事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

リスキービジネス

2008-02-03 | 受験・学校

Murderroom  今回は小品。前任校の研究紀要には、現業職員や図書専門員が書いた「子どもたちの活動を支える目」なる短文を載せる、実にこの、恥ずかしいコーナーが設けられている。わたしも毎年書かされていて、情宣に載せた節分ネタ(いずれアップします)もそれが元になっている。さて、今年は……
                                    
 誤解されると困るのだけれど、非常によんどころない事情があって、くどいようだが「仕方なく」ある場所で昼間から飲んでいた……そこが学区内であることに気づいたときは遅かった。いいかげん酔っぱらい、会場を出て少し歩いた途端、ウチの6年生の女の子たちが連れだって歩いているのに出くわしてしまう。

「何してるんですか?」
「え?いや、あの、お前らこそ何してるんだよ」
「遊びに行ってたんですよー。冬だから自転車乗れないし。」
なるほど。非常に説得力がある。
「で、何してるんですか?」
「えーと、つまりさあ。そこでお酒を飲んでて、ほいで携帯でうちの奥さんを呼んだ、と。で、少しでもウチに近ければ近いほど奥さんの機嫌が良くなるから歩いてるっていう……何というかヒジョーに深いオトナの世界なわけだな。」
「へー」
納得してくれたようだ。学校に勤めるということは、このように非常にリスキーであるわけだが、職員みずからがこのように児童の規範となる大人の行動を実践することによって……すいません、これからはすぐにタクシーを呼びます。

Curtain ※いろいろな現場を生徒に目撃される危ない商売である学校勤務。そのうえこの現場をPTAの副会長(高校の2年先輩である)に一部始終を車から目撃されていたというおまけまで付いている。
「ずーっと観てたのよ」
油断大敵である。

※まもなく、シリーズ化した「目撃者」をスタートします。

画像は「殺人展示室P.D.ジェイムス
八十歳をこえていながらここまで不道徳なストーリーを書くかジェイムスおばあちゃん。しかもラストはほとんどハーレクイン。ダルグリッシュ警視長、いよいよ再婚?死ぬ前に、自らが造り上げた名探偵を幸せにしておきたいんだろう。ポワロの最期(「カーテン」)を、若いときに準備していたクリスティはそう考えると冷静だったのかなあ。
☆☆☆★★★

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「日曜日たち」吉田修一著 講談社文庫

2008-02-03 | 本と雑誌

Sundays02  ―きっといつかは忘れてしまう、なのに忘れようとするほど忘れられない。ありふれていて特別な、それぞれの日曜日―。東京ひとり暮らしの男女5人、それぞれの物語に同時代の「生=リアル」を映す、長篇最高傑作。

このレビューと装幀にだまされてはいけない。「パーク・ライフ」のような、スターバックスの似合う都会人の心象から少し離れて、吉田の新作は掲載誌(小説現代)の関係もあるのだろうがはっきりと人情話であり、しかもかなり上等。だいたいこれを長篇というのは無理がある。ミステリの世界で近頃流行の、短篇の連鎖と呼んだ方が正しいだろう。共通項は【主人公たちが数年前に、九州から家出してきた小学生の兄弟となんらかの接触をもっている】こと。作中で彼らは、その兄弟の思い出に少しだけふれる。その距離感が、ここまでベタにやるかというぐらい泣かせるラストシーンにつながる。予想はしていてもこれは泣ける。両親から捨てられ、保護されるときに兄の方はこう叫ぶ。

「……施設に入れられたら、ユウヤが、ユウヤが、どっかに連れてかれてしまう。お願い、放してください。……お願い」

彼を抱きしめるDVに悩む女は

「そんなことさせないから。お姉ちゃんが、絶対にそんなことさせないから!」

いやーこれ、ホントに吉田修一か(笑)。そして、施しを受ける側だった兄弟が、最後の最後で主人公にある種の救いを与えるという展開。

 もちろんこの小説が単なるお涙頂戴ストーリーになっていないのは、こんなディテールが書き込まれているからだ↓

……その横に圭子のパスポートが落ちていた。韓国のパスポートだった。開いてみると、まだ頬のあたりがふっくらとした圭子の写真があり、ハングルなので読めなかったがおそらく彼女の名前らしい文字が記されていた。-そうか、圭子は韓国籍だったのかと思えば多少の衝撃はありはしたがそれまでのことで、言われてみれば韓国的な美人の顔つきだと、取って付けたように圭子と韓国とを結びつけ、やけにスタンプの多いそのパスポートをパラパラと捲って眺めた。

……醒めた男と、激しい性格と事情がパスポートのスタンプに代表される女の、消えゆくであろうことが読者にうっすらと、しかし確実に伝わる恋愛。うまいもんだよなあ。「世界の中心で~」なーんてベタな小説に飽きたら、ぜひ。

※このディテールの積み重ねが、07年の「悪人」につながるわけだ。やるなー吉田。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後の喫煙者 2服目

2008-02-03 | 健康・病気

1服目からのつづき。Tabaco1f_1

 禁煙令が出た酒田市では、さまざまな姑息な手段で喫煙を続ける輩が続出した。某高校は休憩時間のたびに教師たちが校地脇の坂に集合し、まるでやくざ状態でタバコをふかしている。某中学校ではわざわざ正門の前で住民や生徒に見せつけるように喫煙する元生徒指導主事がひんしゅくをかい(笑)、某小学校の技能士はボイラー室でコソコソと……あ、これは某小学校の事務職員もいっしょだ。

教育委員会にしても某課長は指導した立場だから職場内では吸わないらしいが、ウチに帰ってから我慢できずに食卓で吸いはじめて家族に嫌われているらしい。ヘビースモーカーだった教育長が禁煙したのは痛かったが、他の町の教育長たちにしても多くが喫煙者であり、(2004年)4月からスタートするところではかなり苦しんでいるとのこと……いやはやさまざまなチクリメールどうも。

 勤務校では、今まで技能士まかせだった外勤にやたらわたしが出るようになり(「オレ行ってやる」→「オレが行ってもいいよ」→「オレが行く!」→「わたしに行かせてください」)、某所で一服させてもらったりしている。

 パブリックな場での喫煙に規制がかかるのはある程度仕方のないことだとはさすがに納得している。しかし気に入らないのはこんなことまで(健康増進法とやらの施行にともなって)横並びで規制されることだ。わたしはどうせ不良だからかまわずに吹かしているけれど、おおかたの教職員は禁煙に向かっている。「そんなことまで無理して教育委員会に従わなくていい」と退職目前にやたらに強気になっているウチの校長など圧倒的に少数派。学校って、ほんとうに素直な人が多いからなあ。

 しかし私の場合は、やっぱりタバコをやめる、という方向には行かないみたいだ。新採から21年たっても、喫煙があいかわらず【逃避】であり、職場なるものになじむつもりがない以上、これは必然なんだろうな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後の喫煙者 1服目

2008-02-03 | 健康・病気

Dsc00024 鶴岡のある中学校に赴任した22才のわたしは、仕事の何たるかもわからず、“職場”というものになじむ能力にも意欲にも欠けていた。
 そのため、時間ができると木造校舎の陰にかくれ、コンクリートに座ってひたすらタバコを吸って時間をつぶしていた。
 21年後、43才のわたしがまさか同じような境遇に陥るとは……

 酒田市立の小中高校の校地内全面禁煙への動きを初めて知ったのは、2003年3月のある交渉の日。臨む前に教育委員会の入っているビルの1階でタバコを吸っていると、ある職員も灰皿を求めてやってきて……
「何か、変な計画あるらしいよ」
「?」
「学校、禁煙にするらしい」
「うーん、そうきたか。」フロア全面禁煙、喫煙を理由としたフロア移動禁止など、子ども相手かと思えるような方針を打ちだしている県教委の動きと連動していることは間違いない。
「あくまで、計画らしいけどさ。」

 交渉課題の話をすべて終え、雑談という形式でやたらに危ない話をするなかで、課長からこの禁煙計画の話も持ち出された。
「どうかな」
「あのね、ひとこと言っておきたいのは、この禁煙ってことについて、ファナティックになっているのは実はアメリカだけってことですよ。ヨーロッパはさすがにもっとオトナの対応しているらしいけどなあ。」

Manbo01bw しかし労働組合として、この計画には反対しづらい。女性部向けに分煙云々を議案書に挿入したりもしたし。本部の執行委員長はヘビースモーカーだったくせに“委員長になったことをきっかけに”タバコをすっぱりとやめた男であり(会うたびに「まーだそんなものを吸ってんのか」とわたしを馬鹿にしている)、支部書記長は、わたしが書記局に入っていくと同時に空気清浄機のスイッチを入れてくださる。

……愚痴がすぎるようだが、喫煙者が滅びゆく種族であることは重々承知している。筒井康隆の「最後の喫煙者」の世界が、もう現実のものとなろうとしているわけだ。

 さて、校地内全面禁煙は8月1日より実施。日頃はシブチンな市教委も、このことに関しては周知のために看板だのポスターだのをこれでもかと配給してくる。勝手にことをすすめやがって、と反発をくった某先進校(笑)の反省もあるのだろう。

反響も大きい。
「あれ、本気だんが?」
「おめがだ、どごで吸うなや?」こんなことウチの学校のPTAである市会議員がきいてくるのである。
いーことだよなぁ、という声はひとつも聞こえてこない。ま、そちらにはわたしは耳を閉ざしているわけだが。

 抜け道だけはたーくさん考えた。
①高校生のようにトイレで吸う。
②隣が市営体育館なので、管理人と仲良くなってロビーで吸わせてもらう。
マイカーはプライヴェートな空間であるとの屁理屈で(ま、大使館的に治外法権だと)、ひたすら個的に運転席で吸う。
……たばこをやめる、という選択肢が出てこないところが泣かせる。

Kg_kawauso01 しかし現実はやはりなかなか厳しい。通用門や市営体育館で時間をつぶしていれば、最初はいいけれど(「たいへんですねー」と保護者たちは同情してくれている。思いきり笑いながら)、しかし度重なれば『税金泥棒』とのそしりは免れまい。第一、もう雪が降り始めた……。

以下次号。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「昭和の劇」 その7~東映

2008-02-03 | 本と雑誌

前号繰越Jinnginakitatakai02

笠原には「実録・共産党」という驚天動地の企画もあり、東映での映画化が流れたあと(当たり前だ)、なんと当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった角川春樹事務所によって再び「いつかぎらぎらする日」として映画化されそうだった。しかし笠原と角川春樹がケンカしたせいでやはり流れている。脚本は例によってダークサイドを取材し、不破哲三の権威主義などにもふれている。こんな内容なのに当初東映の岡田社長は「赤旗の読者の団体動員が見込める」と考えていたらしい。むちゃくちゃである。

しかし東映という会社が面白いのはこういうところだ。要するに面白そうなら右(あの東日本ハウスと組んだ「プライド」とか)でも左(「実録・共産党」)でもやくざ(「山口組三代目」)でも宗教(幸福の科学のアニメも東映だ)でも何でもやっちゃれという健康な活動屋精神がかろうじて息づいている点。率先したのは先代の岡田茂社長(三越のあの人とは別人)だ。しかし現社長である岡田裕介になって、東映の企画は見るも無残なものになっている。この人は出目昌伸監督を起用した吉永小百合の文芸映画や、モーニング娘。などのアイドル映画、そして東映史上最悪の正月映画となった「北京原人」のプロデューサーなのだが、はっきり言って成功した企画はゼロ。いくら自分の息子だからといって、この継承は失敗だろう。今年「デビルマン」に客が入らなかったら(みごとに入らなかったが)、社長交代は近いのではないかという気がする。今年('04年)の正月映画「あたしンち」も大失敗に終わったし。

笠原に話を戻すと、彼が体現したのは結果として東映のいちばんいい時代だ。観客の存在を常に意識し、作家の映画たることを徹底的に否定される社風のなかで、しかしそれだからこそ産みだしえた傑作の数々こそ、「映画」の王道だろう。

Kasaharakazuo02 「映画に、もう未練はない」と強がりながら(本音かもしれない)、昭和の最大の脚本家、笠原和夫は、平成14年12月12日、肺炎のため世を去った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「昭和の劇」 その6~創価学会

2008-02-03 | 本と雑誌

前号繰越

Makigutitoda 笠原:僕は「人間革命」の第三部をやってくれと頼まれて、ちょっと池田大作のことを調べたことがありましてね。そうしたら、かなりひどいことをやってるんですよ。彼は青年部にいた前、財務を担当していたんですね。そこで高利貸しをやってたんですよ。それで、苦しい商店街とかあるでしょ?そこに金を貸して、返せなくなると、即刻、土地を担保に取っちゃうんですよ。

-大森のあたりでやってたんですよね。

笠原:ええ。それで取ったあとには、ちゃんと手当てをするんですよ。そうやって次々に学会に取り込んでいくわけですよ。それを僕は、ぜひ映画でやりたいと。要するに、創価学会なんてものは戸田城聖のように観念だけでもってできるもんじゃないんだと。大作さんというのは僕よりも一つ年下かな。だから戦後に対する考え方は同じなんですよ。要するに、観念でもって今さら宗教だなんて言うやつはおらんと。金だと。食うためにやるんだと。現実主義で、金を集めるために宗教をやるんだと。じゃあ、それを誰がやるのかという時、俺がやってやると出てきたのが池田大作なんですよ。宗教家なんていうのは、みんな金貸しなんてことはやりたくないわけでしょ?それで返せなくなったら土地を取りあげるなんてことは一番汚い。それを誰がやるのかという時に、俺がやってみせると。それが池田大作の今の出世の基なんですよ。僕は、それは偉いと思うんですよね。戦後的人間として。で、それを映画でやりたいと言ったら大反対をくらっちゃってね(笑)。

Ikedadaisaku01 ……そりゃ、無理だろう(笑)。でも、あおい輝彦が商才を発揮する人間革命なら、観てみたかったような気もする。前作は学会員から招待券をダンピングしてもらって観ていたぐらいだし。それにしても、映画という媒体はプロパガンダとしてかなり有効であるにもかかわらず、第三部が製作されないのはなぜなんだろう。池田大作という存在は、笠原の言うように、実務家、政治家としてかなり面白い人物だろうと思うけれども。

事務職員や「この1冊」の読者にも学会員はいるんだろう。ここでわたしのスタンスを明かしておくと、要するに“批判が許されない”存在には一応眉に唾をつけることにしている。だから天皇や池田に限らず、どんな人間にもイチャモンはとりあえずつけときますからそのつもりで。
この流れで共産党に話をもっていくと怒られそうだけれど……以下次号

上の画像は初代会長牧口常三郎と二代目戸田城聖。意外なことに受験の神様でもあったらしい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「昭和の劇」 その5~226

2008-02-03 | 本と雑誌

前号繰越226

笠原が語る、天皇、そして天皇制をめぐる暗部のつづき……

笠原:結局、二・二六事件というのは壬申の乱だったんだと。つまり大正帝に子どもができなくて、貞明皇后に何人か男をあてて、それで子どもを生ませていったと言うんだね。「だからあの兄弟は顔が違いますよ」と。裕仁さんにしても、秩父宮、高松宮、三笠宮と、全部顔が違うと。それで貞明皇后なんだけど、女というのは最初に押しつけられた男というのをイヤがりますわな。それで、ものすごく長男……裕仁さんに拒否反応を持ったらしいんですよ。それで秩父宮さんを溺愛したらしいんです。だから、貞明皇后としてはなんとしても裕仁さんを外して、第二子の秩父宮を天皇の座に送りたいというのがあったんですね。それを画策したのが山県有朋でね。だから、昭和天皇の妃を決定する際、色盲問題があったでしょ。
宮中某重大事件ですね。
笠原:そう。それで結局、山県は宮中クーデターに失敗したわけだよ。
-宮中某重大事件って、活字でしか知りませんでしたけど、なんであんなに重大なのかわからなくて(笑)。

……昭和維新としてしか省みられない二・二六事件も、裏側から見れば歴史上何度も行われた継承のゴタゴタが絡んでいる。首謀者の安藤大尉が銃殺される際に、一人だけ「天皇陛下~」ではなく「秩父宮陛下万歳」と叫んだ理由がここで理解できる。彼と安藤の間には何らかの密約があったわけだ。秩父宮はまた、終戦時、今上から御殿場から一歩も出るなと厳命されているにもかかわらず、無断で記者会見をし「天皇が退位したあとは自分が引き受ける」たぐいの発言をしたという。それを聞いた昭和天皇は激怒し……

Princes 笠原:昭和天皇は、自分は天皇の子ではない、サラブレッドではないということはわかっている。駄馬であると。駄馬であるからこそ、天皇という位を与えられた時、自分は死んでもこの位を守らなければいけないと。それは天皇であるが故に、というんじゃなくて、人間としてそういう義務を果たさなきゃならないと考えている。だから、あれくらい辛抱強い人はいない。

……この本の面白さは、ことの真偽はともかく、わたしたちが天皇問題に限らず、近代史をほとんど学校で教えられていないことにもよるんじゃないだろうか。文中の宮中某重大事件にしたって、名前だけは知っていても、その裏事情まで突っ込んで教えてくれる人は当時も今もめったにいない。わたしは日本史を(なんと理系だったので)高校時代にも習ったことはないのだけれど、裕仁の万世一系に疑義があることは高三の三学期あたりで教えてくれてたんですか(笑)。少なくともわたしは目からウロコがバランバラン落ちまくったし、底流にある日蓮宗の熱狂(石原完爾がそうでしたね?)や、今上の考え方(心の中では父親を否定しているらしい)についても、少しはお勉強をしなければならないと考え込まされた。あ、宗教といえば創価学会も……

しまった、今回で終わるはずだったのに。しかも映画の方には一言もふれていない(笑)。三浦友和の演技以外はふれる価値もない映画だったんですが。

※宮中某重大事件
大正9年から翌10年にかけて起こった皇太子裕仁(後の昭和天皇)の妃決定をめぐる紛糾事件。妃に久邇宮良子が決定したところ、元老山県有朋が、良子の母系の島津家に色盲遺伝があるという理由で婚約に反対。首相原敬、元老西園寺公望とも協議のうえ、内定を破棄しようとしたところ、東宮侍講として皇太子の教育にあたっていた日本主義思想家・杉浦重剛らが反発。杉浦の友人・頭山満が山県、原への一大反対運動を展開し、暗殺を計画する団体も出るに至った。この騒動は宮内省の、内定に変更なしとの発表で決着がついたが、これにより山県は枢密院議長の辞任を申し出、爵位、勲等の拝辞を声明。翌大正11年に死去した。

……いやーお勉強になりますね。大正オールスター総出演の事件。絶対に映画化はできないだろうが。画像は手前が貞明皇后、後ろ左から裕仁、秩父宮、高松宮。わたしは似ていると思うけどなあ。以下次号

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする