事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「巨人の星」 第2球

2008-02-16 | アニメ・コミック・ゲーム

第1球はこちらKyojinnnohoshi01_2   

巨人の星を、トリビア風にまとめるとこうなる。

1.「巨人の星」の作画は、川崎のぼるより先に、さいとう(ゴルゴ13)たかをにオファーされた。

2.川崎のアシスタントには、故園田(赤き血のイレブン)光慶かざま(Dr.タイフーン)鋭二がいて、彼らの画風が巨人の星に露骨に影響した(まだスクリーントーンは一般的ではなかった)。

3.花形満、左門豊作、伴宙太、アームストロング・オズマ……よくまあこんなネーミングが、と呆れるほどだが、主人公星飛雄馬の名は、編集者の反対もあって「星明」に内定していた。

……ツッコミどころ満載のこのマンガ、梶原一騎原作だけに、とにかく展開が濃い濃い。バラエティなどでよく巨人の星ネタがとりあげられるのは、高視聴率だった以上に、この濃さのせいもあるだろう。定番の星一徹がちゃぶ台をひっくり返すシーンは、原作にはわずか一度しか出てこないのは意外だが(TVではエンドタイトルで使われていたのでみんなに刷り込まれているのだろう)、他にも名場面続出。

ふざけた高校生だったわたしは、「ホリプロ」という芸能集団を同級生たちと組織し、ホームルームなどでネタを披露していたが(なにやってたんだか)、そのなかで巨人の星のエッセンスだけを速攻で演ずる「早回し巨人の星」はけっこううけた。

 文章で説明しても空しいだけだが、次号でそいつを紹介しよう。くれぐれも、期待なんかしないでね(-_-)。

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「巨人の星」 第1球

2008-02-16 | アニメ・コミック・ゲーム

(岡崎京子篇はこちら)Kyojinc

カキーンコキーンカキーン!
ダッダッダッダッダッダッ ザ・ザ・ザー
♪ちゃーちゃらららっちゃらー お・も・いぃいこんだぁら しーれんーのぉ♪

小学生の頃、ほとんどのお茶の間で土曜夜7時(※)はこんな音が鳴り響いた。TVアニメ「巨人の星」のオープニング。

※正確には「煙突さん、つまってますね」など、三宅邦子や浪花千栄子の大鵬薬品のCMが先。

ストーリーはこう総括できる。
身体のハンディを克服するために【魔送球】という禁じ手を使い、ために巨人を追われた父=星一徹は、息子=星飛雄馬(ひゅうま)を読売巨人軍の星として輝かせるために、大リーグボール養成ギブスなどの猛特訓を強いる。息子もまた球質が軽いというハンディのために大リーグボール1号~3号を編みだし、巨人の星となる。しかしその瞬間、自らの大リーグボールによって飛雄馬は再起不能となり、姿を消す……

 いかにも梶原一騎らしい、愛し合い、憎み合いながらも、結局は似たような人生を歩んでしまう親子の物語。ストーリーを反芻しながら、ほんとに一徹と飛雄馬の人生って相似形だなあと今さらながらに気づく。

 昭和三十年代、月刊誌が中心だったこども向け漫画界に、小学館は「少年サンデー」をひっさげて週刊化に取り組み、大成功をおさめる。独走状態だったそのサンデーを、部数百万部突破という、現在で言えばジャンプ600万部以上のインパクトで抜き去ったのが講談社の「少年マガジン」。屋台骨を支えたのはもちろんこの「巨人の星」(原作梶原一騎 画川崎のぼる 66~71年)と「あしたのジョー」(原作高森朝雄=梶原一騎 画ちばてつや 68~73年)だった。

第2球につづく。

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「Virgin」  岡崎京子著

2008-02-16 | アニメ・コミック・ゲーム

Virgin01 マン好き前回の「SLAM DANK」篇はこちら。

……自慢じゃないがわたしの岡崎京子歴はめちゃめちゃ長い。十代の頃から耽読していたロッキングオンは、現社長の渋谷陽一、作家の松村雄策、今はテクノライターの岩谷宏、そしてメディアのなかで暗躍する(笑)橘川幸夫の四人がメインスタッフだった(このへんは雑誌特集でまたやろう)。

 その橘川がロッキングオンの読者にケンカを売って辞め、いきなり始めたのが読者の投稿だけで一冊まるまる編集するというコンセプトの雑誌『ポンプ』。確か1978年頃だったと思う。そのポンプに毎号のようにイラストを投稿していたのが【世田谷区・岡崎京子】だったのだ。彼女は当時高校生か。二十年早すぎた雑誌、と現在言われているように、インターネット上のBBSをそのまま展開したかのようなポンプは、早すぎただけにまもなく休刊したが(現在、インターネットオークションでは、岡崎のイラストが載っていることもあって一冊5000円もするそう。しまったぁ、捨てなければよかった)、“世の中に向かって発言したい!”若い読者=投稿者の意気込みが、気持ちよくもあり、同時に息苦しくもあった。

 「バージン」はその岡崎京子のメジャーデビュー作品。わたしが持っているのは白夜書房刊の旧版(1985年初版)。今は河出書房から新版がこのように立派になって出ている。「のび太くんがうらやましい」とつぶやく孤独な少女の独白(「彗星物語」)や、「TVよりきみが好きさ」に象徴される、ほんの少しの叙情が泣かせる。ここから岡崎は「ピンク」「リバーズ・エッジ」の過激な世界に突入していくのだが。

1996年5月19日18時半、世田谷区の自宅近くで夫と散歩中に飲酒運転の4WDにはねられた彼女は、現在もなおリハビリ中だ。このまま伝説の天才で終わらせてなるものか。帰ってこい京子!

次回はなんと「巨人の星」。

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「スラムダンク」その2

2008-02-16 | アニメ・コミック・ゲーム

その1はこちらSlam_dunk

Mail03f 「スラムダンク」大好きでした。初めの頃はそんなでもなかったんだけど、桜木がまじめに練習を始めるあたりから私の中では盛り上がりました。
井上さんのすごいところは動きのある身体の描き方がどんどんうまくなっていったこととゲームを描くときのコマ割。このコマ割がなんというか、映画カメラのアングルのようで井上さんのほかにこんなコマ割をするマンガ家を知りません。桜木がボールを追いかけて役員席に突っ込むところなんてすごかったよね。

……まったくである。ちょっと毛色の変わったヤンキー漫画かと思っていたスラムダンクは、中盤からとにかくどんどんうまくなってゆき、しまいには漫画表現をイノベイトしたといっても差し支えなかったと思う。特に、本当に終われるのかとまで思った山王工業との決戦のラスト。セリフなし。擬音なし。最後の最後に主人公の桜木が吐いた唯一のセリフが

「左手はそえるだけ」

かーっ!うまい!読んでない人には意味不明だろうけれど、いやもう呆然とするぐらいの技巧だ。

 進行が遅かったこのマンガは、しかしコミックスでまとめて読むと逆に濃密な時間が流れており、さっきのセリフのようにきちんと張られた伏線や、全員立ちまくりのキャラに感動できる。主人公たちの家庭はほとんど描かれず、とにかくのべつまくなしにバスケットボールをやっているのだが、ある意味、安西先生という父性の代表を中心にした子どもたちの物語であるあたり、少年マンガの王道を歩んでいる。女性ファンが多い三井が「安西先生、バスケがしたいです……」と告白する場面あたりからはもう勢いが止まらず、持ち金のすべてをコミックスにつぎ込み続けたっけ。こんな人は多いはず。そりゃ1億冊も売れるって。

 さて、残る問題は井上が続編を書くかどうかだが、わたしは十分にその可能性はあると思う。そうでもなければ本来もっと出番が多いはずだった仙道という最高のキャラがもったいないじゃないか!

(次回は岡崎京子

Slam_dunk003

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「スラムダンク」井上雄彦著

2008-02-16 | アニメ・コミック・ゲーム

Slamdunk31マン好き”第一弾は、実は「バガボンド」を予定していたんだけれど、あの傑作を考えるには、どうしてもその前に「SLAM DUNK」にふれないわけにはいかないようだ。

 この、それまで少年マンガでは禁忌とされていた(ことごとく人気を得ることができなかった)バスケットボールを扱った井上雄彦の出世作は、少年ジャンプの1990年42号から連載が開始されている。

 その頃のジャンプは、創刊以来何度かあった黄金時代のうち、おそらくは最後にして最高の“黄昏の最後の輝き”を迎えようとしていた。屋台骨を支えていたのは何といっても鳥山明の「ドラゴンボールZ」。でも内実は、読者の人気投票では圧倒的に支持されていたものの、ジャンプらしい勝負の連続に疲れ果てた鳥山は連載の終了を編集部に訴えていたのだ。おかげで苦しまぎれに“フュージョン”というとんでもないアイデアが生まれたりもしたのだが。そして1995年新年号では653万部という、もう今では考えられないような発行部数を誇ることになる。なにしろ「ドラゴンボールZ」と「幽遊白書」そして「SLAM DUNK」が同時進行していたのだ。そりゃ、売れるよな。

 でも、わたしはこの時代のジャンプはどうも好きになれなかった。「友情・努力・勝利」という集英社が掲げた少年ジャンプのスローガンとは裏腹に、刹那的なバトルと、そしてこの時期に隆盛を誇っていたヤンキー漫画(「ろくでなしブルース」とか)がどうにも体質に合わなくて。まあそのとぼけたヤンキーぶりが「ビー・バップ・ハイスクール」ぐらいのレベルまで到達していればまだしも。

Inoue01  「SLAM DUNK」も、連載当初はそんなビー・バップの出来の悪いフォロワーに見えた。今となっては信じられないぐらいに井上の絵は下手くそだったし、なにしろ1号1号ほとんどドラマが進行しないのだ。

 そう、この漫画の最大の特徴は、その展開のペースの遅さにある。なにしろ6年間に及ぶ連載のなかで、湘北高校バスケットボール部のドラマはわずか4ヶ月しか進まなかったのだ……
以下次号

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このマンガが好きなんだ文句あっか。

2008-02-16 | アニメ・コミック・ゲーム

Zetsubousensei  略してマン好き。下品ですいません。
  マンガ雑誌の売り上げがどんどん落ちていることはご存知だろうが、反面コミックスは堅調だったのに、そっちの方も近頃はあやしくなってきたらしい。

 ジャンプマガジンなどの、いわばバラエティ豊かな定食系が衰退し、“このマンガだけ好きなの”とコミックスへ読者層が移る傾向は、中間小説誌がほぼ全滅した(作家を囲い込むためにかろうじて生きながらえてはいるが)娯楽小説の世界に似ているかもしれない。あるいは総合誌が影響力を失った現状とも。

 しかしそちら(コミックス)も読者が減っているとすれば、これは由々しき問題だろう。だって一貫してこども向けだったマンガは、少子化の波もなんのその、読者層をどんどん上にシフトしていくことでパイを広げ続ける……こんな公式が生きていたはずなのだ。昔は、電車のなかでマンガ雑誌を広げるなど年長者から眉をひそめられることだったが、今は五十代のサラリーマンがジャンプを読んでいても、さほど奇異には思われない……こともないか。

 娯楽の幅が広がり、かつて小説から読者をぶんどり続けたマンガが、今はゲームやケータイに可処分所得を奪われているということか。ん?でもそのゲーム業界も近頃は沈滞気味。ケータイの伸びも止まったとなれば、今の若い連中はいったい何にお金を使っているんだろう。

 あ、話がそれた。こんな後ろ向きな業界にあっても、マンガがそれでも刺激的なメディアであることは微塵もゆるがない。すごい作品は数多くあったし、それは今でも同じことだ。次回から、一作づつとりあげます。第一回は「スラムダンク」だ。

画像は、ある意味徹底的に講談社っぽい「さよなら絶望先生」。好き。

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「さらば外務省!」天木直人著 講談社刊

2008-02-16 | 本と雑誌

Sarabagaimusho_2  ・外務官僚は、日朝国交正常化こそが日本の国益にかなうと強弁している。これにショーマンシップの塊のような小泉首相が同調し、国交正常化という実績を残し、政権の延命の一助にしたいと考えているのだ。しかし一般国民にとっては、犯罪国家北朝鮮との国交正常化を急ぐ必要性はどこにもない。(p.39)

・日本が実際に軍事攻撃された場合、果たして米国は自ら血を流して日本を防衛してくれるのか…外務省のバイブルはいう、「米国に対して助けてくれないかもしれないなどという疑念を抱くこと自体、誤りであり米国に対して失礼である」 (p.66)

・[田中均は言った]「金賢姫は本当にいい女だった。あれは間違いなく処女だ」 (p. 87)

・田中真紀子がもうしばらく外相の椅子にとどまっていれば、外務省の伏魔殿ぶりはもっと暴露されたのではないか。…秘書給与の流用疑惑を不必要に宣伝され、かくして田中は潰されてしまった。これは田中真紀子追い落としの謀略… (p.90)

・在豪州日本大使館会計担当官Yは、現地職員の手当の一部と現地銀行の公金口座の利子を横領して福利厚生資金に流し込み、私的に費消。その上司E公使は、熱心な創価学会幹部。この公金流用疑惑は、秘密裏に葬り去られた。(p.108-110を要約)

・「改革者」という仮面をかぶりながら官僚に丸投げをして総理の役得をほしいままにしている、小泉純一郎…死に体の自民党というゾンビの上に、徒花を咲かせ続けている。この閉塞した政治状況をどうすれば打開できるのか。選挙で自民党に票を入れないようにすることだ。選挙で無党派の国民がすべきことは明確だ。何が何でも野党に票を入れ、政治をわれわれの手に取り戻すことである。(p.234,237,238,241)

この本を、外務省の派閥抗争に敗れて首を切られたアラビストのあがきととるのは簡単だ。そんな側面は実際にある。私怨をはらしているだけ、他人のことが言えるか、あまりにも偏狭な正義感……しかしそれ以上に外務省の、そして外交官なるものの虚妄をこれ以上ないくらいに(そりゃそうだ。自分がそうだったんだから)描ききっているという点で一読に値する。

Amekinaoto  要するに日本の外交官って、なんっにもしていないことがまず理解できる。テリー伊藤の告発本で「ブルーのシャツにレジメンタルタイを結んでいるようなヤツら」と大蔵官僚に吐き捨てられていたような“霞ヶ関らしくない”連中だけれど、その封建性はどっちもどっちである。在外公館に行けば「小さな日本」をつくり(大使を天皇に見立てた過剰な日本らしさを演出し)、為政者の機嫌をうかがうような報告しか本省にあげてやらず、パーティなどでその国の実力者と“仲良くなるだけ”が本務。

 しかしこれは仕方のないことなんだろう。この書でも繰り返し主張されているように、終戦以来、日本に真の意味での外交は無かったのだから。要するにアメリカに追従すること、アメリカの意向を先回りして現実化することだけが外務省の仕事だったわけだ。

 こんな話をどこかで聞いたことがあるなあ、と思ったら、イラク情勢にからんだ浅井基文氏の講演だった。そしてこの書に浅井氏は、クソ野郎岡本行夫と対比して尊敬すべき先輩として登場する。アメリカ追従に終始する日本の現状を批判して退職に追い込まれた浅井氏に、若手の外務官僚は「霞ヶ関に近づけば押し返してやる」と悪態をついたのだそうだ。そこまでやられても紳士的に講演活動を行っている浅井氏はえらいなあ。天木氏もこの点は見習うように(笑)。

 今さら、と突っ込まれそうだがこの告発本でわたしは気づいたことがある。どうやら戦前戦後をとおして、高級官僚たちは天皇を一種の便利な装置としてしか考えていないということだ。近年も、マレーシア国王がEAECへの支持要請を天皇に直訴したとき、外務省はアメリカの国務長官の意向を優先して天皇の顔に泥を塗ったりしている。あるいは、国会議事堂の中央玄関に車を横付けできるのは国家元首とその随行者の車だけという慣例になっていたが、ブッシュ来日の際にはテロ対策という大義名分のもと「あの天皇陛下さえお一人で上がられる中央玄関の会談を、十人近いSPをゾロゾロ引き連れてブッシュ大統領は上がっていった」りもしている。

 なるほど。外務省にとっては、天皇よりもアメリカ大統領の方が格上だとふんでいるわけだ……こんな事実が満載。あとは、読者がどう判断するかだ。ぜひ。

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