自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

虫の目レンズを手に野へ(7)

2013-08-24 | 随想

虫のいのちは生きるドラマを繰り広げます。餌を得るために,難を逃れるために,子孫を残すために,といろんないのちの展開があります。

虫の目レンズは,細かな描写には適していませんが,生きざまをざぁーっと切り取る点ではかなり効果的な道具です。

わたしのお気に入りの,池の堤があります。そこにはイネ科植物やらクズやらが,昔見たふつうの田舎の風景のように生い茂っています。人が訪れて余暇をたのしむような空間ではないので,バッタ類やトンボが適当に生きています。

歩いていると,シオカラトンボが葉にとまりました。塊りを抱えているように見えます。獲物を捕獲してきたのでしょう。近づいて確認すると,やはりそうです。急いでレンズを向けて数枚記録しました。

しばらくして飛び上がりました。レンズに気づいたのかもしれません。トンボは,近くの葉に降りました。そこでまたわたしは,食餌風景を写真に収めました。地面に近い位置にいる被写体を撮るときは,腹這いになることがほとんど。それでアングルファインダーが欠かせません。 

そのうちにまた舞い上がって,池のコンクリート法面に向かいました。コンクリートの隙間に生えた草にとまって,また餌を食べました。

 

暑い暑い夏のある日のことでした。汗が流れ落ちる中でシャッターを切りました。目に焼き付いた青空は忘れられません。この青空を味方にしてしまう虫の目レンズは頼もしいスグレモノです。

 


ジャコウアゲハ観察記(その261)

2013-08-24 | ジャコウアゲハ

間もなく2化を終える(らしい)ジャコウアゲハが,我が家の庭『アゲハ庭園』に飛来しています。

8月21日(水)。一頭のアゲハがウマノスズクサを探し求めて,草に前肢を触れながら飛び回っていました。たまたまそこを通りかかったわたしは,その動きを注視しました。ウマノスズクサに触っても,感覚毛が正確に,敏感にはたらいていないようで,じつにあいまいな行動を繰り返しました。何度も触りながら,別の葉に飛んでいきます。さらには,別の草に移っていきます。

そうしているうちに,食草のすぐ横に植えているレモンの葉に脚を載せて確認をしたのです。おもしろいことが起こりました。そこで産卵行動が起こったのです。腹を曲げて葉の裏にくっ付けるしぐさをしました。この行動は,感覚毛の機能のファジーさとしてこれまでにも触れた観察事実と一致します。

ジャコウアゲハが飛び去ったあと,ほんとうに産卵が行われたか,確認しました。やはり,卵が見つかりました。感覚毛がレモンから間違ったシグナルを受け取り,個体に間違った行動を促したことがはっきりわかります。

ふつうなら,目にしない,目にできない風景です。この日の観察から学べること,それは観察は事実を見逃さない注意深さがいのち,という点です。

 


虫の目レンズを手に野へ(6)

2013-08-23 | 随想

自宅の隣接地は更地で,草が伸び放題になっています。草が伸びてくれば,当然昆虫が棲みつきます。

バッタ類が目立ちます。ちょっと足を踏み入れると,それらが驚いて飛び立ちます。後を追って,構図に取り込みます。構図が決まるとシャッターを押します。下写真は,まるで,草を抱いて青空に飛び込んでいきそうな気配を感じた瞬間を切り取ったものです。

草があって昆虫がいるということは草食性の昆虫が必ず棲んでいるということです。ショウリョウバッタは餌に苦労することはありません。しかし,です。草食昆虫がたくさんいれば,肉食昆虫がいます。クモも巣を張って密かに待ち伏せています。食べる・食べられる関係が,容赦なく成り立っている世界なのです。

緑色をしたからだはどれも青空に映えます。二枚目の写真は,カマキリが夏空を背負っているような錯覚に陥ります。わたしを威嚇しているつもりでしょうか。

平凡な景色の中で,意外な視点を持ち込んでたのしめるのが虫の目レンズです。捕食行動のような動的な場面を写したり,トノサマバッタ,カミキリムシのような貫禄十分な昆虫を被写体にしたりするのが当面の目標です。

 


竹紙作り,作品作りのお手伝い(6)

2013-08-23 | 日記

8月22日(木)。A君が,竹紙作りの自由研究を完成させて,お母さんと共にしごと場を訪ねてくれました。わたしたち職員は,この日をとてもたのしみに待っていました。

一目それを見て,まことに立派に仕上げられていることが伝わってきました。ファイルの表紙,額に入った毛筆作品,自宅で漉いた二枚の紙(裏ごし,ざるを使用),折鶴,それぞれに丁寧さが滲み出ていました。額は宝です。部屋に飾られることを思うと,わくわくします。鶴は,厚手の竹紙を加工した工作物です。願いどおりに完成したのですから,それには充実感が詰まっています。それぞれ,労作です。

それらを見ながら,わたしたち職員はこころから拍手をしました。お母さんも一緒に。

一枚の竹紙が4等分に折られ,そのうちの一枚がきれいに切りとられていました。ほんとうは,切るというのでなく,耳のギザギザを入れてうまく切り剥がされていたという方がいいでしょう。その一枚は葉書大です。話を聞いているうちにびっくり。担任の先生から便りをもらった返事に,この竹紙葉書を使ったという話でした。受け取ることになった先生の喜びが浮かんできそうでした。

まとめの感想に,「竹紙が出来た時はすごくうれしかった」ということばが記されていました。このことばには,「まさか!」というビックリ仰天と,「ほほう!」という感嘆の気持ちが凝縮されているはず。これにまさる体験はなし,というところでしょうか。今回の挑戦をとおして,A君にはでっかい夏休みになったことでしょう。充実した休みの過ごし方の手伝いができたことを,わたしたちは改めてうれしく思います。

締めくくりのわたしの課題は,今回漉いた竹のコピー紙に写真を載せてプレゼントすることでした。もちろん,これには十分満足してもらえたと思います。もう一枚,これまでにわたしが漉いていた竹紙にもう一枚の写真をコピーして贈りました。

紙を作る行為は,紙一枚の値打ちについても,一つのことをやり抜くすばらしさについても,A君のこころに大きな意味を残しました。取組の締めくくりは和紙研究所のFさんに見ていただくこと。それを終えたとき,すがすがしい二学期が目の前に広がるでしょう。 

 


ジャコウアゲハ観察記(その260)

2013-08-22 | ジャコウアゲハ

ウマノスズクサの花・子房のその後の話ですが,結局,受粉がうまく行われていなかったようで,子房は膨らんでいきませんでした。どの子房も。やはり,実ができるのは稀というのは当たっていたのです。

その後,他の株でもたくさんの花を付けました。幼虫が大きくなって,葉や茎をどんどん食べました。そのままにしていたら,花まで食べ始めました。考えてみると,花だってウマノスズクサのからだの一部だし,アリストロキア酸が含まれているわけで,食べられても当然なのです。

写真の花だけでなく,他も花も同じように食べられていきました。花の断片が葉に落ちている風景もあります。そうして,葉も茎も,花もどんどん減っていったのです。

それにしても,ウマノスズクサは幼虫から何か益を得ているのでしょうか。不可思議です。

 


虫の目レンズを手に野へ(5)

2013-08-22 | 随想

草むらを歩いていると,ツマグロヒョウモンのオスが飛び立ちました。メスが産卵行動を繰り返している場所ですから,オスもいます。この日は二頭見かけました。

かなり敏感で,近寄るとさっと飛び立ちました。

繰り返し繰り返し,そっと追いかけます。下写真はヨモギにとまったところを,うんと注意深く近づいて地面に腹這いになりながら写したものです。こういう姿勢をするとかなり窮屈な思いをしなくちゃなりません。それで,マア満足のゆく画像が得られれば納得できます。下写真はうまく撮れた一枚です。 

光の強い季節,色の濃い風景,それらは虫の目レンズの力を引き出します。夏の晴天のもとでは,虫の目レンズはたいへん魅力に富んだ道具になってくれます。  

 


ツマグロヒョウモンと卵(1)

2013-08-21 | ツマグロヒョウモン

午後のこと。玄関先に出たとき,偶然ツマグロヒョウモンのメスが飛来。すぐ脇の竹に止まって,ぶら下がりました。「あれっ!?」と思って,近くのスミレの葉を確認しました。すると,きっちり卵が数個見つかりました。

卵の産みの親はこの個体とは限りませんが,色合いから見るととても新しい感じです。ということは,この個体も産みの親候補といえそうです。

夕方外出から帰って来て,成虫を見ると,まだとまったまま。それで虫の目レンズを使って撮りました(下写真)。直前に雨が降り,辺りは薄暗くって,おまけに逆光という悪条件が重なりました。それでISO2000で撮ったため,きめの荒い画像になっています。

その後,卵の付いた葉を一枚採集してきて記録写真に残しました。やはり産み付けられてからそう時間は経っていないようで,純白をしています。

部分拡大をしてみると……。

みごとな表面模様です。どうやって,こんなかたちが生まれるか,このかたちにどんな意味があるのか,ツマグロヒョウモンに尋ねたくなります。

これから当分,観察を続けることにします。

 


ジャコウアゲハ観察記(その259)

2013-08-21 | ジャコウアゲハ

『ジャコウアゲハ観察記(その260)』で掲載した写真の続きについて触れておきましょう。

幼虫がわんさかいれば,食草が激減します。成長段階に違いがあるので,まだ小さな幼虫だと飢え死にする個体が出てくるでしょう。厳しい試練ですが,うまく別の場所で食草にありついた個体だけが生き残っていきます。

このことを推測するに十分な場面が見られました。写真を写した翌朝のことです。もう,草はほとんど見当たりません。幼虫たちは路頭に迷うように,うろうろしています。

茎だけになったウマノスズクサにしがみ付くようにして,茎を貪り食う姿もありました。

 

なかには,枯れ葉に取り付いてじっとしているものも見受けました。容赦なく,食べ物がないという現実が襲って来ているのです。自然界なら,当然淘汰されていきます。

見た以上,このままにしておくわけにもいかず,わたしは幼虫たちを別の食草に移してやりました。一部は棲息地に持って行き,食草に載せておきました。

これらの幼虫は3化のものです。世代のバトンを途切れさせないための営みが脈々として続きます。

 


虫の目レンズを手に野へ(4)

2013-08-20 | 随想

お気に入りの草むらはとてもおもしろいところです。

イネ科植物に混ざって,その根元にはスミレがたくさん生えています。至る所にあります。それで,それを食草にするツマグロヒョウモンが産卵に訪れていました。わたしが見たときは二頭いました。

至近距離に近づいても,ちっとも慌てません。 

あとを追っていくと,産卵行動が始まりました。時間をかけて複数個を産み付けました。飛び立ってすこし離れた地面に降りました。もちろんそこにもイネ科植物があって,それに隠れるようにしてスミレが生えています。何を目印に食草が見つかるのか,ふしぎな感じさえしました。

暑い暑い夏の,草むらの片隅。そこで繰り広げられるいのちのドラマを虫の目レンズで記録するのは「おもしろい」の一言に尽きます。なにしろこのレンズなら昆虫をからだごと,環境もごっそり入れて切り取ることができますから。

 


ジャコウアゲハ観察記(その258)

2013-08-20 | ジャコウアゲハ

先日,ヨッさんがジャコウアゲハの蛹を3個体,枝に付いたまま植木鉢に挿して持って来られました。置いていると羽化の場面を見たくなって,しごとが手に付かなくなるので,わたしに任せるというのです。わたしも前ほどに見たいという気持ちはないので,そのまま預かることにしました。見られれば見てもいい,という感じです。

そのとき,ヨッさんは思いがけないことをおっしゃったのです。

「ジャコウアゲハは,めったにないかもしれないけど,共食いすることがあるんやなあ。この間,幼虫が蛹を食べたんや。ほんまにびっくりしましたで。」と。餌がなくなったときに幼虫同士が共食いするということは観察者の手記で知っていましたが,見たことはありません。ヨッさんの話のように,幼虫が蛹を食するなんてことは初めて聞きました。個体維持できる分だけ食草があるというのはとてもたいせつなことだとわかります。

今日(8月20日),露地植えのウマノスズクサを見ると,わずかな草に幼虫がずいぶん集まった箇所がありました(下写真)。こんな状態が高じて,共食いが起こりうるのだろうなあと感じました。

 

結局,ヨッさんが置いて行かれた3個体はそれぞれ無事に羽化して,舞い上がって行きました。