このところ、自分の記憶力が以前よりも衰えたと感じることが増え、危惧していたのですが、、、先日、ヒヤリとしたことがありました。自宅の郵便受けは、数年前からダイヤル式になっているのですが、何とこの数字を度忘れしてしまったのです。
もう何年も何も考えず開けており、3つの数字も特に語呂合わせがあるようなものではなかったのですが、たった3桁ということで完全に油断して、「メモするまでもない」くらいの感じで、書類もどこかに放置していたくらいです。まさか度忘れするとは。。。。
結局「これだったような気がする。。。。」というものを何種類か試し、その中に正解があったので良かったですが、人の名前と違って、思い出した途端「これが正解だ!」というスッキリ感が全然ないのです。「コレだったかな?いやアレだったか。。。?」みたいな。やはり意味のない暗号のようなものだと「正解に辿り着いた」感が出ないのでしょうか。ダイヤルを回す方向は、手が覚えていて助かりました。
「手が覚える」というのは変な言い方ですが、難曲を猛練習していると、大変なパッセージは「勝手に指が回る」みたいになることがあるのです。それなら安心ですね、と思われそうですが、そうではありません。そういうものほど危ないのです。今回のように、何かの拍子で(例えばちょっとポジション移動でひっかかったとか)突然止まってしまうと、真っ白になってしまい、続けられなくなったりする危険を孕んでいるのです。なので、手に頼らず、ちゃんと脳に記憶として刻むことが大切です。「手で覚える」というのは、個人的には、小学生の時にノートにびっしり書いた「漢字練習」に似たようなものを感じます。
さて、話は変わって今週末は定期演奏会。指揮者に原田慶太楼氏、ピアノソロに阪田知樹氏という二人の若き俊英をお招きして、小田実結子氏の新曲(世界初演)と、ドヴォルザークのピアノ協奏曲と交響曲「新世界」をお届けします。以前から感じているのですが、ドヴォルザークの曲は、初めて聞く曲でもなぜか「懐かしい」と思うことがよくあります。おそらく、望郷のような、人の普遍的な記憶を喚起する力が強いのではないでしょうか。小田氏の新曲も、そういうものになりそうな予感があります。楽しい記憶の1ページになれるよう頑張ります。