彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

『MEET三成展』

2016年05月15日 | イベント
4月29日からプレイイベントが行われていた『MEET三成展』の本イベントが、5月14日より始まりました。
彦根・米原・長浜のメインとなる3つの会場があります。

〇彦根会場
大河ドラマ『真田丸』の展示を中心に行われています。
有名な「大一大万大吉」の旗印は大一の下に大万が左側で大吉が右側に書かれていますが、有史以来日本語の縦書きで左から書く書き方はないのでおかしいと思っていましたし、何度かその疑問を有識者にぶつけたことがあるのですが、彦根会場の旗印は大万が左側のものになっていました。
この旗印なら納得できます。

なお、彦根会場はほとんどの場所が撮影禁止です。

〇米原会場
石田三成の三献茶でゆかりの観音寺が会場になっています。3会場で唯一三成と関係がある場所です。
当時のお茶碗を再現した物が展示されています。

観音寺に来られた役者さんのサインのコピーや、歴史アイドルの小日向さんや歴史芸人の長谷川さんのコメントが見れます。
 
三成公への手紙ということでハガキが用意されていましたが、このイラストならば欲しい方も多いと思います(持ち帰りOK)

飴もいただけます

ここでは三献茶の体験として、お茶をいただけます(無料)

お茶菓子として『三成めし』の一つである「三献のcha」と「レアな三成」が販売されていますので「三献のcha」の抹茶味(180円)をいただきました。

帯の丸の中に「大一」と書かれていますが、他の2つの味にもそれぞれ「大万」「大吉」と書かれているという心憎い演出がされています。
管理人が訪問した日には三成タクシーも来ていました。


〇長浜会場
黒壁スクエアーの中の曳山博物館のすぐ近くにあります。
3月の東京のイベントで山本耕史さんが書かれた「大一大万大吉」が展示しています。

空き缶で作った武将の兜もありました


今回の展示に合わせてスタンプラリーも行われています

3会場のスタンプを集めると先着5000名に、山本耕史さんの字を使ったクリアファイルがもらえます。

そして、3会場以外に三成ゆかりの場所9か所(彦根と米原は各2か所、長浜は5か所)のうち、各市2か所ずつの6か所のスタンプを集めると景品が当たるかもしれない応募用紙がもらえます。

期間は11月30日までです。


MEET三成展の会場3か所と、ゆかりの地9か所のうちの時間がかかる竹生島以外の8か所を14日と15日で訪問してみました。
まだ始まったばかりですので、一部の会場以外はそれほどお客さんも見かけなかったようにも思います。今回のイベントで特に力が入っているのは米原市です。上記しました通り3会場では唯一三成ゆかりの地での開催であることも大きいとは思います。
ゆかりの地のスタンプポイントである松尾寺では、三成めしとして和食が3食とスイーツが1食楽しめます。今回は時間の都合で食べることができませんでしたが、ここの料理は以前に食べたときにすごくおいしかったことを覚えていますので間違いないと思います。今回のために特別価格で提供しているとのことでした。確かに醒井楼(松尾寺のお店)さんの料理としては破格です。期間中に必ず食べに寄りたいと思っています。

三成めしは今回のイベントのメインの一つになるであろう食の三成イベントで、スタンプラリーの冊子に紹介が載っているので必見です。
今回は彦根のもので何度かメディアにも取り上げられた四季葉さんの「三成勝丼」を紹介

話題の三成顔のウズラの卵もありました



3会場
 ・彦根会場 彦根市金亀町 彦根城の開国記念館
 ・米原会場 米原市朝日  観音寺本坊
 ・長浜会場 長浜市元浜町 湖北観光情報センター

桶狭間古戦場訪問3 大高城

2016年05月15日 | 史跡
桶狭間の戦いにおいては広がった戦線の一つでしかないですが、のちの日本史から見れば重要な場所となるのが大高城です。

もともとは織田信秀に従っていた水野忠氏の居城でしたが、鳴海城の山口教継が今川義元に従った後で教継に攻め取られたのでした。
義元は朝比奈輝勝を城代に任じます。これに対して織田信長は鷲津砦と丸根砦の二砦を築いて大高錠を包囲させます。
桶狭間の戦いの前、鵜殿長照が織田勢を抜けて大高城に入り、桶狭間の戦いの前夜には松平元康(徳川家康)が兵糧の運び入れに成功し、そのまま大高城内にとどまって丸根砦を攻撃し、義元本隊の到着を待つことになったのです。
これが、元康の運命を大きく変えることになりました。本来なら最前線に回されたはずであったのが、今川勢の本陣が壊滅したために前線は主戦場から離れていて、大高城に桶狭間の戦いの報告が届いたときには義元の首は取られていたのです。

この後、元康は岡崎城に戻り、大高城は信長のものとなりますがすぐに廃城になったのです。

子どもの頃に読んだ歴史漫画では、元康の兵糧入れで平城に運び込んだような絵があり、大高城は平城だと思い込んでいました。
しかし実際には小ぶりな山に築かれた平山城であり、近づくためには車一台が通るのがやっとのような道が続きました。
やっとのことで近くまで行き、城郭に入ると広い本丸と二ノ丸の曲輪がありました。







・土塁も



・堀切?

・本丸にはお社や石碑があります





ここが歴史の分岐点の一つであるのに、静かに守られている気がしました。


所在地 名古屋市緑区大高町