フッ素シリーズ最終回。第三弾はこちら。
発行日は2003年3月6日でした。
現場にいる教職員なら、子どもがマニュアルどおりに動かない存在であることを日々痛感している。予想もつかない行動をとる彼らが、希釈されたとはいえそれ自体は劇薬であるフッ素ナトリウムを、ぶくぶくうがいをしているときに“飲み込まない”はずがないし、“飲み込ませない”ための指導がどれだけ大変かをよくわかっている。
ところが、旧厚生省がぶちあげ、県や各市町村がそれにならった『健康21』計画という一種のマニュアルには、フッ素洗口を推進する、という一項がもうけられていることが多い。
たとえば『健康さかた21計画』(酒田市)には、歯の健康の欄で、学童期の健康づくりのために
③フッ素の効果と安全性を啓発します。また、小学校、中学校、家庭でのフッ素洗口を推進します。
と明確に提示してしまっている。これはいったいどうしたことだろう。
昨年の教育事務所との専門部交渉でフッ素洗口の話になり、回答は「学校、設置者、保護者の合意のもとに……」ということだった。こちらは逆に「ということはこの三者の合意がなければ推進することはない、ということですね?」と問うと「そのとおりです」との返答だった。だが市町村は……
おそらくこの姿勢を読み解くキーワードは、『費用対効果』だろう。健康日本21がめざす【80歳で20歯以上の自分の歯を有する人の割合を、2010年に20%以上にする】という数値目標を達成するために、いちばん費用が安く、行政の姿勢を明確に打ち出したと印象づけられるのはおそらく上水道へのフッ素添加だ。
しかし反対が多いために折衷案として小中学校へのフッ素洗口を持ち出すのだとしたら、それはお門違いというものだろう。低年齢、低体重児へのフッ素の使用をWHOも警告している状況下、学校にフッ素洗口を導入するリスクは無視できないはずだ。
そしてもうひとつ。行政職としてわたしもつねづねそんな傾向を自戒しているが、行政は、一度予算のついた事業をとりやめることは、立ち上げるよりもはるかに難しいという性格をもっている。フッ素洗口導入がどんどん進んでいる今こそ、そのことへの危機意識をもっていなければ、将来に禍根を残すことになりかねない。
いずれにしろ、子どもが多様化し、“一律に、一斉に推し進める”ことのむずかしさを知るわたしたちは、フッ素について学習を深め、その対応を養護教員ひとりに押しつけるのではなく、わたしたち全員の問題として考えることが必要だろう。そうでなければ、子ども以上に多様化した保護者からの、学校自体への信頼がゆらいでしまうのではないか。
※推進派の言によれば、学校で使用するフッ素は、飲み込んだところで影響はない、とのこと。しかし、もとはアルミ精錬の廃棄物だった歴史を持つフッ化ナトリウムを、飲み込んでも影響はありませんと学校が説明をし、そのことを保護者が納得すると考える方が楽天的すぎないだろうか。
※画像は「シカゴ」Chicago(’02)
あーダメだこれは。わたしはどうしても楽しめなかった。リチャード・ギアとレニー・ゼルウィガーという大好きな主演コンビ+音楽ダニー・エルフマンなのに、どうして。