ぐるっと上井牟田を一周したので、車で近くのゴルフ場「チサンC.C(カントリークラブ)」を目指しました。
次の文化財は、なんとゴルフ場の中にあります。
以前、森山支所を訪れた際に「この文化財を見に行く時は、ゴルフ場の方に申し出て下さい。」と言われていたので、受付にその旨を伝えます。
支配人らしき方が奥から出てきて、案内して下さいました。
というか、この史跡はゴルフ場のコースとコースの間にあって、ゴルフ素人の私には危なくてたどり着けません!
どこから球が飛んでくるのか、誰がショットを打つのか、四方八方注意しなければなりません。
文字通り『弾丸が飛び交う戦場をくぐり抜けるか如く』です。
ようやくの思いで、史跡のある林に飛び込んだのですが(表紙写真)、ここも決して安全地帯ではありません。
足元にはミスショットの球(弾丸)がゴロゴロと転がっています。
諌早市指定史跡「若杉春后(しゅんご)翁(おう)居宅跡」です。
正直、「若杉春后」と言われてもピンときません。(誰?)
「寛延三年(1750年)、佐賀本藩 鍋島宗教(むねのり)の圧政に対して、諌早藩で百姓騒動が起こりました。
※当時、諌早は佐賀藩の領地でした。
その時、諌早藩を救い、農民を助けた義人 若杉春后翁は、この場所に居宅を構えて農民の指導にあたっておわれました。
春后は当時すでに71歳の高齢でありましたが、儒者として信望が厚く、よくものの理をわきまえ、意思が強く、知恵がある義理堅い人であったといわれています。
春后は一揆の指導者として磔上(たくじょう)の露と消えましたが、後に諌早義人、救世主と仰がれ、今日高城神社境内に若杉霊神として祀られています。
わたくしたちは今日郷土の発展を見るにつけ、祖先の方々がこうまでして時の権力に反抗し、郷土の守護に当たってくださったことに心から感謝と敬意を捧げるとともに、翁居宅の跡を永遠に後世に残したいと思います。
2002年4月3日 諌早市教育委員会」
一体どういった経緯でゴルフ場の真ん中に史跡が残る羽目になったのか皆目見当もつきませんが、とても不思議な場所です。
※これを見た方で、史跡をどうしても訪れたい方は必ず“チサンC.C”に申し出て下さい。