自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

秋の“虫の目”写真(10)

2015-11-20 | 随想

同じ河川敷にて。

葉の上にオンブバッタが。ずっと向こうを見つめている雰囲気がしました。そんなに具体的に見えているわけではないのですが,いかにもそんなふうに思えるのがこの種の写真のおもしろいところ。橋と,対岸道路のガードレールとが一体になって白い弧を描いています。空も山も,向こう岸も水面も,目の前の草々も,すべて環境を構成する大切な要素です。 


近くで,釣り人が糸を垂れていました。風のほとんどない午後です。 


穏やかな秋の日差しがバッタを照らします。自然はすこしずつ,秋から冬に動いていきます。こんなふうにして,まだまだ自然模様をていねいに記録していこうと思っています。  

 


秋の“虫の目”写真(9)

2015-11-19 | 随想

セイタカアワダチソウには,このほか,いくつかの昆虫が訪れていました。

いちばん目立ったのはツマグロキンバエ。なかには,一房の花に10匹も! なかまをちゃんと認識しているようで,なかまが懸命に吸蜜しているときは自分も同じように,危険を察知したら一斉に飛び上がる,そんな感じです。写真から,のどかな雰囲気が伝わればいいのですが。


ツマグロキンバエが群れているところに,やって来ていたのはツチバチのなかま。からだは剛毛で覆われています。しかし,先客のキンバエたちは恐れることなく,遠慮することなく,ごくふつうの様子。なかよく同居しているって感じです。


遥か上空を,ジェット機が雲を残して消えていきました。

自然は足元に開けています。 ちょっと扉を開けば,思いのほかゆたかに広がっていることが理解できます。観察者のゆとりが,ゆたかさを写しとる鏡になります。 

 


秋の“虫の目”写真(8)

2015-11-18 | 随想

河川敷にて。

秋が深まります。野山が色づいて,木々が葉を落としかけています。カキの実が熟して赤くなり,葉がゆたかな色に染まってちらちら落ちます。

そんな秋の昼下がり,虫の目レンズを持って川面の傍に立ちました。そこにはまだセイタカアワダチソウが名残り惜しそうに咲いていました。先端はまだ蕾。よほどゆっくり成長していると見えます。

勢いよく咲き誇る花には蜜がたっぷりあるようで,昆虫たちがたくさん訪れていました。ひと際目を引いたのがキタテハ。吸蜜の懸命さは真に立派としかいいようがありませんでした。わたしが近づいても,レンズを1cmにまで近づけてもまったく気にかけていない様子なのです。

秋の空を背景に川面も入れて撮ったのが下写真です。 

 
ゆっくり移動しながら,それでも夢中になって蜜を吸っていました。お蔭で,三脚を使ってじっくり写真に収めることができました。対岸の堤防が大きな弧を描いています。山並みも加わると,なんだか雄大さが際立ちます。なんだか,これらの景色がタテハの眼に見えているような感じさえ。


時間をかけて構図を決めながら撮れるって,ありがたい,ありがたい。キタテハからのプレゼントなのかもしれません。自然となかよくするこころを失わなければ,こんな機会もあるのでしょうか。 (つづく)

 


秋の“虫の目”写真(7)

2015-11-17 | 随想

11月16日(月)。昼前のこと。

石塀にぶら下がっているツマグロヒョウモンの蛹の脇に成虫がいるのを発見。「あっ,生まれたんだ!」。ついつい,こころがわき立ちました。すでに翅が拡がっていたので,羽化後ある程度時間は経っているはず。しかし,まだ飛べる様子はありません。

すぐにコンデジを持ち出して撮影。


その後,虫の目レンズで記録。下写真はそのうちの一枚です。


成虫と蛹をしっかり取り込んで,さらに周りの環境もある程度わかるように構図を考えてシャッターを切りました。右下の虹は,このレンズ特有の光の干渉によってできたものです。

この構図からは,成虫が翅を拡げるためにこの空間を生かし切っているように思えてきます。静的な場面が,なんだか動的に見えてきます。「無事生まれてきてよかったあ」。観察者のわたしにとっても,うれしいコマになりました。

 


秋の“虫の目”写真(6)

2015-11-16 | 随想

11月15日(日)。

虫とそのくらしを,それが生きている環境のなかでとらえ直して考えてみるという視点は,殊のほか大事に思えます。わたしたちはえてして,自分の内なる目で虫という対象を眺めようとします。結果,単に環境を構成する一要素と受けとめるにとどまることが多いように思います。自分の目を虫の位置において,虫自身になった気持ちであれこれ想像できるのが人ならではの想像力というものなのですが,そういうことはまずしようとしません。できないというのが正直なところです。もちろん,わたしもです。

虫の目レンズは,こうした従来の目線を完全に覆してくれます。虫の目線に立って思い,考えることを助けてくれる強力な助っ人です。誰がこれを手にしても,予想外の世界が拡がり,驚異の世界に誘われるのではないでしょうか。

一昨日・昨日と二日続きの雨模様でした。雨が上がった今朝,ホトトギスの葉にルリタテハがぶら下がっていました。「早く羽化したい」と,うずうずしていたのかもしれません。

 


虫の目写真に残しておこうと思い,アゲハの庭園の遠景を入れて撮りました。タテハはなにを見ているのかわかりませんが,わたしを警戒している動きは見せません。落ち着いた感じです。翅が伸びているのは,羽化後,かなり時間が経っているからです。いつ舞い上がってもおかしくない様子です。

 
それから2時間後。まだ,そこにいました。ただ,前と向きが変わっていました。「これはいよいよ舞い上がる前だな」と直感。それで,虫の目レンズで狙うことに。すると歩いて茎を登り,上端に移動しました。


「さあ,舞い上がるよ」とでもいっているように思われました。翅を大きくふわふわっと広げて閉じて,そして広げた瞬間,すっと舞い上がりました。「さようなら」とでもいい残したかったのでしょうか,わたしの頭上を一回りして,そうしてゆっくり消えていきました。

この個体は,このまま冬を迎え,春を待ちます。アゲハの庭園で生まれたルリタテハには,元気に生き延びてほしいものです。

 


秋の“虫の目”写真(5)

2015-11-15 | 随想

昼休みのウォーキング道での出合いを一つ。

真っ直ぐに伸びる農道。両側に広がる田は,稲がほとんど刈り取られています。農道の土手は草が刈り払われあと,短く生え揃った草がずっと向こうまで続いています。その所々にカラムシが群落をつくっていて,そこにアカタテハが産卵期になると卵を産み付けます。

 
秋の今頃になると蛹が多く見られるのがふつうなのに,今秋はあまり見かけません。すこし前幼虫はたくさんいたのですが,蛹はさっぱり。たぶん,草が刈り取られたからでしょう。ということは,アカタテハの最大の外敵はヒトだということになります。

「それでも」という気持ちで,とりあえずは探してみました。すると,たった一カ所だけ葉が綴られて巣になっているところがありました。開けてみると,うれしいことに蛹がいました。白い体色をした,懐かしい蛹です。

 
「これは是非とも“虫の目写真”で画像に残しておきたい」と思いました。遠景が広がっていて,構図になりそうです。

翌日,カメラを持って行って撮りました。しかし,葉の下にある被写体を主役にしながら,環境を取り込むというのはなかなかむずかしいものです。幸い快晴の秋日和でしたが,蛹自体にはさっぱり光が当たっていません。垂蛹の格好をそのまま生かしながら,周辺の環境を入れるのに苦労しました。空も,山も,田も。そして,カラムシの群落も。それでいながら,主役を脇に追いやってはならないのですから。

 

 
結局,カメラを縦方向に構え,フラッシュを使って撮ることに。その一コマが上写真です。撮ったときのわたしの姿勢は,道路に腹這いになった格好です。

こうして撮った画像は一枚一枚が掛けがえのないそれぞれです。この一枚も秋の記憶として残り続けるでしょう。 

 


秋の“虫の目”写真(4)

2015-11-14 | 随想

虫の目レンズのようなレンズを使うのは,やはり晴れた日がいちばん。さらに,光量がたっぷりあれば申し分ありません。

観察中のツマグロヒョウモンの蛹を撮りました。遠景の青空をジェット機が飛行機雲を残して飛んで行きました。惜しいことに,わずかに死角になって写っていません。


アゲハの庭園で。白菊にアカタテハが訪れていました。下から見上げる姿勢で撮りたいと思いました。そんな姿勢になっている間に,さっと逃げられてしまいそう。それで,カメラを突き出してレンズ先を見ながら適当にシャッターを切りました。何枚か撮ったうちの一枚です。雲や花弁の白さが清潔感を演出している感じがしますが,いかがでしょうか。


参考までに,コンデジで撮ったコマをアップしておきます。


田には,刈り取った黒豆が逆さにして干してありました。茎の切り口にはオンブバッタが。仰向けになった姿勢が,見事な弧をつくり出していました。この写真もレンズの先端を見ながらシャッターを切ったものです。なにしろ,バッタとレンズとの距離が1cmなのですから。バッタがレンズに触れてはたいへん!


背景が青空だと,写真全体が清々しくて,引き締まった感じがします。

 


アゲハの庭園にて(6)

2015-11-13 | ルリタテハ

10月24日(土)。午前7時。静かな朝です。庭園にある生ゴミポストにゴミを捨てに行ったついでに,ホトトギス群落を見ました。すると,ちょうど成虫が1頭生まれていました。


カメラを持ってきて撮影。写していると,歩いて移動。翅を広げました。すると,表面の瑠璃色が覗きました。優雅! 


10月27日(火)。午前10時30分。葉裏の垂蛹から羽化した成虫が,殻につかまってぶら下がっていました。


10月28日(水)。午前8時。枝を覆ったビニル袋にとまってじっとしていました。どこかから歩いてきたのでしょう。


11月10日(火)。午後3時30分。葉裏の蛹が羽化。木枯らしが吹くなか,出た成虫が下方向を向いて静かにしていました。


これでもか,これでもか,といった感じの羽化ラッシュ。観察できるのは真にラッキーなことです。羽化場面を激写できれば申し分ありませんが,その瞬間だけは前もって読めません。 

 


イチジクに感謝

2015-11-12 | 随想

今秋は,我が家にとって実りの秋でした。カキはもちろん,イチジクもスダチも,さらにはキンカンもという具合なのです。

イチジクは2種をそれぞれ一本ずつ植えています。それがほんとうに豊作でした。生食にしたり,煮てジャムにしてパンに付けたり。もう申し分のない味覚でした。これぞ,自然からの贈り物だなあと感謝しています。

そのイチジクは季節が終わり,枝に残った実が今,昆虫たちに味覚をプレゼントしています。自然に割れた実から甘み成分が滲み出て,それを敏感にキャッチした小さな虫たちが訪れているのです。いちばん多いのはショウジョウバエ。


11月9日のこと。ホソヒラタアブがいることに気づきました。口吻を伸ばしてペタペタと舐めています。わたしに気づいていったん実から離れましたが,よほど魅力があると見え,舞い戻ってきました。

 


実に降り立つと,さっそく口吻を伸ばし,脇目もふらずに蜜を舐め始めました。そうしながら,すこしずつ歩くのです。 

 
実は熟しすぎているようで,カビが生えています。それでもエネルギー供給源として昆虫たちを引きつけているようです。

 
ホソヒラタアブより大きめのハチのなかまが登場しました。機敏そうなからだつきです。立派な長い触角で,この場所を嗅ぎ付けたのでしょう。果肉にバリバリと噛り付く口をしています。

 
ニクバエのなかまもやって来ました。堂々とした姿です。だからといって,ショウジョウバエが警戒している様子はありません。共存していることがわかります。


イチジクの木に実った実のうち,たった一個が裂けて,その存在をアピールしているのです。本来なら,実を種子ごと食べてくれる鳥や小動物を招きたいはず。昆虫たちは感覚器官を巧みに使って嗅ぎ付けました。極上のごちそうにありついているようです。

昆虫も我が家も感謝。 

 


探検活動 ~ターザンごっこ Ⅱ~

2015-11-11 | 随想

今日(11月11日)の二つめの話題です。


ターザンごっこの第2弾。活動内容は,裏山に登って,なんとかターザンごっこのできる枝を探してやってみようというもの。いよいよ本番です。

ノコギリ・鎌・脚立・ロープなどを持って,山に入りました。手頃な木が見つかればいいのですが。スギやヒノキの植林地ではなかなか適木が見つかりそうもありません。

途中,目敏い子がチャの花や山栗の実やらを発見。秋の風物詩を匂いながら進んでいきました。

尾根に入っても,やっぱり辺りは真っすぐな木ばかり。これでは丈夫な横枝は期待できません。そんななかしばらくして,ヒノキの大木が横枝をバアーッと広げ,すっくと立っているのが目に入りました。近づくと,なかなかよさそうな枝ぶりをしています。それで,この木にしようということに決定。

さっそく脚立に登って,上学年の子が必要のない枝を切り落としました。

あとは,順番にロープを「エイッ! ヤーッ!」とばかりに放り投げて枝にかける作業。結局,最後に回ってきたリーダーが引っ掛けるのに成功。

 
切り落とした枝を適当な長さに切って,それを足場用に使うことに。これで,ロープにしがみつくことができます。

これができて,一人ずつ順番にターザンになりました。斜面の上側にいる子がロープを引っ張って,揺らす係をします。「おもしろい!」「もっと揺すって!」なんて歓声が上がっていました。

 
参加したおとなも同じように,たのしさを味わいました。

ここは当分,群れ遊びの魅力を伝えてくれる空間になりそうです。