▲<「琉球国之図と完全復元伊能図フロア展」が行われた「沖縄県立武道館アリーナー」>
11月6日~11日まで、「沖縄県立武道館アリーナ」(那覇市)で、「琉球国之図と完全復元伊能図フロア展」が行われていたので、7日に見学してきた。
200年も前に、「伊能忠敬」が自分の足で日本各地を17年間で4万キロ、北は北海道~南は鹿児島まで歩いて測量して製作した近代地図「伊能図」。その半分以上が「アメリカ議会図書館所蔵図(単色)」で発見され、それに彩色再現を施した「伊能図大全」(収録246図)の刊行記念事業のフロア展。
歴史教科書で学んだが、江戸時代これだけ精密な日本地図を作製した事に驚く。また、伊能自身、隠居してから始めたという事に、我々中高年に勇気を与える仕事だ。
▲<武道館の床に「伊能図」が並べられている。その上を歩きながら鑑賞する(靴下を履く事が条件です)>
※1800年~1816年。55歳から17年かけて日本全土を測量し『大日本沿海輿地全図』を完成させ、日本史上初めて国土の正確な姿を明らかにした。
▲<壁面には、「伊能忠敬の人生の軌跡と功績」が掲示されている>
会場では、実際に日本地図の上を歩きながら観れるのが楽しい(沿岸部分は、くまなく精密に記録されているが、内陸部は当時の基幹街道筋が中心で、山間部は省かれていたので、わが故郷が真空地帯になっていたが・・・)。
▲<こちらは、「琉球国之図」>
会場には、『琉球国之図』も、展示されていたので、伊能忠敬さんが「琉球国」にも来たのだ。と思ったら、会場にあった解説を読むと、1717年に清国が、フランス人宣教師(測量技術者)と中国測量官を動員して、中国全土の近代地図を作製した。その2年後に、中国測量官「平安」を琉球に派遣して、琉球の緯度経度を観測させている(琉球王府は、平安からその時当時の最新技術を学んだ)。
その18年後(1737年)、平安から学んだ琉球の測量技師達が、世界最先端の測量技術を使い(多数の担当役人や地元住民を動員)、13年かけて「間切島針図(マジキリシマズ)」という、今の市町村単位の正確な地図を作製した(1750年)。その時、村の境界(間切)を示すために使った、一万個の「印部石(シルビイシ)」が、今も数千個存在している。
▲<「琉球国之図」の本島南部、最近造成の埋立地が無いだけで、戦前の沖縄県の地形とほぼ同じ>
▲<「琉球国之図」余白の記述>
後年の1796年に「高原築登之親雲上(タカバルチクドゥンペーチン)」が、「間切島針図」を縮小編集して、一枚の「沖縄諸島図」に仕上げたのが、「琉球国之図」である。
▲<「琉球国之図」那覇市の拡大(現在の地名がそのまま記載されている)>
「琉球王国」で、日本よりも20年以上前に、正確な国図が作成されていた事を今回の展示会で初めて知った。当時の最先端国「清国」に一番近い国だったので、実現したのだろう。