといわれたので、まあ、無理なら医学部のほうに行けばいいかなと思って全学のほうにしました。大変な時もあったけど、全学でがんばれてよかったと思っています。
私はそんな理由で入部したんですけども、コロナが始まって1年目で私以外に入部した輩がいまして、そいつらはボートにも乗ってないのに入部していて変な奴らだなと思っていました。今も変わらず変なやつらばっかりです。

未だに、1年生の4月にやっていたオンライン練習のこと、吉田がオールのハンドルとブレードを逆につけていたこと、岩本とひなっちゃんが遅れて入部してきたことは昨日のことのように思い出せるので、私自身の引退は全然実感がないんですけど、同期が引退するのはすごく親みたいな気持ちになります。

今度、2、3年ぶりに同期で集まります。なんでこんなに集まっていないかは誰にもわからないんですけども、まあつまりはみんなボートしかしてなかったんですね。

 

 

そういえば1年目にしてインカレ選考に挑戦しまして、理由としては、コロナが始まった年でほんとに何もできてなくて、何か頑張りたいと思いましたからです。なんとか選考でクォドに乗ることができました。


Sえりさん、3 おおにし、2 山谷さん、B 矢部さん


結果は敗復落ちで、全国との差を感じました。
先輩と乗れて、たくさん教えてもらって、あとは、とりあえず、2000mレースのほうがいろいろ考えられて楽しいなということがわかりました。

 

 

2年目も、コロナに苦しめられましたね。春にも、秋にもコロナで部活動の制限、インカレの延期で新人戦がなくなりました。新人戦は、水産学部の同期と乗りたくて、たくさん準備したのに流れて、結構悔しかったです。
あとは、保健学科だけ部活動禁止だったみたいで、教員にインカレに行くことを伝えてしまって、行くなら2週間大学来るな、それでテスト受けられないで留年かインカレかの二択を迫られました。結局、先生方のご厚意でインカレに行くこともテストも受けることもできましたが、予定よりだいぶ遅い合流で迷惑をかけてしまいました。


Sえりさん、3えりちゃん、2大西、B珠美さん

ひなっちゃんがピンク頭!!!

 

なんでかわかんないですけど、私がいない間、戸田でクルーの雰囲気が悪くなってしまって大変だったみたいです。救世主だったみたいです。
インカレ直後に、初めて同期のえりちゃんと喧嘩と呼べるか分からない喧嘩をしました。次の日くらいにすぐ仲直りしたんですけどね。奥田さんとかひなっちゃんとかに助けてもらった記憶があります。
このころはインカレが10月に延期したことで、学校が始まっていて、オンライン授業や課題が終わらなくて毎日3時間睡眠を繰り返していて、練習も佳境になっていて、正直死ぬかと思いました。私の練習を支えてくれていたのはアミノバイタルでしたね。アミノバイタルのまなかった日はもう練習中バテバテでした。だからもうインカレ終わったら絶対1か月くらい休んでやると思っていましたが、なんか休み方がわからず、冬練や来シーズンの話が出てきてしまって、そのままずるずるやりましたね。まあちょうど、納艇時期だったので茨戸にも行けなくなったので早起きがなくなって授業と両立がどうにかできたんですけども。
まあそんな感じでインカレ前からなんだかんだ精神状態は良くなかったんで喧嘩してしまったんですかね。色々重なってしまいましたね。


もしえりちゃんが全学にいてくれて、それで4年生になったとき、一緒のクルーでインカレとか出れたのかなってたまーーに考えます。えりちゃんならエルゴもどんどんタイム出てたと思うので、スピードとかめたんこ速かったのかなぁって思います。喧嘩もするかもしれないけど、楽しそう。HOBで乗ったダブルとか楽しかったし超がんばれたし、茨戸の水で水分補給してしまったし、思い出深い( ˘ω˘ )
お互い連絡とるのは得意じゃないから超ご無沙汰な感じだけど、今でも同期だと思ってるし、元気にやってるかなって思ってます。元気が1番。またご飯いこうね。

 

3年目は、なんかずっと体調が悪かった記憶があります。
4月は寒い中バックスプラッシュかかって(玉川の)、家帰って高熱、まあ3日くらいで治ったんですけど、復帰後調子乗って練習していたら、風邪が治りきっていなかったみたいで、湿疹が出まして、さすがに親にも怒られ、完全に治るまでは休めと言われて休みましたね。それで湿疹も治ったと思ってまた行ったら、治ってなくて湿疹が再発し、また怒られ、また休むことになってしまいました。休めるうちに休むのは大事で、完治させることも大事で、何よりも、自分の体調を過信せず、調子に乗らずに練習を再開することがほんとうに大事ですね。
生理痛もきつくて、毎月1回は休んでしまったし、最後の最後はインカレでコロナになってしまって、踏んだり蹴ったりでしたね。


でも(?)、福政さんとのダブルは過去一笑いながら練習しました。楽しかった記憶たくさんです。東北戦は相手さんに10艇身差付けて勝つと言われまして、ちゃんとそのくらい差を付けられてしまってとっても悔しかった記憶があります。
今見るとド下手くそで、改めて今乗ったらどのくらいのタイム出るのかなって思います。

11-12月の実習後もなんか体調崩して全然動けなかったし、動けないことが辛かったです。とりあえず年明けから少しずつ部活参加出来るようにはなりましたが、間に合わなかったなぁーと思いました。なので、みんなには細々とでいいから冬練続けて欲しいです。健康を保つのも練習というか慣れというか、自分で正解を見つけなきゃいけないものだなって思います。

 

4年目は半分以上、病院実習で休んでしまいました。でも、とても濃い時間を過ごしたような気がします。
4月から2ヶ月×2の病院実習があり、1つめの病院は今思うと厳しい病院だったのかなと思います。
分野は循環器(心臓とか血管とか)で全然知らない分野で、春休みはボートしか漕いでなかったのでしょうがないですけど、病院の人には「完全に勉強不足」と言われ、毎日毎日遅くまで勉強して、それでも毎日分からないことばかりで聞かれたことにも答えられなくて、本当にしんどかったなぁと思います。出勤も不定休って言うんですかね?平日休みもあるけど、土日に出勤も多く、平日休みに茨戸に行こうと言う気持ちにならなくて、休むことで精一杯でした。言い訳ですかね。。。
久々に茨戸に行ったときには、福政さんや奥田さん、久我などなど、たくさんの人に目の輝きが失われている、だとか、社会の荒波に揉まれてすさんでるとか言われました。
今思うと、ほんとうに病んでたんでしょうね。
こんなに練習できていない状況で毎日練習を頑張っている人たちと肩を並べられるわけもないので、インカレに出てもいい結果なんて残せないからもう出たくないとまで思っていました。

でも、まだ元気な頃に申し込んでいた茨戸レガッタは頑張って出るか~って思って出たら、やっぱりボートこぐと楽しいな~ってなって、どうしようかな~、やめるっていうのも周りに迷惑かけるし、多分辛いし、やってみるかな~ってなりました。唯一救いだったのは、2つめの病院がちょっと近いところにあって、少し優しくて、少しだけ余裕が生まれたことですね。

こんな練習参加してないやつがインカレ挑戦しますって言っても、喜んでくれた女子のみんな、コーチ、監督、本当にありがとうございました。大西がインカレには必要ってコーチが言ってくれたのもちょっと嬉しくて頑張らなきゃな~ってなりました。
東北戦も頑張って見に行ったら、みんなが去年よりも東北に迫っているのを見て、すごく嬉しくて感動したけど、同時にそこに居ない自分に悲しくなりました。やっぱりボート部でみんなと頑張りたいし、活躍したいんだな~って思いました。
東北戦の次の週に国体の予選があって、その次の週に選考があったので、エルゴをしてはいたんですけど、週1くらいだし、まじでへろへろだしで、国体予選も選考も負けちゃうかもなって超超超弱気でしたね。
でも勝ちたくて、久々に超緊張して挑んだ国体予選は後輩の大向にちゃんと負けましたね。あのレース、ほんとに体力が足りなくて負けた、って感じで結構悔しかったんですけど、江川さんは練習不足だねってグサッと言ってきて、男子なんか、エッセンルームで私が大向の後ろにいるのに、みんなで大向に拍手してて、大向が頑張ってて、すごく成長したことはみんな知ってるし、わたしなんか3ヶ月近くなんもやってないからしょうがないけど、みんな私のこと考えてる?って思ったし、ボートってほんとに勝ちしか意味ないなって、思いました。
ていうか、わたしって結構負けず嫌いなんだなーって思いました。(多分みんなは知ってる)
でも、なんだかんだちょっとずつ体力は戻ってきてて、選考の2000TTはもうちょい頑張れるかな~って思いました。

実際はそんなことなくてクソきつかったんですけども、福政さん、奥田さん、伊藤亮太さん、といった5年目の先輩方がめちゃんこ応援してくれて、どうにかタイムが出て、対校クォドに乗れました。


S 大西、3 たま(玉川)、2 せき(関)、B ます(増田)

やっぱりちょっとTシャツはダサく見えるからかっこいいの揃えなね。

 

そういえばこの頃からです、キモ生活を送っていたのが。
土日とは別に平日週1回、茨戸で練習してから病院実習に行ってました。
病院は家から自転車で30分、茨戸から70分です。まあさすがに体力的に無理なので、茨戸から30分チャリ漕いでバス乗ってました。
つまり、こうです。
前日23時くらいまで課題→3時半に起きて茨戸→チャリ40分→練習→チャリ30分→バス30分→病院→バス→チャリ20分→自宅
まあ週1だけなので、どうにか耐えました。病院では意識が飛ばないように必死でした。何回かウトウトしてるのを見られました笑 優しい指導者さんで良かったです。
毎日自転車で行っていたので汗だくでもなにも違和感なくて、完璧でした。いうてもこの生活は1ヶ月くらいしかやってないので、計4回くらいだと思いますが。
それでもこの一日がハードすぎて、他の日は土日に向けてエネルギーを回復させることしかできてませんでしたね。笑


こんなふうに頑張った感あるんですけども、この前、某大学の某選手のブログでは実習中も毎日ウエイトかエルゴとかで練習していて、院試も合格していて、ああ、まだ頑張りがたりなかったのかなと思ってしまいました。まあでも、そのときそのときで、私は生きるのに必死だったし、人には人のキャパってあるなって思ってとりあえず合格としたいです。
そんなこんなで、実習が終わって本格的に動き出せたのは8月2週目からでした。今思うとよく間に合ったなと思います。実際間に合ってはいないかもしれないですが(笑)


クルーづくりにしても、体力的にもギリギリでしたね。体力は整調で、嫌でも漕がされたので、1.5倍速で体力が戻った気がします。なんなら上回ったかもしれない。とりあえず色んなメニューに対してのハードルが下がりました。まああれかもですけど、ラストの年なので気力で動いてたかもですね。


たまもますもせきもよく頑張りました。クルーが完成するのは絶対ギリギリだとは思っていたので、そんなに焦ってはいなかったけど、予想を上回って頑張ってくれました。ありがとう。


たまはまだ下手くそなところ沢山あるけどゆっくり直していこうな!!!
私のレートはたま次第だったね、沢山支えてくれてありがとう。300mで辛いのは気のせいだったでしょ、もう一生そこで落とすなよ(*^^*)

せきちんはあなたほんとに1年生?っていう漕ぎと考え方を沢山持っててびっくりしたよ。多分まだまだ教え切れてない気がするからまだまだ伸びるね。えらい子なので、無理はしないようにしようね。せきの雄叫びのおかげで踏ん張れましたよ。ありがとう。全国で関が活躍してる姿を見て、私が育てたようなもんって胸を張るのが夢です。ほぼ何も教えてないけど(笑)

まっすー!あんたちゃんとバウで漕げるようになったじゃないかい!一時はどうなることかとヒヤヒヤしたよ。たくさんたくさんコール入れてくれてケツ叩いてくれてありがとうね。ますのコールで何回も心折れかけながら漕げました。我とますのコンビで戸田での航行もバッチリだったね。ぴーす。茨戸最後のTTはブイパコ2回の超蛇行したけど。爆笑ばくしょう。

1,2年のときにでたクォドは敗復落ち、それを考えると、B決勝に行けたことは、出場クルーの運もあるけど確実に実力が着いてきたと考えていいのかなと思います。前もブログに書いたかもしれないけど、とりあえず全国で戦うスタートラインにやっとたてました。
B決勝では他の3艇とは10秒以上の差が開きました。賞状争いに参加することも出来なかった。悔しい悔しい。でも今の私たちの全力が出せたレースでした。出力が落ちることもほとんどなく、最後まで勝ちにこだわって攻め続けてくれました。それが私は本当に嬉しかったです。
課題は浮き彫りになったと思うし、また一回り大きくなった北大を来年の戸田で見せて欲しいなと思います。

 

女子キャプテンとしては不在にしてた時期も含めて本当に何もしてなくてごめんなさい。頑張ってくれた同期のみんな、3年目のガールズありがとう。

北大ボート部、どんどん良くなってきてると思ってます。全員戦力で戦えるように、急がずに、でも休まずに。

 

そういえば、ボート歴7年目にして初めて整調としてレースに出ました。
私、あんまり自信がないので、漕いでるリズムが合ってるのか不安になりますし、後ろが落ちたら付いてこいよみたいな漕ぎはできず、一緒に落としてしまうし、あんまり整調タイプじゃない気がしますけども、なんかだんだん私がしっかり漕がなきゃという気持ちも芽生えてきて、整調っぽくなれたのかなって思いました。うん、だから、多分、誰でもできます。段々できるようになるんです。だからこれを読んでるそこの君、自分に自信もってもりもり漕いでくれ、それでなんか言われたらちゃんと修正して、たくさんたくさん思いっきり漕いでほしいな。
不安になったらお手本にしてる動画でリズム取って漕げばどうにかなったので、大丈夫だ!


艇を速く進めること。ただそれだけなのに、なかなかうまくいかなくて、でも正しいアプローチだったときはちゃんとタイムに出て、ローイングの奥深さと楽しさを感じます。エルゴなんてものはくそつまらないけど、ボートに乗ると楽しくて許してしまいます。

本当にこんなに打ち込める競技に出会えて、素敵な先輩後輩、同期に恵まれて、幸せです。

きっとわたしが完璧な漕ぎになるまでにはあと何年もかかるんだろうなって思います。ちょっと上手くなってきたところなので、もう少し上手になりたい気持ちもあるんですけど、とりあえず少しだけ休憩させてもらおうかなって思っています。女子の学生コーチがいなくなってしまうので、やろうと思っていたのですが、院試が不合格でして…(´・_・`) ボート漕ぎすぎました。申し訳ないです。
とりあえず進路考えなきゃなのと、国試の勉強と、未来有望な下級生たちをきちんとサポートしたいと思います。


想像以上に長くなったし、思いついたことを適当に書いたのでまとまりはないですが、これで終わります。ほんとにこんな長いし大したこと書いてないのにここまで読んでいただきありがとうございました。
漕ぎたくなるかもしれないけど引退!!!!

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マネージャー万歳

2023-09-24 22:00:00 | 2023引退ブログ

4年目マネージャーの小原です。

長いようで短かったインカレが終わり、あっという間に引退ということで驚いています。今まで関わって下さった皆様、本当にありがとうございました。

 

沢山の良いレースを見せてくれた漕手にはもちろんとても感謝していますが、私はマネージャーについて書こうと思います。

 

まず私はマネージャーの皆さんを本当に尊敬しています。

先輩方のモーターボート捌きを見て自分もやりたい、上手に運転したいと思い、続けると決めた部活でしたが(他にも理由はありますが)、最終的にどれくらい上手くなったのかは分かりませんでした。もっと沢山先輩が運転している時に一緒に乗れば良かったと少し後悔しています。

1、2年の頃はエッセンもなく仕事の大半がモーターや監視の仕事だったため、コースや漕手についての話を先輩に聞きながら乗っているのがとても楽しかったです。上級生になってから他の面での凄さを知り、今更ながら色々気を配ってもらっていたと分かりました。4年生になってからも大会や遠征など様々な場面で連絡を貰い、その度に凄く嬉しくなりました。いつも本当にありがとうございました。

 

後輩もどんどん成長しています。私は何も残してあげられませんでしたが、後輩達は日々強くなる漕手と共に成長しています。いつも凄いと思いながら見ていました。

目標が高くなれば、それに応えてサポートするマネージャーも大変になっていくと思いますが後輩達はそれについていくだけの力を持っています。もう少し人数がいれば安定もしていくと思うので、新歓も頑張って下さいね。

本当に自慢の後輩達です。優しくてしっかり意思のある子達で、沢山意見を出したり、進んで仕事を見つけたり、ここでは書ききれないくらい頑張っている姿を見てきました。これからも応援しています。これまで沢山迷惑をかけてすみません。本当にありがとうございました。

 

最後に、私は同期にもすごく恵まれていたと思います。最後まで漕ぎ切った皆んなが大好きです。お疲れ様でした。

 

この部活を通し、沢山の経験や思い出ができました。4年間本当にありがとうございました。

 

以下の写真は私のお気に入りです。(マネージャー多め)

 

左から柳(2)倉内(2)

 

手前、入江(1)

 

左から入江、柳

 

住田(2)

 

住田

 

エルゴ手前から吉川(3)大西(4)

 

左から久我(4)納谷(3)

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