今日(11月11日)の第一話です。
10月20日(火)。午前10時30分。前蛹を1個体発見。
10月21日(水)。昼。羽化してしばらく経った成虫を発見。翅の瑠璃色がわずかに見えました。
同日午後5時。ホトトギスのすぐ脇にある植木鉢に成虫がとまっていました。近くで羽化して,ここまで飛んできたのか,歩いてきたのか,いずれかでしょう。成虫の向こう側に見えるのはジャコウアゲハの蛹です。
アゲハの庭園は変化が続きます。 こんな調子ですから,観察を怠ることはできません。
今日(11月11日)の第一話です。
10月20日(火)。午前10時30分。前蛹を1個体発見。
10月21日(水)。昼。羽化してしばらく経った成虫を発見。翅の瑠璃色がわずかに見えました。
同日午後5時。ホトトギスのすぐ脇にある植木鉢に成虫がとまっていました。近くで羽化して,ここまで飛んできたのか,歩いてきたのか,いずれかでしょう。成虫の向こう側に見えるのはジャコウアゲハの蛹です。
アゲハの庭園は変化が続きます。 こんな調子ですから,観察を怠ることはできません。
今日(11月10日)の第二話です。
10月16日(金)。前蛹で茎にぶら下がっている個体がどうやら蛹化しそう。
午前9時46分。からだがすこし動いています。
午前11時50分。2時間経って見てみると,大変化の直後。からだをくねくねと動かし,抜き終わった皮を落とそうと懸命になっています。しかし,落ちそうにありません。
午後3時48分。黒ずんできて,かたちも蛹らしくなってきました。脱いだ皮は,結局落ちませんでした。
10月17日(土)。午前7時。ほとんどの幼虫が蛹になっています。羽化が始まると,次から次へと,といった感じになるでしょう。前蛹の個体を一つ見つけました。外敵に襲われた個体は落下。外敵と思われる巣状のものがあとに残されています。中からは,なにも出てきていない模様。
この写真を撮って出勤。 一日,日本晴れといってよい快晴の秋日和。充実した日を過ごせました。感謝。
今日(11月10日)の第1話です。
わたしは,よほどツマグロヒョウモンに縁があるみたいです。
家を取り囲む村道の隅やら空地にスミレがあちこち散らばって生えていて,そこにツマグロヒョウモンの幼虫がたくさん育っています。秋晴れの心地よい陽が差す日には,スミレから脇のコンクリート壁・道に移動して日向ぼっこをしていることもあります。
そうこうしているうちに,スミレの数にしては幼虫が順調に育ちすぎて,多くの葉が平らげられた状態になりました。そうなるとしばらく,幼虫たちは葉柄にいてじっとしています。
なかには,引っ越していく個体もあるようなのですが,食草が見つからなければどうなるのかと心配します。近頃は花壇やプランターにパンジーやそのなかまが植栽されているので,そこに至れば餌に困ることはないでしょう。
わたしは,食草がなくなったら途端に困るだろうと思い,スミレを株ごと採集して素焼きの植木鉢に植えることにしました。それが11月8日(日)のこと。もちろん,そこに幼虫をおいてやるためです。ついでに観察もできます。結局幼虫は8匹になりました。まだいましたが,それらはそのままにしておきました。
11月9日(月)早朝。脱皮して残した皮が葉裏に引っ付いていました。
葉をばりばりという勢いで食する個体もいました。たくましい限りです。おなかが空いていたのでしょうか。
これらの幼虫たちはこのまま越冬するのではないかと思います。当分,目を離さずに観察していくことにしています。いずれ,続編を記事にしましょう。
庭にレモンの木が植えられている家を,ときどき見かけます。実が黄色く色づきかけているので,「ははーん,レモンだ」とわかります。その生り方は,とんでもないほどたわわです。
それに比べて,今年の我が家のレモンはダメです。春に咲いた花はほとんどが散り落ちてしまい,かろうじて何個あるんだろうかという程度の生り方です。
ところが,その後2回目の開花があって,それに結実の望みを託していたのでした。このことについては,当時記事にしました。あれから夏が過ぎ,実りの秋を迎えて,じつはびっくりする状況なのです。
期待どおり,どっさり生っています。ところが,最初の実と比べると,ぐっと小さめです。2回めの実は小さいときまっているみたいに,みんなが揃ってそうなのです。真にふしぎな現象です。それはともかくとして,これだけ生ったのは繁茂した葉が光合成によって養分をつくり,それが受粉に成功した実にどんどん運ばれていった結果なのでしょう。
熟したら,今年もまた知人にお届けできます。たのしみです。
つい先日のこと。そのレモンを見ていて,葉にアゲハの卵が付いているのを発見しました。一本の枝先に,なんと4個もの卵があるなんて! 卵は若葉に付いていました。産付するときに,アゲハにはその葉が幼虫に最適な餌になりうるとちゃんとわかっているようです。ほかにもないか,ちょっと探してみました。しかし,見当たりませんでした。
写真を撮っていて気づいたのですが,一つの卵に寄生バチが付いていました。小さいので,肉眼ではほとんどわかりません。卵を見つけて訪れた,その感度には驚かされます。といっても,ハチの大きさからすれば卵はずいぶん大きいので,案外見つけやすいのかもしれません。そう考えるのが順当な線でしょう。
さて,孵化して生まれる幼虫は冬を迎えるまでに蛹になるのでしょうか。注目に値します。
11月。人が住まなくなった空き家の庭。セイタカアワダチソウが威張ったような勢いで生えてきて,パアッと花が咲き誇っています。
黄色い花をめがけて,昆虫たちが訪れます。それを待ち構えて獲物にしようとしている昆虫がいます。ハバビロカマキリです。からだを花に埋め,葉の色とそっくりのからだで訪花昆虫たちを欺こうとする作戦です。触角を見ると,おやおや,花粉がずいぶん付いています。
家の周りは黒豆の栽培田になっていて,収獲の時期を迎えています。田によっては収穫作業が始まっています。そんな田の片隅でのこと。葉を見ると,ツマグロヒョウモンが柄にしがみつくようにしてじっとしていました。
道端にはヒメジョオンが名残りの花を付けて,秋を純白で彩っています。そこを訪れたツマグロヒョウモンが口吻を伸ばして蜜を吸っていました。「どうぞ,撮り終わるまで飛び去らないで」。そう祈りながら,シャッターを切りました。
まだまだすてきな被写体の,すてきな場面と出合いがあるようにと願っているのですが,どうなるでしょうか。
11月に入って,虫の数がめっきり減った感じがします。夜,部屋の中に届く虫の音も,じつに細々としています。
今頃の虫の目写真といっても,そう被写体に恵まれるわけではありません。よほど気をつけて見て行かないと,目には飛び込んできてくれません。
堤防を歩いてバッタを探したのですが,1匹も見かけませんでした。クツワムシが見つかっただけ。動きが鈍くって,晩秋を思わせる風景でした。水田の黒豆が色づいています。遠く離れたところに国道が走っています。ちょうどトラックやら乗用車が通り過ぎていきます。こんなのどかな景色の中に,クツワムシのいのちは溶け込んでいるのです。
堤防の斜面では,セイタカアワダチソウが群落をつくっていました。花の最盛期はとっくに過ぎていますが,なかに満開状態の花があって,これを敏く見つけたオオハナアブが何匹か訪れていました。ハナアブの向こうは川原。さらに向こうには工場の白い建物。遥か向こうに山並みが続きます。
夕闇が 迫る時間帯。土手で見つけたのがメスのツマグロヒョウモン。ミゾソバの茎に抱きついてじっとしていました。どうも飛び立つ気配は感じられません。ねぐらにしようと決めたのでしょうか。それとも,近くで羽化してここまで歩いてきたのでしょうか。それとも,飛べないほどにからだが疲れ切っているのでしょうか。
翌朝,撮ったのが下写真。まだいました。
日がどんどん短くなっていきます。身近な自然に目を向けると,虫たちが冬支度を急いでいるように見えます。
アキノエノコログサは,その名のとおり,秋にお似合いの姿をしています。充実した種子を付けて頭を垂れ,じつにのんびり,ゆったり,といった感じから季節の匂いが伝わってくるのです。夕暮れ時,そのかたちがシルエットになって浮き上がると,「ああ,秋の夕暮れが」と感じ入ります。穂にとまって虫が鳴いてでもいたら,と想像するだけで,「秋はいいなあ」と思うのです。
からだからすると,穂は重いでしょう。結果,茎が斜めになって,よく見ると緩やかな弧を描いきながら揃って同じ向きを向いています。風などの自然現象に災いされない,最低限度のしくみを備えていることが理解できます。細いながら,じゅうぶんにしなやかで,からだをしっかり支えている茎!
茎内部は中空ですが,途中に節を付けて,簡単にはおれない茎,できるだけ高い背丈を実現しようとした戦略が見えます。「種子を遠くにばらまかなくちゃ」「細長い葉をできるだけ伸ばして,光を受けなきゃ」というわけです。イネ科植物一般の特徴が,アキノエノコログサには典型的に現れているのです。
もちろん,これからは上質の紙料が得られるでしょう。
さっそく紙づくりに着手。煮ること3時間。
ミキサーで叩解すると,細かな繊維が取り出せました。
それを紙料にして,漉いて,水切り。そのまま乾燥させます。
乾けば,アキノエノコログサの完成!
黄色みが際立つ野草紙,という感じが漂ってきます。 秋の代表的な野草紙だと,わたしは思っています。
落葉樹林があれば,子どもたちを誘ってそこで基地づくりやターザンごっこをさせたいと思ってきました。ターザンごっこなら,木に蔓が巻き付いて,枝から茎が下がっていて,それらを利用できたら申し分ありません。自然のなかで,からだを使ってただただ遊び興じるだけ。それは原体験そのもの。
しかし,周りに山はあってもそこはスギやらヒノキの植林地。木が大きくなっても,ターザンごっこに適した樹形でもなし,蔓があるわけでもなし。にもかかわらず,なんとかそれに近い体験をさせたいと思い,実行に移しました。
まずは,施設に隣接した広場にあるクヌギを利用して,準備的な活動としてターザンごっこをするのです。それには,枝を選定して余計な枝を伐採する,ロープを引っ掛ける,ロープにぶら下がれるように足場を作る,そんな作業が必要になります。
わたしはあくまでガイド(仕掛け人)で,安全上の注意点と危険性について伝え,活動のヒントを与えることが主なしごと。作業は,リーダー(4年生)が中心になって進めていきます。結局わたしがした作業は足場作りだけでした。安全面を最優先する以上,それだけはやっておかないといけないと判断したからです。よくあることですが,おとながあれもこれもお膳立てするような活動内容は,子どもの育ちにとって有害無益のなにものでもありません。
準備の段階から,遊びの実際に至るまで,子どもたちはじつに生き生きと活動していきました。1年生の子どもまでが木に登って,ロープを移動させようとしました。ちょっと擦り傷ができましたが,「大丈夫,大丈夫」といっている様子からは,それはそれで活動の勲章のようなものに見えました。
ターザンごっこはおもしろい! 見守るのもおもしろい!
6時間かけて煮熟すると,あれだけしっかりしていた繊維が柔らか味を帯びてきます。手触りがはっきりちがってくるのがふしぎなほどです。繊維が丈夫だということは,それだけ手強くって,魅力を秘めた対象物だということです。
これを打解・叩解するのは,手作業でも,ミキサー使用でもよいでしょう。木槌で叩けば,根気がいりますが,長めの繊維が得られます。それから漉いた紙は魅力に富んでいます。手作業,ミキサー使用で得られた紙料を混ぜて使うのも名案です。きめ細かな繊維のなかに,長めの繊維が入って,これもまた独特の表情を見せてくれます。混ぜ具合によってもまた,味わいが異なってきます。
今回は,「草花の細密画が描けるタケ紙を」という求めに応じて,ミキサーを使いました。ただ,細密画が描ける紙質という点では,タケ紙にはすこしハードルが高いかなと印象です。実験的な意味合いなら大丈夫でしょう。
サイズは葉書大,A4判,色紙。乾燥なのですが,秋の今頃でも,晴れた日が続けば一日か二日で乾きます。
乾燥後はドウサ引きをします。これは,ドウサ液と呼ばれる液を薄めて表面に塗布するのです。この液はニカワ液にミョウバンを溶かしてつくられていて,市販されています。ドウサ引きは西洋紙製造工程におけるサイジングにあたります。用紙の滲み防止策として書道家が使う,ふつうの方法です。
こうしてできた紙を見ると,自分でいうのも変ですが,なかなか味わい深い色合いをしています。指先で弾くと,ぱんぱんと心地よい音がします。
さて,細密画用紙として及第点が得られるでしょうか。依頼者に満足していただけるでしょうか。
竹林に生えている植物主を学術的に言い表すなら,カタカナでタケ。生活や文化の目でなら,漢字表示で竹。したがって,わたしがタケ紙という場合は素材になった植物を分類学の目から意識して使っていることになります。これに対して一般的には竹紙と書いて,“ちくし”と読んでいます。
つい先日,この竹紙,つまりタケ紙を漉きました。
タケ紙は非木材紙の代表例です。中国ではよく知られた紙ですが,我が国ではごく限られた人しか漉いていません。それで,馴染みが薄いのでしょう,実物を見た人からは「タケから繊維をどうやって取り出すのですか」という疑問がよく出されます。取り出す方法はともかくとして,のっぽダケのからだを支えているおおもとが繊維だということは,たぶん,誰もが想像できるでしょう。その繊維がじつにしなやかで,強靭な性質をもっていることも納得できるでしょう。
たとえば,雪が降り積もって大きく弧を描いて曲がっている風景を思い浮かべてください。強風にあおられて,大きく,激しく揺れる風景を考えてみてください。そうした悪条件のもとで環境に適応して生きていけるのは,繊維ともうひとつ,茎の中空を区切っている節のお蔭なのです。
悪条件にも限度があり,耐えられる限度を越した場合は,からだ,つまり茎が縦に裂けます。縦に裂けるのは,その方向に繊維が走っているからです。茎が激しく裂けると,繊維が剥き出しになりますから,「これが繊維なんだ」「これでからだを支えているのだな」と一目で理解できます。
そんなわけで,ふつう,タケのからだから人手で繊維を取り出すのは相当に厄介です。硬いからだから,どうやって繊維を取り出すのか,まったくむずかしい話になります。中国の例では,20年も水に漬けて腐らせるという話もあるくらいです。
タケ紙を漉く人は,それなりに工夫してじぶんに合った繊維の取り出し方を採用しています。わたしは,タケノコがすこし伸びた頃の若竹を途中から切断して立ち枯れさせたものを使う,横倒しになって腐朽菌や小動物,水分などに分解され繊維だけが残った状態の竹を利用する(下写真),などの手を使っています。
それで取り出せても,繊維を煮る時間の長さは植物中でも横綱級。6時間たっぷりかけます。それだけ,繊維質が丈夫だということなのです。丈夫だから,出来上がる紙も丈夫です。コピー紙から厚手の紙まで,様々なタイプのものができます。色も,じつに多様です。タケの古さ,腐り具合,それらが微妙に関係しているからです。 (つづく)