・外務官僚は、日朝国交正常化こそが日本の国益にかなうと強弁している。これにショーマンシップの塊のような小泉首相が同調し、国交正常化という実績を残し、政権の延命の一助にしたいと考えているのだ。しかし一般国民にとっては、犯罪国家北朝鮮との国交正常化を急ぐ必要性はどこにもない。(p.39)
・日本が実際に軍事攻撃された場合、果たして米国は自ら血を流して日本を防衛してくれるのか…外務省のバイブルはいう、「米国に対して助けてくれないかもしれないなどという疑念を抱くこと自体、誤りであり米国に対して失礼である」 (p.66)
・[田中均は言った]「金賢姫は本当にいい女だった。あれは間違いなく処女だ」 (p. 87)
・田中真紀子がもうしばらく外相の椅子にとどまっていれば、外務省の伏魔殿ぶりはもっと暴露されたのではないか。…秘書給与の流用疑惑を不必要に宣伝され、かくして田中は潰されてしまった。これは田中真紀子追い落としの謀略… (p.90)
・在豪州日本大使館会計担当官Yは、現地職員の手当の一部と現地銀行の公金口座の利子を横領して福利厚生資金に流し込み、私的に費消。その上司E公使は、熱心な創価学会幹部。この公金流用疑惑は、秘密裏に葬り去られた。(p.108-110を要約)
・「改革者」という仮面をかぶりながら官僚に丸投げをして総理の役得をほしいままにしている、小泉純一郎…死に体の自民党というゾンビの上に、徒花を咲かせ続けている。この閉塞した政治状況をどうすれば打開できるのか。選挙で自民党に票を入れないようにすることだ。選挙で無党派の国民がすべきことは明確だ。何が何でも野党に票を入れ、政治をわれわれの手に取り戻すことである。(p.234,237,238,241)
この本を、外務省の派閥抗争に敗れて首を切られたアラビストのあがきととるのは簡単だ。そんな側面は実際にある。私怨をはらしているだけ、他人のことが言えるか、あまりにも偏狭な正義感……しかしそれ以上に外務省の、そして外交官なるものの虚妄をこれ以上ないくらいに(そりゃそうだ。自分がそうだったんだから)描ききっているという点で一読に値する。
要するに日本の外交官って、なんっにもしていないことがまず理解できる。テリー伊藤の告発本で「ブルーのシャツにレジメンタルタイを結んでいるようなヤツら」と大蔵官僚に吐き捨てられていたような“霞ヶ関らしくない”連中だけれど、その封建性はどっちもどっちである。在外公館に行けば「小さな日本」をつくり(大使を天皇に見立てた過剰な日本らしさを演出し)、為政者の機嫌をうかがうような報告しか本省にあげてやらず、パーティなどでその国の実力者と“仲良くなるだけ”が本務。
しかしこれは仕方のないことなんだろう。この書でも繰り返し主張されているように、終戦以来、日本に真の意味での外交は無かったのだから。要するにアメリカに追従すること、アメリカの意向を先回りして現実化することだけが外務省の仕事だったわけだ。
こんな話をどこかで聞いたことがあるなあ、と思ったら、イラク情勢にからんだ浅井基文氏の講演だった。そしてこの書に浅井氏は、クソ野郎岡本行夫と対比して尊敬すべき先輩として登場する。アメリカ追従に終始する日本の現状を批判して退職に追い込まれた浅井氏に、若手の外務官僚は「霞ヶ関に近づけば押し返してやる」と悪態をついたのだそうだ。そこまでやられても紳士的に講演活動を行っている浅井氏はえらいなあ。天木氏もこの点は見習うように(笑)。
今さら、と突っ込まれそうだがこの告発本でわたしは気づいたことがある。どうやら戦前戦後をとおして、高級官僚たちは天皇を一種の便利な装置としてしか考えていないということだ。近年も、マレーシア国王がEAECへの支持要請を天皇に直訴したとき、外務省はアメリカの国務長官の意向を優先して天皇の顔に泥を塗ったりしている。あるいは、国会議事堂の中央玄関に車を横付けできるのは国家元首とその随行者の車だけという慣例になっていたが、ブッシュ来日の際にはテロ対策という大義名分のもと「あの天皇陛下さえお一人で上がられる中央玄関の会談を、十人近いSPをゾロゾロ引き連れてブッシュ大統領は上がっていった」りもしている。
なるほど。外務省にとっては、天皇よりもアメリカ大統領の方が格上だとふんでいるわけだ……こんな事実が満載。あとは、読者がどう判断するかだ。ぜひ。