まどみちおさんがお亡くなりになったとニュースで知りました。
まどさんといえば「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」など、その詩にふれないこどもたちはいないと言って良いくらいに親しまれた方です。純粋で、生き物への共感に満ちた言葉にはっとさせられます。まどさんを偲んで、もう一度詩集を開いてみたいと思います。どうぞ安らかに。。。。
まどみちおさんがお亡くなりになったとニュースで知りました。
まどさんといえば「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」など、その詩にふれないこどもたちはいないと言って良いくらいに親しまれた方です。純粋で、生き物への共感に満ちた言葉にはっとさせられます。まどさんを偲んで、もう一度詩集を開いてみたいと思います。どうぞ安らかに。。。。
昨年、見よう見ようと思いながら結局見損なった映画「そして父になる」。息子が出生時に病院で取り違えられたことを何年も経ってから知り、それぞれの家族の煩悶を描いた佳作と聞いています。私が今回見た映画「もうひとりの息子」も、まさにその「病院取り違えの悲劇」が題材となっていますが、その取り違えられた二つの家族が、イスラエルが建設している壁で隔てられたイスラエルとパレスチナの子の取り違えであったことから、より一層過酷な状況に立たされます。
このようなシリアスなストーリーですが、とても重いテーマながら(というか重いテーマだからこそ)、人間は苦しい中でもこのように賢明に生きることができるのかという希望ある作品となっており、私が近年見た映画の中でも(というほどの数を見られていないのが残念ですが。。。)出色の名作だと感じました。
この作品の中でもやはり大きな存在なのは、二人の母です。おそらく後々の経験から育っていく「父性」と違い、「母性」はもう先天的なものであり、ずっと育てて来た息子が変わらず可愛いのは勿論のこと、今現在たとえどのような状況にあろうと、自分のお腹を痛めた子はやはり「もう一人の自分の子」として受け入れずにはいられないのでしょう。事実を知り、できればそこから目を逸らしたい父親たちと違い、現実的にお互いを見つめていく母親たちの強い愛情は、神々しささえ感じられます。
信じてきたアイデンティティの喪失に苦悩しながらも、「自分がいるはずだったかもしれない」家庭を知りたいという欲求もあり、交流していく息子たち。イスラエル側で育った息子が、いわば土地を追われた側の民族であるパレスチナ側の家族をたった一人で訪ねたときのこと。これから見る方々のために詳しくは述べませんが、頭で理解しても気持ちの上でついていけないパレスチナの男たちが、その息子のある行動で、わだかまりが氷解していくシーンがあり、それはとても美しく感動的で、見る人の胸をうちます。
壁をつくるという愚かな行為に走るにも人間なら、この二つの家族のように、苦しみながらも光を見いだすことができるのも人間。一日も早くパレスチナに平和が訪れますように。一人でも多くの人に見て欲しい映画です。
さて、無事山形市内に戻ってきたわけですが、何しろこの大雪です。いくら何度も停めている駐車場といえどあまりに状況が違います。そこでジェントルマンな茂木氏は、ここで「さよならー」と放置せず、我が駐車場までついて下さったのでありました。
この判断、大変大変助かりました。なぜならこの最終目的地、駐車場こそ、今回の旅の最難所だったのです。何が起きたか?まあ想像つくかもしれませんが、、、積もった大雪のため、駐車場の入り口付近で、我が愛車がスタックしてしまったのです。
もう押しても引いても微動だにしません。力のある茂木氏にしてそうなのですから、どれほど手強いか想像がつこうというものです。雪かきをしても毛布やマットを敷いても、タイヤは空しく空回り。
「うーん、これはとりあえずJAFですかね。。。。」と、慌てて車の書類の中からJAFの連絡先を探し出し、まずは電話。その間、たまたま出かけるために駐車場にいらした女性と騒ぎに気付いた大家さんが加勢して、目の前で車を押して下さっています。
電話に応対して下さったお兄さんは大変親切で、駐車場の場所も満足に説明できない私に手際良く質問で誘導して下さいます。さすがプロ。しかし、残念ながらその時JAFは引っ張りだこの大忙し。やはり似たようなトラブルで、救援要請がひっきりなしなのでしょう。
「うーん、すみません、今たてこんでおりまして、、、そこまで行くのにあと1、2時間はかかってしまいます。」
なんと。。。。車を押して下さる皆様を目の前に呆然としていると、「とりあえず携帯の番号を教えてくださいますか?」というお兄さんの声が聞こえてきて、慌てて我に返ります。
「あ、ハイ。080-◯×△、、、」と言いながら、ん?この番号は確かに記憶にある番号だけど、何かが違うような、、、?
何とその時私が口にしていた番号は、以前使っていた機種の電話番号だったのでした。言い訳ですが、ちょっと似ているのですよ、最初の4桁が。そして違う!と気付いた私は半ばパニックに陥り、完全に現在の番号がとんでしまい、「アレ?えーっと。。。(沈黙)」という、全く使えない状況に。こちらの様子を敏感に察したお兄さんは、「こちらに登録されている番号は080-×◯☆・-。。。。」と続けて下さり、そう、それですそれですと同意する私。穴があったら入りたい。。。。
こうして事態の進展しない電話を終え、私も車押しに参加。しばらくすると。。。。なんと!!ずずずっと、車が動いたではありませんか!ヤッター!!!危機脱出!!!!ああ皆様、寒い中本当に本当にありがとうございます!!!!!
こうして私はJAFにキャンセルの電話をかけ(今度は違う方だった)、茂木氏はつつがなく私の代わりに駐車してくださり(平時と違い、入り口からバックでないと入れなかった)、長いながーい一日が幕となったのでした。最後の最後まで、人の優しさが身に染みた旅でございました。また体験したい、、、とはあまり思いませんが(笑)、若葉マークドライバーの貴重な経験として、私の記憶に深く刻まれることでしょう。(了)
さて、いよいよ復路。外は夕闇が色濃く迫っています。はあ、もう疲れた、、、(まだほとんど進んでいない)。ここは何としても、次の休憩で替わっていただこう。
「次の休憩はどこですか?」「うん、帰りは尾花沢だね。」。。。。あれ?尾花沢のみ?行きは三回あったのに、帰りは一回?行きより疲労度高いのに何故??
「大丈夫だよー。もう初めての道じゃないし!」いやいやいや、そういう問題じゃないでしょう!と思ったものの、後ろの茂木氏と中爺氏は打ち合わせ済みなわけですから、今更どうにもしようがない。はー、もう知りませんよ、、とアクセルを踏む私なのでした。
疲れた時の私の運転はどうなるか?注意力が散漫になる。それもそうですが、一番わかりやすい変化は「遅くなる」。スピードを出す事に多少の恐怖感を抱いている私は、疲れてくると、自然と自分の心地よい遅めのスピードになっているのです。ああ、これ演奏にも通じるかも。。。。
気がつけば私の後ろには車の行列。注意されてちょっと頑張って走るのですが、しばらくするとまた元に戻ってしまい、一体何台追い越されたことか。。。しかし今になって思えば、私のノロノロ運転につきあう中爺氏と茂木氏の忍耐力たるや相当なものです。普通に一人で走っているのに比べ、何倍も疲れるはず。しかも帰宅時間がどんどん遅くなるわけで。この愛、涙が出るほどありがたい、、、けど、疲れた体には少々重い。ついに休憩地、尾花沢でギブアップ。おそらく多少の身の危険を感じたと思われる中爺氏(時々中爺氏が予測できないところで道を間違え、後ろの茂木氏にクラクションを鳴らされて注意される場面があった)、ここで快く交代してくださいました。しかも何故か、替わったとたん天気が少々崩れ、空からは霰が降ってくるではありませんか。ふぅー、間一髪です!?
ここから山形市内に中爺氏宅までの早いこと!尾花沢までの道のりはなんだったのか、と言いたくなるほどです。あっという間に目的地到着。ハレルヤ!
おやすみなさい、ありがとうございましたーと、めでたく長い一日が終わる、、、はずだったのですが、そうは問屋がおろさない大雪翌日の山形市。ここから茂木氏の最後の苦労が待っていたのでした。次回、涙なくしては語れない(?)最終回です(笑)。
長い道のりも、遅いながらも進んで行けば必ずいつか終わる。ありがたいことです。おかげ様で我々も、三度の休憩と一度の(当たり前ですが)昼食をはさんで、無事遊佐の会場へ到着。バンザーイ!!
道中は貴重な勉強の連続でした。山道の曲がり道では、手前でスピードを落とし入ったら加速すると安定することを体感。橋の中程で信号待ちをしている大型トラックを見て「なんでこんなところで止まっているのか」と問えば、「大型車が曲がってくるのに備えているからだ」と明快な答え。疑問はすぐにその場で解決。素晴らしき移動自動車学校でございました。
この果敢な(無謀な)旅を知っていた職場の数名は、「凄い!頑張ったねー。無事で良かったよ」と祝福と労いの言葉をかけてくださいました。「でも帰りは仕事の後だし暗いから、運転替わってもらった方が良いよ。慣れない道だしね。」そうですよねー。うん、そうだそうだ、帰りは是非中爺氏に運転して頂こう。そう心に決め、無事仕事を終えてから車へ直行。待っていた中爺氏は、何の迷いもなく助手席へ。「あのー。帰りは運転。。。。」「うん、頑張ってね。まだまだ行けるでしょ」
絶対後悔するぞ!!と心の中でつぶやきながら、帰途に向かったのでありました。
いよいよ遊佐へ向けて出発です。さすがに月山道などという暴挙には出ず、ルートは新庄まわりの一般道。途中体力と集中力を慮って、村山・尾花沢・戸沢で休憩を入れるという、いたれりつくせりのプランが練られております。
その出だしは快調、、、とは言い難い。道はでこぼこ、至るところに雪の山。神様仏様、どうぞお守りくださいませ、と、こういう時だけ神頼み。まごつきながらも、中爺氏の適切なアドバイスで、なんとか山形市内を進んで行きます。
「あー、車線変更の準備して、前に除雪車いるから。早めにね」
なんと、、、そんなこと言われても車続いてるし。オロオロしていると、後ろの茂木氏がすかさずウィンカーを出し、早く入りなさいと待ってくれているではありませんか。ナイスフォロー!演奏でも先を読む力が卓越していますが、こういうところにも出るものなのですね。茂木氏の青い車が光輝いて見えました。「さすが茂木くんだねー」と唸る中爺氏。これ、自力で出来る日はいつになるのか。。。。
しかし主に大変だったのは山形市内で、市内を抜けると除雪も行き届き、道も広くスムーズです。流れも良くなり、やれ一安心と思っているとすかさず中爺氏から「もっとスピード。後ろの障害物になっているよー」障害物。。。。どうせ障害物ですから抜いて行ってくれたら良いんです、と開き直ると、「あまり遅いのは無理な追い越しをかけられて却って危険なんだよ」。そうですか。。。。こう理論的に諭されると何も言えません。
途中休憩の道の駅で、運転の注意点を拝聴。「目が近目になってますね」よくおわかりで。つい近くが気になってしまうのですよね。「遠くが見えていれば一緒に近くも見えるはず」。ハイ、ガンバリマス!!頼もしき二人の先生のサポートで、遅いながらもなんとか順調に旅は進んだのでした。
さて、決行当日。とりあえず雪は止んだようなので、ひとまずは中爺氏自宅前まで行ってみようということに。
前日車の雪下ろしはしておいたので、発車の準備には大した手間はありませんでしたが、いかんせん駐車場に積もった雪が凄い。とりあえずどけられそうなところだけ軽く除雪、後は強硬突破。大丈夫かしら、これ、FFなんだけどな。。。。
中爺氏宅まで行くのがひと苦労、何しろ道の悪いこと!除雪車がまるで機能していなかったと見え、近所の人が人海戦術でスコップ片手に奮闘しています。お疲れ様でございます、でもお願いだからこっちに来ないでね、と祈りながら運転する私。
早めに出た甲斐があり、予定より十分ばかり早く到着。しかししかし、、、どこに停めれば良いのか?どこもかしこも雪の壁、いつも停めていたところに入れない。場所を探して徘徊し、近所を一周してしまいました。もうここで良いや、と、適当に通行の邪魔にならなそうな所に停めて中爺氏に電話、すぐに茂木氏も到着です。
「ライブ映像で確認したら、天童から先は問題なさそう」「山形市内が一番除雪できていないんだよ。ここまで来られたなら大丈夫!行ってみよう!」
。。。。そうなんですか?後悔しても知りませんよ、、、
出発の際、「実は駐車場を出るとき結構大変だなって思ったので、まだ傷がない内に『駐車場から動けません』っていうことも考えたんですけどね。」と告白。「良かったね、弱い自分に勝って」と中爺氏。その台詞は、無事に帰ってきてからにして下さい、と心の中でつぶやく私。こうして旅はスタートしたのでした。
私が「免許を取った」という報告を友人にすると、「やったね、おめでとう!」という反応の一方で、「えー、大丈夫?」という反応をさりげなく示す方も稀にいらっしゃいます。まあそれも仕方ない。何と言っても、自分が一番自分の腕に疑問を持っているのですから。
そんなわけで、せっかく取得した免許ではありますが、私の行動範囲が驚異的に広がった、、、、ということはありません。せいぜい行けるスーパーの数が増えた程度。まあ山形Qの練習に自力で行けるようになったのが、私にとっての大躍進なわけですが、そんな所で満足している私を幾分歯がゆそうに眺めていたのが、ほかならぬ山形Qのメンバー。つまり「せっかく山形には面白いところが沢山あるのだから」ということです。いや、わかってますよ?わかってますけど、ねえ、外は雪ですしね(遠い目)。。。。。
そんな私にらびお氏が一言。「一度思い切って遠出すれば良いんだよ!自信つくよー。ホラ、今度のモーツァルト公演で遊佐があるから、その時車で行ってみれば良いんだよ」
ユザ、、、遊佐??それってほとんど秋田の、あの遊佐???無理!絶対無理!!何考えてるんだこの人は!!!しかしそれを聞いた中爺氏、茂木氏も大賛成。「それは良い!」「是非そうするべき!!」さすが山形Q。あの無謀な年間活動内容は、この蛮勇といっても良いチャレンジ精神に支えられているのだと、痛感致しました。
そして遂に、隣に中爺氏に乗って頂き、後ろから茂木氏がご自身の車で後ろからついてきて下さるという万全のサポート態勢が敷かれ(言い出しっぺのらびお氏は大江在住のため関わらず)、この無謀とも思える旅計画「チーム山Q遊佐遠征」がスタートしたのでした。しかし旅の前日は日本列島を襲った大雪。行くか?やめるか?結局当日の状況をみて判断しよう、ということになったのでした。(次回に続く)
ソチオリンピックが盛り上がっています。昨夜は男子フィギュアスケートSPで、羽生結弦選手が史上初の100点越えという快挙を成し遂げました。数多のメディアの中でも、すでに一流のアスリートとしての姿勢を見せていた羽生選手、難度の高いジャンプも全て完璧にこなし、圧巻の演技でした。
中継は真夜中でしたが、私はつい生で見てしまいました。だってやっぱりこういうものは、結果が分かってからVTRを見るよりも、リアルタイムで応援したいではありませんか。今回のような歴史的瞬間は、やはり同時に喜びたい。ライブが一番、これは演奏でもスポーツでも同じです。(もっともオリンピックは、なかなか生というわけにはいきませんが。。。)
今日はフリー、いよいよメダルの行方が決まります。高橋選手、町田選手ともに皆メダル圏内。やりきったと思える演技をして欲しいなと思います。こちらもリアルタイムで応援したいところですが、、、さすがに本番を控えた身では難しいかな、、、、この時期悩みは尽きません。
今日は松崎しげる氏とのコンサートでした。この年代まで一線で活躍されてきた方というのは、さすがにパワーが違います。お客様を一瞬で松崎ワールドに連れ去り、皆様大満足で会場を後にされていました。
ところでさすがに今のところ、本番の日には車に乗ることはありません。というか、本番の日まで出かけたいところがない、というのが適当でしょうか。だって本番の前はそんな余裕ありませんし、本番の後くらい家でのんびりしていたいではないですか!
しかし今日は、本番の後にも関わらず駐車場へ。出かけるため、、、ではなく、発掘作業をしておくためです。
昨日首都圏を直撃した寒波はそのまま北上、山形では別に驚くにあたらないレベルですが、コンコンと雪が降り積もり、駐車場にたどり着くと、マイカーは30cmはあるのではないかという雪の毛布にくるまれておりました。
とりあえず黙々と車から雪をおろし、周辺のスペースをせっせと雪かき。良い運動になりました。
ふと周りの車を見渡せば、どの車も雪などなく、今しがた走ってきました、といわんばかりのこざっぱりとした様子。中には完全に雪がおろされていない、ざくっと簡単に雪下ろしだけしました、という感じの車もありましたが、「完全に放置」されていた車は見当たりません。皆様きちんとお世話しているのですね。それとも毎日乗るのが普通なのか??冬の日々は体力勝負と実感しました。
今日は首都圏も20年ぶりの大雪だったということで、ニュースは専らソチ五輪とこの天気の話題が中心でした。
それによると、我が故郷千葉では、30年前の大雪に匹敵する積雪量になるのではないかとのこと。この時の雪はよく記憶しています。なぜなら、札幌から千葉に引っ越した最初の冬だったからです。あらかじめ「千葉は札幌のように雪は降らない」と教えられていたので、「なんだ、こっちもこんなに降るんじゃないか!」とびっくり。せっせとかまくらをつくって遊んだのでした。
こどもの頃は単純に楽しいだけの雪ですが、大人になると通勤も不具合が起こるし雪かきもあるし、喜ばしいことよりは大変なことが多いもの。皆さんくれぐれも足下には用心して、この気候を乗り切って下さいませ。
いよいよ冬季オリンピック、ソチ五輪が開幕です。あと数時間後に開会式ですが、既にいくつかの競技は始まっています。
数多の注目競技がある中で、私が最も楽しみにしているものの一つはフィギュアスケート。昨夜も「体調管理のためにも早く寝なければ、、、」と思いながら、今年から始まったフィギュアスケート団体競技予選の男子SPが気になって、結局見てしまいました。だっていつもなら布団に入ったら30秒以内には睡眠に入っているのに、昨夜はやはり結果が気になってか、体は疲れきっているのに脳が活発に動いているようで、五分くらいたっても眠れなかったんです(それくらいなんだという声が聞こえてきそうですが。。。。)。「これはもう、神が見ろと言っているに違いない」と思い、心置きなくテレビに向き合いました。大舞台、アウェイの雰囲気の中披露された羽生結弦選手の完璧な演技を見て大満足、その後は床につくや三秒で眠ることが出来ました。めでたしめでたし。
ちなみに私が山形にきたのは、前回バンクーバー五輪が終わってすぐのこと。もうじき丸四年が経つと思うと感慨深いです。寝不足に気をつけつつ、今年も選手たちから沢山のパワーを頂きたいと思います。
雪です。恐れていた雪が遂に、、、、って、これまでが降らなすぎだったのですが。
そして今日は山形Qの合わせ。自力で運転して行かねばならないわけですが、何と!まるでこの天気を予想していたかのように、たまたまですが本日は中爺氏に同乗していただけるようお願いしていたのでした。ありがたや!
ここのところずっと一人で練習をしていたのですが、正直下手な人が一人で黙々と練習していて上手くなるとはとても思えません。自信がつくでもなし、勝手に思い込みで悪いクセがついていくだけではなかろうか、、、と悶々としていたのでした。
早速小雪ちらつき、薄く雪の積もった道を走ってマンション前にお迎えに。
「おお、無事来れたね!」。。。まあ一応は。しかし「当然です!」と言えないところが悲しい。
「ところでここに止めていて良かったですかね?」「うーん、あまり良くはないね。」。。。。やはりそうか。そんな気はしたのです。前途多難。
しかしこの天候でアドヴァイザーが隣にいるのは実に頼もしい。
「橋の上は凍り易いからゆっくりで」そうなのか!
「なんか直線は遅いのにカーブはきちんと速度落とせてないよ?」おっしゃる通りでございます。
雪の下り坂で。この場合はブレーキ?「まずオーバードライブをオフにして」は?オーバードライブ?なんか最近聞いた気はするけど何だったけ。。。あ、車のトリセツに書いてあったような。「。。。高速教習で使わなかった?」。。。記憶にございません。。。。。
こんな調子でようやく目的地に到着。私、一人でたどり着けたのだろうか。。。。
帰りはなんと、後ろから茂木氏が見守りながらついて来て下さいました。お陰さまで私のノロノロ運転が煽られることもなく、何とありがたい。後ろに茂木氏、隣に中爺氏、らびお氏は方向が違いますが、これで前にらびお氏がいたら完璧、、、何て、さすがにこのスピードでは引き離されて終わりでしょうけど。演奏中でも演奏外でも、いつもあたたかい皆様なのでした。このご恩はいつかお返し致します!