自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

虫の目レンズを手に野へ(3)

2013-08-19 | 随想

ジャノメチョウが現れました。

敏感なチョウで,はじめのうちはわたしの動きを察知してさっと飛び立ちました。「これは要注意だな」と思って,うんと注意深く近づいていきました。かろうじて写したのが下のものです。チョウの動きに合わせて移動しながら撮っているうちに,おもしろいことに気づきました。

それは,どうもススキの葉を選んでとまる傾向がある点です。なかには,下写真のように産卵する格好が見られることもありました。「もしかすると,ススキが食草なのかもしれない」と感じました。 

たった一度,草むらの地面に降り立ったことがありました。そこは小石だらけです。たぶん気まぐれな行動なのでしょう。 

帰って調べると,幼虫の食草のひとつにススキが挙げられていました。ヤッパリ,です。草むらで卵を探すと,見つかるかもしれません。 

 


スズメガの羽化

2013-08-19 | 昆虫

先日の早朝,自宅脇の畑で草引きをしていました。キュウリが枯れたので,支柱を抜きキュウリの後処理をしているときのことです。根を引き抜くと,スズメガの幼虫が地表に現れたのです。

畑を耕しているときに,土の中からスズメガの蛹が出てくるのはよくあること。大きなものから小さなものまで,海老茶色をした特有の色合いの個体です。口のあたる部分にグニャッと曲がった口吻があるので,それとわかります。

この朝見たのは,初めて見る体色だったので,とくに印象に残りました。殻が透明で,中が透き通って見えるのです。たぶん,羽化間近なのでしょう。腹部を走る緑の帯は,このガの特徴を示しているのでしょうか。頭部の黒いものは複眼です。

スズメガは地中で羽化して,成虫が地表に出てきます。 羽化寸前の蛹の殻が透明感をもつようになって間もなく羽化する,この道筋はチョウの例から推測できます。

それで,室内に持って入り,変化を見ていくことにしました(下写真)。地中は湿っているので,その環境を考え,湿気を与えた土のうえに載せました。

結局,一週間程した朝,羽化が既に終わっているのを発見。もう飛べる状態になっていました。家を留守にしていたので, その間に羽化したのかもしれません。スズメガはどうやらコスズメのようです。

当初,もっと早い時期に羽化するのではないかという感じがしました。透明感のあるからだになっても,しばらくはそのままなのです。一つの事実との出合いとなりました。 

 


アゲハ,羽化直前の死

2013-08-19 | アゲハ(ナミアゲハ)

8月9日付け記事『アゲハ,蛹になる』で取り上げた個体のその後の話です。

8月17日(土),頭部・胸部に透明感が出てきて,間もなく羽化かと思われました。それで植木鉢を室内に持ち込んで待つことにしました。この個体については,羽化の瞬間を是非写真に収めたいと思ったのです。

8月18日(日)。今にも羽化が始まりそうなのに,この日の深夜に至っても変化がありません。

8月19日(月)。午前。先日と変わったところはありません。どうもおかしいので,蛹の蓋の部分を触ってみました。すると,わずかに開きました。ところが,それ以上の変化が起こらないのです。

 

おかしいなと思って,さらにすこし蓋を開けてみました。やはり,動きが見られません。

もっと開けてみました。といっても,軽く指を蓋に触れるだけです。それでもまったく動きはありません。ふつう羽化する場合,脚・触覚がバネのようになって蓋を押し上げますが,かたちだけはそれとそっくりです。

これで,この個体のいのちが絶えていることがわかりました。わたしは,このときまでに個体そのものをまったく触っていません。なのに,こんなことになってしまいました。いのちは微妙です。なにが起こるか,わかりません。

関心をもって見守ってきていた個体なので,とても惜しい気がしています。いのちのクライマックスを迎えたこの段階で,いのちが途切れるなんて。

 


金沢,すてきな風景

2013-08-18 | 旅行

金沢の街をたのしんできました。何度訪れても,魅力に溢れた街という印象が薄まることはありません。今回でまた印象が深まりました。旅をどうせたのしむなら,このように快適で上等な味をこころに残してくれるひとときがあってほしいと願っています。心地よさを満たしてくれる何がしかの印象が残るのは幸せなことです。

印象はほんの一つだけでも,旅は十分満足できます。それが複数あれば,もう勿体ない限り。今回の印象は勿体ない程ありました。そのうち,三つに限って記しておきます。

その1。忍者寺として名の知られた妙立寺でのこと。わたしはこれで三度目の拝観になります。観光客がもうたくさんで,わたしは事前予約を入れておいたもののその時間帯はたぶん100名近い客でごった返していたと思います。

多過ぎるので実際の案内はグループ分けがなされ,わたしはそのうちの第3グループ(16人)になりました。これがとても幸いしたのです。ガイドさんとの極上の出会いができたのでした。手馴れた,簡潔明瞭な解説,段差が多いので安全を気遣うしぐさ,すべてがスパッと決まっていて,話の続きに引き込まれる感じだったのです。さすがにプロ,です。手馴れた説明を聞かせるなんて見え透いたこころなど微塵も感じさせない腕に,拍手!です。

40分程の案内があっという間に終わった感じがしました。締めくくりのことばが終わると,わたし(家族)は思わず拍手をしました。それもとくべつ大きな音で。そして「ありがとうございました。すてきな案内で感謝します」と言っていました。ガイドのKさん,「拍手までいただき,ありがとうございます」とおっしゃいましたが,わたしは「充実したひとときが過ごせて,ほんとうにありがとうございました」とまた言っていました。

その2。宗教学者鈴木大拙の業績を後世に伝えるためにつくられた記念館は,街の片隅にある清楚で,じつに個性的な建築物です。大拙の功績をこれでもか,これでもか,という感じで訪問者に語りかける,そんな体裁のものとはまったく正反対。最小の資料で,そこを訪れるだけで,そこに佇んでいるだけで,大拙の世界が気になり始める,大拙の思想が語りかけてくるのではないかという幻想にとらわれ始める,そんなスゴイ空間です。設計に深い思想が流れているのです。

訪れる人は少数ながら,絶えませんでした。静寂な空間に身を置き,静かに静かに大拙と向き合おうとしているかのようでした。わたしのような凡人まで,喧騒から解き放たれ,世俗から離れて,自分を見つめるすてきなひとときが持てるように思われました。

その3。街中の,すぐ路地裏の疎水は人と水のつながりの大切さを語りかけているように見えました。水量といい,水質といい,水路の描く曲線といい,はたまた勢いよく流れる水が醸し出す音といい,生活に潤いなり安らぎなりを与えているのは確実です。

疎水を生活にうまく取り込んで,景観をこの街ならではのものとして整えてきた人々の汗を頼もしくさえ思ったのです。

自然を生活に生かす智恵,そうした思想を根付かせた自負が垣間見える思いがしました。

こんなわけで,次の金沢行きをたのしみにしています。

  


虫の目レンズを手に野へ(2)

2013-08-18 | 随想

シオカラトンボが飛んできて,イネ科植物の葉にとまりました。

翅と全身,それに背景の青空をしっかり入れようと思い,カメラを縦にして撮りました。上空に伸びた葉が,緩やかにきれいなカーブを描いています。虫の目レンズがそれを強調する効果を発揮しているのです。 

使用レンズは下写真のものです。焦点距離を長くするために筒が長くなっていて,先に魚眼レンズが付いています。先だけを他のレンズと交換できるようになっています。被写体に1cm程度まで近寄れますが,あまり近づくとレンズに被写体が触れるために細心の注意が必要になります。

それで,ファインダーを覗きながら近づくのは禁物です。予め被写体とレンズとの距離を肉眼で確認してからピントを微調整し,シャッターを切るわけです。 一枚目の写真だと,翅の手前端はレンズすれすれまで来ている程ですから。

昆虫を強調気味に配して構図が決まれば納得,です。

 


虫の目レンズを手に野へ(1)

2013-08-17 | 随想

虫の目レンズは虫の目線でとらえた虫及びその生息環境を写し出す特殊なレンズです。魚眼レンズでもありながら,レンズから被写体までの距離に関係なく,視野に入るものすべてに対し程々にピントが合うというすぐれものものです。ただし,このように虫が環世界を認識しているわけではありません。あくまでも,人の目で虫の目線に近づいた画像に過ぎません。

この“過ぎない”ところを敢えてクローズアップし,昆虫の世界を写し出そうとした人間の智恵が光ります。

あくまで程々のピントなので,標準的なレンズの解像度とは比べものになりません。画像のシャープさを求める人にはお勧めできません。画像の妙をたのしみたい方にはお勧めします。「おもしろいなあ」という範囲のものでありながら,人によっては虜になる方もあるようです。わたしもまたその一人で,そのおもしろさにすっかり魅了されています。

せっかくの撮影チャンスを満足のゆく仕上がりにしたいので,それなりの解像能力を備えたレンズを使っています。4本あるレンズのうち,いちばんのお気に入りは監視カメラ用の高解像度のものです。

視野角は180度近くあります。魚眼レンズの機能を持っているので,当然,水平方向及び垂直方向の線は弧を描きます。画面の周辺になるほど,その傾向がはっきり見られます。その曲がり具合がまた,じつにおもしろいのです。

そんな中から何枚かご紹介しましょう。

青空に映える緑の豆田。黒豆の葉にショウリョウバッタ。

葉の間に入ってしまえば,保護色が威力を発揮します。撮影場所は,わたしが気にいっている草むら。山裾の小さな草むらですが,出合える生きものは結構変化に富んでいます。 

シオヤアブは至るところで見かけますが,ここでも。 この日は,神経質なくらいに動き回りました。一瞬を見逃さずにシャッターチャンスを待ちます。

太陽光が降り注ぐ草むらは魅力いっぱい。

 


アゲハ,孵化から蛹化へ,そして羽化へ(3)

2013-08-16 | アゲハ(ナミアゲハ)

「蛹化から10日目が羽化!」。この読みはズバリ的中しました。 

日曜日の早朝です。なんとタイミングのいいこと! 2時間ばかり待っていると, ぱっと蓋が開きました。この瞬間の前兆はありません。それで凝視して,ひたすら待ち続けるほかないのです。

脚で蓋をグイッと押し開きます。からだが大きく見えかけました。 

成虫は,出終わると殻のところで静止しました。そして口吻のウォーミングアップを繰り返しました。

孵化してから31日目の誕生でした。

この羽化を観察してからちょうど一時間後,飼育箱の蓋で蛹化していた個体が羽化しました。ふしぎなほどに,孵化→蛹化→羽化と重なるようにして進行しました。 

 

翅が大きく伸びきった後,二匹は空に舞い上がっていきました。最後まで見届けられたことをうれしく思っています。 

 


ことばの誤用に見るマスコミ関係者の感度と力量

2013-08-15 | 随想

『ことばは世につれ』といいます。ことばは変化します。妙なことば遣いが幅を利かせ,その結果誤用の指摘どこ吹く風かの勢いを得て,許容されるまでになる(なった)例はたくさんあります。典型的は例では近くは,“全然”の使い方,“ら抜き”ことばがあります。

ただ,わたしはそうしたことばを進んで使う気にはなれない世代にあります。もしまだ学校に身を置く立場なら,そんな今風のあり方を積極的に追う,あるいは無批判に取り入れる,そんな姿勢でいたくはありません。

先頃,ネットを見ていて,クワガタの記事を取り上げた記事中,どうもおかしな表現に出くわしました。それは週刊誌を発行している社が配信した次のものです(原文のまま)。

  1. 「クワガタは、大事に飼ってあげれば5~6年は生きます」
  2. 「昔は、飼育環境を整えるのに木を砕いたりするところから始めなければいけませんでしたので、敷居が高いものでした」

上の引用文(1,2)は,記者が関係者にインタビューをした結果返ってきたことばで,それがポイントを絞って書かれています。

当然のことですが,聞かれる側がどんなことばを使って話すかまったくわかりません。誤った使い方もあります。ことばへの関心だって,人ぞれぞれなのです。したがって,出てきたことばを簡潔に整理してまとめるのが記者としての役割です。記者の感度と力量で表現がすっかり変わってきます。

上の例を簡単に考えてみます。1の例は,昆虫を飼うことを「飼ってあげる」とまで表現しています。昆虫自身は「飼って“いただきたい”」とでも思っているのでしょうか。この種の用い方は,ペットや金魚の場合でもよく聞きます。わたしは,ついにここまで来たかと感じました。この記者子,「クワガタに餌をあげる」と聞いても違和感を感じない方なのでしょう。

2の例です。飼うことが難しいことを,「敷居が高い」と表現しています。適切なことばを選ぶなら,「垣根が高い」でしょう。“敷居”の方は「不義理なことや不面目なことを重ねてばかりいるので,その人の家に行って会うことが出来ない気持になる」(新明解国語辞典)という意を表します。“飼育”と“敷居の高さ”は,まったく結び付きません。

雑誌記者のようなことばを重要な手段として生業を立てている人には,ことばにもっと敏感になってほしいと思います。インタビューの相手がことばを誤用した場合,文字にする際,適切に手直しできなくちゃ。そのためには日頃から言語感覚を磨こうと努めるか,それが一定水準磨けていなくてはならないのです。

この点,公共放送のNHKには自浄作用がはたらいている面があります。ニュース番組のことですが,インタビューで「ら抜きことば」が出てきたら字幕は「ら入りことば」に修正されています。話しことばは直接修正できませんが,書き言葉ならできるのです。この程度の感度はマスコミ関係者に広く共有していただきたいものです。

(注)写真は本文の内容と関係がありません。

 


フタスジスズバチの巣作り

2013-08-14 | ハチ

オオフタオビドロバチが巣を作っているすぐ近くで,フタスジスズバチが同じように巣作りに熱中していました。穴同士の距離はほんの cm。縄張りを主張したり,相手を威嚇したりする様子はまったくありません。考えてみれば,ふしぎな風景です。完全に共存し合っているのです。

しばらく,巣作りの様子をかんさつしてみることにしました。ハチは何度も出入りを繰り返しました。 

育房の隔壁に,切り取ってきた木の葉を使うとか。それらしいものを持ち込んだ瞬間を見ました。しかし,もしかすると,何かの幼虫なのかもしれません。 

今度は葉のようです。 

sのうちに巣作りが終わり,入口を塞ぎ始めました。 

この夏,この種のハチがヨシや竹の筒を訪れたのを何度か目撃しました。この分だと,こうした穴をこちらで準備しておけば,結構観察機会が増えるように思われます。来夏,そんな試みをしてみようかなとすこし思い始めました。

 


ジャコウアゲハ観察記(その257)

2013-08-13 | ジャコウアゲハ

『ジャコウアゲハ観察記(その256)』で取り上げた,葉の表に産み付けられた卵の続き話です。

8月9日(金)の早朝,見ると孵化済み。他の葉の卵も同じように孵化しているものがありました。これで三化めが始まったことになります。卵の殻そのものがなくなっている,幼虫がいない,などの理由から想像すると,孵化は8月8日だったのではないでしょうか。

同じ株を見ていくと,他にも幼虫が何匹かいました。同じ頃に,産み付けられた卵が孵化し始めたことがわかります。多過ぎると思われた場合は,他の茎に移さなくてはならないでしょう。食草が全滅しないようにしようと思っています。さらに,蕾が付き始めた株もあります。これが食べられたら困ります。結実の様子を是非記録していきたいものですから。

こんなわけで,まだまだ目が離せません。