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第3章 『他者の課題を切り捨てる(1)』
アドラーの「嫌われる勇気」岸見一郎+古賀史健著より 128~138P
a.承認欲求を否定する
我々は、どこに行こうと他者に囲まれ、他者との関係性の中に生きる「個人」で、「対人関係」から、逃れられない。アドラーの語る「すべての悩みは対人関係の悩みである」に行き着く。
いったい、対人関係の何が、我々の自由を奪っているのでしょうか?他者を「敵」と考えるか?それとも「仲間」だと考えるか?「仲間」と見なす事が出来れば、世界の見え方は変わる。例えば、「親」は、どう見ても「敵」ではない。
特に子供時代は、最大の庇護者として私を育て守ってくれた。
大人になっても、親に認めて貰いたいと、「承認欲求」を求める人は多い。しかし、アドラー心理学では、「他者からの承認を求める事を否定します」。
b.「あの人」の」期待を満たすために生きてはいけない
他者から承認される事は、確かに嬉しい。もっと端的に言えば、なぜ他者から誉められたいと思うのでしょうか?例えば、あなたが職場でゴミを拾った。しかし周囲の人は感謝しない。誰からも感謝されないゴミ拾いだったら止めてしまう?
「承認欲求」の危うさはここにあります。多くの場合は、「処罰教育」の影響です。適切な行動を取れば褒めて貰える。不適切な行動を取れば罰せられる。
アドラーは、こうした処罰による教育を厳しく批判しました。
「処罰教育」の先に生まれるのは、「褒めてくれる人がいなければ、適切な行動をしない」「罰する人がいなければ、不適切な行動もとる」という、誤ったライフスタイルです。我々は、「他者の期待を満たすために生きているのではないし満たす必要はない」。
ユダヤ教の教えに、こんな言葉があります。「自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、一体誰が自分のために生きてくれるのだろうか」と。人は、誰のために生きているのかと言えば、無論自分のためです。
他者からの承認を求め、他者からの評価ばかり気にしていると、最終的には、他者の人生を生きる事になります。承認される事を願うあまりに、他者が抱いた「こんな人であって欲しい」という期待をなぞって生きて行く事になる。つまり、本当の自分を捨てて、他者の人生を生きる事になる。
他者の期待に応えようとして、苦しんでいる人が何と多い事か。
自分本位に振舞う事が出来ない人達です。これは身勝手、傍若無人に振る舞う事ではありません。
ここを理解するには、アドラー心理学における「課題の分離」という考え方を知る必要があります。
※この章は、現代人に加速する「承認欲求の弊害」を100年も前に、アドラーが良く言い現わしています。フェイスブックの「いいね」現象を考えると、ズバリ言い当てていますね(笑)。