自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

ことばの誤用に見るマスコミ関係者の感度と力量

2013-08-15 | 随想

『ことばは世につれ』といいます。ことばは変化します。妙なことば遣いが幅を利かせ,その結果誤用の指摘どこ吹く風かの勢いを得て,許容されるまでになる(なった)例はたくさんあります。典型的は例では近くは,“全然”の使い方,“ら抜き”ことばがあります。

ただ,わたしはそうしたことばを進んで使う気にはなれない世代にあります。もしまだ学校に身を置く立場なら,そんな今風のあり方を積極的に追う,あるいは無批判に取り入れる,そんな姿勢でいたくはありません。

先頃,ネットを見ていて,クワガタの記事を取り上げた記事中,どうもおかしな表現に出くわしました。それは週刊誌を発行している社が配信した次のものです(原文のまま)。

  1. 「クワガタは、大事に飼ってあげれば5~6年は生きます」
  2. 「昔は、飼育環境を整えるのに木を砕いたりするところから始めなければいけませんでしたので、敷居が高いものでした」

上の引用文(1,2)は,記者が関係者にインタビューをした結果返ってきたことばで,それがポイントを絞って書かれています。

当然のことですが,聞かれる側がどんなことばを使って話すかまったくわかりません。誤った使い方もあります。ことばへの関心だって,人ぞれぞれなのです。したがって,出てきたことばを簡潔に整理してまとめるのが記者としての役割です。記者の感度と力量で表現がすっかり変わってきます。

上の例を簡単に考えてみます。1の例は,昆虫を飼うことを「飼ってあげる」とまで表現しています。昆虫自身は「飼って“いただきたい”」とでも思っているのでしょうか。この種の用い方は,ペットや金魚の場合でもよく聞きます。わたしは,ついにここまで来たかと感じました。この記者子,「クワガタに餌をあげる」と聞いても違和感を感じない方なのでしょう。

2の例です。飼うことが難しいことを,「敷居が高い」と表現しています。適切なことばを選ぶなら,「垣根が高い」でしょう。“敷居”の方は「不義理なことや不面目なことを重ねてばかりいるので,その人の家に行って会うことが出来ない気持になる」(新明解国語辞典)という意を表します。“飼育”と“敷居の高さ”は,まったく結び付きません。

雑誌記者のようなことばを重要な手段として生業を立てている人には,ことばにもっと敏感になってほしいと思います。インタビューの相手がことばを誤用した場合,文字にする際,適切に手直しできなくちゃ。そのためには日頃から言語感覚を磨こうと努めるか,それが一定水準磨けていなくてはならないのです。

この点,公共放送のNHKには自浄作用がはたらいている面があります。ニュース番組のことですが,インタビューで「ら抜きことば」が出てきたら字幕は「ら入りことば」に修正されています。話しことばは直接修正できませんが,書き言葉ならできるのです。この程度の感度はマスコミ関係者に広く共有していただきたいものです。

(注)写真は本文の内容と関係がありません。

 


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