事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

ドカベン 第2試合

2008-02-21 | アニメ・コミック・ゲーム

Iwaki_2 第一試合はこちら。

……よくよく読んでいると、「ドカベン」にはけっこうアラも目立つのである。中学時代にくせ者だったスーパー教師影浦(景浦、じゃないですよ)がなんとなくフェイドアウトしていたり、「甲子園ではすべてが決勝戦だ」と主張する犬飼兄率いる土佐丸高校が、その決勝戦までわざと片眼に眼帯をして敵をなめていたり、おいおい明訓はこのイニング四つもアウトをとってるぞ、と気づいたりする。週刊の連載がどれほどきついものかを考えれば無理もないのだが、しかし全盛期の水島はチャンピオンに「ドカベン」、マガジンに「野球狂の詩」、サンデーに「一球さん」、ビッグコミックオリジナルに「あぶさん」を同時に連載していたのだ。しかも、ジャンプの度重なる連載依頼に「他の雑誌がおたくの発行部数を抜いたらやります」なんてことまで調子こいて言ったりしたとか。チャンピオンはジャンプにあと5万部の差まで迫ったそうだから、少年誌全制覇も夢ではなかったのだ。

 ドカベンフリークであるわたしにとって、明訓のベストマッチは2年春の甲子園準決勝、対信濃川高校戦。明訓の監督を土井垣にゆずり、“山田太郎を倒すために”クリーンハイスクール~信濃川と移籍した徳川監督(おそらく水島新司本人の投影)と山田太郎の頭脳戦。
そのときの山田のつぶやきもまだ憶えている。

「今は見送ったが今度は必ずスクイズをやってくる。本町(ほんちょう=信濃川の5番打者)の右打席の打率は2割2分。徳川さんがこんな低打率にヒットを期待するものか」

そしてそのスクイズを外すために山田は里中にサインを“ある方法”で送り、観客席で観ていた犬飼兄は「ん?山田らしくない」と訝る……このあたりはすごかった。確かに野球を知っている人間にしか描けない深みとコクがあった気がする。

 他にも、控えピッチャー渚がサインを無視してめった打ちにあい、山田に「サインを……サインを出してください」と懇願するまでに手なずけた東海戦、ノーアウト満塁から殿馬、山岡を呼び寄せ「三振しろ」と命じた土井垣采配(むちゃだ)に対し、二死満塁から同点になるのを承知で敬遠した江川学院……こういう展開がドカベンの醍醐味だ。

つづきます

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ドカベン 第1試合

2008-02-21 | アニメ・コミック・ゲーム

Dokaben01あしたのジョー」篇はこちら。

 あれは学生の頃。夏休みでヒマをこいていたわれわれ(今思えば)公務員予備軍は、まっ昼間に友人の家をたずねた。

「○○くーん、あ~そ~ぼ~

お母さんが「今ちょっと出がげっだなよー。もうすぐ帰って来っさげのー」ということなので庭先で彼の帰りを待っていた。ほんとにヒマだったんだなあ。

 まもなく、聞き覚えのある声が。
「♪がんばれがんばれドカベン がんばれがんばれド・カ・ベン やーまだたーろぉ~♪」
なんでこいつ能天気にドカベンのテーマソングなんか歌ってチャリこいでんだ。
「おー、おべっだが(知ってるか)、さっき本屋でチャンピオン立ち読みしったらやー」
ヒマな上に貧乏なのである。買えよチャンピオンぐらい。
明訓負げだっけぞー
「えええええっ!?」

Dokaben02 水島新司作「ドカベン」が野球漫画の最高峰であることに同意してくれる人は多いだろう。水島がこの作品にこめた最大の思いとは“「巨人の星」の否定”だったという。野球をまったく知らず、当時の巨人のキャッチャーだった森が右打席に入っていたり(森は右投げ左打ち)、スパイクの裏側に金具がなかったりした川崎のぼるの画に我慢できず、それ以上に巨人という金看板を主人公に背負わせたことが不満だったらしい。そういえば岩鬼はホークス、殿馬はブルーウェーブ、土井垣はファイターズ、里中はロッテ、そして山田はライオンズと、主だった明訓のメンバーはみんなパリーグに入団しているし、「あぶさん」の連載開始当時は今よりずっとセパの人気に差があったのに、景浦安武の人気がそのままパリーグの観客数増にシンクロした水島の貢献はもっと評価されていい。

……なんか冷静に語っているけれど、当時のわたしはひたすらヒマだったことも手伝って、とにかく夏休みの間、毎日毎日ドカベンのコミックスを第一巻から最新刊までぶっ通しで読み続けていた。その結果……

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コメント (6)
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