![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/8b/211c8fabd1c1cb37373814dd1d3c8bd1.jpg)
思い起こせば、僕がコピーライターとして初めて入った会社は原宿にあった。
原宿には10年ぐらいいた。それが今から10年前なので、要約すると20年前、つまり1980年代末期から90年代末期まで原宿にいたのだ。
若い人には信じられないと思うけど、GAPはまだなくて、あそこは原宿アパートという、広告界の梁山泊だったのだ、ま、僕が務め始めた頃は、もう原宿アパートはほぼ人がいなくて壊す寸前で、一回の中華屋だけがまだあったという感じですが。
さて、前置きが長い。
原宿時代、いちばん楽しみだったランチの場所が、龍の子である。
四川料理である。ここの麻婆豆腐か棒々鶏のいずれかを食べるのが、至上の楽しみだった。
由美かおるさんと秋山仁さんのライブが終わって、行ってみたけど、やっぱり美味しい。残念ながら、ライブが終わった後だったので、一時間もいられずに閉店になってしまったんだが、堪能させていただきました。
棒々鶏冷麺、サンラータン、そしてナッツ入りの牛肉。どれも、どれもま、おいしいこと。またの再訪を心の底から、誓ったのでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/db/4f0e0c5df8d5e2a9ffd54648a648c275.jpg)
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原宿には10年ぐらいいた。それが今から10年前なので、要約すると20年前、つまり1980年代末期から90年代末期まで原宿にいたのだ。
若い人には信じられないと思うけど、GAPはまだなくて、あそこは原宿アパートという、広告界の梁山泊だったのだ、ま、僕が務め始めた頃は、もう原宿アパートはほぼ人がいなくて壊す寸前で、一回の中華屋だけがまだあったという感じですが。
さて、前置きが長い。
原宿時代、いちばん楽しみだったランチの場所が、龍の子である。
四川料理である。ここの麻婆豆腐か棒々鶏のいずれかを食べるのが、至上の楽しみだった。
由美かおるさんと秋山仁さんのライブが終わって、行ってみたけど、やっぱり美味しい。残念ながら、ライブが終わった後だったので、一時間もいられずに閉店になってしまったんだが、堪能させていただきました。
棒々鶏冷麺、サンラータン、そしてナッツ入りの牛肉。どれも、どれもま、おいしいこと。またの再訪を心の底から、誓ったのでした。
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