「三重城」を見学する。

2013年03月17日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<ロワジールホテルの奥に、那覇港を望むパワースポットがあった>

3月16日、「ロワジールホテル」に、ランチを食べに行く。あまりにも長い待ち時間だったので、周辺を散策した。6年間、那覇市に住んでいるが、ロワジールホテルの周辺に有るといわれる「三重城」を実際に見た事が無かったので探す。


▲<左側奥にある「那覇空港」に、飛行機が着陸態勢に入っている>

ホテル北側は海しかなく、以前離れた駐車場を使用した時に歩いた遊歩道があるのみ。ホテルに引き返した時、ホテル立体駐車場の脇に、小高い丘に登る参道を発見。




▲<長く「おがみ」をされていたので撮影を控え、帰られてから撮影した「水神」>

当日も、階段脇の「水神」で、拝みをしている方々や「祠」の近くで、「おがみ」の準備をしている人を見た。階段を上がると、小さな広場になっていて、一番奥に屋根付きの「祠」があり、その周囲にも「拝所」が点在していた(相当のパワースポツトらしい)。


▲<上がると、以外と広い「拝所」だった>


▲<屋根の古さから見ても、大切にされている事が伺える>


▲<ロワジールホテルの出口付近に合った「三重城由来記」の古い琉球時代の絵>
※三重城の由来:「三重城(みいぐしく)」は、那覇港入り口にあったグシク(城)で、16世紀後半倭寇の防御のため造られた。当時は陸から短冊のように島と島を橋で渡るようになっており、島の先端には砲台があり、対岸の「屋良座森グスク」と対で那覇港を守っていた。対岸にあった「屋良座森グスク」は、現在は米軍の軍港になっており、昔の城跡は無い。「三重城」の由来は、「対岸にある屋良座森グスクより新しく出来たため、新城(みいぐすく)と呼ばれていたのが、いつの間にか三重グスクと呼ばれるようになった説と、当時は三つの橋から出来た城だったので、三重グスクとも呼ばれた」という説が残っている。琉球古典音楽の「花風節」でも「三重城に上(ヌブ)てぃ手布(ティサジ)むちゃぎりば、早舟(ハヤフニ)ぬ習れや一眼(チュミ)ど見ゆる」という有名な恋歌があり、上り口説や下り口説にも三重城は出てきます。昔は、見送り・出迎えの場所だったようです。