第1戦はこちら。記録のために打ち込んでおくと、正式に東芝がHD-DVDをギブアップしたのは本日、2008年2月19日のことだ。
なぜ次世代DVDの話にSONY好き、SONY嫌いがからむかというと、これにはながーいわけが。
話はビデオのβとVHSの骨肉の争いまでさかのぼる。さすがに忘れた人はいないと思うけれど、SONYが推進していたβは、ビクターや松下などが推したVHSに粉砕され、その後始末のために苦しんだ過去がある。
で、同じようなフォーマット争いはそのあとにもあった。DVDが一般化する前のビデオディスク関係。ご存じレーザーディスクが発売されたときに、実はもうひとつ、VHDという規格があったことはもう歴史の彼方なのかも。やはりビクターなどが推進したこの方式は、HD-DVDと同じように、コストが安く生産できるというメリットがあった。日テレの「11PM」でこの話題になったときのことをまだおぼえている。レーザーディスクとVHD、そしてもうひとつマイナーな規格があったビデオディスクの3方式をならべ、それぞれのメリットデメリットが説明されたときに、司会の大橋巨泉は
「おれは……これがいいと思うな」
指さしたのはVHD。
巨泉は見る目がない、と結論づけるのは簡単だけど、仕方のない側面もあった。なにしろレーザーディスクを推進していたのはパイオニアだけ。他の十数社のメーカーはいっせいにVHD陣営に参加していたのだ。各メーカーはVHSと同じように勝ち馬にのっていないと痛い目にあうと学習済みだったわけ。SONYはこの問題では様子見を決めこんでいた。痛い目にあった張本人だし。
ところが、圧倒的に少数派だったレーザーディスクは、読み取り装置とディスクが非接触なので画質が劣化しないとか、コンパクトディスクとレーザーピックアップが共用できるのでコンパチ機が人気になるなどの追い風があってVHDを圧倒。SONYもパイオニアのOEMを受けてレーザー陣営に参加し、ビデオの敗戦の意趣返しが(ちょっとだけ)できたのだった。わたしもレーザー組だったので、VHSの連中はこんな気分だったんだろうなと……(わたしはβ組でもあった)。東芝が、マイノリティであることを承知でHD-DVDに固執したのはレーザーディスクの前例があったからだろう。社内ではさんざん「レーザーディスクを思い出せ!」とか語られたのだろうし。
DVDのときも規格でもめた。今回と同じ東芝とSONY。一層にするか二層にするかとか、わたしにはよくわかんない問題で。このときはSONYがゆずった形になっているらしい。そして、いよいよ次世代DVDの話になる。
以下次号。