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ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

夏山シーズン突入せり!

2025年07月19日 20時56分52秒 | Weblog

北海道を除く全域で梅雨が明けたと同時に夏山シーズンに突入。

おそらくこの三日間は多くのハイカーや登山者で賑わうことだろう。

 

夏山と言えばやはり富士山がすぐに思い浮かぶ。

とは言え良い意味ではなく、思い浮かぶのはネガティブなことばかりだ。

ここ数年の富士山ブームは異常なまでとも思え、「それほどまでして登りたいのだろうか・・・」と疑問しか残らない。

自分も何度もお誘いを受けたが、過去三度登っておりもうこれ以上登るつもりは一切ない。

理由はこのブログにおいて綴ったことがあるが、敢えてもう一度言っておきたい。

一つ目の理由は、登山道があまりにも単調過ぎるということ。

部分的にもクライミング的要素があればまた別なのだが、金剛杖(またはストック)を用いてダラダラと登攀するだけ。

樹林帯も苦手だが、この単調さも苦手である。

次に人が多すぎるということ。

混雑するのは仕方ないとしても、その混雑さが半端ではない。

ましてやご来光を目的とする登山者が殆どとなれば、深夜にヘッデンを灯し「これでもか」と言わんばかりの大渋滞で登攀する。

まさに数珠つなぎ状態での登頂など御免被る。

最後は規制に縛られていることが多いということ。

その規制が増えてしまった理由はもちろん登山者にある。

嘗て登ったときはまだそれ程でもなく、朝5時くらいに五合目を出発すれば無理なく夕方には戻ってこれた。

所謂「「弾丸登山」ではあったが、それが普通にできた頃だった。

 

一つ付け加えておこう。

富士山には何の責任もない。

ないのだが、この数年来のあまりにも無茶で無謀な登山者、もっとはっきり言えば無知で馬鹿な輩たちのおかげで富士山が嫌いになりかけているのだ。

もう一度言う、富士山には何の責任もない。

もちろん全ての登山者がそうではないことは分かっているが、そんな輩が大勢いる山に登りたいという意欲が全く湧いてこないのだ。

 

職場の若者たちから何度も誘いを受けた。

というよりは「一緒に登ってもらえませんか」とういう依頼だった。

はっきりと理由は言わずやんわりと断ったのだが「えっ、どうしてですか? 日本一の山ですよ。日本で一番高い山なんですよ。」とも言われたが、自分にとって標高は関係ない。

大好きな登山を嫌な思いをしながら登ることが嫌なだけだった。

 

7月に入り、富士登山のニュースをTVで何度も見た。

「富士山レンジャー」なるチームが発足し、一定の権限を有しているようだがまだまだとも言える。

例えば、上下セパレートタイプの雨具がなければ入山できないらしく、近くの店舗で購入し許可を得て入山する。

「えっ、これっていいの? こんなんでOKなの?」と思った。

雨具を持ってこなかった理由がどこにあるのかも確認しないで本当にいいのだろうか・・・

仮に登山経験豊富で体力もある人が「ついうっかり」というのであればまだいい。

ほぼ初心者が「持っていないから持ってこなかった」だったり、「えっ雨具って必要なんですか・・・」などという理由であったなら、たとえ購入したからと言って入山させても良いのだろうか。

更にこんな登山者がいた。

服装・装備問題なしでゲートを通過した。

しばらくしてザックの中にしまってあったサンダルに履き替えて岩場を登っていた。

記者が質問をしていた。

「大丈夫なんですかこれで・・・」

「はい、だってこっちの方が楽ですから。」

もう言葉が出なかった。

こんな輩がいる限り事故が減ることは絶対にあり得ないと言い切れよう。

 

何かもっと方法はあるはずなんだろうが、自分が考える方法はあまりにも突拍子で説得力も実効性もない。(笑)

敢えて綴ってはみるが・・・

*詳細な内容の入山届の提出

・直近で(2~3年間)登った山はどこか。

・日帰り、テン泊、小屋泊、リーダーとして登ったのか否か。

・今回の富士登山における細かな登山計画(時刻、ルート、何処の小屋など)

・具体的な持ち物の記入。そして本当に持参してきているか否かのチェック。

 

*意思の確認と直筆による署名で証拠的なもの書面で残しておく。

・途中で高山病になってしまったが、それでも無理をして登山を続け動けなくなってしまった場合は有料で救助を受けます。

・登山道から外れたポイントで登り怪我をした場合は有料で救助を受けます。

・サンダルやスニーカー履きで登山をし怪我した場合は有料で救助を受けます。

・入山届に記入した内容に虚偽があり、それが原因で怪我をしてしまった場合は有料で救助を受けます。

・一般的常識と良識、ルール、マナー、モラルから逸脱したことが原因で怪我などをしてしまった場合はその理由の如何を問わず有料で救助を受けます。

 

上記の5項目の判断と権限をレンジャーなどの人に持たせ、言い訳は一切通用しない。

まぁ勝手に思っていることを書いてはみたが、こんなあまりにも無理な内容でもやらなければ無謀な輩はなくならないだろうと思っている。

 

最後に一つだけ。

登山において怪我や遭難などの事故は必ず起きる。

それは経験や年齢だけではかることはできない。

初心者でもベテランでも起きるときは起きるということだ。

その起きる可能性(確率)を少しでも減らすことしか各自にできることはない。

・登山に適した服装やギア各種の事前準備。

・ルートの事前調べ。(情報収集)。

・一定以上の体力や持久力の維持。

この三項目を確実にやっておくだけでも事故の確率は減ってくると信じている。

今年の夏山登山、秋になり終わってみて果たしてどのような結果となっているのだろうか。

言うだけではなく、自分もしっかりとしなければならない。

 


5年振りだね「何というサプライズ!」

2025年07月14日 13時51分54秒 | Weblog

僅かながらにも悔しい思いを抱きつつ再び展望荘まで戻り休憩を入れた。

風は相変わらず強いが煽られるほどではなかった。

ザックを下ろし一服しながら赤岳を見上げる。

「やっぱり無理だね、雪が舞ってるよ。」

「来年の冬絶対にリベンジしましょう!」

バックに見えているのは阿弥陀岳。

小屋で身体を横にして休憩した。

青空が眩しい。

雲の流れがことのほか速かった。

珈琲を飲んでいるAM君。

バラクラバ代わりのフードは外せないようだ。

「寒くて口がこわばってるんですよ。(笑)」とのことだった。

 

昼食は下山してから行者小屋で食べることにした。

ここから一気に行者小屋まで下りてしまい、小屋でゆっくりとすることにした。

 

再び地蔵尾根へと出て、リッジを下る。

11時の方向には阿弥陀岳、そして8時の方向には赤岳。

チラッと振り返りながら思う。

(「やっぱり綺麗だ。素直に美しいと思う。」)

地蔵尾根のリッジ付近を下山中。

バックには大同心と硫黄岳の爆裂火口が見える。

今日はあのあたりも猛烈な風で、風を防いでくれるものなど何もない大ダルミの通過は相当厳しいだろう。

 

途中の樹林帯で一度休憩し、行者小屋まで下りてきた。

ついさっきまでの強風は一体何処へ・・・

穏やかに晴れた空を見上げながら昼食の準備に取りかかった。

いつものカップ麺だが、朝早くから動きっぱなしだっただけにとんでもない美味さだった。

今日は味噌味のビックサイズ。

美味かったなぁ・・・。

食後にコーヒーを飲んだ。

「せめてもの贅沢でドリップを持ってきたからね。」

「おぉ~ありがとうございます。」

お湯を沸かし注ぐ。

ここは風がない。

だからコーヒーの香りがたまらない。

赤岳に乾杯だ。

来年の冬、また来るよ!。

 

ここから美濃戸口までは3時間30分ほどで着く。

一本道なのだが、ダラダラと3時間以上歩くのはちょっと辛いかな。

「早く美濃戸まで戻ってコーラが飲みたいね。」

「ははは、やっぱりコーラですか。そう言うと思ってましたよ。」

と言ってなにやらザックをガサゴソとし始めたAM君。

「ジャ~~ン! 見てくださ~い、本物ですよ~」

なんとなんと缶コーラが出てきたではないか!

「おいおい、まるで手品だよ! なんていう超サプライズなんだ!」

笑いと感動が止まらなかった。

こんなところで、このタイミングでこのサプライズ。

驚きと感謝、ありがたく頂いた。

十分に冷えているはずだが、一旦雪の中で冷やすことにした。

コーラを購入してきたこと、持ってきてくれたということ、そしてそれを背負って登攀を続けたAM君に感謝したい。

「たまらん!」

「なんていう美味さなんだ!」

ドリップコーヒーの贅沢さを遙かに上回る贅沢さだった。

 

荷物を整え美濃戸口へと向かった。

振り返れば横岳バットレスが・・・。

登山者の少ない今の季節だからこそ静けさを味わいながらの登山だった。

夏山と比べれば条件は厳しくリスクも多い。

だからこそ登り甲斐があるというものだ。

この記事を書いている今は7月。

とっくに雪は溶け、一面草木で覆われた登山道になっているだろう。

夏の時期にこのルートを通ったことはないが、おそらくは多くの登山者で賑わっているだろう。

自分の知らないもう一つの登山がそこにある。

 


5年振りだね「残念だが無理はやめよう」

2025年07月11日 20時12分38秒 | Weblog

地蔵の頭から稜線沿いにトラバースし5分も歩けば赤岳展望荘の小屋へと着く。

以前に何度もここで休憩をしてきたが、常に積雪期であったこともあり小屋そのものは閉鎖されていた。

今回もそれは分かっていたことであり、建物そのものを風よけにして休憩することにした。

主峰赤岳と展望荘を目指すが、あまりの強風でジャケットのフードをかぶらざるを得ない状況だった。

画像ではわかりにくいのだが、頂上付近は雪が舞っている。

相当強い風であることが十分に目視できた。

 

展望荘で小休止をしながら考えていた。

(「これ以上は無理かもしれないな・・・。登攀時の強風は今よりも明らかに強くなるだろうし、たとえ登れたとしても下山時の方が危険度は高い。さて、どうしたものか・・・。AM君はどう思っているのかなぁ・・・」)

おそらくはAM君も自分と同じ考えであり迷いはあっただろう。

それを口にするか否かだけのことだろう。

 

ここまでの標高となれば一面銀世界だ。

その美しさと厳しさとの表裏一体のジレンマのようなものを感じていた。

 

お互い撤退のことはまだ口には出さず登攀を開始した。

小屋のあたりの風はまだいい。

強風ではあるが、言い換えればこの程度の強風は当たり前に慣れている。

緩やかに登り始めるが風の強さが徐々に増してきている。

それは体感だけではなかった。

「○○さん、見てください、これっ!」

顔を上げるとピッケルが・・・

ピッケルを振り回しているのでない。

風の強さで真横になびいてしまっているのだ。

そしてAM君の体勢は、西(画像右手)からの強風に煽られないよう敢えて西に体を向けている。

ピッケルには幾つも種類があり、彼が持っているピッケルは実は嘗て自分が選んでやったものだ。

機能性、目的、重さ(軽量さ)等々選ぶべき基準は幾つかあるのだが、ストレートシャフトではなく、やや緩めのベントシャフト。

重さはあるのだがピックの先端もそれなりに鋭いもので、いわばベーシックタイプとテクニカルタイプの中間的なものだ。

ピッケルとしては重い部類に入るものが真横になびいているということが何を意味し、何を考えなければならないのか・・・。

言わずもがなである。

 

あの時の標高は確か2800mを越えたあたりだった。

体感的には明らかに風速20mは越えている。

悔しい思いは互いに同じだ。

「ここまで来て・・・あとわずか100mじゃないか。」

当然な気持ちだ。

圧雪されているはずの頂上の雪が風で煽られている様子を見ながらAM君に言った。

「危険すぎる。やめよう。」

すぐ隣にいるのに、怒鳴らなければ聞こえないほどの風の強さだった。

「そうですね。登ったとしても下山が嫌ですね。」

AM君の返事も耳元で怒鳴らなければ聞き取れないほどだった。

 

体の向きを180°変え、赤岳に背を向けた。

悔しい・・・本当に悔しい思いだった。

そしてその悔しさは撤退するたびに増幅している。

理由は簡単だ。

自分の年齢である。

来年の冬に来たとして、天候に恵まれたとしても、AM君が一緒だとしても果たして自分の体力がどこまでもつのか・・・。

甚だ不安だ。

ひょっとしたらもう登れないかも知れないという方の思いが年々増してきている。

年齢と体力の低下を素直に認めている自分だが、まだ100%諦め切れてはいない。

だからこそ悔しい。

抗うことのできない二つの現実と直面し、認めざるを得ない体力の衰えに逆らう自分。

大袈裟に言ってしまえば「葛藤」しながらの下山だった。

しかしこの強風というか烈風というか、そんな状況の中で無理をし「もし・・・」となればどうなってしまうのか。

普段は帰宅しても「おかえりなさい」の一言しか言わない妻だが、その一言を聞くことができるというありふれた事が

そうはならなくなってしまう。

(「そっか、俺、自分で決めたんだったな」)

昔自分で考え決めた登山における五つの反省をふと思い出した。

その五番目が「感謝に悖ることなかりしか」

「たとえすべて単独での登山であっても、決して自分一人だけの力で登頂し下山できたわけではない。自然に、人との出会いに、登山者の安全を願う人たちに、そして無事の下山を願う人たちに感謝の意を持つことができたか。」

登頂できなかったとしても、無事の帰宅を願って待っている人がいる。

怪我なく帰宅することは決して負け惜しみではなく、それだけでも意味のある大切なことであろう。

 


5年振りだね「ナイフリッジが・・・ない」

2025年07月08日 15時10分20秒 | Weblog

今いるポイントを越えればナイフリッジへと近づく。

そしてリッジを越えれば地蔵の頭へと着く。

そうは時間はかからないはずだ。

リッジへの登攀は記憶が正しければ場所によってはかなりの斜度だったはずで、山頂への地蔵尾根ルートにおいて最もきついと感じた。

だからそこさへ越えれば斜度はあってもそこそこ程度だったはずだ。

見上げれば稜線へと近づいているのがわかった。

「もう少しだ」という安堵感はあったのだが、西からの強風に体は煽られていた。

幸いに背中を押されるような形だったので体勢が崩れてしまうことはほとんどなかった。

AM君が自分を追い越して撮ってくれた。

ピッケルがステイクポジションになっているのが斜度の厳しさを物語っている。

年寄にはきつい。(笑)

やっときつい区間を越え終えた。

「いやーきついねぇ」

息が切れそうだった。

 

互いの写真を撮るために時折順番を入れ替えて登った。

いたって軽やかな登攀にしか見えないAM君。

羨ましい限りだ。

写真を撮る方もかなりの危険があり、体勢が不安定だと滑落の可能性もある。

敢えて自分の足(アイゼン)を入れてみたが、やっぱりここはきつい。

 

真白な主峰赤岳がはっきりと間近に目視できた。

「綺麗だ。この季節が一番山が綺麗に見える」

これは本音である。

しかし、厳しい季節であるからこそいつでも登れる、どの山でも登れる訳ではない。

様々な制約や限界があるのは確かだが、だからこそ自分の力量に見合った中でこの美しさを堪能したい。

 

 

左に赤岳、右に中岳。

白と青みがかった黒、そしてわずかながらの青空という極めてシンプルな色使いが美しい。

 

さぁナイフリッジまでもう少しだ。

あの際だったリッジが早く見たい。そしてじっくりと味わうように通過したい。

・・・・・のはずだったのに、いざリッジに着いてみればまさに拍子抜け状態となってしまった。

雪がない・・・、いやあるにはあるのだが事前の下調べや情報と大きく食い違っていた。

「こんなものかぁ・・・ちょっとがっかりだね。自然界の成り行きだし仕方ないか。」

残念なことは残念なのだが、こればかりは人の力ではどうすることもできない。

日々変わってゆく自然に任せ、人間が合わせるしかない。

たっぷりの雪を想定していたナイフリッジ区間。

こっちのほうが安全であるには違いないのだが、ちょっと悔しい。

「プチナイフリッジです。(笑)」

といいながら通過していたAM君。

画像ではわからないが、このときも西風は強くかなり煽られていた。

 

地蔵の頭の指標が見えてきた。

休憩するにはもってこいのポイントなのだが風が強い。

稜線へと出れば更に強くなっているだろうと推測した。

地蔵の頭に到着。

それなりの青空ではあったが、風で背中を押されっぱなしだった。

本当は三脚を立てて撮りたかったのだが、何度立ててはみても風で倒されてしまい自撮り式で撮影した。

日ノ岳、鉾岳方面をバックに一枚。

「体が左側に煽られます~」と言いながらポーズ。

 

「ここはちょっと風がきついし、この先の小屋まで行って休憩しよう。」

AM君も同意見だった。

 

空はピーカンではないが青い。

しかし雲の流れが異常に速く、赤岳山頂付近を見ると今の季節の押し固まっているはずの雪が空に舞っているのが見えた。

嫌な予感しかしない。

 


5年振りだね「樹林帯を越えて」

2025年07月05日 10時17分56秒 | Weblog

夜は何度か目が覚めてしまったが7時間ほどは眠ることができた。

6時前に起床しとんでもない冷たさの水で顔を洗った。

いや、冷たいというよりは痛いといった方が正しいだろう。

朝食は目一杯・・・と言いたいところだが、余り詰め過ぎてしまうと後々行動に影響が出やすくなってしまうため、ここは腹七分目程度とした。

食後にもう一度荷物をチェックし、重い冬季用登山靴を履く。

靴が重ければ12本爪のアイゼンも当然重いし、冬季用のゲーターでさへも重く感じる。

しかし5年ぶりのAM君との雪の赤岳と言うだけで心は軽やかだった。

 

鉱泉小屋を出発し先ずは行者小屋を目指す。

途中のジグザグの登攀はまだ体ができあがっていないこともありややきつく感じた。

行者小屋にはほかの登山者のテントが二張り設営されていたが登山者の姿は無かった。

すでにスタートしていたか、今日は下山日ということでまだ眠っているのかもしれない。

 

ここからはひたすら樹林帯の中を登攀する。

もう何度も登ったことのあるルートだが、トレースの有無と圧雪の状況によって体力の消耗は全く違ってくる。

ざっとみたところトレースは明瞭だったが圧雪はあまり期待できない感じだった。

 

推測通り登山靴がズボッと埋まる。

ストックの先端もかなり埋まる状態での登攀となった。

だが今日は赤岳のみの登攀であり、時間はそれ程気にする必要は無い。

夕方までに美濃戸口まで戻ればいいだけのことあり、ゆっくりとマイペースで登った。

行者小屋前で一息。

まだ青空は見えていないという若干の不安があった。

 

このあたりの斜度はまだ緩いが、徐々に厳しくなってくる。

樹林帯を越えると階段があるが、その斜度は日常生活ではあり得ないほどの斜度だ。

 

寒くは無かったのだが、久々の登攀に息が切れそうにもなった。

「ハァハァ」という自分の呼吸音が静けさの中に響いているのがわかった。

「やっぱり歳とったなぁ(笑)」

「何を言ってるんですか師匠。ここにチャレンジしているだけでもまだまだこれからですよ。」

AM君の言葉にはにかみながらも体力の衰えは実感していた。

 

行者小屋をスタートして50分ほど、一本休憩を入れた。

まだ樹林帯の中だが、風が入ってこないだけに落ち着いて休むことができた。

外気温を確認するとマイナス12℃だった。

頬がこわばり上手く言葉を発しにくいと感じていた。

まだ早いかなともおもったが、ここでバラクラバ(目出し帽)を装着した。

ついでにヘルメットも装着してしまった。

ちょっとガラが悪く見えるがご容赦を。(笑)

 

樹林帯の登攀が続く。

斜度もきつくなりいよいよピッケルのお出ましとなった。

この瞬間に「雪山に登っているんだなぁ」と実感が湧いてくる。

 

斜度が厳しい。

森林限界線はまだかと時折高度計を見る。

しばらくはその繰り返しだった。

だが気づけば樹木はまばらとなり標高も2500mほどとなった。

「この鉄パイプ覚えてますよ。そろそろ超えますね。」

AM君の顔がほころんだ。

 

樹木がまばらになり周囲の視界も利くようになってきた。

だがこの先斜度はより厳しくなってくる。

 

「もう少し登ってフラットなポイントがあったら一本取ろう。」

「ラジャーです!」

「悪いなぁ、前のような体力は無いしペースが遅くて・・・」

「いやいや無理せず安全第一で登りましょう。」

ありがたい言葉だったが、本音を言えばAM君の元気と若さが羨ましかった。

 

ほぼ森林限界線を越えたあたり。

もう少しで横岳バットレスも見えてくるだろう。

「いやぁ久しぶりに味わう斜度ですよ。」

それでも笑いながら登るAM君。

ここを越えると小さなフラットポイントがある。

自分にとってはいつもの休憩場所となっている。

AM君が下から撮ってくれた画像。

階段は完全に埋もれており、手すりの鉄パイプは見えてはいたが意味は無かった。

バックに横岳バットレスが見える。

これより先に樹木は無く、風がまともに体に当たってくる。

一息つきながらも風の強さを実感した。

 

青空はあまり拝めなかった。

予報よりも風の強さを感じた。

より標高を上げれば当然風もより強くなってくる。

不安がよぎるがまだ諦めるには早すぎる。

岩稜地帯が自分たちを待っていてくれる。

 


5年振りだね「明日への期待」

2025年07月03日 14時45分17秒 | Weblog

続きのアップの前に一言だけ。

長い間使用してきたPCが遂にいかれてしまい、新しい機種に買い換えざるを得ない状況となってしまった。

「まぁまだいいか・・・なんとななるか。」と自分に言い聞かせて数年。

やはりダメなものはダメで、ローンで購入した。

今までの機種はなんと「ウィンドウズ7」、新機種は当然ながら「11」。

あまりのハイスペックにまだ知識と慣れが追いついていない。(笑)

ぼちぼちとやって行きます!

***************************

美濃戸を再スタートしてすぐにプチバリエーションへと入った。

進むべき方向だけは間違えずに樹林帯の中を進む。

半ば藪漕ぎのようだったが、ある意味面白い。

スマホのアプリ(デジタルマップ)もあるのだが、ここは敢えて地形図とコンパスによるアナログ形式で進んだ。

これがまた面白い。

現在地を割り出すのに少々時間はかかるが、予測とどれ程違っているか(合っているか)を試すのにもってこいのルートファインディングだった。

結構傾斜がきつくなかなか先へと進めなかった。

進むべき方向だけは決して間違えはならないという程よい緊張感もあった。

約40分ほどプチバリエーションを楽しみ、正規のルートへと戻った。

本音を言えばホットしている。

 

堰のポイントで小休止を入れた。

ここから先は道幅が狭くなり斜度も増してくる。

今日の天候なら「横岳バットレス」がはっきりと目視できるだろうという期待感があった。

雪に埋もれた木道を進み、幾つかの橋を渡った。

見えてきた、バットレスだ。

そして大同心もはっきりと見える。

心が躍ってくるのがわかる。

もう一泊余分に泊まれれば横岳の縦走ができのだが、日程的にそれは叶わない。

今回は見るだけでよしとしなければならない。

あの大同心を見下ろすことができるのが橫岳山頂。

 

ここまで来れば赤岳鉱泉小屋は近い。

ザックは重いが自ずと足は軽くなってくる。

アイスキャンディーでおなじみの赤岳鉱泉小屋に到着。

雪と氷に包まれた真っ白なバットレスを見上げながら明日への期待感がより膨らんできた。

 

お疲れ様!

まずは受付を済ませ部屋へと入った。

多人数部屋の一角にザックを下ろし、着替えと明日のアタックの準備を整えた。

この時期の登山者は少ない。

自分たちを含めて7名が今夜の客だった。

玄関でアイゼンを外す。

本当は入り口前で外さなければならないことを忘れてしまっていた。

 

一通り準備が終わればあとは夕食まで何もすることはない。

ほんの一時間ほど昼寝をし、久しぶりの鉱泉小屋内を歩いた。

見慣れた本棚や自炊部屋、そして食堂など木のぬくもりを感じる小屋であると改めて感じた。

「ランプが似合うなぁ」

自然とそんな言葉が出てくる小屋だ。

鉱泉小屋の食堂。

この濃い木の色合いが落ち着く。

 

夕食の時間となりAM君と席に着いた。

今夜のメニューは期待していたとおりのステーキだった。

「こりゃぁビールが必要だね。(笑)」

「一本くらいなら明日に影響はないでしょうね。(笑)」

こんな時期に、こんな山中でステーキを食べることができるという贅沢感。

テント泊もいいが、金がかかるとはいえ上げ膳据え膳の小屋泊の魅力だろう。

明日に向けて乾杯だ。

AM君と飲むのも5年ぶりになる。

互いに気の合う者同士、心を許しあいどんなことでもはっきりと言うことができる。

そんな間柄でなけれな雪の赤岳を登ることはできない。

大袈裟な言い方にはなるが、命のかかった山であればあるほど大切なことだと今までの経験が証明している。

 


5年振りだね「何処に登ろうか・・・」

2025年06月17日 16時09分13秒 | Weblog

嘗て同じ職場で働いていたAM君。

ジャンダルム、北方稜線を含む劔岳、冬期であれば避難小屋泊での谷川岳、テント泊で八ヶ岳縦走など、いくつもの山を共に登ってきた。

異動してからはなかなか会うことができず、また日程も取りにくくなってしまい一緒に登る機会がなかった。

年が明けてからどうにかやっと日程を合わせることができ、残雪期ではあるが3月に八ヶ岳に登ることが決まった。

5年振りになろうか・・・。

難所や厳しい状況の下ばかりを共にしてきた彼と再び山に登れることがたまらなく嬉しかった。

自ずと事前の下調べや情報収集、そして事前準備にも力と喜びが入った。

 

互いに仕事が終わってから待ち合わせをし、先ずは夕食を食べた。

食べながらも仕事のことやプライベートなことなど積もる話も多く、話題には事欠かなかった。

AM君に会うことと同時に楽しみでならなかった事がもう一つあった。

彼が新車を購入したのだ。

しかも購入しただけではない。

「これでもか!」という程にアウトドア仕様にカスタマイズを施していた。

このとこは後に綴るとして、一路互いに懐かしさもある長野県へと向け出発した。

目指すは主峰赤岳。

駐車場は毎度おなじみの美濃戸口であり、ナビを使わずとも行ける。

深夜1時過ぎに到着し、車中泊となった。

 

翌朝7時に起床し目覚めの珈琲を飲んだ。

当然お湯を湧かすのだが、そこはアウトドア仕様の新車、すべて車内に揃っていた。

因みに寝るにあたっては、商業用の車ということもあり、二列目のシートを畳めば三人用のテントほどの広さとなる。

もちろんザックなどの大型の荷物を置いてもその広さは余裕だった。

更にバックドアを開けた後に、閉める時は外から行わなければならないのが一般的だが、なんとドアの内側に取っ手を取り付け車内からでも開閉ができる様にカスタマイズしてあった。

唯唯感動しっぱなしのアウトドア仕様であり、羨ましくもあった。

両サイドに様々なものをつり下げられ、何泊でも車中泊ができるようにしたとのこと。

さすがは商業用タイプ、広い!

内側から見た後部。

「水と食料とガスがあれば長期旅行も楽しめますよ♪」の一言が実に嬉しそうだった。

自分がやってみたかったことを具現化し実現実行したAM君。

アウトドア好きな男にとって、これは将に浪漫である。

目覚めの珈琲を飲むAM君。

もちろんドリップでのレギュラー珈琲だ。

自分も頂いたが、味だけではないもう一つ上の美味さを感じた。

 

今日は赤岳鉱泉小屋までの行程であり、出発は慌てることはない。

小屋泊でもあるので、到着時刻は常識の範疇で考えればよい。

10時となり登山届けを提出し美濃戸口をスタートした。

地面に雪はなかったが、スタートして10分も歩けば徐々に雪面となってきた。

12本爪のアイゼンの他にチェーンスパイクを持参してきたが、まだそれすら装着する必要もなかった。

美濃戸口を出発。

AM君とこの道を歩くのはこれで何度目になるだろうか。

もちろん雪の季節しか歩いたことがない。

 

今日明日の天候はまずまずだが、歩きはじめてすぐに汗をかくようになった。

ジャケットを脱いだり着たりの繰り返しだが、寒さと強風に煽られて進むよりどれだけ楽であろうか。

体作りと慣らしを兼ねて慌てずのんびりと鉱泉小屋を目指せば良いだけの初日。

気分は上々だった。

少しずつ積雪が目立ち始めた。

二月は個人的なことで山に登ることが叶わず今日まで足伸ばしとなってしまった。

思い切り雪山を楽しみたい。

約1時間して美濃戸へと着いた。

真っ白な雪を纏った阿弥陀岳が屹立している。

あの山も雪の季節にAM君と一緒に登ったなぁと、つい懐かしんでしまった。

 

美濃戸で軽く行動食を食べた。

小屋へは14時頃に着く予定であり、休憩時間もいつもよりは長く取ることができようか。

ここからは北沢ルートで鉱泉小屋へと向かうが、この二人が揃うと悪い虫が疼き出す。

「ちょっとバリってみようか。」

「いいですね。軽くやってみましょう♪」

つまり、本来の正規ルートから少しだけずれて進もうということである。

厳密に言えばバリエーションルートなのだが、そこまで大袈裟なものでもない。

もちろん安全を第一としてルートファインディングはするし、決して無理はしない。

プチバリエーションルートを楽しもう的なものに過ぎない。

美濃戸にある分岐点。

予定では北沢ルートなのだが、今日は北と南の中間的なポイントからスタートし、北沢寄りに進むことにした。

まだ樹林帯の中であるだけに藪漕ぎもあるだろう。

二人が揃うと悪い癖が出る。(笑)

 


花巡り 「花を見ると・・・」

2025年06月14日 14時30分30秒 | Weblog

梅が散り桜が満開になってくる頃、我が家の小さな花壇やプランターの花が一斉に勢いを増しカラフルに賑わう。

毎年春に向けて植える花の苗はそう代わり映えはしないが、強いて拘りを言えばパンジーは中央にブロッチの入った苗を選んで植えている。

単色のパンジーも好きだが、このブロッチの有無で見栄えが違ってくる。(と勝手に思っている)

去年の反省から今年はアイフェイオンに占領されないよう間引きをしながら育ててきたのだが、その途中途中でどこか「もったいない、可愛そうだなぁ・・・」という思いが芽生え、中途半端な間引きとなってしまった。

それでも去年よりは随分と数は減ったのだが、やはり「もったいない」ではダメだと今年の春も反省しきりとなってしまった。

道路に面している花壇。

間引いたつもりだったが、オレンジのパンジーの隙間にアイフェイオンが密集してしまった。

もう少しハッキリと色分けした方がすっきりするだろうか・・・。

メインの花壇。

これでも去年よりは色分けがすっきりしていると思っている。

パンジーの色も青系はやめ、赤・オレンジ・黄の三列で正解だった。

球根の花であるチューリップも植えているが、球根類の花が咲いているのは長くても10日くらいだろうか。

種からの花と比べれば開花期間は極めて短い。

壁の周囲の花壇とプランター。

ここはアイフェイオンに押され気味だったなぁ。(笑)

間引いたつもりだったが、もっとすっきりとさせなければと思う。

プランター類はいい感じで咲いてくれた。

手入れは面倒にも思うが、咲き終わったら花がら摘みをしなければ葉ばかりとなってしまう為、「しょうがないやるか・・・」ってな感じで頑張っている。

芝生にはいつの間にかアイフェイオンの球根がこぼれ落ち、それが咲いてしまっている。

葉が出始めた頃にかなり短くカットしたのだが、それでも見事に花が咲いた。(咲いてしまった)

さすがは繁殖力の強いアイフェイオン。

恐るべしはその生命力。

 

四月、花壇の手入れをしながら何度も思ったことがあった。

宗次郎のことだった。

この時期は散歩から帰ってくるとすぐに家には入らず、リードを何処かに巻き付け少しの間だけ一人にさせてもらっていた。

そして花がら摘みをするのだが、宗次郎は勝手気ままに庭をうろついていた。

いや、うろついているのはほんの数分程度であり、すぐに花壇に駆けあがり密集している花の中へと突入だ。(笑)

ガサゴソと何がおもしろいのか分からないが、花壇の中を歩きまわっている。

「あ~こらこらダメー!」とは言うのだが、花壇の中のうろつき方が何故かおもしろくて仕方がなかった。

「本人は楽しいんだろうな・・・」と思い、一服しながらその様子を見ることが常だった。

得意の花壇荒し。(笑)

まったく・・・と思いながらも何故か憎めなかった。

突入寸前の宗次郎。

リードを引っ張ってくい止めてはいるが、結局は許してしまっていた。

 

おーい宗次郎!

虹の橋のたもとには花が咲いているかい?

お花畑の中を思い切り走り回っているかい?

たまには降りてきて庭の花壇をガサゴソやってもいいんだぞ。

 


花巡り 「桜並木」

2025年06月10日 11時10分15秒 | Weblog

四月となり、自分の住んでいる地域にも桜前線が北上してきた。

ソメイヨシノはいたる処そこここで見受けられるが、もう二十年以上も前から少し気になっている桜の名所があった。

名所と呼ぶにはやや大袈裟なのだが、車で通る度に気にはなっていた。

「靜かで良い場所だな。人も少なそうだし・・・。」

混雑とは無縁の名所だと思っている。

 

自宅から車で20分もあれば着いてしまう場所であり、嘗ては何度も利用していた道路があったが、バイパス的な道路ができたことで今ではほぼ利用することはなくなってしまった。

では何故今更ながらその場所を思い出し気になったのか・・・。

昨年の九月に亡くなってしまったペットの宗次郎を思い出したからだ。

桜が咲く季節になると、宗次郎はある意味最も活発に動く。

それは近所の桜並木を一緒に散歩している時、風が吹き桜吹雪が舞うと何故かそれに向かってジャンプするのだ。

高いところに舞っている時は上を見上げじっとその様子を見ているが、自分の体にまとわりつくような感じで舞っているとくるくると体を回転させ花びらを追う。

また、パグ特有の短い足ながら思い切りジャンプし花びらを口に入れようとしたり手で掴もうとしていた。

何が気になるのかは分かるようで分からないままだったが、一年の中でそこまで執拗にジャンプする宗次郎を見るのは桜の季節だけだった。

そしてその様子がたまらなく好きだった。

「一度でいいから連れてきてあげればよかった・・・」

今では叶わぬことであり、後悔している。

 

天候のよい仕事が休みの日、何年かぶりでその場所まで出かけた。

青空の下、桜満開の穏やかな春である。

平日ということもあってかお花見的なことをしている人は誰もおらず、川沿いの桜並木の道をジョギングしている人が一人いるだけだった。

「せっかくなのに何かもったいないなぁ・・・」などと勝手に感じながらも、独占状態の今に満足している自分だった。

この道路の先に橋がある。

そして橋の両脇には川に沿って散歩道があり、桜並木となっている。

何度も通った道だが、ここで車から降りたのは初めてだった。

道路のすぐ横には東屋があり、ちょっとしたお花見や休憩にはもってこいだった。

もちろん駐車場やトイレも併設されている。

こんなことならもっと早く来るべきだった。

 

駐車場に車を停め、川沿いの細い道を歩いてみた。

土手には菜の花が咲き乱れ、見上げれば淡いピンク色と青空、そして足元には黄色と緑。

広い田園の中に川が流れ、絵に描いたような田舎の春の風景そのものだ。

「見慣れているはずなんだけどなぁ・・・」

そう、田舎ではありきたりの見慣れているはずの春の風景なのだが、あらためてこの場所に来てあらためて歩いてみると新鮮でならなかった。

道を挟んで北側の桜並木。

土手の上にも道があり、景色を眺めながらの散歩やジョギングには最高の場所なのではないか。

南側の桜並木。

やはり宗次郎を連れてきたやりたかった。

穏やかでたおやかであるはずなのに、後悔心が胸を突く。

スマホの中に宗次郎の画像が何枚かあることを思い出した。

ディスプレイに宗次郎を出し、一緒に歩いた。

せめてもの思いだった。

少し離れた場所から写した桜並木。

来年の春、また来ようと決めた。

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自宅近くのいつもの散歩道。

宗次郎が三歳になる少し前の頃の写真。

この八重桜の桜吹雪が好きだった・・・のかな。

 


花巡り 「筑波山梅林②」

2025年06月07日 21時10分05秒 | Weblog

少し大げさな言い方にはなるが、標高を上げるに連れ紅梅の数が目立つようになってきた。

(「植林をした人は白梅と紅梅とのバランスや俯瞰した時の見え方などを考えて植えたんだろうなぁ。」)

などと勝手に推測したが、所詮は素人の自分にはわからないこと。

「お~綺麗だ」と単純に見上げながら進んだ。

後ろ姿で妻を一枚。

内心おそらくは花より団子だろうか。(笑)

せっかくなので三脚を立て一緒に一枚撮った。

こうしてみてみると、やはり白梅よりも紅梅の方が目立って見える。

同じアップで撮ってみればそれほどの違いはないのだが、俯瞰した時の見え方は全く違った。

青空をバックに白梅。

春の訪れを花で感じ取ることができる。

同じように青空をバックに紅梅。

これも綺麗だと素直に感じる。

この一枚を後に家で見た時に何となくではあるが分かったことがあった。

地面の色である。

俯瞰的に見た時、白梅の時は地面の色と同化してしまったようにしか見えなかった。

もしもう少し時が経ち、緑色の草が生え渡ったとしたらおそらくは白い花びらはもっと際だって見えたに違いない。

今はまだ殆ど緑化しておらず、どちらかと言えば一面淡い茶系となっている。

「そっか、男体山のシロヤシオツツジの白が目立つのはひょっとして地面の草や若葉との関係があるのかも知れない。」

もちろん何の確証がある訳ではないが、妙に納得した。(笑)

 

しばらく進むとから拭き屋根の東屋が見えた。

古くより日本で見られている梅であれば、から拭き屋根はもっともマッチする建物だろう。

この切り取りだけを見れば時代劇の撮影でも使用できるんじゃないかな。

中に入りつかの間の休憩をしたが、次から次へと人が訪れる為落ち着かなくなり外へ出た。

あとはゆっくりと下るだけだ。

梅の木全体を大きく写すより、こうしてアップで撮った方が何故か「梅だなぁ・・・花だなぁ・・・春だなぁ・・・」

としみじみ思える。

帰りは少し遠回りをし、筑波神社へと寄った。

久しぶりに御朱印をしていただいたが、やっぱり登りたかったという思いは残った。