島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

森山図書館とみそ五郎の石

2014-11-15 14:09:22 | 民話・伝承
体調不良の昨日の午前中(朝からはまだそんなに悪くなかった)、諌早市立森山図書館まで行ってきた。
前回諌早市役所へ行った時は、火曜日で休館だった。
役所では分からなかったことでも、案外図書館だと分かることも多いのだ。
開館は10時からで、少し早く到着し過ぎた私は周辺の文化財を見て回ることにした。(後日紹介します。)
時間になったので入館し、来館した目的を説明する。
さすがに「みそ五郎の石」について直接知っている人はいなかったが、森山町(諌早市と合併する前)の町史について書かれた『森山町郷土史』を紹介された。
早速目次に目を通してみると、「みそ五郎の石」の項目があった。
現代の人は知らなくても、昔の人はこうして書物に残してくれるから助かる。

以下、私が読んだ文章をうろ覚えに記載します。w
「みそ五郎の石は元々道を挟んで2つあった。もう一方は道路整備のために撤去されたという。
(柿のおじさんが言っていたことと一致する。)
2つの石には同じ位置に手の平の形が残っていて、みそ五郎が石を割った時についたものだという。
さらにみそ五郎は石を割る時に蓮華石岳(読みが分かりませんが、森山町にある山です。)と温泉岳(現在の雲仙岳)に足をかけて踏ん張ったそうだ。
ところが勢いあまって獅子喰岳(同じく読みが分かりませんが、森山町に・・・)の山頂を蹴飛ばしてしまったそうだ。
その時に蹴り飛ばした土砂で出来たのが、諌早湾に浮かぶ三ツ島(大島・中ノ島・沖ノ島)」とのことだった。
最初の一文以外はおじさんの話には出てこなかったな。w
島原半島と熊本の三角半島の間に浮かぶ「湯島(別名;談合島)」も、みそ五郎が作った島だ。
みそ五郎・・・、島ばっかり作っているな。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福田渭水(いすい)

2014-11-15 11:16:00 | 人物
急に寒くなったので、体調を崩してしまい、昨日(休日)の午後からずっと寝ていました。
今朝起きると、かなり回復していたので、普通に出勤しています。(少し鼻声ですが)
皆様もくれぐれご自愛下さいますように。

さて、諌早市役所へ行った時のお話です。
道を挟んだ向かいに市役所の駐車場があるのですが、駐車場に2基の頌徳(しょうとく)碑があります。
頌徳とは、功績・徳行を褒め称えることです。(国語辞典より)
土橋貞恵(ていけい)と福田渭水、お二人の頌徳碑ですが、土橋貞恵は今後も紹介する機会がありそうなので、今回は「福田渭水」についてご紹介しようと思います。
「福田渭水は、幕末の諌早領の学者・教育者です。
文政元年(1818年)、商家に生まれ、七歳で高柳家塾に入門したあと、学問に親しみ、やがて諌早の郷校である好古館の先生となり、子供たちの育成につとめました。
長崎に出て洋式兵学を学び、外国船来航にあたり長崎警備の任を果たしました。また、好古館の教育改革を提言し、私財を投げ出して推進しました。」(諌早市教育委員会)
幕末の人らしく、1866年に49歳の若さで亡くなっています。
撮影した時には気づいていなかったが、一番右の石柱に「好古館跡」と刻まれている。
ここに「好古館」があったのか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする