彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

桶狭間古戦場訪問1 鳴海城

2016年05月13日 | 史跡
桶狭間の戦い関連の史跡を幾つか巡りましたので、その訪問記。
まずは、鳴海城。

桶狭間の戦い以前から今川義元は尾張に工作を行っていて、いくつかの城や武将が今川方についています。
その中でも特に大きな寝返りとなったのが鳴海城主山口教継でした。教継は今川方に寝返った後で大高城を攻略し、今川家の戦線が一気に尾張に食い込むきっかけを作ったのです。
そして鳴海城に今川方の重臣である岡部元信を迎えました。

しかし教継自身は、義元に呼ばれて駿府に出向いたときに息子の教吉共々自害させられるのです。織田信長の計略だったとも言われています。

桶狭間の戦いのとき、鳴海城は岡部元信が守っていて、周囲は信長が造った丹下砦・善照寺砦・中島砦に囲まれていました。
義元が討たれた後も抵抗を続けますが、信長に義元の首と交換で開城することを交渉し、信長がこれを受け入れて義元の首を受け取って堂々と城を出て駿河に帰国したのです。
その後、鳴海城には佐久間信盛・信栄親子が入りますが、天正期の間に廃城になったとされています。


・現在は公園になっています


・公園から道を挟んだ向かいの鳴海神社に石碑などがあります








・遺構として近くの東福院の山門が移築建物と言われています




現地に立つと、平地の中で急に岡のようになった部分に城跡があり、見渡しの良いという中世城郭の一番重要な要素を抑えていた場所であることがよくわかりました。桶狭間の頃はこの麓まで海が迫っていたとのことでしたので、交通の監視拠点であったとも考えられます。
ここを取られたとき、織田信長がどれほど焦ったかが想像できそうな場所です。


所在地 名古屋市緑区鳴海町
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする