彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

沙沙貴神社のなんじゃもんじゃ

2016年05月07日 | 史跡
五月の中頃になると、近江八幡市安土町の沙沙貴神社で「なんじゃもんじゃ」の木がみどころを迎えます。

「なんじゃもんじゃ」というのは特定の木の品種に付けられた名前ではなく、神社などの神域や霊域で神秘に満ちた樹木に付けられた呼び名だったそうです。
この場所も、近江源氏佐々木家発祥の地という神秘的な霊域になります。



ちなみに、「なんじゃもんじゃ」と呼ばれる樹木は、楡や菩提樹・楠などがあるそうですが、一番多いのは一つ葉田子(ヒトツバタゴ)のようで、沙沙貴神社も一つ葉田子です。





見上げるような大きな木に、季節外れの雪が積もったように白く花が咲くと、古人の「あれはなんじゃ」との驚きの声が聞こえてきそうですね。



・所在地 滋賀県近江八幡市安土町

直親かくれ岩

2016年05月07日 | 史跡
旧鳳来寺街道の峠から少し道を外れると、直親かくれ岩という案内を目にします。
確認は不十分ですが、たぶんここはまだ浜松市の内に入っていると確信が持てるくらい仏坂古戦場からは近く感じました。


井伊直虎の許嫁であった井伊直親は、井伊家家老の小野和泉の讒言で父直満と叔父直義が今川義元に殺されてしまいます。
義元は、9歳だった直親(亀之丞)も殺すように命じますが、井伊家当主だった井伊直盛(直虎の父)は、今村藤七郎一人を従えさせて密かに井伊谷を脱出させたのです。
12月下旬の寒い逃避行で、目的地は信濃の伊那郡市田村の松源寺でした。ここは直虎の大叔父である南渓和尚の兄弟子が住職を務めていたのです。
その逃避行の時に直親がかくれた岩とのことでした。

峠から少し上ると、岩がたくさん見えてきます



その中に、人がかくれそうな岩がありました。



直親の逃避行は年をまたぎますので、このような場所に隠れて冬の寒さをしのぎ正月を迎えたのかと考えるとこちらまで緊張してきます。

ただし、少し疑問に思うのはここは直親の逃避行ルートからは外れている気がすることです…
同じように父を殺されて逃げることになる直親の息子の直政(虎松)ならばしっくりと来るのですが、直政のかくれ岩ではないのでしょうか?


・所在地 静岡県浜松市北区引佐町伊平