自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

虫の目レンズを手に野へ(10)

2013-08-30 | 随想

再び,池の堤を訪ねました。

そこはバッタ類の宝庫といってもいいところで,いろんなバッタがいます。今回はトノサマバッタも数匹見かけましたが,とても敏感で,わたしの気配を認めると直ちに飛び立ちました。そうして,向こうの水田の稲穂に移動しました。これでは,やはり手に負えません。

その代わり,セグロバッタと思われるバッタがたくさんいて,何匹かは手に負える範囲に入ってくれました。腹這いのような格好で近づき,警戒させないようにそっとシャッターを切ります。うまくいったときはバッタに感謝! 

バッタの向こう側には池があって,さらに遠方に高圧鉄塔がどっしり立っています。地面を大きく取り込み,バッタの棲息環境を強調して撮ります。

前方の林が切れた先に,わずかに家並みが遠望できます。 セグロバッタは人気のないこうした土がむき出しになった環境で,生きています。地面が大きく写すことで,石ころがゴツゴツしていたり,表面がデコボコしている様子が見てとれます。

虫の目レンズは,確かに自然環境を切りとるのに威力を発揮してくれます。なかなかの重宝物です。 

 


スズメガの死

2013-08-30 | 昆虫

夕方,自宅玄関脇で,ススメガ(コスズメ)の死骸を発見。なにか事があっていのちを失ったか,自然の摂理として死期を迎えたか,いずれかでしょう。死骸にはアリがたくさん集まって来ていました。行列ができていたほどです。この場所で横たわってから,時間が経っていたものと思われます。

いつかいのちを終えるというのは,あらゆる生きものに共通した厳粛な事実です。 生きものの世界では,このいのちが他の生きもののいのちを支えるという厳かな現実があります。観察するもの,見るものの感情の如何にかかわらず,いのちは相互に粛々としてつながり,関わり合います。

アリはアリで,生きるのに必死。仲間に餌の在り処を伝えるすべは解き明かされているとはいえ,ふしぎな行列です。

夕方暗くなりかけていたので,翌日,改めて風景を撮り直しました。使ったレンズは『虫の目』 。そこには,もうアリは一匹も見当たりませんでし。前日の夕方と打って変わった様子に,すっかり驚きました。死骸の位置は変わっていましたが,かたちはまったく変わったようには見えません。

日を浴びて,静かに死骸が横たわっています。託された使命を終えて……。