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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

わが『こころ旅』をふり返ってみると……。

2014年03月30日 11時23分58秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 25日のブログに、NHKのBSで放送されている火野正平が自転車で巡る『こころ旅』のことを書きました。「えーと、ぼくは自分の"こころ旅"だったらどこを挙げるだろうか」とあれこれ思い返していたら「もう〔思い出の地〕を訪ねてしまっている」(退職してから)ことに気づきました。
 ちょっと心にゆとりができると、みんな思い出の地を訪ねるのでしょうね。
 ぼくの「こころ旅」で訪ねたところは3カ所あります。
 一つ目は小学校3年生から4年生までいた鳥取県日野郡黒坂町の黒坂小学校久住分校です。
 敗戦から一か月後の昭和20年9月に父は朝鮮から引き揚げてきました。向こうの学校で教員をしていましたから。そして赴任したのが久住分校だったのです。教室は一つでその隣が6畳の住宅でした。そこに一家6人が暮らしました。子どもたちが登校する時間前に布団をあげ、朝食をすませ、(寝るときに)廊下に出していた家財道具を部屋にしまい込みます。我が家一軒だけが配給米(米が不足しているので配給米といっても高粱〈コウリャン〉のこともありました)を食べ、村の農家はみんな白米のご飯を食べていました。冬は軒下より高く雪が積もり、汽車の走る黒坂駅までは大八車も通れない山道を1里歩かねばなりませんでした。
 退職後父が亡くなってからまず訪ねたのがこの分校でした。黒坂の町はさびれ、山道は車が走る道になり、あっという間に久住に着いてしまいました。30軒ほど農家があったと思うのですが、話のできる住民と会うこともありません。分校は建て替わり、しかも閉校になっています。情緒に浸るというより、無味乾燥な砂漠を歩くようなサラサラした気分です。
 二つ目は鳥取県東伯郡竹田村穴鴨と木地山で、やはり父の赴任地でした。ここは阪神間に暮らしているとき郷里(倉吉)に車で帰省する通り道だったので、ときどき通りすがりに寄りました。でもやはりサラサラ気分でした。
 三つ目は鳥取県東伯郡舎人村方地の家です。ここは母の実家です。ぼくは祖母にとって初孫だったのでよく目をかけてもらい、日野郡や竹田村に行ってからもよく訪ねました。それだけに思い出すことがあるはずですが、やはりしっとりした情緒にひたることはありませんでした。

 都会のかたすみにわびし暮らすのでなく、いまのように田舎暮らしを満喫していても、思い出の地は、やっぱり手紙を書いて火野正平さんに訪ねてもらって、それをテレビで見るのが一番しっとりするのかな。
 
 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの  …… か。 この詩、うまいなあ。














コメント
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