ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

たんけんぼくのまち 「那珂湊編 2」

2022年09月05日 18時14分40秒 | Weblog
那珂湊との思い出について触れておかねば、「たんけんぼくのまち」や「チョーさん」へと繋がって行かない。

もう40年近くも前の思い出であるのではっきりとした記憶が残っている部分は少ないが、覚えている範囲で綴ってみたい。
自分が中学2年と3年の夏休みのことだった。
二泊三日の日程で家族で海水浴へ出かけることになった。
宿泊地は茨城県の那珂湊市。
そして海水浴場は平磯。
那珂湊の名前は知ってはいたが行くのは初めてであり、かなりワクワクしていたことを今でも覚えている。
泊まるのは民宿やホテルではなく一般家庭の離れ家で、母や姉が食事を作り風呂は銭湯を利用。
銭湯は入ったことがなかったこともあり、海水浴とはまた別に楽しみでもあった。

お世話になる一般家庭というのは父の仕事の関係の方らしいということだったが、詳細は全く分からなかった。
後に分かったことは、その家のご主人が当時PTA連合の会長さんをされており、父が高校の教員をしていたことからの繋がりであったらしい。
県をまたいでの教育関係の繋がりだろう。

夏休みに入り、8月に車で那珂湊へと出かけた。
大洗から赤い橋を渡り、海沿いに走ればお世話になる家はすぐだった。
海無し県で育っていただけに、河口にある赤い橋(海門橋)と海沿いの道路は印象的だったなぁ・・・
そのご家庭は食料品店を経営しており、お店の駐車場に車を止めご主人と奥さんにご挨拶。
自分も「お世話になります」と言って頭を下げた。(たぶん・・・笑)

とてもきさくで大きな声、そしていつもニコニコしている印象のご主人。
奥さんは小柄で世話好き。
夫婦そろって優しさがにじみ出ているなぁと子供心にも感じた。
離れ家は店から歩いて1分足らずの所にあり、そこの二階で三日間を過ごすことになった。
何よりも嬉しかったのは、海まで歩いて数分ということ。
外へ出れば一面太平洋の大海原が望め、散歩がてらに海沿いの道を歩くことができるという、自分にとってはかなりの贅沢感を味わうことができた。

昼食を済ませた後だったと記憶している。
ご主人の息子さんであろうと思える男性がやってきて、「これ父からです。皆さんでどうぞ。」と言って持ってきたのは、大きなスイカとコーラをまるごとひとケース。
これは嬉しかったなぁ!
なにせ部活動を終え、近くの店で飲むのはいつもラムネ。
理由は簡単で安いからだ。
コーラは大好きだったが、当時の自分にとっては高価な飲み物だった。
実を言うとこの時の男性こそ、今に繋がるキーマン的存在の方であり、後のご主人、と言うより「社長」さんである。(このことは後々綴って行く)

昼間は海水浴、夕方になればテトラポットの上で磯釣り。
夕食を済ませて銭湯に行き、ちょっとだけ夏休みの宿題をする。
あっという間の三日間だったが、実を言えば海水浴と同じくらい楽しかったのは海沿いの散歩だった。
散歩など普段からしてはいなかったが、手ぶらで気軽に海岸線に沿って歩くことができることが嬉しくて仕方がなかった。

もう一つ覚えている出来事がある。
父と一緒に夕方釣りをしている時のことだった。
ご主人がやってきて「どうですか、釣れますか?」と言いながらいきなりシャツを脱ぎだした。
「何をするんだろう・・・」と思っていると、突然そのまま海へと飛び込んだではないか!
平然と泳いではいるが、それなりに波は高かったと記憶している。
「へぇー地元の人ってすげぇーなぁ・・・」と驚愕の思いだった。

翌中学3年の夏休みも三日間お世話になった。

少年の頃の夏休みの思い出となってる那珂湊。
そしてお世話になった食料品店の御家族。
もうここまで綴ればおわかりだろう。
そう、このお店こそ、後にたんけんぼくのまちの舞台となるお店なのだ。

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話は前後するが、6月に見た夢は赤い海門橋、海沿いの道、そして平磯の街並みだった。
どうしてそんな夢を見たのかは自分でも分からない。
分からなかったが、久しぶりに平磯に行ってみたいという衝動に駆られた。
同時に「たんけんぼくのまち」のビデオを観てみたいと思った。
数十年前のビデオテープだったが、以前にDVDにダビングしておいたものがあり、ノイズや画像の乱れはあるものの懐かしさを感じさせてくれるには十分だった。
また、「たんけんぼくのまち 那珂湊編」がDVDとして発売されており、これも購入済み。
「そうそう、こんな場面があったなぁ。おじさんもおばさんも懐かしいなぁ・・・」
などと観ていたが、今現在そのロケ地がどうなっているのかを知りたくなり、ネットで調べてみた。
するとどうだろう、当時番組を観ていた方達が大人になり、懐かしさや思い出を尋ねて那珂湊に行っているではないか。
そしてあの食料品店の現在の様子、平磯郵便局、平磯小学校、くじらの大ちゃん、チョーさんが地図を作るために登ったマンションの屋上などの写真がブログにアップされているではないか。
これはもう自分も行くしないと、即決定!
6月の末の土曜日に実際に那珂湊へ出かけた。

現在は「ひたちなか市」であるが、自分にとってはいつまでも「那珂湊」として心に残っており、これからもブログ内においては「那珂湊」と綴らせていただく。(ご容赦を)

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高速を使えば一時間あまりで那珂湊へは着いた。


夢に出てきた赤い橋「海門橋」
だんだんと那珂湊(平磯)へと近づいてくる。
子供みたいにワクワクしてきた。(笑)
「チョーさん元気かなぁ・・・」っているわけがない。
ご主人であるおじさんが既に亡くなられていることは知っていたが、あのお店にもどうしても寄りたい。


そう、このマンションこそチョーさんが実際に外の螺旋階段を登り、屋上から那珂湊の街並みを眺めて地図作りに役立てた場所だ。


当時の番組から。(テレビ画面を撮影)


これも同じマンション。
当時の番組から。(テレビ画面を撮影)

この建物まで来れば、確かお店は目と鼻の先だが、ただノスタルジックな感傷だけでなく、どこかメランコリーな想いが芽生えてきた。

たんけんぼくのまち 「那珂湊編 3」へ続く・・・

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